前回のエッセイ[エッセイ]私はよろこんで失敗したい - 感情の考察、日常の幸福
を書いていて、思ったことなんだけれども、
私の話を読んでくれる人の中には、きっとかつて偽スピリチュアルや自己啓発セミナー、マルチ商法にハマった人もいるんじゃないかなと思って、
そんな人たちに向けて伝えたいことがあるので、書きます。
「騙された」あるいは「自分が信じたあの人の理論は、間違えていた」と認めることは辛いし、痛いことだけれども、まずはそれを認めるところから、始めてください。
認めるとはどういうことか?と言うと、まずは心の中で、
「私は騙されていたんだな」
「この部分は間違っていたな」という事実を、唱えてみることです。
そうすると、胸のあたりがぎゅっと痛くなる感じがするでしょう。
あるいは、歯を食いしばりたくなるような、苦い感触が胸に広がるかもしれません。
その時、もしかすると、
「私って馬鹿だ」というような、自分をけなす声が頭から聞こえるかもしれませんし、
けなしたくなってしまうかもしれませんが、けなすことはしなくていいのです。
むしろしない方がいいと、私は思います。
ただ胸に感じる痛みや苦味を味わうだけで十分です。
「バカ」とか「クソ」とかのような、「大好きで大切な人に言わない言葉」は、使わないようにしましょう。
或いは、こんな言葉が聞こえてくるかもしれません。
「あいつが悪いんだ!」とか「あいつのせいだ!」とか。
それは事実かもしれませんし、そう考えるのも自由ですが、その言葉で
「私は騙されたんだな」「間違っていたな」といった事実を認める言葉を、かき消さないようにしましょう。
また、その痛みや苦味から逃げ出したくて、
「これはきっと良い結果に繋がってる!」とか、
「神様がわざと経験させてくれたことだ!」という言葉にすがりたくなるかもしれませんが、それはあまりしないほうがいいです。
そうやって痛みから逃げようとすると、たいてい、
「一発逆転する方法」だとか、「もっと良さそうなセミナー」「真実を教えてくれる講師」を探したくなってしまいます。
そして大抵、同じように失敗することが多いです。
前のエッセイで書いた通り、
私も失敗すると、「〜という実験結果を得たんだな」というふうに受け止めてはいるのですが、
感じている痛みを否定しないようにします。
痛みを否定しないとはどういうことか、といえば
「悲しいな」と素直に認めるということです。
「悲しいけど、こんな実験結果を得たんだな」と、心の中でつぶやくのです。
「こんな実験結果を得たから、悲しくない!」と思い込むのではないのです。
そうして、失敗したという痛みを感じている間は、苦しくて、まるで暗闇の中にいるように感じるかもしれませんが、
少しすると、その感覚がやわらいでくる時が来ます。
それは、一面曇っていた空が少しずつ、雲の間から光が差して、明るくなっていくように。
そのとき、あなたは自分がどうして間違えたのかや、騙されたのかを客観的に気づけるようになります。
でも、焦る必要はありません。
焦りたくなるのなら、何かあたたかい飲み物を飲みましょう。
甘いものを食べるのもいいかもしれません。
お金がないなら、白湯で十分です。
それさえ用意できなければ、綺麗な景色や空を見ましょう。
そして、「悲しかったね。でも大丈夫だよ。」と、自分に優しく声をかけてあげてください。
自分が自分を抱きしめていると想像してみてください。
あなたが失敗を認めることを恐れているのは、失敗した時に失望されたり、バカにされたりした経験があるからかもしれません。
でも、他人がどう言おうと、自分は自分を大切にしてください。
そうすると、失敗を認めることが、少し怖く無くなります。
そっちのほうが、ずっと健全だと私は思います。
私も、騙されやすいタイプです。
言い換えれば、それだけ純粋なタイプなのだと思います。
騙されることは嫌だけれど、そのぶん良いものを吸収する力もあるのかもなって思っています。
だから、「私は騙されやすいから注意しよう」と思って、人の話を聞くことにしてます。
それでもたまに騙されます(笑)
そんな時は、「あ〜騙されたな〜」って、受け止めてます。
私は子供の時、「ことわざ辞典」を読むのが好きでした。
そこにはことわざの他に、偉人の名言も載っていたのですが、私はそこにあった親鸞の言葉に感銘を受けた覚えがあります。
「一人居て喜ばは二人と思うべし、
二人居て喜ばは三人と思うべし、
その一人は親鸞なり。」
なぜ感銘を受けたといえば、この言葉を受け取る人が、見ず知らずの人かもしれないのに、「私もあなたと感情を分かち合いますよ」と言い切ったところです。
でも、今の私は、その気持ちが少しわかります。
このブログを読んでくれている人が、失敗を認めるのが怖いとか、痛いと感じているのなら、心の中でそばにいたいなと思ってます。
もし、自分の話が何か読んでる方に良い作用をもたらすのなら、とても嬉しいなと感じます。
私は親鸞のような立派な人間ではないですが。
失敗の痛みを感じた後は、雨上がりのように感じます。
まだ少し湿った匂いが漂っているけれど、草木は潤って輝いて見える。
そんな感覚です。
そして、騙された時の自分のことを、俯瞰して見られるようになっています。
その時、あなたは同じ過ちを繰り返さないようになるでしょう。
そして、自分の進むべき道や、やるべきことが見えやすくなっているはずです。
騙された事実を受け止めること、失敗の痛みをきちんと感じること、これが私が今騙された人に伝えたいメッセージです。
[追記]
騙された事実を受け止める時に、自分をけなす声や、他人に責任転嫁する声が聞こえた時に、おすすめの方法について書きました。
↓
[メッセージ]失敗を認める時にこんな声が聞こえたら・・ - 感情の考察、日常の幸福