感情の考察、日常の幸福

読んだからとて奇跡は起きないけれど、自分の心に素直になれたり、日常の細やかな幸せに気がつくことができたりするような、そんなブログを目指しています。

[理論]悪用されやすい「感情」

前回の[理論]の項目では、感情の受け止め方について説明しました。

 

さて、ここで気をつけて欲しい点があります。

 

それは、「感情」を受け止めると、すごく楽に感じます。

だからこそ、それを悪用する人たちも存在する、ということです。

 

ここは、以前の話のおさらいですが、

感情・・たとえば、「悲しい」とか「腹立たしい」とか「嬉しい」という感覚を受け止めた時というのは

すごく心が楽になる感覚があります。

 

なぜなら、感情とは「心そのもの」だからです。

感情を否定することは、心を傷つけることと同じことです。

 

たとえそれが向上心や良心からであっても、

「この程度で悲しんではダメだ」

「こんなことで喜んじゃダメだ」と思って感情を否定すると、心は傷つきます。

 

心が傷つくと、それを埋めようと、

無性にお酒が飲みたくなったり、食べ過ぎてしまったり、いらない買い物をしてしまう・・

という話は以前書いたことがあるのですが、

とにかく、トラブルの元となります。

 

感情を受け止めると、そういった心の傷をつけずにすむので、心はホッとします。

自分自身という存在を、受け入れてもらったような気がします。

また、心が傷つかないので、上記のようなトラブルを起こさずに済みます。

小さい頃から、親に感情を否定されてきた人ほど、その感覚を鮮烈に味わいます。

 

これが、自分自身で受け止めるのであれば、まだ良いのです。

問題は、他人に受け止めてもらった場合です。

 

他人に感情を受け止めてもらうというのは、例えば、

「悲しいって思っても良いよ」

「あなたは頑張ってきたよ」

「あなたはありのままでいいよ」

といった言葉(上記の例では、感情だけでなく、それに付随する思考や行動も含まれていますが)を

他人からかけてもらう(直接でも、本を通してでも)ことを意味します。

すると、どうなるか。

 

その相手のことが、「神様」や「理想の親」のように見えてしまうのです。

そして、相手の言うことを非常に聞き入れやすくなります。

 

私は以前のブログで、自己啓発本をよく出されていた人物の批判をしたことがありましたが、

自己啓発セミナーや自己啓発本、カルト宗教を人々がなぜ信じてしまうかといえば、

多くの場合は「そこで初めて、感情を受け止めてもらう経験をしたから」ではないかと思っています。

 

そして例えばそれが、倫理に沿った教えをして良心的な価格のセミナーや宗教であれば良いのですが、

「あなたの子供は叩かれるために生まれてきた」だの、「子供を捨ててもいい」だの、

社会のルールから逸脱した教えを説いている場合や、

「このグッズさえ買えば運が良くなる」「セミナーにお金を使ったらいい」などの詐欺や搾取目的のことを言っている場合、大変なこととなります。

 

 

「感情」を受け止めることはとても大切なことだけれども、

それを悪用して、良からぬ思想を植えつけたり、あなたのお金を搾取したりする存在もいる、ということを覚えていてくださいね。

 

 

そうしてできるだけ、「感情」を認めるのは自分自身で行うようにしましょう。

他人に受け止めてもらうことは楽ですが、それがどれだけ良い人であっても、受け止めてくれた相手に依存したくなってしまいます。

それは良くありませんよね。

私は「大人」というのは、「自分自身で自分の感情を消化できる人」を言うのじゃないかな、と思っています。

 

もちろん、余裕がない時には、他人の手を借りるのも大切ですが、

自分自身で受け止められそうなら、まずは自分で受け止めましょう。