感情の考察、日常の幸福

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[理論]負の感情の扱い方《恐怖と不安編》

最近エッセイばかり書いていたので、理論の更新は久しぶりになります。

 

 

今回解説するのは、「恐怖」に関してです。

 

恐怖、といえば

「天災」や「犯罪被害」や「害虫」「幽霊」などを考えたときなどに、湧く感情ですよね。

「自分の身や心を守りたくて湧く感情」と言っても良いかもしれません。

 

 

この感情に襲われたときにオススメの方法は、

「自分でできる限りのことをする」ということです。

 

例えば、天災が怖いのであれば、非常食や物資を揃えておく。

犯罪被害が怖ければ、防犯グッズを持ったり、夜道を歩く頻度を控えたりする。

貧乏が怖ければ、少し消費を減らして貯金をする。

害虫が怖ければバルサンを焚き、幽霊が怖ければ盛り塩を置く・・などなど。

 

 

ここで注意というか、私の経験則なのですが、

私はこういう「自分にできる限りのことをする」とき、「できるだけ大きなことをしようとしない」ようにしています。

 

どういうことかといえば、

「天災が怖いから、海外移住をする」

「貧乏が怖いから、FX投資をする」

「幽霊が怖いから、大枚をはたいて除霊グッズを大量に買う」

のような、コストや労力が大きくかかることはあまりしないようにしています。

 

何故なら、こうした「大きなことをしたい」という意識がある時は、

無意識に「今の自分」をダメなものだと否定していることが多いからです。

 

しかし、「未来の自分」というのは「今の自分」と繋がっている存在です。

それなのに、「今の自分」を否定するような目標や方法をしてしまうのは、基盤や土台を壊してから「未来の自分」を組み立てようとするものです。

それでは「未来の自分」がしっかり立てるはずもありませんね。

ですから、身の丈に合わない目標ややり方というのは、かなりの高確率で、身にならないかうまくいかないのです。

 

これまで私も人生で「何か大きなことをやり遂げよう」としたことがたくさんあるのですが、

記憶する限り全て、大失敗したり後でしんどくなって諦めたりする結果になりました。

 

でも、こういう「大きなことをやろう!」と決める時って、高揚感と気持ちよさがあるんですよね。

「私は変われる!」「大逆転できる!」という気がして。

(ちなみに、お金のない人がギャンブルや宝くじに頼ってしまったり、自分に自信のない人が自己啓発セミナーにハマったりするのも同じ心理です)

 

だから、私はいつも目標を立てる時、「大きなことを言うことで気持ちよさを感じてないか」を確認して、自分の身の丈にあった目標を考えるようにしています。

つまりは、「今の自分+α」ぐらいでできることをするほうが、ちょうどいいのです。

 

 

さて、こうした「自分にできる限りの対策」をしたからといって、100%安全になるというわけではありません。

どれだけ対策をしていても、天災は起きるし、犯罪もなくならないし、幽霊もいるかもしれません。

しかし、「自分はできる限りのことをやった」と思うことができれば、少し心が落ち着きます。

それでも恐怖を感じるのであれば、胸に手を当てたり、自分を抱きしめるイメージをして、「大丈夫だよ」と優しく声をかけてみてください。

 

 

 

さて、次に「不安」ですが、

私は不安というのは「得体の知れないもの」に湧く恐怖だと捉えています。

なので、不安を解消するためには、現実をきちんと直視する、ということが大切です。

 

 

たとえば、身近な例で言うと

ダイエット中で毎日体重を測ったり食事制限したりしていたのに、ある日ちょっと食べすぎてしまって、次の日には体重計に乗るのが怖くなってしまい、

それからはなし崩し的に、ダイエットを辞めてしまった・・なんて経験、ありませんか?

 

この場合、不安を解消するために必要なことは「食べすぎた次の日も、ちゃんと体重を測る」(現実を直視する)ということです。

 

すると、自分が思っていたよりも体重の変化がないことに気付きます。

(私も食べすぎた次の日、心の中で「5キロは増えたな」と思いますが、実際に測ってみると、1キロも増えてないことがほとんどです)

 

こうやってきちんと現実を見てみると、自分が抱えていた「不安」の大部分は、自分が頭の中で勝手に膨らませていただけで、

本当に自分が乗り越えなければいけない部分は、想像していたよりずっと小さいことに気がつけます。

 

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しかし人間は、不安に支配されているときほど、現実を直視することを恐ろしく感じます。

 

 

なぜなら、不安の正体と向き合うことで、自分の命が危なくなるのではないか、自分の心が深く傷つくのではないかと、心配してしまうからです。

(増えすぎた体重を目にしたら、ショックで失神してしまうかもしれませんしね)

 

 

しかし、例えば熊みたいな野生動物や、犯罪者と直接対決するといった特殊な場合を除いて、正体を確認することで身の危険に晒されることは実際は少ないです。

 

むしろ、「本当は些細なこと」にもかかわらず、頭の中でそれを勝手に肥大化させて、不安を大きくさせているほうが多いのです。

 

ですから、実際に正体を確認してみると「なーんだ、こんなことかぁ」と思うことがよくあります。

 

 

 

たとえば、わかりやすい例で言うと、私が子供の時、家の床に「正体不明の黒い虫のようなもの」を発見したことがありました。

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私は虫がめっちゃ苦手なので、怖かったのですが、

近づいてよく見てみると

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炭の石鹸が落ちていただけでした・・。

 

 

これは石鹸だから笑い話になるのですが、

今の生活でもこれとよく似た出来事って、よく起きるんですよね。

 

抱えている不安が大きければ大きいほど、その正体を直視することから逃げてしまうものですが、

直視することから逃げれば逃げるほど、手遅れになったり、余計に問題が深刻になったりすることも、よくあることです。

 

 

だから、もしあなたの心の中に不安があるのなら、まずはその正体をきちんと確認して、

それから、自分のできる限りのことをする、ということをおすすめします。

 

 

でももし、正体を確認するのが怖くてどうしてもできない!という時も、自分を責める必要はありません。

「正体を確認するのが怖いというのは、防衛本能からだな。私は自分の心を守りたいと思ってるんだね、ありがとう」

と、自分の心に声をかけてみてください。

そうすると、『臆病な自分』を肯定できて、ちょっと気分がラクになります。

そうして気持ちが落ち着いてから、「自分にできる限りのこと」を考えてみてください。

 

先程のダイエットの例で言えば、

「今日はどうしても怖くて体重計に乗れないから、かわりにエクササイズを10分やる。そして、明日体重計に乗ろう!」というふうに。

 

 

☆☆☆

 

 

さてここまで、恐怖や不安を感じた時のおすすめの方法についてお話ししたのですが・・

実は、「恐怖」にはちょっと厄介なものがあります。

それは、「本人が恐怖と気付いていないのに、恐怖が根底にある」ケースが、あるのです。

そしてこの「無自覚な恐怖」は、抱いていることに気づけないからこそ、対策が取りづらいという問題があるのです。

 

 

しかし、この「無自覚な恐怖」に気づくポイントがあります。

 

それは、「頭ごなしな考え方や言い方」になってないか、ということです。

 

頭ごなしということは、「自分が、絶対正しい!」「アイツは、100パーセント間違っている!」というようなものの見方をしていないか、ということです。

 

 

 

例えば、私もたまにあるのですが、子供を叱る時のことです。

夜遅くに子供が「まだ遊びたい」と言うけれど、自分は「もう遅いから、早く寝て欲しい」と言う時があります。

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そんな時、「じゃああと1回遊んだら寝よう」といった、娘と自分の要望の折衷案を提案できる時は、恐怖に支配されていません。

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しかし、「早く寝なさい!!」「遊んだらダメ!」と頭ごなしに叱ってしまう時・・すなわち、娘の意思を全否定してしまう時があります。

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そんな時、実は私の心には

『早く寝かせない私はダメな母親になってしまうかもしれない』という恐怖があります。

 

そんな時は、子供に頭ごなしに言うことを聞かせるのではなく、自分自身の恐怖と向き合う方が大切です。

何故なら、この場合の問題は子供ではなく、私が抱えているからです。

自分の恐怖を、他人にぶつけてはいけません。

それは、自分の子供であってもです。

 

だから私は、こうした『頭ごなしな叱り方』をしていると気付いた時は

「今、私は恐怖を感じているんだな」と、まずは自覚します。

そして、その恐怖が本当に起こりうるかを考えます。

 

でも、寝かしつけが少し遅くなることって、言わなければ誰かにバレるわけでもないですよね。

勿論早く寝かせるほうが、子供の健康にはプラスになるのですが、5分10分遅れた程度で、子供の命を左右するほどの違いが生まれるわけでもありません。

万一、誰かに批判されたとしても、それは自分が責任を持って受け止めれば良い話です。

 

そしてよくよく考えると、私が恐れているのは、心の中にいて常に私を見張っている「自分を責める自分」だと気付きます。

 

そのことに気づいたら、少しほっとします。

そして、娘の要望と私の要望の折衷案を模索できるようになります。

例えば、「あと1回やったら寝ようね」だとか、「このパズルを完成させたら寝ようね」というふうに。

もしくは、「じゃあ遊ぶかわりに、寝る前の絵本は今日は無しにするのはどう?」という提案もできます。

そうすると、頭ごなしな叱り方をしなくなるので、娘も私の意見を受け入れやすくなってくれ、

お互いに良い気持ちで過ごすことができるのです。

 

 

 

また、これとは別に、他人が「見えない恐怖に支配されてるな」と気づいた一件もあります。

それは以前、母がとある「絶対に儲かる仮想通貨」の勧誘を受けたと嬉々として報告してきた時のことです。

 

その時の母は「これからは貯金だけではやっていけないんだから!」「この仮想通貨は絶対に儲けられるし、国連からも保証されている!」と、ちょっと取り憑かれたような、恍惚としたような表情で話を始め、その仮想通貨に投資するつもりだと言いました。

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怪しいと思った私は「それは危ないと思うよ。第一その利率で続けられるわけがないし、絶対に儲かるものなんてこの世にないよ」という至極真っ当なツッコミをしました。

 

すると母は、頭ごなしに私の批判を否定しようとしたのです。

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その時、母の心の根底には「貯金だけだとこれからの生活が危ない」という恐怖と、「せっかく楽しい気分でいたのに、邪魔されたくない」という恐怖があったように思います。

 

ただ、私の注意の仕方も、母と同じぐらい頭ごなしになっていたのも事実です。

なぜなら、その時の私の心には、「母が詐欺に騙されたらどうしよう」「一文無しになったらどうしよう」という恐怖があったからです。

 

お互いが相手の気持ちを全否定をし合う形になったので、家の空気が悪くなってしまったのですが、

少し落ち着いてから、私はその仮想通貨をネットで調べてみました。

すると、それがマルチ商法のようなもので、さらに「国連」というのも、よく似た名前の団体を利用した嘘だという証拠が載っていました。

それを母に読ませると、急に我に返って、その仮想通貨に手を出すことを辞めました。

 

後々、その仮想通貨はやはり詐欺だったということがわかりました。

 

 

 

私はかねてからマルチ商法やスピリチュアルに対する注意喚起のようなこともしていますが、

こうしたカルト的なものの多くが、「見えない恐怖」を利用して、勧誘をしています。

しかし、聞いている側は「見えない恐怖」を与えられていることに、なかなか気づけません。

何故なら彼らは、「見えない恐怖」よりも、「思考停止できる楽さ」や「すぐに得られる安心感」に焦点を当てて会話するからです。

 

 

マルチ商法が「これからの時代、会社も貯金も当てになりませんよ。でもうちの会員になって頑張れば、豊かになれますよ」と言う時、

実際には「経済的な恐怖」を植え付けられているのに、聞いている側には「マルチで得られる安心感」の印象が強く残ります。

 

偽スピリチュアルの「このお札を買えば幸福になれますよ」という言葉を信じるということは

「お札を買わないと何か恐ろしいことが起きるかも」という恐怖を認めることになります。

 

あるいは健康食品の「これさえあれば健康になる」という言葉を信じるということは

「これがないと病気になるかも」という恐怖を認めることになります。

 

だから、こうした、マルチ商法やスピリチュアルにのめり込む人たちの洗脳を解こうとする時、

何故彼らが強く拒否することが多いかと言えば、

それは「自分の抱えている恐怖に向き合いたくない」からなのです。

 

 

 

さて、話を元に戻しますが、

先に説明した通り、最初に例に出したような「自覚のある恐怖」への対策は簡単です。

しかし、「無自覚な恐怖」は、日常のいろんなところに潜んでいます。

 

ですから、自分が、「これが100%正しい」「あいつは全て間違っている」という意識になっている時、

異なる意見の人々や、誰かを排除したい気持ちになる時、

ちょっと自分の心に問いかけてみてください。

 

「ダメな母親と思われやしないか」だとか

「嫌われやしないか」だとか

「戦争が起きてしまうんじゃないか」だとか

「病気になってしまうんじゃないか」だとか、

色んなものに対する無自覚な恐怖が存在するはずです。

 

それに気づけたら大きな一歩です!

まずは、「私は〇〇になることが怖いと感じでいるんだな」と、認識してください。

認識したら、あとは「自覚のある恐怖」と同じように対策をとります。

つまり、「自分にできる限りのことをする」のです。

 

 

さて、恐怖について、「自分の身や心を守りたくて湧く感情」と最初に説明しましたが、

恐怖をもっと突き詰めて考えると、とある感情に行きつくことが多いです。(もちろん全てが、ではないのですが)

それは、「悲しみ」です。

 

地震が起きるか怖い」という根底には

「もし地震で家族を亡くしたら悲しい」

 

「ダメな母親と言われないか怖い」という根底には

「ダメな母親と言われたら悲しい」

という気持ちが存在しています。

 

つまり人は、「将来的に起こりうる悲しみ」を避けようとして、「恐怖」を抱いていることが多いのです。

 

悲しみを感じることは、私もまだあまり得意ではありません。

悲しみの多い人生と喜びの多い人生のどちらがいいですかと言われれば、やっぱり喜びの方を選んでしまいます。

でも、今の私は、昔よりも悲しみを怖がらなくなりました。

なぜなら、悲しみを感じた時、できるだけ自分に優しくするようになったからです。

 

お気に入りの音楽をかけながら、好きなお菓子をつまみながら温かい紅茶を飲んで、ぼんやり窓の外を眺めたり、

あるいは温かい布団にくるまって、自分を抱きしめながら「悲しかったね」と声をかけたり。

そうして自分に優しくして、自分への愛情を惜しみなく伝えるうちに、段々と悲しみは和らいでいくことを知りました。

 

そして、「悲しみを自分は癒すことができる」という自信を持つようになってからは、

以前よりも何かに恐怖することが少なくなりました。

 

だから、恐怖の先に、「悲しみを感じたくない」という意識があるならば、

「悲しみを感じても、大丈夫だよ」

「そのときは、私が思いっきり優しくするからね」と、自分に声をかけてみてください。

 

するとまた、恐怖が少し和らぐのが感じられると思います。

 

 

さて、恐怖を感じた時には、「できる限りのことをする」ことを勧めましたが、

それでも、天災や事故や病気など、どうしても防げないことが世の中にはあります。

できる限りのことをしても、「大丈夫だよ」と自分に語りかけても、悲しみはいつか癒せるとわかっていても、それでも怖い時は

「今存在していること」に、感謝をしてみてください。

 

私も心配性なところがあるので、子供のことを考えると、つい不安になる時があります。

「もし、子供が事故にあったらどうしよう」

「もし、私が病気になったらどうしよう」と、頭に浮かんできてしまうのです。

 

そんな時は心の中で、

「今日もこうして、健康でいられてありがとう」

「こんなに素晴らしい家族に恵まれてありがとう」

と、神様やご先祖さま、今までお世話になった人々に感謝を伝えます。

また、夫や子供には直接

「結婚してくれてありがとう」

「生まれてきてくれてありがとう」と、伝えるようにしています。

 

そうすると、心がじんわり温かくなるのです。

そして、明日も頑張ろうという力が湧いてきます。

 

 

個人的に思うことなのですが、

もし例えば私も家族も健康に100歳まで生きることが確約されていたとして、

それで安心して生きることが、果たして幸せな人生と呼べるのでしょうか。

ズボラで怠惰な私は、もしそんな未来が確約されていたら、

きっと日々を一生懸命に生きることも、子供たちに愛を伝えることも忘れてしまうでしょう。

 

どれだけ長生きしたとしても、その有り難みに気づけないまま、周りの人々を大事にできなかったとしたら、それは生きていないことと同じような気がしています。

 

 

今回の話は長くなりましたが、以上です。

 

まとめになりますが、

もしあなたが何か恐怖や不安に怯えているなら、+αで何かできることがないか、探してみてください。

不安な時は、勇気を出して自分の不安の正体を見てみてください

そして、未来の恐怖ではなく、今への感謝を意識してみてくださいね。