最近、私が人生で最も好きになったテレビ番組の続編が放送され始めた。
それは、ソーイング・ビー!
Eテレで放送されているイギリスのテレビ番組で、洋裁のコンテスト番組だ。
番組の存在を知ったのは去年の冬で、その時にはもう第8回目だったのが、滅茶苦茶ハマってしまった。
この番組は木曜の夜に放送されていて、その翌週の水曜の昼に再放送があったのだが、私が見ていたのはこの再放送だった。
毎週水曜日、午前中に家事を全て済ませてお昼ご飯を食べたあと、紅茶とささやかなお菓子を用意してこの番組を見ている時間が何よりの幸せだった。
春から放送が無くなったことが本当にショックで、あの時はおそらくここ数年で一番落ち込んでいたが、
秋に続編が放送されると聞いた時には、嬉しすぎて家で一人で踊っていた。
ソーイング・ビーの良いところは、日本の番組と違って無駄に視聴者の関心を引こうと煽ったり、視聴者の感情を揺さぶろうとする演出をしないところだ。
出場者はただ淡々と服を作り、審査員も淡々とそれを評価する。
そして、テレビに映る美しいテキスタイルやリボンやボタンを見ていると本当にうっとりする。
何よりも、自分が服を作りたくなる!
この番組を見始めた頃は、ちょうど生まれたばかりの下の子と2歳の娘の育児に追われていて、服作りはとてもできそうになかった。
この番組を見ながら、私はいつも、育児が落ち着いたらどんな服を作るか妄想してにやにやしていた。
そして、強く思った。
「もっと洋服作りが上手になりたい!」と。
今の私は、そのために、たくさん失敗したい気分なのだ。
☆☆☆
元々の私は、決して好んで失敗したいタイプではなかった。
むしろどちらかというと完璧主義で、失敗すると深く落ち込むタイプだ。
だから、私は苦手なものに取り組むことや、自分が評価にさらされることは避けて生きてきた。
間違えたり、低い評価をつけられて味わう悲しみや悔しさを、味わうのが怖かったからだ。
だから、中学生の時は漫画家を目指していたのに、ちっとも投稿せずに他人の絵の粗探しをするしょうもない人間だったし、
大学受験も全然頑張らなかったし、就活にいたっては同じように逃げたせいで内定ゼロになるという悲惨な結果になった。
しかし、そんな私が失敗を恐れなくなったのは、とある考え方をするようになったからだ。
それは、失敗した時に「〜という実験結果が得られた」「〜という勉強になった」と脳内でつぶやくこと。
些細なことだけども、こう考えると自分の失敗を認められるようになったのだ。
もちろん、失敗することを認めると、いまだに「痛み」は感じるのだけれど、その「痛み」が段々と小さいものに変わっていったのだ。
☆☆☆
私がこのような考え方をするようになったきっかけは、料理だった。
料理は結婚してから本格的に始めたので、もう6年ほど毎日作り続けているのだが、
前述の通り完璧主義の私は、ほとんどの料理で目分量はせず、必ず毎回計量して味付けをしている。
理想は「冷蔵庫にあるものでちゃちゃっと、自分のセンスで美味しく味付けられる人」になることなのだが、
私にはまだそんなセンスはないし、料理のクオリティにばらつきが出るのが嫌なので、たとえそれが小さじ1でも必ず計るようにしている。
6年間も料理をしていると色んなことがあった。
ある時はスパゲティを茹でる量を計量し間違えて、3人前作るつもりが6人前作ってしまったし(消費するのが大変だった)
ある時はせっかく上等なお肉を使ってトンカツを作るつもりだったのに、下ごしらえの塩コショウを忘れてしまったし、
ある時は夫の大好きな生姜焼きを張り切って作ったのに、砂糖を入れ忘れていつもより美味しくできなかった。
完璧主義の私は、たとえ他の人から見たら「たかがそんなことで・・」と思われそうな失敗でも、深く傷ついた。ひどい時は床にへたり込むほどだった。
しかし、いつからか私は、失敗するたびにこう唱えることにした。
「今回の失敗のおかげで、次は同じ失敗をする確率が減るな」
「これで『砂糖を入れ忘れたらどんな味になるか』がわかる実験になるな」と。
そうすると、少し心が楽になった。
そして何よりも意識が変わったのだ。
それは、失敗を『結果』ではなく、『途中経過』だというふうに受け止めるようになったからだ。
例えば、今日作る夕食をもって私が料理を辞めるとしたら、その料理は「結果」と言えるかもしれない。
しかし実際には、明日の朝も昼も夜も私は料理を作る。
私にとっては今日作る夕食は、「結果」ではなく、毎日続ける家事の中の、一つの『過程』でしかないのだ。
だから、たとえ今日の夕食に作るスパゲティが失敗したとしても、その失敗を活かして明日作るスパゲティが成功したら、失敗したことも
「あの時に失敗したから、今回はやり方を変えて成功できたな」と思えるだろう。
そして、自分でも振り返って思うことは、失敗した時のショックが大きいことほど、
そこから立ち直った時には成長して視野が広くなっていたり、同じ失敗を二度としなくなったりするものだ。
☆☆☆
失敗のことについて考えた時、思い出すのは塾でのことだ。
私は大学の時に個別指導の塾で、塾講師のアルバイトをしていた。
そこで教えていた生徒の中に、授業で教えてもらったばかりの時はスイスイ問題が解けるのに、テストになると途端に解法を忘れたり、ケアレスミスをしたりしてうまくいかない男の子がいた。
その子にはある特徴があった。
というのも、復習することを極端に嫌がったのだ。
復習や、間違えた問題の見直しはテキトーに済ませ、とにかく予習ばかりしたがった。
そして前述の通り、教えてもらったばかりだと問題を簡単に解けるものだから、予習すれば「正解する喜び」を味わうことができる。
彼は「正解する喜び」ばかり求めているように見えた。
当時の私はまだ若かったから、「きっとプライドが高いから、見直ししたくないんだな」と思っていた。
だが、今思い返せば、彼はプライドが高いというより「間違える悲しみ」に向き合うことが怖かったんじゃないかと思う。
私がその悲しみに寄り添うことができればよかったのだが、まだそのことに気づいてなかった私は、そうすることができなかった。
「正解する喜び」を味わうことは確かに快楽だが、彼が学習する時に本当に必要だったのは
「間違える悲しみ」をきちんと味あわせることだったのかな・・と、今は思うのだ。
☆☆☆
先ほどの話の中で、昔の私は苦手なものを避けてきたタイプだったと語ったが、
その一方で私には、こんな変わった部分がある。
それは、自分の頭で理解したり、自分の体で経験しないと、納得できないところがあるということ。
たとえば、「こうやった方が早いよ」と裏ワザを教えてもらっても、まずは基本のやり方をとことんやらないと気が済まなかったり、
「それをすると無駄だよ」と言われても、自分が「やる」と決めたことならば、実際にやってみないと気が済まないタイプなのだ。
中学生の時に私は、最寄駅のA駅行きの電車に乗るためにB駅でいつまでも電車を待っていた。
母からは「いったんC駅行きの電車に乗って、D駅で乗り換えた方が早いよ」と教えてもらっていたのだが、私はどうしても『B駅でA駅行きの電車に乗る」をしたかったのだ。
料理をする時に、母は「この工程は圧力鍋を使うと早いよ」と教えてくれていたし、圧力鍋も持っていたが、私は普通の鍋で煮込むことを選んだ。
なぜなら私の持っている料理本には、「(普通の)鍋で煮込む」と書いてあったからだ。
他人の「こうしたほうがいいよ」「それは無駄になるよ」というアドバイスは、やっぱり合っていることが多い。
だから私も頭ではそれを理解しているのだが、心がそれを受け付けない。
そして、「やっぱりあの人の言う通りだったな」とか、「これはしなくても良かったな」と反省してから、私はそのアドバイスをようやく受け入れる。
私は元々、自分が経験したり、納得したことでないと覚えられないタイプだ。
だから仕事でも、「とりあえずこうして」「ここはこうやって」と言われるだけだと、一向に覚えられない。
だが、「これはこうすると、こういう理由でうまくいくんだな」と納得すると覚えられるし、そうなると速くできることが多いし、応用が利くタイプだ。
だから、「とりあえず人に言われたことをやるべき」と考えるタイプの人にはあまり好かれない。
「やる気がない」とか、「生意気」と思われてしまう。
私の心は多分、成功も失敗も「経験すること」を求めているのだろう。
☆☆☆
さて、洋裁のことに話を戻すが、
私は洋裁を始めたのは、娘が生まれる少し前からだが、まだ決して上手ではない。
作ったのはほとんどが子供服だが、一度だけ服飾の勉強をしていた友人の指導のもと、自分用のブラウスとスカートを使ったことがある。
そのとき、自分のサイズに合わせたブラウスの着やすさに感動したものだ。
私はなんというか扁平な体型で、骨も太く、市販の服があまり綺麗に着こなせない。
鳩胸なこともあって、ぴっちりしたブラウスなどを着ると、窮屈なプロレスラーのように見えてしまう。
だから、今の私はとにかく、自分のサイズに合った美しいブラウスをたくさん作りたい・・
肌触りのいい布と、上等なボタンを使って、昔のハリウッド女優が着ていたような美しいブラウスをたくさん作りたい・・
洋裁といえば、思い出すのは母のことである。
☆☆☆
私の母は、私の小さい頃によく服を作ってくれた。
母が作る服はほとんどがヒラヒラフリフリしたお洋服。
これには理由があって、母は小さい頃に祖母からそうした可愛らしい洋服を買ってもらえなかったそうだ。
髪型もショートカットを強制されていたらしい。
母は私に、「自分が子供の時に着たかった服」を山のように作った。
母の服は何度か手作り服の雑誌に載った。
子供服のコンテストで賞をとってデザイナーのクライ・ムキさんとも会ったこともあった。
昔の写真を見返すと、母が作った服はどれも可愛い。
また、自分で言うのもなんだが、クォーターで色素が薄く、髪も天然パーマだった私は、母が作ったヒラヒラフリフリの服はどれもよく似合っていた。
ここまで書くと、微笑ましい記憶のように思われるかもしれない。しかし実際には、私は母の手作り服があまり好きではなかった。
大雑把な性格の母が作る服は、見た目こそかわいかったのだけれども、内側の縫製や糸処理なんかは結構適当だった。
私は市販の服の縫製の美しさが羨ましかった。
それに、ヒラヒラフリフリの服ばかり着せられていたので、ジーンズのようなカジュアルな服にも憧れた。
母が服を作っているときは、あまり遊んでもらえなかったし、サイズ合わせのたびに着せ替え人形のように服を着せられる(まち針が当たらないようにじっとしていなければならない)のは、退屈だった。
だから私は、自分のために美しい服を作りたい。
見た目だけではなく、縫製も美しい服を作りたい。
そのためにはまず、色々な形の服を作らなければならないだろう。
そしておそらく、不器用な私はたくさんの失敗をするだろう。
でもなぜだか今の私は、失敗することに少しワクワクしているのだ。
失敗はするだろうけど、そして失敗するたび心は痛むだろうけど、
その痛みを乗り越えたら、きっと私の裁縫スキルは少し上達しているだろう。
もちろん、奇跡的に最初から美しい洋服を作れたら、それはそれで嬉しいことだけれども、
これから一体どんな失敗をするだろう。
それを経て私はどんなことを学ぶんだろう。
そんなことを考えながら、私は家事と育児の合間に、洋裁の本を眺めている。