最近、自分の心の動きが面白く感じたことがあったので書いておくことにする。
4歳の娘は幼稚園へ毎朝バスで登園しているのだが、先日バスの時間に2分ほど遅れてしまった。
理由は簡単、朝の準備に時間がかかったからだ。
そもそも、我が家は毎朝ギリギリに到着することが多かったので起こるべくして起こった事態だ。
付き添いの幼稚園の職員さんからは苦言を呈された。
「時間を過ぎてますから、もう少し早くいらしてくださいね」
勿論、もう十分大人で分別のある私は、その苦言を受け止め、反省し、どうすれば改善できるかを考えた・・・と言いたいところなのだが、そうはいかなかった。
繊細な私の心は、まるでハンマーで打ち砕かれたガラスのように粉々になり、しばらく職員さんの言葉が頭の中に鳴り響いていた。
(私ってなんでいつもこんなにダメなんだろう・・・)
(もう親になったんだからもっとちゃんとしないとダメじゃないか・・・)
こうした自分を責める言葉ばかりが頭の中に浮かんできた。
家に戻った私はぐったりと項垂れた。
おまけにその後すぐ、娘のカバンにマスクを入れ忘れていたことに気がついた。最悪だ。
娘の幼稚園はマスクを忘れた子供には紙のマスクを有料で貸してくれるのだが、バスの中には貸与用のマスクは無いし、バスの中はマスクを必ずしなくてはいけないという決まりがあるというのに!
私の心は硬直した。
(明日の朝、マスクのことで注意されたらどうしよう・・・)
頭の中には私を再び注意する職員さんの姿が浮かんでいた。
失敗したショックを二重に味わった私の心だったが、ただ落ち込んで終わりではなかった。
・・・次第に『怒り』の感情が湧いてきてしまったのだ。
(私だって頑張ってるのに!)
(娘が着替えの時にふざけて時間がかかったせいだ!)
(バスの停留場所が遠くても我慢してるのに!)
一度吹き出した怒りは止まることなく、私の頭の中には次から次へと、社会やら娘やら幼稚園への罵詈雑言で埋まっていったのだった。
☆
娘は朝に弱いタイプだ。
私は毎朝娘の機嫌をいかに回復するかに苦心し、好きなテレビ番組や食べ物を用意しつつできるだけ早くトイレや着替えやヘアセットなどの準備を済ませるようにしているのだが、そんなこちらの苦労を知ってか知らずか、娘はいつも余計なことをしだす。
トイレに入った瞬間に廊下へと脱走するし、髪を括る時に使うつもりだったヘアゴムで遊んで中々返してくれない。
着替えの時は踊り出して中々ブルマを履いてくれないし、靴を履きなさいと言っているのに玄関横の全身鏡に映る自分の顔を眺めている。
「早くしなさい!」
そう何度言ったことか。
おまけにうちのアパートの立地上、通園バスが停まるのは普通より少し離れた場所だし、1歳半の下の子はしょっちゅう娘の靴を隠したり邪魔したりしてくるし、私は現在妊娠7ヶ月の妊婦である。
しかも三人目なものだからお腹は既に臨月並みに大きくなっていて、少し移動するだけでも疲れてしまう。
こうした様々な原因により、私の朝はいつも慌ただしいものとなっていた。
☆
今思うと、私はあの時、疲れていたのだ。
色々な困難な状況の中でも自分なりに頑張っていて、それでうまくいかなかったことが、やるせなくて仕方がなかった。
それにいくら自分が気をつけようとも、娘は素直に言うことを聞くとは限らないし、どうせ明日も今日と同じように時間がかかるに決まってる。
そうなると私は娘にもっと厳しく注意しなくてはならなくなるだろうし、それで娘の機嫌が悪くなってかえって時間がかかるという最悪のケースを考えると、それだけで心身がぐったりとした。
さて先程、私の頭の中には社会や娘や幼稚園への罵詈雑言が浮かんできたと言ったが・・・意地の悪い私の頭は次第に、"いかに幼稚園へ文句やクレームをつけるか"を考えるようになっていった。(具体的にどんなものだったかは、私の性格の悪さがますます露呈することになってしまうので隠しておくことにする)
私は頭の中で、幼稚園の職員さんと対峙していた。
そして日頃不満に思っていることを頭の中でぶつけていたのだ。
一方で私の心はこう囁いていた。
『ダメよ、私。それじゃモンスターペアレントそのものじゃない』
『そうやって被害者ぶることで、注意された恥ずかしさから逃げようとしてるんでしょ』
『そんなことしたらますます恥ずかしい大人になるだけよ!』
そう、客観的に見て、頭の中の私の姿はどう見ても悪質なクレーマーであり、モンスターペアレントそのものだった。
過去さまざまなバイトをしてきた私は、悪質なクレーマーというものがどれほど働く人の士気や生産性を下げるか十分知っていたし、モンスターペアレントがいかに非常識で恥ずかしい存在か理解していたはずだった。
だから私はそんな悪質なクレーマーやモンスターペアレントには絶対にならないでおこうと固く誓っていたはずだった。
だが、頭の中の私は、まさしく『モンスターペアレント』の状態になっていた。
私の理想とする母親像は、『注意されたことをきちんと反省し、次に活かす大人な女性』なのに、頭の中の自分はちっともそんなことできはしない。
それどころか自分の落ち度を認めたくないばかりに相手の些細な欠点をあげつらって攻撃しようとしている。
いや、もっと言えば、私の理想とする母親像というものはとうに崩れ去っていた。
私の本当に理想とする母親像は『子供に遅刻なんてさせない母親』だったはずなのに!
自分の頭や行動が全くもって理想通りに動いてくれないギャップに、私は身悶えた。
ひとまず私は、家を掃除することにした。
こんな時は気分転換も兼ねて、自分の仕事に集中するに限る。
掃除をしながら、私はとりあえず、心の中でだけ自分が思う存分モンスターになることを許すことにした。
過去の自分を振り返ると、どれだけ自分に落ち度があったとしても、苦しい時や悲しい時はその感情に素直になる方が心が早く回復することがわかっていたからだ。
だけど今回の私は、自分があまりに大人として当たり前のことができなかったことや些細なことに傷ついたことが恥ずかしくて、素直に『注意されて悲しい』とは思えなかっただけなのだ。
だから私は、しばらく頭の中の罵詈雑言をそのままにしておいた。
そうして散々頭の中で、『嫌なモンスターペアレント』になってみると、ふっと心が軽くなる瞬間がきた。
そう、心が怒ることに飽きたのだ。
その瞬間・・・私の心はジンジンと冷静さを取り戻して行った。
先程まではあれだけ『幼稚園に対してどのように文句をつけるか』を考えていたはずなのに(勿論実際に行動に移すつもりは無かったのだが)、そんなことがどうでもよくなってしまった。
それどころか、あれだけ些細なことで怒りを燃やした自分がちっぽけな存在に見えてきて、なんだか笑いたくなってしまった。
掃除も済んで、少し晴れやかな気持ちになった私は、帰宅したら娘に朝のことを相談してみようと思った。
もしかすると娘も、早く家を出るためのアイディアを何か出してくれるかもしれない。
☆
その日は幼稚園で課外教室があった日だったので、降園時はバスを使わず、私は娘を迎えに行った。
娘を連れて帰ろうとすると、ちょうど朝の職員さんが通りがかった。
私の心は少し硬直する。
(マスクのことで叱られたらどうしよう・・・)
叱られることにこんなに恐怖を感じるなんて、私の心はいつまでも子供のようだ。
しかし、ここは勇気を出して、自分から謝ることにした。
「今朝はマスクを忘れてしまい、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
すると職員さんは笑って答えた。
「娘さん、マスクを忘れたことに気がついて、自分から手で口を押さえてマスクの代わりにしていたんですよ。本当にしっかりしてますね」と。
その後、カバンの中に入れていたハンカチで口元を押さえておくことを職員さんが思いつき、ことなきを得たらしい。
思いがけず職員さんから娘のふるまいを褒めていただいたことと、
幼いと思っていた娘が、自発的に周りに配慮した行動を取れるように成長したことを知って、私の胸は感動で一杯になった。
また、自分が素直に謝れたことを誇りに思い、晴れやかな気持ちになりながら、私は帰路についた。
☆
帰宅してから、娘にこう相談してみた。
「今日ママ、実はバスに遅れて注意されちゃったんだ。注意されると落ち込んじゃうよね。ママも今日すごく落ち込んじゃった。それに、みんなに迷惑をかけちゃって申し訳なかったんだ。
だからね、明日からバスに間に合うように行きたいんだけど、どうしたらいいか、娘ちゃんアイディアあるかなあ?」
これだけだと娘も解決策を考えづらいかもしれないので、何個か自分なりのアイディアも重ねて伝える。
「・・・例えば、着替えを先にするとか、トイレを先にするとか、そういうアイディア、何かあるかな?」
娘はこう言った。
「起きたらまず、トイレに行ってから着替えるようにする!」
「わかった!ありがとう、協力してくれて」
私はそう礼を伝えた。
・・・実際には翌日、娘はやっぱり寝起きは機嫌が悪くてトイレも着替えもすぐにはしてくれなかったのだが、これはまあ想定の範囲内だ。
だが、ちゃんと変化はあった。
気分転換にアニメを観た後には、娘は急いでトイレや着替えに行ってくれたのだ!
また、「まだ間に合う?」と時間を気にした言葉がけをしてくれるようになった。
今回の件だけでなく、子育てをしてるとつくづく感じることだが、こちらが命令口調で「〇〇しなさい!」というと子供というものはあまり言うことを聞いてくれない。
むしろ押さえつけられることに反発するか、こちらの言葉を聞き流してしまう。
だが、こちらが本当に困っていることを伝えて、助けを求めるようにすると、子供なりに協力しようとしてくれるものだ。
頭ではそのことをわかっていたつもりだが、今まで朝の慌ただしい時間にはつい甘えが出てしまっていた。
(忙しいんだから、命令口調になっても仕方がないよね)
(こちらのことを聞いてくれないんだから、厳しく言うのは許されるよね)
私はそういう言い訳をついて、娘に厳しい口調で急かす事を正当化してしまっていた。
でも、朝忙しいことは娘には何の関係もない。それは親の勝手な事情を押し付けているだけなのだ。
忙しい時ほど、焦る時ほどこうした甘えは出てくるものだが、かえってその甘えを無くした方が物事は上手くいくのだと改めて実感した。
また、マスクは予備のものを常にバッグのポケットに入れておくことにした。(ちなみに翌日早速忘れてそれを使うことになってしまった)
こうして、私の"遅刻事件"は理想通り・・・つまり、すぐさま指摘をスマートに受け止めて反省する、という形にはならなかったものの、
醜いドロドロとした感情を経た後に、うまく解決する方法を思いつくことができた。
これからも心の狭い私は、何かヘマを起こしたり叱られたりするたびに、自分の理想と現実のギャップに身悶えしながら、心の中でモンスターになってしまうのかもしれない。
だが、大切なのはその"モンスター"を表に出さないようにすること・・・すなわち自分の中に留めておくことなのだと思う。(そして勿論、その後にちゃんと改善する方法を考えることも!)
それはつまり、『昨日お腹を下して、トイレに何度も行っちゃったんだよね』という情報をわざわざ他人に言いふらさないのと同じようなものだ。
できれば、そんなモンスターにならずに、即座に過ちを認められる日がいつか来るといいなと願うが・・・
今の自分の器の小ささには、これがちょうどいい解決法なんだろうなと思いながら、私は日々を過ごしている。