感情の考察、日常の幸福

読んだからとて奇跡は起きないけれど、自分の心に素直になれたり、日常の細やかな幸せに気がつくことができたりするような、そんなブログを目指しています。

[子育てで感じたこと]君の頭の片隅で、聞こえてくる声はなんだろう

これは娘と私の、幼稚園登園をめぐる10ヶ月間の格闘?の物語である。

 

もしかすると、私と同じような子供のいる方だけではなく、今学校や会社に行くときや何かをするときに憂鬱になって体が動かなくなってしまう大人の方にも参考になる話かもしれないので、読んでもらえると嬉しいと思う(長いけど・・)

 

 

 

 

 

 

娘は昨年から、幼稚園の2歳児クラスに入った。

昨年はコロナの関係で幼稚園の開始が遅れたので、実際に通い始めたのは6月のことだ。

 

 

2歳児クラスということで、年少よりも一年早い段階から幼稚園へ行かせることに少し悩んだが、

実家から飛行機の距離である今の家で、生後半年の下の子と娘の育児を両立する自信が私にはなかった。

 

下の子のお世話につきっきりになって、娘につまらない思いをさせるぐらいなら、いっそのこと幼稚園で、お絵描きやお遊戯などして楽しい時間を過ごしたり、お友達を作る方が、余程娘にとって良いのではないかと思ったのだ。

 

 

 

だが、繊細で甘えん坊な娘には、親と長時間離れる幼稚園というのは、あまりにショッキングな場所だったらしい。

 

初日、ニコニコしながら家を出た娘は一人でバスに乗った瞬間大泣きをしていて、帰って来たときも泣いていた。

 

そうして、翌日の朝は『行きたくない』と泣き出した。

 

 

そんな娘を見た瞬間、驚くべきことが起きた。

私の頭に、ある声が響いてきたのだ。

 

それは、

「アンタ、何そんなことで泣いてんの〜」

と、嗤う母の声だ。

 

 

私はぎくりとした。

 

なぜなら私はその声を、大きく分けて2つの時期に、聞いた覚えがあったからだ。

 

 

 

 

 

「アンタ、何でそんなことで泣いてんの〜」

 

 

この声を聞いたひとつめの記憶がいつのものか、見当がつく方もいるかもしれない。

そう、私の幼少期だ。

 

私は小さい頃、娘と同じように繊細で、些細なことでよく泣いていた。

そんな私に母はいつも笑いながら、上記の言葉を言っていたのだ。

「アンタは感受性強いなぁ」、とも。

 

 

私はその言葉が好きではなかった。

 

 

そう言って自分の感情を受け入れてもらえないことが苦しかった。

「その程度のことで泣くなんて、お前はおかしい」と言われているような気がした。

そうして自分のこの強すぎる感受性が、疎ましいものに思えた。

 

私も小さい頃、娘と同じように幼稚園に通うのが憂鬱だったのか、正直覚えていない。

母にも聞いたが、母もよく覚えていないという。

だが、娘の泣く姿を見たときに、幼稚園か小学校か他のことに関してかはわからないが、何かを嫌がって泣いた時にこの言葉をかけられていたという記憶だけは確かなものと思えた。

 

 

そして同時に、絶対に娘にこの言葉をかけてはいけないと確信したのである。

 

 

なぜなら、先程『大きく分けて二つの時期にこの言葉を聞いたことがあった』と述べたが、そのもう一つというのが、就職活動の時期だったからだ。

 

 

そして、就活の時に聞いた

「アンタ、何でそんなことで泣いてんの〜」という声は、母からかけられた訳ではなかった。

 

それは、私自身が私の頭に、ずっと言い聞かせていた声だったのだ。

 

 

 

 

以前このブログでも書いたことがあるが、私の就職活動は大失敗だった。

ろくに企業研究や自己分析もせず、ただ「私のようなトクベツな人間ならきっと大丈夫だろう」と根拠のない楽観をして就活に挑んだお馬鹿な私は、見事に全滅した。

 

でも、就活に真面目に挑めなかったのは、本当の意味で『自分に自信があったから』じゃない。

怖かったのだ。

素の自分になる勇気がなくて、普通の人間だとバレると誰にも見てもらえないんじゃないかといつもビクビクしていた私は、現実に向き合うことが怖かった。

現実の私は、特に何か秀でた部分があるわけでも、何かを成し遂げた経験があるわけでも、また美人なわけでも無かった。

企業研究や自己分析などをしなかったのも、そんな現実を直視することになるのが怖かったからだ。

 

そうして、志望する企業にことごとく落ちていったのだが、そこでトコトン落ち込んだ後に、切り替えるか開き直るかして、自分が"凡人"であることを素直に認めて、凡人なりにがむしゃらに色んな企業に応募できればまだ良かったのだ。

だが、私にはそれができなかった。

 

何故なら、頭の中にいつもあの声が聞こえていたからだ。

 

「アンタ、何でそんなことで泣いてんの〜」と嗤う声が。

 

 

だから私は、自分が落ち込んだり、憂鬱になってしまうことをダメだと思った。

いつもポジティブでいなくては、嫌なことがあっても前向きでいなくては、就職活動なんてうまくいくはずがないし、そんな態度で面接に挑むなんて失礼だ・・・そんな焦燥感や自責の念が私を追い立てていた。

 

 

そんな私はどうなったか?

 

 

 

 

体が動かなくなってしまったのだ。

 

 

最初のうちは、カラ元気で動くことができていた。

調子がいい時は、"エセポジティブ"な気持ちで、自分なら大丈夫だと言い聞かせながら説明会や面接に行くことができていた。

だが、途中から、完全に動けなくなったのだ。

また失敗して落ち込むのが怖くて仕方なくて、カラ元気のためのエネルギーがどこからも湧いてこなくて、私はただ布団にくるまって、説明会の時間が過ぎて手遅れになることをひたすら待つようになっていた。

 

 

そうして当時、都合よくスピリチュアルを信じていた私は、自分にこう言い聞かせていた。

 

「動きたくないってことは、きっと今は動かないほうがいいということね♪」

「きっと長い目で見ればこの選択が正解になるハズ☆」

 

 

大馬鹿者である。

 

 

本当は自分の心が疲れ切っていて、恐怖で溺れていて、悲しみが溢れていて、それで動きたく無いだけなのに、そうした綺麗な言葉で着飾って私は怠けることを正当化した。

 

そうして一度この言い訳を使ってみると、これはとても耳触りが良くて、私はことあるごとにこの言い訳を"利用"した。

 

 

もちろん世の中には、上手くいかないことが長い目で見て自分の糧となることもあるだろう。

だが、それは自分なりにできる限りのことをして、それでもうまくいかなかった時なのだ。

何の努力もせず、上手くいかないのならばそれは"当たり前"の結果でしかない。

努力しても上手くいかなかった時にこそ、この言葉は意味を成すのだ。

 

 

 

 

今思えば、私はあの時どうすれば良かったのだろう。

 

 

まず最初に、自分が落ち込んでいることを素直に認めれば良かった。

そして、面接に行くのが憂鬱なら、面接の後にちょっとした、チョコレートや入浴剤のような、ご褒美を用意しておけば良かったかもしれない。

あるいは、美味しい朝食を食べて、少しでも自分の心を満たすようにしてから出かけるのも良かっただろう。

そうして、たとえ結果が良くなかったとしても、一歩踏み出せたなら、そのことを自分に褒めれば良かっただろう。

 

 

 

 

 

先ほども言った通り、私は娘に対して頭の中で

「アンタ、何でそんなことで泣いてんの〜」

という言葉が沸いたとき、殊更この就活の時のことを思い出して、

絶対にこの言葉をかけないようにしなくてはと胸に誓った。

 

 

何故なら、今私が娘にかける言葉は、10年、20年先に娘自身が自分にかける言葉になることがわかったからだ。

 

 

今、娘の感情を封殺して、無理矢理にでも幼稚園に行かせることは簡単だ。

 

だがそれをしてしまうと、10年、20年先に、娘が何か"嫌なこと""逃げ出したいこと"にぶち当たった時、きっと娘は私と同じように感情を封殺してしまうことだろう。そうして、それが行き過ぎてしまえば、そのうち体が動けなくなるだろうと思った。

 

 

 

こうして、私と娘との10ヶ月間の格闘が始まったのだ。

私は娘の『ママと離れるのが寂しい気持ち』を封殺するのではなく、どのようにして消化していけば良いか、いろいろな作戦を練ることにしたのである。

 

 

 

 

①ご褒美作戦

 

まず私が用意したのは、定番の『ご褒美』だ。

 

『ご褒美』に関しては、子供を忍耐強くさせるためにやっては良くないという意見の人もいるだろうが、

私は以前とある本で『本人にとって楽しさやメリットがすぐに見えないものへの、"とっかかり"に使うのは有効である』というのを読んだことがあったので、『それをやるメリットが本人にすぐ実感できない場合』には利用するようにしている。

 

 

例えば予防接種や歯科検診なんかだ。

親からすると、予防接種や歯科検診をすれば病気が防げたり虫歯が広がらずに済んだりするから、少し痛くてもやるメリットは大きいことはわかるのだが、病気や虫歯で苦しむことをまだ経験していない小さな子供は、そのメリットを理解することはできない。

また、たとえ「将来痛い思いをせずに済むよ」と説明しても、まだあまりピンとこないだろう。

 

だから私は予防接種や歯科検診の時は、予め「何故それをしなくてはいけないか」を伝えると同時に、ご褒美(といっても、予算は限るが)も用意することを約束するのだ。

 

 

☆ちなみに、ご褒美を与える上で注意しなくてはならないことは、『最初からそのことに楽しさを見出している場合、モチベーションのすり替えが起き、ご褒美無しではやる気がなくなってしまう』ということだ。

例えば、最初から勉強が楽しいと感じている子供に、『勉強したらご褒美』としてしまうと、本来楽しくてしていたことという事実を忘れてしまうので、かえって良くない。

これを逆手にとった話で、ユダヤ人が子供に落書きを辞めさせた方法という有名な話(事実かどうかは知らないけれど)がある。

 

ユダヤ人の家の壁に、悪ガキが悪戯で落書きをするようになった。そうするとユダヤ人は悪ガキ達にお小遣いを渡して『これから落書きをするたびにお小遣いをやろう』と言った。すると悪ガキたちは嬉々として毎日落書きをするようになった。

だがある日突然ユダヤ人が『もうお小遣いはやらない』と言うと、悪ガキ達は落書きをやめてしまった・・・なぜなら、彼らの落書きをするモチベーションが『悪戯』ではなく『お小遣い』に変わってしまっていたからだ。

 

 

 

ということで、私は幼稚園も、まずはとっかかりに「ご褒美」を用意して、通うことに慣れて幼稚園の楽しさを実感できるようになればいい・・・そう考えたのである。

 

私はカレンダーとシールを用意し、まずは『10日間行ったら好きなおもちゃを買おうね』と伝えた。

そして最初の10日間は、通うことができたのだ。娘は好きなおもちゃを手に入れることができた。

 

私は安堵して、娘に『次は20日間行ったら何か好きなおもちゃを買おうか』と言ってみた。

 

しかし娘は、それを拒否した。

 

 

私は焦った。

だがどれだけ娘の欲しそうなおもちゃを提案しても、娘は首を縦に振らなかった。

 

 

そう、娘はこう判断したのだ。

幼稚園に行くメリット(おもちゃが手に入る嬉しさ)より、デメリット(ママと離れる悲しさ)のほうが大きいのだと。

 

 

もし、娘の『ママと離れる悲しさ』が、それほど大きくなかったのなら、この作戦は有効になっただろうが、

今回の段階では、『ご褒美作戦』はあまり効果がなく終わってしまった。

 

 

私は次の作戦を考えねばならなくなった。

 

 

 

②ママが幼稚園まで送る作戦

 

娘はバスで通園してるのだが、どうしても行きたくない時は私が幼稚園まで送ることで少しでも長い時間を一緒に過ごせるようにした。

バスが家の近くに来る時間は8時ごろだが、保護者が送迎する場合は9時半までに幼稚園に着けば良いことになっている。

 

もちろん、幼稚園に着くとお別れになるので娘は泣くのだが、バスと違って少しでも私と長く過ごせるのでまだマシだと判断したようだ。

「幼稚園に行きたくない」と譲らない時は、「じゃあそのかわりママが送るっていうのはどう?」と提案すると、行くことを了承してくれるようになった。

 

それになんとなくだが、『ママもママなりに自分のために頑張ってくれている』ということも、伝わっていたようだった。

 

 

だが、この方法には一つ難点があった。

それは、我が家に自家用車が無く、送迎にはママチャリを使わなければならず、しかも下の子をおんぶした状態でママチャリに乗ることになるので、荷物の多い月曜日には送迎ができないという点だ。

 

もし我が家に車があれば(そして私に運転技術がマトモにあれば)、この方法を続ければ良かっただろう。

 

しかし月曜日という"一番登園が憂鬱になる日"にこの方法を使えないのは痛手だった。

 

私は他の方法を考えなければならなくなった。

 

 

 

③決まった範囲内で休んでいいよ作戦

 

私は少し発想を変えて、『ある程度は休んでいい』というスタンスを取ることにした。

大人だって有給休暇があるのだ。子供だってたまには休みが必要なはずだ。

 

ただこの方法で気がかりなのは、"休みグセ"がつかないか・・・ということだ。

 

 

私は大学時代、大学をしばらくサボっていた時期がある。

 

私が入った大学はいわゆるマンモス校で、それまで狭く深くな人間関係をベースにしていた私は最初あまり大学に馴染めなかった。

周りがみんな大人でキラキラしているように見えて、友達と呼べる人がいなくて、誰からも自分なんて必要とされてない気がして、大学2年生の時にはとうとう行くのが辛くなってしまったのだ。

 

そして、一度休むとますます行きづらくなって、ずるずると何日も休むようになって、そこからそのまま退学しかけた・・・ということがあった。

(奇跡的に、大学に戻るようアドバイスしてくれた人に出会えたおかげで無事卒業まで漕ぎ着けたのだが)

 

 

あの時のことを思うと、私は娘に

『好きなだけ休んでいいわよ』と言う勇気が出なかった。

 

そこで、「1ヶ月に一度は休んでもいい」とすることにしたのだ。

また、休む日は少しだけデメリットを与えることにした。

幼稚園に行った日は毎日帰り道に好きなおやつを買いに行っていたのだが、「幼稚園を休んだ日はおやつを外に買いに行かない」としたのだ。(その代わり、家に常備しているおやつを食べることや、手作りのおやつは許可した)

 

娘は新しい月になると早速その『休んでいい日』を利用した。

そこでその後娘が「幼稚園行きたくない」と言った日には、私はこう言うことができた。

「○日に休んだでしょう。次に休めるのは来月だよ」と。

 

また、自分の経験も娘に伝えた。

「ママも昔、学校が嫌で休んだ時期があったんだけど、一度休むとそのままどんどん行きづらくなっちゃったんだ。そうなるとますます学校が辛くなっちゃったから、『好きなだけお休みしていいよ』と言わないほうが良いと思ってるんだ」と。

 

自分的にも「絶対にダメ!」と言うよりも、こうして娘に"逃げ道"を用意できることは気が楽だった。

 

この方法で2、3ヶ月くらいは頑張れた。

 

だが、そのうち娘は泣き叫ぶようになってしまった。

 

私は、今の娘には"1ヶ月に一度"という頻度はレベルが高すぎるのだと判断した。

 

そこで、もう少しハードルを下げて、"1週間に一度"は休んでもいいとすることにした。

 

もちろん時々は、休んでも「明日も休みたい」と泣く日もあったのだが、このぐらいの頻度のほうが娘には適していたようで、泣き叫ぶことは無くなった。

また「休んでもいいけど、その代わり好きなおやつを買いに行けなくなってもいい?」と尋ねることは、

娘に感情的に判断させず、『どちらの方が自分にとってメリットが高いか』を一度立ち止まって考えさせる機会になったと思う。

 

この作戦は、3月まで他の作戦と並行して続けたが、3月には自分から休まずに行くことを選択するようになってくれた。

 

 

 

④朝を楽しく過ごす作戦

 

これは他の作戦と並行して実践した作戦であるが、朝はできるだけ娘の気分が楽しく過ごせるように配慮した。

 

朝ごはんは娘がその時に食べたいものを用意できるように、お米とパンの両方を常備しておき、好きなお菓子やフルーツなども用意した。

 

また、好きなアニメも録画しておき、見られるようにしておいたのだ。

 

幼稚園に行くことは憂鬱なことかもしれないが、行く前に少しでも気分が良い状態になっておけば、その憂鬱さも少しはマシになるだろうと考えたのだ。

 

 

また、当初朝は『できるだけたくさん寝かせておいたほうがいい』と私は考えていたのだが・・・なぜかというと私の娘は宵っ張りで、いつも寝るのが遅いからだ。

「寝なさい」と言われるのが大嫌いで、言い方を変えて「寝よう」「ちょっと休憩しよう」「横になろう」と言ってもダメ、無理に泣かせようとすると反発して起きていようとするので、いつも就寝は遅くなる。

 

だから、早く起こしてしまうと、それだけ睡眠時間が削られてしんどくなってしまうだろうと、私はできるだけ遅くに起こすようにしていたのだが、この考え方は私の娘には合わなかったようだった。

 

なぜなら、娘にとって寝起きの時間は『ものすごく気分の悪い時間』だからだ。

その気分の悪い時間に、「着替えよう」「朝ごはんは何がいい?」などと聞かれることはすごくイライラするようで、娘の機嫌が悪くなるとますます大変なことになった。

 

なので最低でも家を出る時間の1時間ぐらい前には起きておき、まずは好きなテレビを見て気分を上げてから準備をしたほうがいい、ということが判明した。

 

 

紆余曲折ありながらも、この作戦はうまくいった。

 

この経験から、私は『不機嫌な時は、叱りつけるよりも、娘の機嫌を良くなってからこちらの要求を伝える方がかえって早く解決する』ということを学べた気がする。

 

 

 

⑤お約束作戦

 

これは①のご褒美作戦がうまくいかなかったことを受けて、考えた作戦である。

 

どういう作戦かといえば、『先にご褒美を与える』に近いもので、

娘がおやつを買いに行った時に「2つ買いたい」と言ったり、寝ようと言った時間に遊ぼうとしたりしたら、「いいわよ、その代わり明日は幼稚園に行こうね」という約束をするのだ。

 

翌日、娘がたとえ「幼稚園に行きたくない」と言ったとしても、「昨日お約束したでしょう」と言えば、娘は自分の言動に責任を感じるのでそれを守ってくれる。

 

ただこの作戦は、娘が「2つおやつが欲しい」「もっと遊びたい」と言わなければ使えないので、いつでも使えるわけではなく、万能ではなかった。

また、この作戦を使うにあたって、一つ大きな落とし穴があったのだ・・・それについては下記の『Yes作戦』の章に書く。

 

 

⑥Yes作戦

 

これは、どんな時でも『Yes』、つまり相手への肯定をベースにして言う作戦だ。

 

 

子育てではまず、子供に共感をしてから説得した方がいいという説があるのはご存知だろうか?

 

例えば「あのおもちゃを買って欲しい」と言われたとして、どれだけ買いたくないと思ったとしても、まずは「ダメ!」と言うのではなく、「あのおもちゃが欲しいんだね」と共感して、それから「でもこの間、他のおもちゃを買ったよね」だとか「今度のクリスマスに買おうね」という説得をした方が、子供は聞くというものである。

 

 

私も実際にこの方法を利用しているが、たしかに闇雲に「ダメ!」と言うよりもずっといい。

 

というか、「ダメ」という言葉はできるだけ使わない方がいい。

 

あなたがもし親御さんに『ダメ』と言われて育ったなら、きっと何かしたい時、買いたい時、食べたい時にはまず『ダメ!』という言葉が頭に浮かんでこないだろうか。

そして『ダメ』という言葉が浮かんでしまうと、途端にやる気がなくなってしまう・・・そんなことはないだろうか?

 

『ダメ』という言葉は、何故だかわからないが、相手の感情を全て吹き飛ばすほどのエネルギーがあるのだ。

 

 

だから私も娘が「休みたい」と言う時は、「ダメ!」ではなく、肯定の言葉を掛けるようにした。

・・・といっても、「いいよ」だと嘘をつくことになってしまうので、「休みたいんだね」とまずは娘の言葉を復唱するようにしたのだ。

 

そうして「休みたいんだね、でも昨日休んだところだから、今日は行こうね」と伝えるようにした。

 

ただ、この作戦には落とし穴というか、⑤の『お約束作戦』と並行した時には気をつけなければならないことがあった。

 

というのも、前日に約束したにもかかわらず、娘が起きてからの第一声が「今日幼稚園行きたくない」だと、思わず最初に肯定の言葉でなく、「昨日約束したでしょ!」と言いたくなることがあったからだ。

 

そうして、そう言ってしまうと、娘はますます不機嫌になって、かえって説得するのに時間を要するようになってしまった。これでは良くない。

 

しかし、「いいよ」と言うと約束を破ることになる気がするしどうしよう・・・と考えた末、娘を観察して気が付いたことがあった。

 

それは、"寝起きの時間"というのは、まだ理性の働きが鈍い時間で、どういう約束をしてるかに関係なく、自分の感情そのままに言葉を発してしまう・・・ということだ。

 

つまり、娘はただ心に思い付いた言葉を口にしているだけなのだ。

 

 

あなたも、会社に行くときなどに「あー今日は行きたくないな・・・でも行かないと給料もらえないしな」と思いながら朝の支度をすることはないだろうか。子供はその、"最初の憂鬱な気持ち"をそのまま吐露しているだけなのだ。

 

つまり、悪気があったり、わざとであったり、約束を破るつもりで口にしてるのではないのである。

 

 

私は自分の中に、『約束したならそれを守るべきだから、それに反することを言ってはいけない』という前提を持っていたために、娘のそんな素直な感情を『約束違反』と捉えてしまって、それで叱りたくなってしまったのだが、

娘は約束を破るつもりでそう言ってるのではなく、自分の感情を素直に吐露しているだけなのだと気が付いてからは、その言葉も肯定して返すようになった。

 

すると、寝起きの第一声がたとえ「今日休みたい」だとしても、その後機嫌が良くなってくると、「やっぱり行く」と言う確率が高いことを発見したのである。

 

なのでこの作戦は、今も大いに活用している。

 

 

 

 

 

こうしたさまざまな作戦を通して、娘はようやく3月ごろに、幼稚園に行く時に泣かなくなったし、毎日行くことを自ら選択するようになった。

(1ヶ月休まずに行けば出席帳に『キラキラシール』が貼れると幼稚園の先生に教えてもらったことが、モチベーションになったらしい)

 

10ヶ月のあいだで、『ママと離れて寂しい』という気持ちが段々と薄れて、『幼稚園で遊ぶのは楽しい』『キラキラシールを貼りたい』を感じられるようになったのだ。

 

 

 

そして10ヶ月間の格闘のあいだ、私自身の捉え方も変わっていったように思う。

 

 

最初は、つい娘のことを『もっと良い子になってくれたらいいのに』と思ってしまっていた。

 

でも、色々な作戦を実行していくうちに、私の思う『良い子』とは、ただ『自分にとって都合のいい子』でしか無いことに気がついたのだ。

 

娘が幼稚園に行きたく無いと泣き叫んだりぐずったりするのは、娘が悪い子やダメな子だからしているわけじゃない。彼女はただ感情を素直に吐露しているだけなのだ。

そしてそれを『問題』だと捉えるのは、単なる"親の都合"でしかないのだと思うようになった。

 

そうすると、今の状況は『問題』では無いのだなと思えるようになって、あるがままを受け入れられるようになったのだ。

奇しくも、その状況を受け入れられるようになった時に、娘は泣かなくなったのだった。

 

 

 

 

年少に進級した現在、娘は毎日幼稚園に笑顔で通ってくれている。

今は『1学期の間、休まずに(体調不良や用事の時は除く)行けたら何か好きなおもちゃを買おう』という約束をしていて、それを楽しみにしている。

 

 

幼稚園に慣れた今も、④の『朝を楽しく過ごす作戦』は続けているが、朝起きてすぐの機嫌が悪い時は「休みたい」と言うことが多い。

だがそういうときは⑥の『Yes作戦』を実行する。

 

私はまず、「休みたいんだね、どうしても行きたくないなら、休んでいいよ」と声をかけるのだ。

そうして後は気にせず、④の『朝を楽しく過ごす作戦』を実践して、いつも通り娘の好きなアニメを見せたり、食べたいと言う朝食を用意する。

そうすると、娘はしばらくして、自分の理性を働かせるようになる。

 

すると『一学期休まずに登園したら(ただし体調不良は除く)おもちゃを買う』という約束を思い出すようになるので、娘はおもちゃを手に入れることと今日休むことを冷静に天秤にかけはじめる。

そこで大抵、『行ったほうが得』と判断して、自分から「やっぱり行く」と言ってくれるのだ。

 

 

たまに、「行きたくない、でもおもちゃは欲しい」という矛盾したことを言う時があるが、そんな時は私が約束を守れるようにアシストする。

 

例えば、娘の好きなチョコレートを用意しておいて、「じゃあチョコレートを食べて気分を上げてみるのはどう?」と提案したり、帰宅後に娘の大好きな『お宝探し謎解き』を用意したりすることを提案するのだ。

 

 

お宝探し謎解きとは、クイズの書かれた紙を何枚か用意して、そのクイズを辿ればお宝(おやつ)が手に入ると言う遊びである。

 

私は瀬田貞二さんと林明子さんの絵本『きょうはなんのひ』

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を小学生の時に読んで、とても好きだったのだが、そこからヒントを得た遊びだ。

 

 

たとえば、「しろとくろでできたがっきはなに?」(正解は"ピアノ")という紙を用意したら、次の紙はピアノのおもちゃの中に隠しておく。

そして次の紙には「『おいしい とりのまるやきがたべたいねえ』というセリフがあるのはどのえほん?」(正解は"11ぴきのねことあほうどり")といったクイズを書いておいて、さらにまた次のクイズを正解の絵本の中に挟んでおく。

そうしてクイズを解いていくと、お宝が隠されている場所に辿り着く・・・という遊びだ。

 

お宝といっても、用意するのは安いおやつなので金銭的な負担は大きくないし(クイズをいちいち考えるのは面倒ではあるが)娘はおやつがしょぼくともクイズをいろいろと解いてお宝を探す過程がとても楽しいようで、この遊びが大好きだ。

 

だから、娘が幼稚園に行くのが憂鬱な時は、

「幼稚園に行ってる間に、お宝探し謎解き用意しておくからね〜」と伝えて、この遊びをすることが我が家のテッパンとなっている。

 

 

 

 

こうして、10ヶ月間の格闘を経て、今の私は穏やかな日常を手に入れることができたのだが、

自分の今までのやり方に、ちっとも後悔がないかと言えば嘘になる。

 

 

娘は幼稚園が始まったばかりの時、赤ちゃんの時や下の子が生まれた時にすらしなかった夜泣きをすることがあった。夜中にいきなり「幼稚園行きたくない!」と泣き叫ぶのだ。

 

泣くだけならまだ良いのだが、夜中の2時や3時に起きて泣き叫びながら「あそぶ!ジグソーパズルする!」と言い出して、「今は夜遅いから、明日やろう」と諭そうとしても聞かないこともあった。

私は夫や下の子を起こさないかヒヤヒヤしつつ、睡眠を邪魔されたことにイライラしながら、娘を抱っこして寝室をそっと出て、リビングでジグソーパズルを嫌々した。(そうすると私のひどい態度に娘がいっそう腹を立てて、「ママの声が怖くて嫌だ!」と余計に泣き叫ぶので、私は必死に怒りを鎮めなくてはならなかった・・・)

 

 

今思えばあれは、娘があまりに大きな悲しみや辛さという感情を抱えていたから、それが寝てる時にも爆発してしまって、それを解消するために起きていたことだとわかるのだが、

当時の私は、余裕がなくて、娘に対して「泣かないでよ!」「いいから寝なさい!」と怒ってしまった。

赤ちゃんと違って『娘は言葉が通じる』という前提を持っていたから、余計に周りに配慮してくれない娘に腹が立ってしまっていた。

娘だって私を困らせたくてしたことじゃなかったのに。

 

 

あの時のことを思い出すと私は、何故もっと優しくできなかったのだろうと思って、後悔に苛まれる。

 

 

また、「幼稚園に行きたくない」と泣く娘を小脇に抱えてバスに押し込んだこともあった。

そのときは、前日にした約束を守るために仕方がないのだと自分に言い聞かせたが、段々と、休ませた方が良かったのではないかとか、自分はとんでもなく酷いトラウマを娘に与えてしまったのではないかと苦い気持ちになったものだ。

 

 

 

 

今は元気に幼稚園に通ってくれている娘だが、2歳児クラスに通わせたことが果たして娘にとって良い選択だったのか、今でもわからない。

今年の年少クラスから通わせていれば、もっと早い段階で幼稚園に慣れてくれたのだろうか(それとも同じように10ヶ月間は毎日泣いていたのだろうか)

 

下の子のお世話と両立できるか不安だからと2歳児クラスに通わせたけども、専業主婦なんだし、もっと一緒にいた方が良かったのだろうか・・・そうしたことを今でも時折、考えてしまう。

 

そしてこれは一生、正解がわからないことなんだろうと思う。

 

 

 

 

これからもこうして、私はいろいろな作戦を練ったり失敗を繰り返したりすることで、娘がどんな方法でならより楽しく過ごせるのかを手探りで見つけていくんだろうと思う。時に後悔を混じえながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

今回は、もし、同じようなことで悩んでいる方がいたら、この話が何かのヒントになれば良いなと思って書き記すことにした。

 

もちろん人によって相性というものがあるから、私の方法がうまくいくかはわからない(甘いものよりもゲームをする方が好きな子供には、朝チョコレートを与えるよりも時間を決めてゲームをする方が効果的だったりするだろう)

また、ご家庭によっての方針があると思う(お菓子は○歳まで与えない等)ので、あくまで参考にしてもらえたら嬉しいなと思う。

 

 

また、どんな方法が最適かは理由によって異なるものだ。

娘の場合は、幼稚園に行きたくない理由が「ママと離れるのが寂しい」だったから、寂しさを緩和させる方法を考えて、いろいろな作戦を考えたが、

例えばこれが「お友達とケンカしたから」だとか「先生が嫌だから」なら、仲直りする方法を一緒に考えるとか、クラス替えをお願いしてみるなどの別のアプローチを考えなくてはならないと思う。

 

 

ちなみに最近娘は「幼稚園の先生にもっと早く着替えて欲しいと言われた」と落ち込んでいたので、

朝はキッチンタイマーを使いながら「ブラウスを40秒で着よう」「靴下を10秒で履こう」とゲーム形式で着替える練習をしている。

 

 

 

先ほども言った通り、私は100%完璧に、娘の感情を受け入れながら幼稚園に通わせられたわけではない。

余裕がない時に発した「泣かないでよ!」「約束したでしょ!」の言葉が、20年後の娘に悪い影響で現れたらどうしようと怖くなるときもある。

 

過去はやり返せないから、それは受け入れるしかないけども、そんな時は私は娘をそっと抱き寄せて、

「娘ちゃんはいつも頑張ってるね」

「娘ちゃんのおかげでママは幸せだよ」

と伝えるようにしている。

 

彼女が頑張っていることも、彼女のおかげで幸せなことも、紛れもない事実だからだ。

 

 

 

 

 

 

娘の20年後に、何か困難にぶち当たったとき、頭の片隅に聞こえてくる声は一体なんだろう。

 

「どうしても休みたいなら、休んでいいよ」

「何かご褒美を用意することを考えてみよう」

「どうしたら楽しい気分になれるかな?」

 

 

 

そんな声が聞こえていればいいなと願いながら、今日という日を過ごしている。