感情の考察、日常の幸福

読んだからとて奇跡は起きないけれど、自分の心に素直になれたり、日常の細やかな幸せに気がつくことができたりするような、そんなブログを目指しています。

漫画発売のお知らせ

お久しぶりです!最近やたらめったら忙しくてなかなかXもブログも更新できなかった小咲です。

 

さて、9月16日に私が原作を担当した漫画『天使さまと呼ばないで スピリチュアル教祖になった主婦』電子書籍となって発売されました!

 

 

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・出版社:KADOKAWA
・全180ページ
・1100円(税別)

 

180ページ中、70ページ以上が描き下ろしと大ボリュームです!

 

↑のリンクはAmazon様ですが、他の電子書店様でも取り扱いがあります!

 

楽天Kobo電子書籍ストア: 天使さまと呼ばないで スピリチュアル教祖になった主婦 (上) - 小咲 もも - 4332151100320

 

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天使さまと呼ばないで スピリチュアル教祖になった主婦|無料漫画(まんが)ならピッコマ|小咲もも 稲美杉

 

作画の稲美杉先生が本当に素晴らしい作画で表現してくださってるので、ぜひ読んでほしいです!

とりわけ主人公の心情描写が素晴らしく…私のワガママや無茶な注文もキチンと形にしてくださって、原稿チェックの時はいつも感動してました!

特に漫画の1番最後のページの、主人公の表情は圧巻です…!!

 

また、Xでハッシュタグをつけて感想など投稿してくださると励みになります!

#天使さまと呼ばないで

 

是非是非よろしくお願いいたします🙇‍♀️

子供の不機嫌への対処法

7歳長女は、些細なことで不機嫌になるタイプだ。

そのせいで揉めることが多く、でも本人に悪気はないし…と悩んでたんだけど、
最近長女と一緒に編み出した対応策がすごく良かったので書き留めておこうと思う。

 

その対応策は、"不機嫌になった後にハグする"こと。

 

下に詳しく解説書くので、すごく長くなるけど、ぜひ読んで欲しいし、よければ参考にして欲しい。

 

長女の性質

私の長女は本当に「え!?」と思うことで傷ついて不機嫌になる(ちなみに眠い時は傷つきやすさ5割増になる)

どうも言葉を深読みしすぎて、こちらが意図してない形で受け取ってしまうらしい。

 

たとえば下の子が泣いた時に「赤ちゃんを産んだ後の女の人って、赤ちゃんの泣き声を聞くとすごく辛い気持ちになるんだよ」と言うと「じゃあ私なんていなくてもいいんだ!」と言ったり(下の子の方が可愛いと言われたと思い込んだらしい)

 

会話の中でふと昔のお笑いネタを思い出して「昔〇〇って芸人がこんなネタしてさ」と言うと怒ったり(私との会話でお笑いを思い出す=私自身を笑われた!と思い込んだらしい。もともと人から笑われることがすごく嫌い。でも笑わせようと思った時に笑われるのはオッケーらしい)

 

おやつが入った箱を渡して「今日のおやつどれにする?冷蔵庫にはチョコもあるよ」と伝えると不機嫌になったり(チョコを選ぶよう強制された!と思い込んだらしい)

 

本当に全く意図してなかったことで、いきなり不機嫌になり、怒りを撒き散らされる。

勿論、こちらに落ち度があれば謝るけど、長女が勝手に曲解して傷ついたことに"とりあえず謝る"のは何か違うと思うので、そういう時は「そんな気持ちにさせて悪かったね、でもこんな意図があったのよ」と伝えていた。

 

でもそれができるのは、

  1. 長女の不機嫌がある程度おさまってからなので時間がかかる
  2. いきなり怒りをぶつけられると私もカチンとくるから私にも時間が必要
  3. 最初は怒る意味がわからないことが多いから何が原因か丁寧にヒアリングしなければならない
  4. 傷ついたことへの共感が足りないと「私の気持ちをわかってくれない!」と余計に揉める。

ので、この不機嫌への対応には本当に悩んでいた。

 

私自身の経験

実は、私も娘と全く同じ性質だった。

子供の時は母のちょっとした言動で傷つき、謝罪を求め、そんな時母はテヘペロで謝る人だったので余計に怒り狂っていた。
私はそんな自分の傷つきやすさが嫌いで、周りの子のように素直な子供らしい子供でいられないことが苦しかった。

18歳ぐらいで、おそらく脳の前頭葉の部分が発達してからは、少しはマシになったが、それでも些細なことでよくイライラした。

 

そんな私が22歳ぐらいの時から取り組んだことは、怒りや不機嫌な気持ちを"悲しみに変換して言語化"することだった。

これは、何かに腹が立つたび「自分は何が悲しかったんだろう?」と悲しみに言い換えることだ。

 

怒りの感情は、多くの場合、悲しみの次に湧くものだという話をどこかの本で読んだことがきっかけで、これを始めた。

 

不思議なことに、人間というものは怒りを解消しようとすると人を攻撃したくなるが、悲しみと認識すると、自分の心を満たす方法を考えることができる。自分自身のケアに集中できるのだ。

(余談だが、ストレスというのはスカッ!とすることでは解消できないらしい)

※怒りは、自分を鼓舞するエネルギーにするとか、あきらかに悪意のある人から自分の身を守るとか、そういう場合は有効だと思う。

 

自分の心を満たす方法というのはどういうことかというと、自分に優しい言葉をかけたり、自分が欲しいものを(できる範囲で)自分に与えるということだった。

 

たとえば、アイドルを見てイライラした時は「何が悲しいんだろう?」→「私はあの子みたいに可愛くないから愛されない気がする、悲しい」→「そっか、羨ましいんだね、私は愛されたいんだね」というふうに。

こうして自分の隠されていた望みに気づけると、「あの子ほど可愛くはなれなくても、ヘアメイクの素敵なところを真似してみよう」と、嫉妬や不安といったネガティブな感情を前向きに消化する方法を考えられるようになった。

 

こうしてイライラするたびに自分の悲しみや不安や嫉妬に向き合うようになってから、明らかな変化が2つ起きた。

 

1つめは、周りの人が優しくなったことだ。科学的に証明しづらいので信じるのは自由だが運も良くなった。(というより、イライラしている時は変な人にからまれたり不運が起きる確率が異様に高かった)

 

2つめは、次に同じ状況にあたっても、イライラしなくなったことだ。物事をフラットな目線で見れるようになった。

 

この効果が絶大だったので、私はイライラした時ほど、まずは感情をぐっと抑えて、冷静に分析してから対処するようになった。

 

ちなみに人にイライラした時は

  1. 寝て忘れるレベルなら放置する
  2. これから関わりのない人(通りすがりの人とか)相手なら、自分を甘やかすことをする(アイスを食べる、バスソルトや入浴剤を入れて風呂に入る等)
  3. これからも関わりがある人には「何が悲しかったか」「それを満たすためにどうして欲しいか」の二点を明確にして伝える。(例、夫に「自分が大事にされてないと感じて悲しかったから、抱きしめて『大好き』と言って欲しい」と伝えるなど)

 

これで大抵のトラブルは泥沼化することなく解決するようになった。

しかも、3の手法をとったほうが、怒りをぶつけてコミュニケーションするよりもずっと自分の要求が通りやすかったし、より良い解決法が浮かぶようにもなった。

 

私が人に怒りをぶつけないようになったのは、何よりも自分にとって結果的に得するのを理解したからだった。

だから私は娘にも、不機嫌をうまく解消できるようになって欲しいと思った。私のエゴかもしれないけれど、それで私は20年も苦しんできたからだ。

 

不機嫌を客観的に見ることで気づいたこと

長女と接して、自分のように不機嫌になりやすい人間を客観的に観察したことで、より理解が進んだことがいくつかあった。

それは

  1. なぜ不機嫌になるか
  2. なぜイライラをぶつけるのか
  3. 感情は伝染する

の3点だ。

 

①なぜ不機嫌になるか

私自身が不機嫌になりやすいタイプだったので、その経験から気づいたこともあるのだが、

不機嫌になりやすい人は、感受性が強い傾向にあり、ちょっとしたことで傷つきやすい。


聴力の高い人が細かい音を聞きやすいように、不機嫌になりやすい人は自分の中で湧く感情の微細な変化、それもネガティブなものに気づきやすいのだ。

 

例えば長女は小さい頃、少しでも疲労を感じると(5分歩いただけでも)不機嫌になった。私はそれが普通だと思っていたが、妹や弟の反応を見てそうでないことを知った。

感受性が強くない子は、疲れの不快感に気づかず歩き続けられるのだ。そして30分ぐらい歩き続けるといきなり疲れに気がついて、しゃがみ込んで歩けなくなる。

 

また、長女の頭の中にはいつも何かとても美しく、完璧なイメージ図があって、それと少しでも離れたことを他人がすると、世界観が乱されたことに怒ってしまうようだった。
だから他人が自分の思う通りに動かないことが許せないように見えた。

 

世間的には、不機嫌になりやすい性質は「ワガママ」「性格が悪い」と思われてしまいやすいし、そう思われても仕方ないかもしれないが、私はそう捉えないようにしている。

そういうフィルターで長女を見てしまうと、長女が訴えかけるあらゆることを「長女の性格が悪いから」で片付けてしまう。

それは、悪気のない長女にとってはとても苦しいことだし、私自身がその苦しさをよく理解していたからだ。

不機嫌になりやすい人は、不快のセンサーの感度が高く、また完璧主義な人なのだと私は捉えている。

 

長女は細かな不快感に気づける分、自分の体や心の状態を把握することができる。
そして下の子に優しく、美しい文章を書くのだが、それは豊かな感受性からきているものだ。

同じことで悩む親御さんには、傷つきやすさは良いところにも繋がっていることを、まず知ってもらいたい。そうすることで、自分の子供の見え方がまず変わってくると思う。

 

②なぜイライラをぶつけるのか

私は当初、長女が怒りを「私に」ぶつけているように感じていた。だから理不尽なことで(暑いとか眠いとかシールをうまく貼れなかったとか)怒られると、腹が立った。
でも実際は、長女は意図して私に怒りをぶつけているのではなかった。


長女の心には風船のようなものがあって、その風船が怒りで爆発した時、その衝撃波が一番近くにいる人間にぶつかってしまう(つまり、イライラをぶつけられる)のだ。
こう捉えることで、私は理不尽に怒りをぶつけられるというよりも、「爆発した怒りの衝撃波が来る場所に、たまたま自分がいた」と思えるようになり、腹が立つ割合が減った。

 

③感情は伝染する

長女と接していて、私は戸惑うことがあった。

それは、大人相手なら冷静に対処できることを、子供相手には感情的になってしまうことだ。

 

自分で言うのもなんだが、私は他人に怒りをぶつけることはほとんどない。喧嘩することも滅多にない。

上に書いた通り、怒りを感じたらまず自分の中で言語化するようにしてるし、言語化するうちに冷静になるので、感情的に反応することはほとんど無かった。

だが子供相手には、感情的に叱ってしまうのだ。

 

観察するうちに、子供が怒りをぶつけてくると、自分も怒りで返したくなることを知った。

どうも感情は、伝染するようなのだ。それも、純度が高い感情であればあるほど(つまり理性というオブラートに包まないほど)うつりやすい。

子供は湧いた感情をそのままぶつけてくるので、より伝染しやすかったのだ。

 

ここで初めて、私が若い頃いつもイライラしてた時に、なぜ変な人にからまれる率が高かったかを理解した。
感情は目に見えないけども、そこに確実に存在していて、周りに影響を与えているのだ。

(余談だが、私は昔尊敬する人に「幸せになりたいなら、感謝しなさい。感謝すると良い物が寄ってくるから」と言われたことがある。実際感謝を心掛けると、ラッキーと思うことが増えた。これも一種の、感情が伝染するということだと私は考えている。まあ、科学的に証明しようのないことだけど…)

 

こう考えることで、私は子供に冷静に対処しやすくなった。

感情的になった時は「あ、今子供の感情がうつってるな」と頭の中で言うことで、冷静になりやすくなったのだ。

 

この「感情は伝染する」という事を、自分や子供を責める材料にしてはならない。

「あんたのせいで私は怒ってる」と思うのではなく、科学の法則と同じように捉えて欲しい。
物が落ちるのは重力があるからだが、重力に対して責めても何もならないように、子供のせいにしても何もならない、というよりもっと悪い結果に繋がるだけだ。

子供につられて怒りが湧いた時は「ああ、感情が伝染してるな」とだけ頭の中に声をかけると良い。「だから子供が悪い」とか「だから私は悪くない」のように、良し悪しの判断をつける声をかけてはいけない。感情が伝染してるという事実をまず認めるのだ。

そうするだけで、冷静になりやすくなる。

 

ちなみに、以前私の親友が子供の癇癪をひどい剣幕で叱ってしまうことについて相談してきたのだが、この感情が伝染するという話と対処法を伝えると、感情的に叱ることが減り、冷静に叱れるようになったと言っていた。しかも、落ち着いて注意すると、自分の言うことを聞いてくれやすくなったという。親友は、感情的に叱ると自分の感情が子供にうつってしまうと気づいたそうだ。

 

娘に伝えたこと

こうした自分の経験や、観察して気づいたことから、私は娘がイライラをぶつけてきた時にはこう伝えていた。
「怒りを感じても良い、でも人にぶつけるのはやめなさい」

だがこれには問題があった。娘には、感じることとぶつけることの切り分けができなかったのだ

ぶつけてはダメと言われると、怒りを感じることがダメと言われるように感じると言われた。

これはまずい、と私は思った。感情を抑圧するのが良く無いことは自分の経験からわかっていた。

 

次に私は、こう伝えた。

「怒りをぶつけると相手も怒りで返したくなるから、してほしいことを冷静に伝えた方が喧嘩せずに要求を通せるよ」

「まずは自分が怒ったことを、何が悲しかったかに言語化してごらん」

だがこれも娘には難しかった。

言葉にする前に、イライラが出てきてしまうのだ。

 

これはあくまで私のイメージで、正しいかわからないのだが、私がグッと飲み込んで言語化できる怒りは、

娘の小さな身体では、飲み込む容量が足りず、どうしても身体の外に出てしまう。

それを"イライラ"として周りの人にぶつけてしまうようだった。

 

悩んだ末、私は娘にこう提案してみた。

それは「我慢するんじゃなくて、何をしたら怒りが消えるか考えてみて、怒った時はそれをやってみよう」

 

そこで娘が編み出した方法が「ママとぎゅーすること」だった。この効果が本当に絶大だった。

 

娘が不機嫌になっても早く心が回復するようになったし、私自身にも良い変化が訪れたのだ。

 

10秒ぎゅーの方法

娘が編み出した方法は、不機嫌を感じるたびに、私と10秒間ハグをするということだった。

これにはいくつかルールがある。

 

  1. 子供がぎゅーするタイミングを決める
  2. ぎゅーしてる10秒間はその子供に集中する

 

① 子供がぎゅーするタイミングを決める

ぎゅーするタイミングは子供に委ねなければならない。機嫌を取ろうと親から「ぎゅーしよう」と言ってはならない。

不機嫌になった瞬間は怒りでトゲトゲしてるので、子供はそんな気分になれないのだ。

もし、こちらが譲歩したつもりで、機嫌を取ろうと「ぎゅーしよう」と言って断られたら、「せっかく優しくしてあげたのに!」という気持ちになってしまう。だから、子供がぎゅーする気分になるまではこちらは待たなければならない

 

② ぎゅーしてる10秒間はその子供に集中する

10秒ぎゅーを取り入れたばかりの頃、ぎゅーしてる間に他の子供から話しかけられた時に返事すると長女に叱られてしまった。

ぎゅーしてる間は他の人の言葉に答えてはならない。「晩御飯は何が食べたい?」などと無関係なことを尋ねてもならない。ぎゅーすることに集中する。(「そんな気持ちにさせてごめんね、嫌だったね」と不機嫌になった気持ちに寄り添う言葉はOK)

育児や家事で忙しいと、このぎゅーする間も惜しい場合があるだろう。大丈夫、ぎゅーするのは10秒で十分だ。代わりに子供には予め「10秒間ぎゅーするね」と伝えれば良い。

 

10秒ぎゅーの効果

とにかく、長女の精神が安定するようになった。

今まではいつ不機嫌になるかわからない不安定さがあったが、それがなくなった(それでもまだ、眠い時は不安定になりやすいけども)

 

たとえば、長女はいつも学校から帰ってきたら、イライラした様子で私のやることなすことに文句をつけてきた。

ドアを開けて「おかえり」と言ったら「いきなりドアを開けたらびっくりするでしょ💢」と怒り、家の中で待つようにすると「なんでドアの前に立ってないのよ💢」と怒ってきた。理不尽で仕方なかったが、これは長女が学校でのストレスを持ち帰ってるために起きていることだった。

それが、ぎゅーを習慣づけると、まず学校から帰ってきたらドアを開けてすぐ私とぎゅーするようになった。さらにぎゅーしたあとは理不尽なことで怒る確率がぐんと減った。

 

わかる人にはわかると思うのだが、感受性が強い人間は、その場の空気を動かす力が強い。

私も、若い時にブチギレた時は場の空気を凍らせられる感覚があった(エルサかよ)

言い換えれば感受性の強い人は、機嫌がいいと周りまで明るい気分にさせられるし、機嫌が悪い時は周り中をギスギスさせることだってできるのだ。

娘の精神が安定したことで、家中が朗らかな空気になることが増えた。

 

また、私にも良い効果があった。

娘の不機嫌を、放置できるようになったのだ。

放置というと聞こえが良く無いかもしれないが、つまり、娘が不機嫌になることを許容できるようになったのだ。

思うに、娘の不機嫌に何かしてあげなきゃと思うことこそが、過干渉で娘の機嫌をより悪くする原因だったと思う。

なぜ以前の私が、不機嫌に何かしてあげなきゃいけないと思っていたかというと、子供には自分で不機嫌を直す力がないと思っていたからだ。

時間が経てば機嫌がおさまることはわかっていたが、その時間がいつ終わるのか、早く終わらないか…焦っていたのだと思う。

でも、長女が自分のタイミングで「ぎゅーする」と言ってくれるようになったことで、それまでは放置しておこうと思えるようになった。

そして不思議なことに、放置した方が子供は不機嫌から早く立ち直ってくれた。

 

ちなみに、不機嫌は許容するが、人を傷つける言動(「バカ」と言うとか、叩くとか)は、注意するようにしている。緊急性がない場合は、ぎゅーした後に言う方が、話を聞いてくれやすくおすすめである。

 

また、もう一つの効果で、子供の気持ちに寄り添いやすくなった。

こちらに全く悪意のないことで不機嫌を振り撒かれるとどうしてもカチンとくるし、なんで謝らなくてはいけないのかと思ってしまうが、ハグしてからだと「そんな気持ちにさせて悪かったね」と優しい言葉をかけられるようになったのだ。

 

まずは3日間試してみよう

もし私の話を読んで、この方法を取り入れようと思ってくれた方は、ぜひ1週間、いや3日間でいいので実践してみて欲しい!

最初は、不機嫌を振り撒く子供をハグしてあげることに抵抗があるかもしれない。「何でイライラぶつけられたのに、抱きしめてあげなあかんねん」と、思ってしまうかもしれない。

でも、無表情なままで良いから、心を込めなくてもいいから、そっと抱きしめてみて欲しい。

10秒間抱きしめてくうちに、たぶん胸の底の方から何かが湧き上がってくることを感じるだろう。子供への愛は無くなったのではなく、ただ沈殿していただけだと気づくだろう。

 

子供への伝え方

先に書いた通り、ぎゅーするタイミングは子供に委ねなければならないので、できれば不機嫌になる前のタイミングで予めこんな方法があると言っておくと良いと思う。

 

「イライラした後、10秒間ぎゅってすると元気になるって聞いたんだけど、本当かどうか3日間(1週間)実験してみない?」というふうに。

 

感受性が強い子あるあると思うが、「こうしなさい」と言うと強制されたと思って反発することがあるので、実験というていで提案するといいかもしれない(もちろんそうじゃない子もいると思うので、子供に合わせた言い方でOK)

それに、これは本当に実験として捉えてくれればいい。子供によってはぎゅーすることがあまり好きじゃないかもしれない。その場合は、「この方法はこの子には合わないな」と思ってくれたらいい。

 

 

不機嫌の難しいところは、本当は傷ついているのに、愛が欲しいのに、

イライラ、トゲトゲした空気を発してしまうことで、それをうまく伝えられないことにあると思う。

しかも、親だけでなく本人も、本当に欲しいものは優しさや愛情であることに気づいていない。

10秒ぎゅーの方法は、この問題を解決してくれるのだ。

 

 

うちの娘は7歳だから、これから成長して、思春期や反抗期がくるに従ってこのやり方は効果がなくなるかもしれないし、その時私はまた新たな方法を模索しなくてはならないだろうが、現時点でとても良い方法だったので、こうしてブログに書き記しておいた。

読んだ方の参考になると嬉しい。

贈り物の魔法

贈り物には、素敵な魔法があると思う。

とりわけ、自分で詰めたものには。

 

 

 

去年、遠方に住む大学時代の友人から連絡が来た。

 

結婚式の時に着たドレスの生地を使って、産まれてきた赤ちゃん用のセレモニードレスをオーダーしたけど、まだまだ生地が余っている。良かったらドレスの残りのレースやボタンなどをもらってくれないか?

という内容だった。

 

私は二つ返事でOKして、というか自分の裁縫スキルを上げるためにそれで子供服を作ってプレゼントして良いか尋ね、友人は喜んで「お願いしたい」と言ってくれたので、ドレスの残布を送ってくれた。

 

それは、繊細なレースとキラキラしたビーズがとても美しい、うっとりするような素敵なドレスだった。

 

このドレスが、友人の特別な日を彩った、あたたかい思い出がつまった素敵な宝物だと思うと、私はこれでベビー服だけでなく、友人自身が使えるものも作りたいなと思ったので、

ベビー服と、ポーチと、巾着と、同じデザインでミニチュアサイズに作り直したドール用のドレスを作った。

 

それから、地元の銘菓と特産品を一緒に小包に入れて、友人に贈った。

 

喜んでくれたら嬉しいなとわくわくしていたら、友人から電話がきた。

 

こんなにたくさんもらえると思ってなかった、素敵なものをありがとう、お気に入りのドレスだったけど場所をとるからと泣く泣く捨てるつもりだったので本当に良かった、

とたくさん嬉しい言葉をいただき、すごく幸せな気持ちになった。

 

友人がこんなことを言ってくれたのが印象的だった。

「箱を開けた瞬間、一筋の涙が出た。贈り物をもらって涙が出たのは初めてだった。それから、ももと話した大学の帰り道とか、一緒に行ったアップルパイの美味しいカフェとか、いろんな思い出が浮かんできて、懐かしい気持ちでいっぱいになったよ」

 

 

その感覚は、私も非常に覚えがあった。

 

4年前、夫が仕事で鬱になりかけたときに、高校時代の友達が私に送ってくれた小包を開けた時だ。

 

[エッセイ]不運のなかの幸福 - 感情の考察、日常の幸福

(とても長いけどここに詳しく書いてある)

 

小包の中には、友達の実家でとれた柑橘と、茅乃舎のにゅうめんが入っていた。

 

私はそれを見た瞬間、友達と過ごした高校の校舎や、待ち合わせした繁華街の風景が頭に浮かんで、

当時はコロナ禍だったけど、あの大変な時代をお互い生き抜いてよかったという気持ちと、友達への感謝の気持ちでいっぱいになった。

あのときは本当に、自分が生きていけるか不安で不安でしかたなかったけど、不安になるたびにあの小包のことを思い出した。

思い出すたび、真っ暗だった気持ちに灯がともるように、あたたかいものがこみあげて、

生きなきゃあかん、生き延びてやるという強い力が腹の底から湧いてきたのだ。

 

 

 

 

自分で詰めた贈り物って、何か不思議な魔法がかかるんじゃないだろうか。

魔法というか、自分自身で詰めることで、もしかしたら自分の気持ちや、共に過ごした時間や、記憶や、愛まで詰めることができるんじゃないだろうか。

そうして相手が箱を開けた瞬間、それが相手の元に届くから、懐かしい気持ちで満たされたり、励まされたりするんじゃないだろうか。

最近、そんなことを思うのだ。

 

 

 

 

私は、もともと贈り物をするのは大好きで、贈答品のある通販サイトもよく見る。

珍しいものやオシャレなものが揃ったサイトで、送り先をそのまま贈る相手の住所に登録して送ることも、手軽だし、素敵なことだと思う。

 

でも、とくに大切な誰かの力になりたい時は、

自分で箱を詰めてみるのも、良いんじゃないかと思う。

 

 

 

もし、遠方に住む大切な人がいるなら

 

美味しいものや、美しいものを、あなた自身の手で箱に詰めて、送ってみませんか。

無になる時間

何かをしてる時、「無になる時間」ってないだろうか?

無になるというのは、自分自身を忘れ、今している動作や作業そのものになってる感覚だ。

 

この、"無になる時間"は、良いアイディアとか自分に必要な言葉とかが浮かんできやすい、と最近気がついた。

 

私によく、"無になる時間"が訪れるのは

  • 自転車に乗ってる時
  • 歩いてる時
  • 家の雑巾掛けをしている時
  • 夫の身体をマッサージしてる時
  • 裁縫や手芸をしてる時

 

たとえば、歩いてる時なら

最初はただ歩きながら、自分の生み出した、いろんな思考をする。「幼稚園のお迎えあるから15時までに戻らなきゃな」とか「今日の晩ご飯はなんにしようかな」とか。

この時はまだ無ではない。

一通り考えた後、だんだんと頭が無になる

面白いアイディアや、必要な言葉や、過去の自分をきちんと言語化した文章がどこからか頭の中で聞こえてくる

 

 

不思議なことに、小説の良い表現や、特徴的なシーンや、Xでバズった話とかは、この無になる時間に思いついたり、思い出したりしたものが多い。

思いつくというか、厳密には"自然とどこからか聞こえてくる""湧いてくる"が近いと思う。

 

 

それで、この、無になる時間というのは、自分に向いてることをしてる時に訪れることが多い気がしてる。(ウォーキングや自転車は向いてるというか、健康に良いことだけど)

 

昔、私が全く自分に向いてない事務の仕事をしてた時は、この逆で、私の頭の中は"自分のこと"でいっぱいだった。

自分がどう見られてるか、自分がおかしくないか、自分が嫌われてないか…etc

だから、仕事にも集中できないし、良いアイディアも浮かんでこなかった。

あと、私は車の運転が壊滅的に下手なんだけど、車の運転中ももちろん無になることはない。車に乗ってる時は処理する情報が多すぎてただ恐怖しか感じなかった。

 

逆に、自分に向いていることをすると、自分自身のことはあまり考えない。ただ業務をいかに円滑に回すかを考えるから、良い意味で自分が歯車になってる感覚がする。

 

私はこの仕事での経験から、自分が向いてる仕事をしてるか否かは"自分のことを考えてる度"で測れるんじゃないかという理論を持っている。

 

 

私の父は電気関係の技術者なんだけど、仕事で機械のエラーを直す時は「もしかしてここが原因かな」と湧き上がるように考えが浮かぶことがよくあって、しかもそれが合ってるから、職場の人には驚かれるらしい。

父の家系は霊感が強いらしいんだけど、父はたまに予知夢を見ることもある。

 

私もたまに、予知夢を見たり、何となく頭に浮かんだことが現実に起きたり、友達に話そうと思ったことが友達の悩みにバッチリ合う話だったりする。

 

父も同意してくれたんだけど、頭で自分で考えようとすると、この感覚には辿り着けない。予知もできない。

考える、だとダメなのだ。

湧き上がる、という感覚が一番近いと思う。

多分、自分の力で到達しようとしたら無理で、自分を無くすことで、何か大きな存在と繋がって、そこからインスピレーションをもらってる気がする。

 

昔、私が人生でどん底だった時に、バイト先で出会った男性に助けられた経験があるんだけど

彼は私が何も言わないうちから、「男は選びなさい」と言ってきた。

その時私はちょうど、異性関係で悩んでた時だった。

どうしてわかったのか尋ねると「数日前から君に言わないといけない気がしてた。」と言ってた。

彼は昔からそういうことがよくあったらしい。

不思議だなあと思ってたけど、歳をとるうちに私も彼と同じ感覚が身についたのかなあと思う。

 

霊感っていうと、おどろおどろしいイメージがあるかもしれないし、予知というと、自分の意思で未来を見るようなイメージがあるかもしれないけど

こういう、日常生活にちょっと役立つアイディアが浮かぶことも、その一つじゃないかなと思う。

 

無になる時間、というのはこの霊感や予知といった第六感が冴える時間じゃないかなーと私は思っている。

 

私の心の中のともしび

[メッセージ]いつも心にともしびを - 感情の考察、日常の幸福

 

3年前、こんな記事を書いたけれど

実はこれを書いている時、私にはとある夢があった。

それは、書いている小説

小説『天使さまと呼ばないで』 第1話|小咲もも

が、書籍化し、ドラマ化することだった。

 

こんな大きな夢、公言するのは恥ずかしくて、このブログでは書いてなかったけれど

私はずっと、この夢を叶えたいと思っていた。

この夢こそが、私の心の中の灯火(ともしび)だった。

私はこの灯火を心に燃やしながら、この時のブログを書いていた。

 

でも、どうやって叶うというのだろう?

小説は万バズすることもなかったし、ダメ元で応募したnoteの賞も落選した。

そもそも、初めて書籍化を目指すには話が長すぎる。この長さでは出版社に応募もしづらい。サッと読むには時間がかかる量だから持ち込みも難しいし、出版社にツテもない、自費出版することも考えたが、専業主婦の私が出せる金額ではなかった。

 

だから、私は、この自分の無謀な夢が叶う方法が全くわからなかった。

私は自分にとって都合のいい夢想をした。

「もしかしたら、いつかどこかの出版社の編集さんがこの小説を読んで、声をかけてくれるかも!」と。

さながら、白馬の王子様を夢見るシンデレラのようだった。

 

 

 

そもそも、なぜドラマ化したいと思ったかと言えば

この小説は、相互フォロワーの黒猫ドラネコさんの「子宮の詩が聴こえない」

子宮の詩が聴こえない1-①|黒猫ドラネコ

という小説を読んだときに、「もし私が小説を書くとしたら、騙された信者側じゃなくて、騙す教祖側の話を書きたいな」と思ったことをきっかけに、いろいろなシーンが頭に浮かんで思いついた物語だ。

そこから家を雑巾掛けしたり、スーパーの帰りにママチャリを漕いだりするたびに、小説に出てくるいろんな場面が映像として流れてきた。

それがあまりに面白くて、他の人にも見せたいなあと思ったことから小説として書いたのだ。

 

だから、自分が自分の力だけで書いた!という感覚はあまりなくて、自分が頭の中で見た映画を文章化したという感じだった。

 

私がしたことといったら、頭に浮かんだ光景を文章にすることと、その時の登場人物の気持ちを想像すると胸やお腹の中でいろんな感覚(冷たい感じ、とか灰色の壁に囲まれてる感じ、とか)がしたからそれを心情として描写したことと、重要なシーンと他の重要なシーンを整合性をもたせるように繋げる文章を考えたことだけだ。

(話が逸れるが、私は小説を頭で考えて描くものと思っていたから、実際に書いてみたときに、頭で描くのではなく、頭に浮かんだ映像をお腹の中で感覚を確かめて書いたことが新鮮だった!他の小説家さんはどうなのかなあ)

 

そんなわけで、思い浮かんだ時に頭に流れたあの映像が本当に映像化されるところを見たいというのが、1番の理由だった。で、ドラマ化されるにはそもそも書籍化されないと無理だろう…とのことで、まずは書籍化を目指したのだ。

 

だが、声をかけてくれる編集さんは、いなかった。

小説を書いてから1年、2年とたち、私は段々と焦るようになった。

焦るけども、何をしていいかわからない。

"白馬に乗った編集者様"を夢見る自分が、何も努力をしてないように思えて、こんな自分だから夢を叶えられないんだ、もっと行動的になるべきかもしれないと、とある出版社二社に連絡をとってみたが、一社からはいい返事はもらえず、もう一社からは返事さえ来なかった。

 

こうもうまくいかないので、段々と自分が恥ずかしくなっていった。

心の中ではこんな声が聞こえ始めた。

「こんな無謀な夢を描いて、馬鹿みたい」

「恥ずかしいと思わないの?」

「万バズしてない時点で、無理に決まってるでしょ」

「実力がなかったってことよ」と。

しかも、私は小説家になりたいわけではない。ただ過去に書いたたった一つの小説を書籍化して、ドラマ化したいというおかしな夢があるだけだった。だから他にたくさん小説を書いて応募したいとも思えなかった。

 

私は自分で自分のことを、身の程知らずの夢に固執する間抜けのように感じた。

 

悲しいことに、それでも私はその望みを捨てきれなかった。あまりに願いすぎて、「たまたま小説を読んだ編集者から連絡が来る」という夢(寝るときに見る方)を2度も見た。夢から覚めた時、あれは夢だったのかと思うと、切なく、哀しくなった。

 

そのうち私は、その夢を忘れるようになった。

3人だった子供は1人増え、4人の母になった。夫と子供達との生活は楽しかったし、時折夢のことを思い出しては、少し心が切なくなったけど、毎日家事や育児に忙しく過ごしていた。

 

 

でも、2023年の秋か、冬ぐらいだろうか。

ママチャリを漕いでスーパーへと向かう間、頭の中でふとあの声が聞こえたのだ。

 

「 叶えたい夢があるなら、頭の片隅にいつもそれを置いておきなさい。いつかそれは叶うから」

 

それは、私に夢を叶えることを教えてくれた、あのDさんの言葉だった。

私は自分が過去に書いた、ブログのことを思い出した。

 

そう、この夢は、私にとっての灯火なのだ。

私は思った。この夢を持ち続けてもいいんだと。

誰に見せるわけでもないから、恥ずかしくないのだと。

この夢は私の心をそっとあたたかく照らしてくれる物なのだから、たとえ叶わなかったとしても、ずっとその火を灯し続けていればいいのだと。

 

そう思うと、心があたたかくなった。

私は自分の心の片隅に、そっと小さな蝋燭を灯すイメージをした。

小さいけれど、決して火の消えることのない蝋燭。

 

ドラマ化や書籍化のために何をすればいいかはまだわからなかったけど、私はこう考えるようになった。

「Xでバズった時とかに、地道に宣伝していこう。そうしたら段々と広まって、人気が出るかもしれないし、そのうちもっといい方法が思いつくかもしれない」

そして普通に生活した。そう、育児と家事を普通にこなす生活を。

 

 

 

 

それから数ヶ月したころのことだった。遠方に住む友人Yちゃんから、今度私の住む県に来るから、会おうという連絡が来た。

会う約束をし、どこに行きたいか尋ねると、神社好きなYちゃんは2つの神社に行きたいと答えた。

一つはとある出世した戦国武将が祀られている神社で、もう一つはその近くにある縁結びで有名な神社だ。

私も神社が好きだから、もちろんと返事をして、その日を迎えた。

 

出世した戦国武将で有名な神社に行ったとき、私は珍しくお願い事をしたくなった。

出世で有名な武将さんだからということで、そのご利益にあやかりたいと思ったのだ。

 

普段の私は神社でお願いすることはほとんどない。

いつも子供達が元気に成長してることや幸せに過ごせることの感謝を伝えるか、子供達への接し方に反省したときに「もっといい母親になれるよう頑張ります」と宣言するぐらいだ。

 

でもこの時は、こんなことをお願いした。

「昔書いた小説をどうしてもドラマ化したいです。そのために自分にできることを頑張っていきますので、お力添えお願いします」と。

その神社ではお守りも買った。美しい鈴の音が鳴るそのお守りをもつと、本当に夢が叶うんじゃないかとちょっとワクワクした。

 

次に行った神社では、私はYちゃんが今日こうやって遠くからここに来てくれて、一緒に名産品を食べたり神社に行けたりできてありがたいなと思ったので、「Yちゃんにたくさんの幸せが起きますように」とこっそり願った。

 

 

その日の夜である。KADOKAWAの編集さんから連絡が来たのは。

 

ちょうどその時、私がXに書いた中学時代の話がバズっていた。私はそこに小説の宣伝を載せていたのだ。

それを見た編集さんは小説を全て読んでくれ、面白いから漫画にしませんか?と言ってくれたのだ。

 

 

その日は興奮しすぎて2時間しか寝られなかった。

 

 

あれだけ願って、文字通り夢にまで見たことが現実に起きたのだ。

 

神社でお願いしたから叶ったのか、たまたまそのタイミングで叶っただけなのかはわからないけど、後日私はその神社に行き、賽銭箱に1万円を入れてお礼を伝えた。

 

これから自分は、薔薇色に輝く道を歩んでいくような気がした。

 

 

 

 

 

しかし、夢というのは、叶った後が本番である。

 

 

夢がなかなか叶わないうちはつい、叶ったら自動的に全てうまくいって、面倒くさいことから解放されて、幸せを手に入れられる気がするものだ。

 

だが実際は、叶った後もまた地道に色んなことを選択し、時には待ち、面倒くさいこともしていかなければならない。

 

出版社から声がかかると言う夢が叶った後で、私にもいろんな"地道にやらなければいけないこと"があることを知ったのだった。

 

 

最初に私が経験したことは、待つことだった。

編集さんが、作画をお願いする漫画家さんを探すとのことで、その連絡を待つのに2週間かかった。

この時の私は、 「リスペクトできる画力のある人に頼みたいな〜」などと、呑気なことを考えていた。

しかし、編集さんが見つけてきた3人の漫画家さんには全員断られた。1人ずつ声をかけていったので、最後の人から返事をもらったときには1ヶ月経っていた。

その間、やることがないとつい連絡が気になってしまうので、キャラクターの資料を作ることにした。

 

漫画家さんに断られるうち、段々と、自分があまり贅沢できない立場であることを理解していった。

昨今はコミカライズが流行していて漫画家が不足しており、話を受けてもらえるだけでありがたい状況だったのだ。

私は自分がいかに高望みだったかを自覚し、「絵が上手くなくても、作品を愛してくれる人に描いてもらえればいいか」と思うことにした。

 

3人の漫画家さんに断られてから1週間後、また3人の漫画家さんを編集さんは見つけてきてくれたが、1人目に断られた。諸事情により連絡が来たのは声をかけて10日以上経っていた。

 

こうして漫画家さん探しが難航する中、私はふとこう思った。

「自分で描けばいいんじゃね?」

 

どう考えても、この漫画家さん選びはうまくいってない。これは何か、人智を超えた存在が邪魔してるのではないかと思うほどだった。とすれば、やり方が間違ってるのではないか。人に頼ろうとするのではなく、自分でやりなさいと神様が言ってるんじゃないかと思ったのだ。そもそもX(Twitter)のユーザー名だってmangakakuhitoだ。これは開設当初、毎日エッセイ漫画を描くつもりだったから適当につけた名前だったが、作画が別の人ならmangakakanaihitoになるではないか。

 

いやしかし、素人の私が描くなんて言っても編集さんにはご迷惑かもと、ただ資料としてネームを描き、もし自分が描くことになった時のために漫画の勉強をすることにした。

 

その間声をかけていた漫画家さんからは、返事すら来なかった。どうやら、連絡が来たことすら気づいてもらえなかったらしい。

 

次に声をかける予定だった漫画家さんの絵は正直、本当に申し訳ないのだけど、私がリスペクトできるものではなかった。

「リスペクトできない人に、作品を愛してもらえるかわからない中で作画を頼むなら、小説を書いた自分が絵を描く方が、愛があっていいのではないか?」そう思った。

 

とうとう私は勇気を出して編集さんに、自分が描くのはどうかと提案してみた。

 

編集さんは賛成してくれたが、編集部の判断が必要ということで、一度原稿を描くことになった。

 

画材や機材のない私は、夫にiPadApple Pencilを買うことを相談した。夫は快く了承してくれ、少し高い入籍記念日のお祝いも兼ねてiPadApple Pencilを購入した(自分のお小遣いからも何割か出した)。漫画家になれるかもわからないのに機材を買うのは博打かと思ったが、私は賭けに出ることにしたのだ。

 

そこから1ヶ月近く、毎日絵の練習をした。漫画の描き方の本も、パースの勉強の本も、デッサンの本も買った。

苦手な背景は、素材を使えば上手く見せれるとは思ったが、基礎的な画力がないと説得力のある絵にはならないだろうからと、家の周りの建物の写真を撮って模写した。iPadが届く前は紙に描き、届いてからはデジタル作画の練習をした。

 

デジタル作画の練習も兼ねて、数ページの見本原稿を描いてみて、編集部さんに見せると、まあ編集さんが指導しつつなら良いですよという返事ももらえたので(ちなみにこの返事が来るのにも2週間ぐらいかかった)いよいよ私は漫画家デビューが決まった(はずだった)

 

とはいえ、すぐに漫画を描くとはならない。なぜなら小説が長すぎて、何話でどのぐらいの原稿を描くかの見当がつかなかったからだ。

 

漫画家が決まったからとて漫画が無尽蔵に描けるわけではない。私が載せる予定のレタスクラブwebは原稿は8ページまでしか掲載できず、また本として刊行するには何ページまでという制約もあった(そうしないと、予算がおりないそうだ)

 

編集さんからは「何話ぐらい必要か、まずはプロットを作りましょう」と提案され、その制作とチェック、修正でまた1ヶ月かかった。ちなみにプロット作成中も練習も兼ねて2話分のネームを描いた

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↑こんなのを描いていた

 

こうして、原稿を描く前の最終打ち合わせで修正したプロットに許可をもらった。この時、 この時、最初にコミカライズの話をもらってから5ヶ月が経っていた。

 

そして、最終打ち合わせの翌日である。

この日私は、予約していた健康診断に行っていた。

健康診断をしたクリニックは、Yちゃんと行ったあの神社からわりと近い場所で、無事漫画を描くことも決まったしお参りもしたかったけど、家に帰って早く子供の面倒を見なきゃと(夫は休みを取ってくれてはいたけど)、お参りは今度しようと思いながら帰りの電車に乗った。

そこに、小説を書いていたnoteというサイトから、お問い合せが来てることに気がついた。

送り主は、稲美杉さんという漫画家の方だった。

 

問い合わせにはこんな内容が書いてあった。

小説が書かれた時から読んでいてファンです。ずっと漫画にしたいと思ってました。付き合いのある出版社にかけあうので、漫画にさせてくれませんか…と。

 

私の愛用しているコミックシーモアで検索する。とりあえず最新の作品を読む。

 

上手い!!!!!!!人物が美しいのはもちろん、背景や無機物も美しい!!!!!!!!!!コマ割りもセンスが良いし、人の動きが自然である!!!!!!!!!

 

資料として過去の作品の読めるサイトを教えてもらったのでそれも読んでみる。

 

小説に出てくる「子供ができないことに悩むこと」「ハンドメイド」がテーマの漫画があることに気づき、また興奮する!!!!!

 

しかも、付き合いのある出版社にかけあうとまで言うほど、作品を愛してくれてるのである!!!!!!!!!!!

 

 

まさしく、私がリスペクトできる画力があって、作品を愛してくれて、しかも登場人物の心情まで理解してくれる、理想どころか理想以上の漫画家さんだった。この小説を漫画にするなら、この方以上の適任者はいないのではないかと思うほど、全てがピッタリの漫画家さんだったのだ。

 

何度も言うが、プロットが完成した翌日にこの連絡が来たのである。

 

 

私は夫に相談した。1番の気がかりは、せっかく買ってもらったiPadが使えず申し訳ないことだが、夫はこう言ってくれた。

「お金のことなら気にしなくていい。一番は、良い作品を作ることだと思う」

私は夫と結婚できたことに改めて感謝した。

7歳の娘も言った「私なら、漫画家さんにたのむなあ。だって、自分より漫画のことをよくわかってるもん」。聡い子である。

私も、良い作品にするにはどう考えても、私ではなく稲先生が描くほうが良いだろうと思った。

 

編集さんに連絡し、稲先生と話してもらって、編集さんも是非一緒にやりたいと思ってくれ(稲先生は、小説に合うよういろんな描き方を提案してくれたらしい…プロフェッショナル…!)

編集部の方からも許可が出て…そこからは、あの漫画家さん探しの日々が信じられないぐらい、とんとん拍子に決まっていった。それにあらかじめ参考資料やネームやプロットも作っていたので、びっくりするほどスムーズに作画をお願いできた。

 

さて、iPadApple Pencilを買ったことは、20万近くかかった博打だったが、作画をしないことになった私はこの博打に負けたのだろうか?でも、もしあそこで自分で描くと言わなければ、自分の好きじゃない絵の漫画家さんに我慢しながら頼むことになっただろうし、もしそのあと稲先生からの連絡が来たらめちゃくちゃショックだったろうから、勝ったということにしておく!ちなみにiPadApple Pencilは原稿チェックに役立っているので買ってよかった。

 

 

稲先生が描いたネームを読むと、その技量に圧倒された。

私が「主人公が座りながら喋る絵」を描いても、「主人公が座ってる絵」「主人公が口を開いてる絵」がただ繋がってるだけの絵になるが、

 

稲先生が同じシーンを描くと「主人公が腰をかけ、今まさに口を動かしながら話してる絵」になるのだ。

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(これは私が描いた見本原稿と、稲先生の原稿。いやもう、ほんまに並べるだけで恥ずかしすぎる!!!)

 

稲先生の原稿を見て、私は「漫画家って、ただ絵を描くだけではなくて、原稿の中の人々に命を吹き込む仕事なんだ…!」と感動した。

 

稲先生のネームや原稿をチェックするのは、いつも至福の時間だ。自分の小説が、こんなに美しい漫画にしてもらえることが本当に嬉しい。ドラマ化の夢は叶うかわからないけど、もうこれだけで十分と思えるぐらい、私はなんて幸せなんだろうと思いながらいつも読ませていただいている。

 

 

こうして今、レタスクラブで小説が元になった漫画、「スピリチュアル教祖になった主婦〜天使さまと呼ばないで〜」が連載されている

ブランドものを買い漁り、自慢する日々。「天使の声が聞こえる」女性の裏の顔【天使さまと呼ばないで】 - レタスクラブ

 

 

漫画は閲覧数次第で、長く続くかどうかが決まるので、よければぜひ読んで欲しい!!!そして広めて欲しい!!!!

 

 

 

かなり長くなってしまったが、本当に、あの心の中の灯火を、消してしまわなくて良かったと思う。

 

私の心の中にはあと三つ、灯火がある。

一つはドラマ化すること、あとの二つはドラマ化にあたって願ってることだけど、恥ずかしいから秘密だ!

漫画がどのぐらい続くかもまだわからない状況だけど、笑われるかもしれないけど、私はこの灯火を、いつも心の中に灯しておこうと思う。Dさんが言ってくれたように。

 

 

最後になるけど、灯火は、現実逃避の手段ではなく、現実を大事にしつつ、持っておくことが大切だと思う。

私が小説書籍化やドラマ化の夢に固執して、その夢を無理に叶えるために身の丈に合わないお金を出して自費出版したらうまくいかなかったろうし、育児や家事をおろそかにしていたら、夫や娘は私の背中を押してくれなかったかもしれない。

ちょっと面倒臭い時もあるけど、地道に日々を積み重ねることでこそ、幸福は形作られるし幸運もやってくるのだなと思う。

 

3年前の元日に「いつも心にともしびを」のブログ記事を書いた時、いつかこの夢が叶ったら、「私の心の中のともしび」というタイトルで、詳細を書きたいと思っていたのだけど、同じ元日にこの記事が書けてよかった。

ちなみに3年前にこの記事を書いてる時は、夫が仕事で鬱になりかけていて夢どころじゃない時だった。(詳細はブログに書いた)[エッセイ]不運のなかの幸福 - 感情の考察、日常の幸福

あの時の自分は生きていくのに不安を抱えつつ、自分を励ます気持ちも兼ねて、あのブログを書いていたなぁ…

 

 

さて、あなたには、夢がありますか。

夢があるなら、それが誰かを不幸にする物でなく、考えるとあたたかい気持ちになるものなら、ぜひその夢を、灯火として持っていてください。

 

あなたの夢が叶いますように。

叶わない間も、あなたの心を優しく明るく照らしてくれますように。

 

2025年が、あなたが夢に近づく年でありますように。

お知らせ

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ブログでのお知らせが遅くなりましたが、noteに書いていた小説『天使さまと呼ばないで』|小咲ももが、このたび漫画になりました!

 

レタスクラブ様にて連載で、毎週土曜22時に更新されます!

タイトルは「スピリチュアル教祖になった主婦~天使さまと呼ばないで~」

ブランドものを買い漁り、自慢する日々。「天使の声が聞こえる」女性の裏の顔【天使さまと呼ばないで】 - レタスクラブ

 

作画の担当は漫画家の稲美杉先生✨

美麗な絵と表情豊かなキャラクターで表現してくださっていて、いつも原稿を見るたびににまにましてます。

本当に素敵な作品になってるので是非読んでください!

 

この作品の漫画化にあたって、スピリチュアルビジネスを批判する作品なのにスピリチュアルを感じるという不思議なことが色々とあって…

 

https://x.com/mangakakuhito/status/1860865838594834727?s=46&t=fNnsspDP6gKp14d2_221TQ

 

Xの方でもざっくりと書いたのですが、また詳細をブログの方に書きたいなと思っております。

 

今年は育児に加えてこの漫画化にあたっての準備が忙しく、なかなかブログ更新できなかったりXもあまりログインできなかったりしたのですが、一区切りついたので、いつか書きたいとあたためていた出来事とか思ったこととかを、これからどんどん書いて行けたらいいなーと思っております!

 

子供の連れ去り問題で思うこと色々(追記あり)

最近、共同親権とか子供の連れ去りとかが世間を賑わせてるけど、この話題は私も書きたいな〜と前々から思ってた。

なぜなら私自身が約30年前の連れ去られた子供本人だからだ。

思いつくままに文章を書いていくので、すごく長くなるし、まとまりも無いし、読みづらいかもしれないけど、許してほしい。

 

 

両親の離婚と連れ去りの経緯

 

私の両親は約30年前に離婚した。

離婚の原因は、色々ある。

母親と父親の言い分が違うところがあるから、どちらかが嘘をついてる可能性もあるけど、30年以上両親を観察して、自分なりに「この部分は誇張だな」とか「これはこっちの言い分が正しいな」とか「これが原因で誤解が起きたな」というのは大体なんとなくわかるようになったので、私の推測を元に書く。

推測ベースだし、個人的な話なので、興味なければ読み飛ばしてもらってかまわない。

 

  • 元々父はモラハラ気質で、母を蔑ろにする言動が多かった

例えば新婚の時の引っ越しの挨拶で「家政婦です」と母のことを紹介したり、元恋人を家に勝手に招待したりしたというエピソードがある。

からしたら、自分を家政婦扱いされたり、過去の恋人を家に招き入れたりしたことは、自分を軽視されてると感じる出来事で、父への不信感をつのらせていった。

だが父には恐らく、悪意はなかったと思われる。

多分父は照れ隠しで「家政婦」と言ったと思うし、元恋人には純粋に今の幸せを見せつけたかったんだろうなと思う。

これ、モラハラする男性が陥りやすい思考だと思うんだけど、彼らは「自分の内心は相手に伝わってるはず」と信じている節がある(と私は考えてる)。それが彼らが理解できない行動になる原因なのだ。

内心は伝わるはずだから、どれだけ相手に失礼なことをしても、相手のことを好きだと思ってたら許されると思っているのだ。

実際私にも「化粧しなかったら全然顔違うなw」と馬鹿にしてきたりする。

だが、陰では父は私のことをいつも気にかけて、伯母に対しても「あの子は傷つきやすいから、気が強い姉ちゃんはキツイ言葉かけんといてや」と言っていたことを、私は後で伯母に聞かされて知った。

何故その配慮を自分自身にはできなかったのは謎だが、小学生男子が好きな子をいじめる心理と一緒なのだと思う。

父はもっと素直に自分の愛情や優しさを表現していたら、変に誤解をされることなくずっと生きやすかっただろうに…と思うことがある。

 

こういうタイプの男性と付き合うのなら、めちゃくちゃ自信があってイヤなことをイヤとはっきり言える気が強い女性の方が良いだろう。(しかしこの手の男性はそう言う女性になんとなく劣等感と拒否感を持ち、自己肯定感の弱い女性を狙うケースが多いのであまり意味がないかもしれない)

或いは、伯母のような彼の内心を伝えてくれる存在が近くにいれば良かったかもしれない。(伯母は海外にいたので、滅多に会えないのが残念だった)

残念なことに、母は自己肯定感が低く、その場で言い返したり、自分が許せることと許せないことの線引きをきちんと伝えられないタイプだった。伯母にも苦手意識があり、仲良く無かった。それも不幸だった。

 

  • ある時父は、母に浮気してることを浮気相手の写真と共に自慢し、「この人と一緒になるから別れよう」と言ったので母が了承したら父の情緒が不安定になった

最初聞いた時はアホとちゃうか、と思った。多分試し行動だったんだろうな…と思う。

さっきも言った通り、母は自己肯定感が低く、父の言うことでイヤなことであってもYESを言い続けてしまった。我慢し続けてしまった。

最初の方で、きちんと線引きすれば良かった、これは母に責任のあることだと思う。

男性は、本当に嫌な時は嫌だと言うはずと考えるものらしい。だから男性とコミュニケーションを取る時、嫌なことに最初からNOと言うことはとても大事なんだけど、母はYESを言い続けてしまったのだ…

 

からしたら、何をしても許してくれていたはずの母が想定外の返答をしたことで、裏切られたって気持ちにすごくなったと思う。多分、父的には、「やだ〜!別れないで〜(>_<)」ってすがってほしかったんだと思う。

そして、なぜ父の情緒が不安定になったのかと言うと、父には実の両親に見捨てられた(父が小さい頃、両親は離婚して、実母は出て行き、実父は育児せずにどこかへ行ったので、父や伯母は祖父母や曽祖父母に育てられた)ってトラウマがあったから。

 

この試し行動をしたのも、そのトラウマのせいだったと思う。どれだけ不快なことをしても、自分を見捨てないでくれるか確かめたいって期待があったと思う。

母はよく父のことを「私のことを妻じゃなくて母親として見てたと思う」って言ってたんだけど、私もそう思う。

 

ところで、浮気するなら別れたらええやん!って思う人もいるかもしれないけど、こういう人って浮気は許されるけど妻から切り出される離婚は裏切りって思うみたいなんだよね。

さっきも、モラハラ気質の人は自分の内心は相手に伝わってるはずという思い込みがあると解説したけど、彼らにとって浮気とは、内心で妻を好きと思っていればその愛は伝わるから許されるもので、離婚を宣告されるのは、自分の内心を無視した裏切りになるわけだ。

私の友人で、モラハラ浮気性の男性と離婚した子がいるんだけど、その子も「そんなに恋愛したいなら離婚すればええやん!」と思って離婚しようとしたら、元夫はどうにかして離婚を回避しようとしたらしい。その元夫も、実親から捨てられたトラウマがある人だった。

親から見捨てられたという意識がある人にとって、配偶者って特別に自分の血縁を感じられる異性だから、そういう人にとって離婚は、自分が永遠の孤独に堕とされるものすごい恐怖の出来事なんだろなと思う。

だから父の情緒が不安定になった。

離婚する!とやっぱり離婚しない!を繰り返すようになってたらしい。母はそれに振り回されるのが疲れて、ますます離婚に前向きになっていった。

 

じゃあ、母がこの浮気を許し、離婚しないでとすがれば良かったのか?だけど、これは明確に違うと言える。

多分、当時の父の心にはどれだけ母に甘やかされても埋められない空洞があって、その空洞を埋める正しい方法は内観して自分のトラウマに向き合うことだったはずだけど、父は母に酷い仕打ちをすることでそれが埋められると勘違いしてた気がする。

だから結婚生活を続けていたら、更に母を傷つけることを言い出したんじゃないかな。

 

ちなみに最初にYESを言いすぎた母も、結婚生活の最後の方は、父に対して手紙を書いたり、色々と自分の気持ちを伝える努力をしていたらしい。

けど、その時にはもう手遅れだったようだ。

 

そういえば、母も友人も離婚について同じこと言ってたのが印象的だった。

わたしの愛でいつか彼が変わると思って結婚した、でも、わたしの力では変わらないとわかったから離婚を決めた」と。

 

浮気自慢、流石に嘘やろーと思う人もいるかもしれないけど、私はこれは本当にあったと睨んでる。

彼は何なら私の目の前でも、今の彼女に貢いでもらった自慢をしてたことがある。普通するか?実の娘の前で。

ただ、今ふと思ったが、浮気自体が事実だったのかはわからない。浮気自慢は事実でも、その浮気自体が狂言だった可能性もある。

母の気を引きたくて、してないのに浮気したと言ったのかもしれない。

その場合だと、母が離婚を承諾したことで父はより裏切られたと思っただろう。

 

そういえば、父は幼稚園の時の私によく「〇〇さんの奥さんの方が美人でええわ、あの人と結婚したいわ〜」と言っていた。私の目の前でも母のことを蔑ろにしていたのだ。多分これも照れ隠しだったんだろうけど、私は本気にして父は母のことなど好きではないと思っていた。こんな冗談を4-5歳の実の娘に対してやるのはおかしいと思うし、母にも私にもめちゃくちゃ失礼なことだ。

 

タイミングが悪かった。私達は被災した。父は母と私を母の実家に置いて、私たちの家に一人で残った。

からしたら、この不安な状況の中、家族で支え合いたかったのに、父が一人で行動したことでかなり冷めたらしい。

私が好意的に解釈すると、父は妻子を安全な場所に避難させて、自分が苦労をかぶるつもりだったのかもしれない。

ただ、父にはこの時代の話が地雷なので、父の真意は推測するしかないが…

この一件で母は更に父に冷めてしまった。

 

  • 後に引けなくなった父、私を連れ去る

離婚が決まってから、最初に私を連れ去ったのは父の方である。これは両者の話が食い違っているので、私の推測となるが、確かに私の記憶でも父と二人で暮らしていた時期がある。

親権を母が持つことが決まり、母が新居など探すためにひとまず私を連れていったん祖父母の家に住み始めた頃、父は遊園地に連れて行くと言って私を連れ出した。ところが時間が経っても帰ってこない。

父は私のことを可愛がっていたから、離婚がいよいよ現実のものとなって私が惜しくなったのかもしれないし、こうして強硬手段を取ることで母がすがって元に戻れると思ったのかもしれない。

「娘は僕が見るから、お前も早く家に帰って来い」という電話があったらしい。

母はパニックになった。

 

  • 私の情緒が不安定になる

父に連れ去られ、父と二人で暮らしはじめたら、私の様子がおかしくなった。それを近所に住む、母のママ友が気づいてくれた。

この時母は、一刻も早く私を取り返すべく、新居を探したり色々なことをしていたらしい。だから私を取り返すまでに一週間ほどかかってしまった。

 

私はこの時の記憶がほとんどない。思い出そうとすると、涙が出たり身体が震えたりする。

ただアルバムを見ると、この時期を境目に写真の表情が明らかに暗く変わっていることがわかる。

 

私のわずかな記憶では、父に「母方の祖父の家に行くとゴキブリを食わされるぞ」と言われたこと、「お前の母親はオウム真理教(当時世間を震撼させていた)をやっている」と言われたことは確かである。

 

私の変化に気づいたママ友は、母にすぐ連絡してくれた。「一刻も早く父親と離さないと、あの子は大変なことになる」と伝えてくれた。

母はこの時から鬼になった。

 

  • 母からの連れ去り、父に隠れて生活

父が何か大変なことを私にしてると思った母は、1週間でボロアパートを借りて、父のいない間に家財道具を全て持ち去り、私を連れて逃げた。

この時のことは私も覚えている。ずっと会えなかった母が、マンションの前で小学校帰りの私を見るなり駆けてきて、抱きしめながら、「ももちゃん、お母さんと一緒に暮らす?」と聞いてきたのだ。

私は母が大好きだったから嬉しくて、すぐに「うん!」と答えた。

この時母は、嫌だと言われたらどうしようかと思っていたらしいが…私が母を選んだことがとても嬉しかったららしい。

 

最初離婚が決まった時に母は、月に一度ぐらいは父に私を会わせるつもりだったらしい。娘にとっては大切な父親だからと。

しかし、父と暮らす私の様子が明らかにおかしくなったことで、父とはもう会わせない方がいいと判断した。

父に見つからないよう、珍しかった名前を隠し私は偽名で生活した。だから小学校の時のアルバムには私の顔で、今の私と全然違う名前が載っている。ちなみに名前は高校入学とともに戻した。

 

母は父から逃げて最初の1ヶ月、父に見つかると殺されるかもしれないという恐怖で眠れなかったという。父は母が私を連れて逃げたことに気づいて、母の実家に怒鳴り込みにきたらしい、この時祖父の首を絞めて警察を呼んだと聞かされたが、父はそんなこと無かったと言う。これはどちらが正しいかわからないが、本当にあったとしてもおかしくないし、父がそんな反応をしたとしても仕方ないのかなと私は思う。

 

私にも、母の恐怖は伝わっていた。

父と普通に連絡を取る今でも私は、誰かに自分の生活が見つかることに異様に恐怖を感じる。私のことなんてそこまで興味ある人いるはずないのに、いつかどこかの誰かに見つかって何か大変なことになるのではといううっすらとした恐怖を常に抱えている。

そのおかげでTwitterに無闇に自分の情報を出さないで済んでいるので、ある意味自衛になっているかもしれないが。

 

父と暮らしてからすっかり様子がおかしくなった私を見て、母は多分、性的虐待を疑った。

私が小学一年生という幼さだったのも、そう疑う要因になったと思う。性的な知識もないし、自分に起きたことをうまく説明する能力もない年齢だ。

 

私は父と暮らしてから、それまではお転婆だったのに、人が変わったようにずっとぼんやりとするようになったし、いつも飛び跳ねるようになった。母が「飛び跳ねるのを辞めなさい」と言うと、「でもこうやってジャンプしてないと、頭がおかしくなりそうになる」と泣きそうな顔で言ったらしい。

私もジャンプしていたことはなんとなく覚えている。多分、そうやって身体を動かして気をまぎらわさないと、心が耐えられなかったのだと思う。

それから、テレビで少しでも暴力的なシーンが出てくると、泣き叫んで怖がるようになった。

今でも覚えているのが、何かのドラマで、主婦が腹立つ出来事を思い出して食材をキッチンに投げ散らかすシーンがあって、それがすごく怖くて何ヵ月も怯えていたことだ

 

ここからの父と母のやり取りは弁護士を挟んだものになるが、母は裁判所に、私が父に性的ないたずらをされたと証言し、父に会わせないことを要求した。

母は嘘の証言をしたのだ。いや、その時の母にとってはきっと嘘ではなかった。母は私を守るため、最大限の誇張をしたのだ。

父にとっては相当にショッキングな出来事だっただろう。愛する娘を奪われ、おまけに自分の尊厳まで破壊されたのだから。

母がやったことは、一般的に見れば、間違いだっただろう。父を傷つける、良くないことだったと思う。

だが子供を持つ私は、母を責めることがどうしてもできない。

私の夫は素晴らしい男性なので、正直まったく想像できない話だが…もし夫と娘が二人きりで1週間生活した結果、娘の情緒が明らかにおかしくなったら、私も同じことをするかもしれない。

私は子供が狂わされることよりも、自分が鬼になることを選ぶ。

 

 

  • どうして私の情緒がおかしくなったのか

父が私にしたことは、性的虐待では無かったが、精神的虐待ではあったと思う。

離婚のショックに加えて、毎晩のように母のとんでもない悪口を聞かされたことが、私は辛かったのだと思う。そのせいで、私は母のママ友から見てわかるぐらいおかしくなってしまったのだと思う。

また私が感受性が強かったから、ショックが大きかったのかもしれない。

だが、父は私にしたことを、虐待とは気付いてないと思う

なぜなら父は、小さい頃に同じように自分の育ての親から、出て行った母親への悪口を聞かされていたらしいからだ。

父は自分がされたことを、繰り返していただけなのだ。なんなら、自分が聞かされていた悪口よりずっとマシだから大丈夫と考えていた気がする。

 

海外に住む伯母が言っていた。小さい頃、家ではいつも育ての親から、母親の悪口を毎晩のように聞かされた後、「お前はもし母親が乞食になってたら助けるか?」と尋ねられていたと。

伯母や父は「見捨てる」と言わなければならなかった。そうやって忠誠を誓わされていたと。

つまり父も、精神的虐待の被害者なのだ。

父も、父の育ての親たちも、自分が虐待をしてるという意識はなかったはずだ。父は育ての親たちから、とても甘やかされていたと聞くし、私も父からはとても甘やかされていた。

彼らは、子供を愛しているし、衣食住に不自由なく、むしろおもちゃやお菓子だって積極的に買い与えてるのだから、実の親の悪口を言っても、それが虐待になるわけないと思っていただろう。

実親の悪口を聞かせることが、どれだけ子供の尊厳を傷つけ、辛い思いをさせるかを、彼らはわかっていなかったのだろう。

 

私が成人した後の話だが、父がある時、「僕はお母さんの悪口なんて言ったことがないよ。自分が母親の悪口を言われて辛かったから、そんなことするわけないじゃないか」と、伯母(当時一時帰国していた)と一緒に言っていて、ギョッとしたことがある。

父は私に、母がオウム真理教に入信して人々を虐待してるとか、祖父にゴキブリを食わせられると言ったことを、全く覚えてないらしいのだ。

いや、覚えていたとしても、多分父は、自分が言われてきたことよりもずっとマシだから良いと考えたか、明らかな冗談だから許されると考えていたのだろう。

だが当時6歳の私に、それが冗談だとわかるだろうか?私は本気にしたし、心の底から恐怖を感じた。

 

一連の出来事の中で、私はこのことが一番辛かった。

自分が受けた精神的虐待を、父が無かったことにして、伯母も信じてくれなかった(父はいつも伯母の前では、自分が悪かったと言って母のことを責めなかったから、私が父から母の悪口を聞いたことを信じてくれなかった)こと、父は当時私の様子がおかしくなっていたことに気づいてないこと、伯母も海外にいたから私がおかしくなったことを知らないこと、その結果父と伯母の中では、母が自分のために嘘をついた人扱いになっていること、助けてくれた近所のママ友も、父の中では"母に悪口を吹き込んで夫婦仲を引き裂いた極悪人"の扱いになってることが、何よりも悔しくて、今でもすごく辛い。

 

多分この離婚問題の頃は、父自身もショックが大きくて父の情緒もメチャクチャになってたと思う。だから父は、私の情緒がおかしくなってることにも気づけなかったし、自分がしてることがおかしいことにも気づかなかった気もしている。

 

こうして父と母の離婚は泥沼化してしまった。

 

  • 父との再会

しかし、父は私のことを諦めなかった。

彼は私との面会する権利を求めて、高等裁判所まで行ったのだ。

母の嘘はそこで暴かれ、母は裁判長に叱られたらしい。

父はこうして私と面会する権利を勝ち取った。

離婚してから3年の月日が経っていた。私は確か小学4年生だった。

 

再会してから、父はいつも「お母さんに、お前の一番可愛い時期を奪われた」と言っていた。

私はそれがすごく嫌だった。今の自分には価値がないと言われてる気がした。

父はおそらく、自分が被害者側であることをアピールすべく言ったのだろうが、その一言でどれだけ私を傷つけていたか、わかっていなかっただろう。

 

 

 

さて、一連の問題で、悪いのは誰だろう?

私は、誰も悪いとは思えない。

父も母も未熟なところがあって、時代も悪かった。今ならネットで情報を集めたり、ボイスレコーダーやビデオで証拠を撮るのも楽だっただろう。海外に住む伯母に相談もできただろう。

ひとつ言えることは、二人とも自分のトラウマに苦しみ、私のことを思った結果やったことで、ただそのやり方を間違えてしまったということだ。

 

母自身、小さい頃は両親(私にとっての祖父母)が喧嘩ばかりしていて、辛かったそうだ。

母はいつも『喧嘩している姿を子供に見せるぐらいなら、離婚した方がマシ』と思っていたらしい。

 

父は全く逆の考えだった。

父は赤ちゃんの時に実母(私にとっての祖母)が離婚して出ていったが、死ぬ間際に再会している。父はその時学生だった。

死ぬ直前、祖母は「ねえさん」と言って亡くなったそうだ。

私の祖母はドイツ人で、戦争中に実親がドイツに帰り、長崎の日本人の養父母に育てられた。

だから祖母にとっての「ねえさん」というのは、血のつながらない、養子先の娘のことである。

父はこのことが大変ショックだったらしい。

死ぬ間際に、血の繋がっている子供ではなく、子供時代に一緒に暮らした血のつながらない姉を呼んだことが。

このことで、父は、『一緒に過ごさないと家族ではない』と思うようになったらしい。だから父は、離婚して私と離れることを恐れたのだ。

幼少期のトラウマに加えて、この出来事も、離婚する時に父の情緒がおかしくなった要因だった。

 

お互いがお互いの信念のもとに、それぞれ最善と思う行動をし、それが噛み合わなかった結果、離婚問題は泥沼化してしまったのだ。

 

ただもし、私が父とあのままずっと一緒に暮らしていたら、私は毎晩母の悪口を聞かされて頭がおかしくなっていたか、物質的にひたすら甘やかされてダメ人間になっていたと思う。

父は私のことを可愛がって甘やかしてはくれたが、きちんと育児していたかというと微妙だ。とはいえ、それが当時の平均的な父親の姿とも思う。

私が結婚して父を家に招待した時、父は私と夫が協力して育児をしてるのを見て、感銘を受けたそうだ。

「自分もあんなふうに育児に協力していたら、もっと違っていたかな」と、伯母に言っていたらしい。

 

父と暮らしてから様子がおかしくなってしまった私だが、母と暮らして数年経つと、情緒も安定して、何もない時に飛び跳ねることはなくなった。辛い出来事も忘れていった。だから私は、母と暮らして良かったと思っている。

ワガママで育てづらい私を辛抱強く育ててくれた母は、すごいと思う。

 

 

私は母に育てられたので、どうしても母寄りの意見になってしまっていると思う。

しかし父のことを知る他の人と話してもやはり、父に色々と問題があったのは事実だと感じている。

父は母と離婚してからも2回結婚に失敗しているので、家庭に人一倍憧れがありつつも家庭に向いてないタイプだったのかなと思っている。

 

もちろん母にも多分、問題はあっただろう。

父が母に対して我慢したり、嫌な気持ちになったこともあったと思う。

 

父は昔、母に自分の祖母を陰で「クソババア」と言われて傷ついたことがあったという。

母は多分、そのことを覚えていない。

父はいつも育ての親の一人である祖母を大事にしていたから、母は事あるごとに自分より祖母を優先されたことに傷ついて、そんな暴言が出たんだと思う。

母は昔から姉と比べられて育ったせいで、自分が他人より軽視されてると感じることにとても敏感な性格だ。

だからこれは事実だと思う。

父は母にそんなトラウマがあって、そんな暴言が出たことを知らない。

母も父が、そのことにとても傷ついていたことを知らない。

 

それから以前、結婚した時に母が騙されてお金を失ったことがあるという話も父はしていた。

これも事実かなと私は思っている。

今の母も、スピリチュアルが好きでしょっちゅう胡散臭いものに騙されているから。

そんな母の騙されやすい性格に、父も嫌な思いをしたり、我慢したりしたことが沢山あったと思う。

 

父も母もある時には被害者になり、加害者になっている。

 

私は子供の時、テレビドラマや映画で口論になるシーンがあると、いつも母に

「これ、どっちが悪者なん?」と聞いていた。

母はいつも「どっちも悪いな」と言っていた。

私にはその意味がわからなかった。その時は、喧嘩は正義と悪がやるものだと思っていた。

大人になって、両親の離婚では、父も母もお互いに被害者であり、加害者であったのだなと理解できるようになった。

 

 

共同親権について

以上が私の生まれ育った経緯であるが、では母の連れ去りを仕方ないと感じる私が共同親権に反対かというと、そうではない。

今の私は正直、どちらがいいかわからない。

ただ、ぶっちゃけると、共同親権に声高に反対する人たちが、私はあまり信頼できないなと思っている。

 

誰が言ってるかではなく、何を言ってるかで判断した方が良いと言われるかもしれないけれど、

これまでの行動に信頼できない人たちが声高に主張してることは、何かの思惑を持って言っている気がしてしまう。

 

以前、怒りの感情をもって行動したり、自分の意見と反対の人を「敵」と見做して行動すると、大抵良くない結果になるから、私は怒りを感じている時はあまり行動をしないようにしてる…って話をしたことがあるんだけど、

共同親権に反対してる人って、怒りを原動力に声を上げてる気がしていて、また反対派を「敵」と認識して声を上げてる印象を受けるから、それが良くない結果に繋がる気がしてる。

逆に、やたらと共同親権を推す人でも、その人が怒りを原動力に単独親権派を敵とみなして行動しているなら、気をつけた方がいいと思う。

どちらを導入するにしても、怒りをもとに方針を決定するのが一番良くないと思っている。

 

単独親権だろうが、共同親権だろうが、一番大切なことは、元夫や元妻の悪口を子供に聞かせないことだと私は考えている。

親の悪口を聞かせることは、虐待だ。

たとえそれが冗談であっても。些細なことであっても。

親は、どれだけ悪い部分があっても、その子供の血が繋がっている存在だ。

親の悪口を言うことは、子供本人を侮辱することと同じなのだ。

 

私の母は、その点はちゃんとしていた。

私は母が父のことを恐れていることも、嫌っていることもなんとなく感じ取ってはいたが、それでも母は父の悪口は言わなかった。

かわりに「お父さんは、とても賢い人だったよ」と言っていた。

離婚の経緯を知ったのも、私が成人してからだ。

 

私が父のもとにいておかしくなったのは、離婚のショックもあったろうけど、父に母のことを悪く言われていたのが一番大きいと思う。

大学の時にも、父から母のことを悪く言われたことがあって、過去の記憶が一切無い状態でもとても苦しかった。

身が引き裂かれるような感覚になった。

だから、子供の前で父親や母親の悪口を言うことは、子供の心を引き裂くような行為だと私は思っている。

愛する子供の身を引き裂くことなど、恐ろしくてできないだろう。

それと同じで、心を引き裂くようなことはしてはいけない。

別に無理して褒める必要も無いと思う。相手の悪い部分しか見えないなら、何も言わず黙ってる方がずっと良い。

 

 

離婚はどうすれば泥沼化しなかったか

私の父と母を狂わせたのは、感情であったと思う。

父は幼少期に母親を侮辱された悲しみや、家族を失う恐怖に。

母は私の様子がおかしくなった恐怖と怒りに。

 

もし、彼らが自分の感情に向き合って消化し、冷静な視点を得ていたら、もっと違った未来もあったかもしれない。

とは言っても過去は変えられないわけで、そう考えると切なくなるけれど、幸い今は私は父とも母とも関係が良好で、

私が夫と仲良く暮らしていることを、二人ともとても喜んでいることは本当に有難いなと思う。

 

 

連れ去りは、できればしない方が良い

我が家の場合は、連れ去っても仕方ない事情があったと思うが、私は基本的には連れ去りはしない方が良いと思う。勿論DVなどの、危害がある場合は別だ。

何故なら、連れ去りで一番大変な思いをするのは子供だからだ。

 

連れ去るなら、もう2度と相手を頼らない覚悟でやるべきだ。全ての縁を断ち切り、何ももらわない覚悟がない限りやるべきではない。

養育費は払ってもらうけど連れ去ります…というのは、恩義だけ受け取って子供と引き離すことは、問題を泥沼化させて倍以上大変なことにしてから子供に背負わせることになる。

 

養育費は子供の権利だから貰って当たり前でしょう?連れ去っても貰うのが当然だ!そう考える人もいるだろう。

それもまた正しい考え方かもしれないし、私も子供の時はそう考えていた。

だがこの考え方は、幸せを感じづらいのだ。だから私はお勧めしない。

 

母は離婚してから全ての生活レベルを最低に落としたらしい。私達はナメクジがしょっちゅう出るボロい文化住宅で貧しい暮らしをした。

その頃の母と私は生きていくのに必死で、貰えるものは貰っておけ、貰って当然の権利だ!の精神で父から養育費もきっちり払ってもらっていたが、

この考え方をすると、どれだけ有難い環境にいても、感謝ができなくなる。

感謝ができないと満足感が湧かないので、いつまでも満たされない感じがする。そしてもっともっと欲しくなる。

だが当然だと考えているから、それでも満たされることはない。

妖怪の世界に餓鬼というのがいるが、まさしく餓鬼の状態になってしまうのだ。

 

私は貰えるもんは貰っておけ!当然の権利だ!と考えていた昔よりも、貰えることに感謝を心がける今の方が物欲が無いし、いつも満たされている感覚がある。

不思議なことに、そうして満たされていると逆に物をもらったり、欲しいものがちょうど手に入ることも多い。

 

親が養育費を払うのは当たり前のことかもしれないが、それでも払ってもらうことに敬意と感謝は必要だと思う。

それは親のためではなく、子供が幸せな人生を形成するのに必要なことなのだ。

親が、当たり前でしょと思いながら受け取る姿を見ると、子供も当たり前と思いながら受け取るようになる。それは子供を餓鬼の道に堕とす行為なのだ。

連れ去りながら、感謝や敬意を持って養育費を受け取ることが可能だろうか?私は、それはかなり難しいことだと思う。

だから、縁を全て断ち切る覚悟がない限りは、連れ去りはしない方が良いと思う。

 

 

私は、父に養育費を払ってもらったし、面会のたびにたくさんのおもちゃや洋服を買ってもらっていた。学生時代には年金も払ってもらった。金銭的には本当に助けてもらった。

その恩義があったから、自分が結婚するときに、結婚式に父を呼ぶことに決めた。

だが、このことで母や父と大きく揉めた。

それがきっかけでPTSDを発症し、体が震えたり泣き叫んでしまったりした時期がある。

父と母の板挟みになりながら結婚式のことを決めるのは本当に大変だった。

縁を切るほうがずっと楽だったと思う。

なぜ縁を切らなかったかと言えば、これも話がまた長くなってしまうのだが、

私には尊敬する恩人がいて、その人が父親から酷い仕打ちを受けてもなお父を見捨てない人だったから、その恩人を見習って縁を切らなかった。

もし、私が父から何も金銭的な援助を受け取ることがなく、父のことを完全に嫌いだったなら、縁を切れたかもしれない。

でも、父の優しさや愛情、恩義があったから、やっぱりそれはできなかったし、しなくて良かったと思う。

今、孫の写真を見てとても喜ぶ父を見ると、「僕が築きたかった幸せな家庭を、ももちゃんが築いてくれて良かった」と言ってくれる父を見ると、この選択をして本当に良かったと感じる。

 

 

家族は大事

基本的に、相手に相当な問題が無い限りは、私は家族は大切にした方が良いと思うし、DVなどの深刻な問題がないならば、はなから離婚を視野にいれない方が良いと思う。

というか、離婚せずに仲良く暮らす努力をまずはして、どうしても無理な場合は離婚したら良いと思う。

離婚したとしても、例えば暴力を振るうとか、お金をせびるとかでなければ、面会もした方が良いと思う。

 

何故なら、両親は子供にとっての人間関係の手本だからだ。

子供は親を見て人間関係を学ぶ。

 

私の後輩で、恋愛がうまくいかない女性がいる。

その女性に彼氏のことで相談された時、私が「彼氏に自分の気持ちをこんな言い方で伝えたら良かったんじゃ無いかな」とアドバイスしたら、後輩は涙を流し始めた。

「私今まで、彼氏にそんな優しい言い方をしたことが無かったです」と言うのだ。

彼女の育った家族はみな仲が悪く、いつもギスギスしていたそうだ。

彼女はそんな中で、家庭を明るくしようといつも道化のように振る舞い、無理していた。

外でもそれは変わらなかった。かわりに、付き合った人に対しては甘えた。自分の汚い部分も全て見せようとした。

だから彼氏には口調もキツくなり、事情や立場を考えずに依存してしまうようになり、恋愛がうまくいかなくなったという。

 

彼女の家の場合は両親が離婚していないが、子供がどれほど親のコミュニケーションの影響を受けるかが良くわかるだろう。

 

私も、小さい頃はいつも両親が揉めていたし、両親が離婚してからは母と二人暮らしで多様なコミュニケーションをする機会がなかったから、若い頃は人間関係でかなり苦労した。

 

 

また、今の世の中はよく多様性が叫ばれるが、さまざまな意見や考え方を持つ人を尊重するのが多様性を認めることならば、

夫婦で意見が合わない時、すぐに離婚するのが多様性ではなく、お互いの意見をどう尊重してすりあわせていくかが、真の多様性を認める行為だと思う。

 

多様性を叫ぶ人ほど、新しい家族の形と言ってすぐに離婚することを薦めるように見えるが、それは多様性ではない。ただ自分と違う存在を排除しているだけだ。

 

価値観や考え方が違う人を認め合うことが多様性ならば、まずは一番近しい人とそれができるようになるべきで、それができるのなら離婚は必要がなくなるのではと思う。また、離婚したとしても良好な関係でコミュニケーションが取れるはずだ。

 

こうして両親がお互いの意見を尊重したり、擦り合わせたりしていく姿を見せることで、子供は自分と違う意見の人間と対立した時にどうするかや、喧嘩した時にどう仲直りするかを学ぶことができるのだ。

 

だから、夫と意見が合わないから、とか、言わないと家事を手伝ってくれないから、という簡単な理由なら、離婚するよりもまずは仲良くなる方法を探れば良いと思う。

 

意見が合わないなら、子供達に、どうすれば意見をすり合わせられるかの手本になれる。

言わないとわかってくれない人なら、子供達に、「言って伝える」ことの大切を学ばせられる。

 

私の場合は、家族を通じて人間関係の築き方というのをあまり学べなかったから、20代の時はメンヘラ性悪モンスターになってしまったんだけど、

それであまりに痛い目に合いつづけるから、これじゃいかん!と色々な本を読んで勉強して、それでコミュニケーションのとり方をかなり矯正した。

夫婦関係、男女関係に関して一番勉強になったのはジョン・グレイ氏の本だ。

この作者、今は胡散臭いセミナーやってるみたいで残念だが、この本に書いてあることは本当に参考になるし、私は何十回と読み返した。

夫婦関係でうまく行ってない人は、この本を参考にコミュニケーションしてみて、それでもうまくいかないなら離婚…としても遅くないと思う。(勿論、DVのような直接命に関わる問題がある相手ならすぐ逃げてほしい!)

 

もちろん世の中には、こちらがどれだけ変わる努力をしても変わらない人がいるのは事実だから、相手がそんな人ならば、離婚する方が良いと思う。

 

 

親が嫌いな人へ

私の話を読んで、もし不快に思った人がいたなら申し訳ない。

私の場合は、両親が私を愛してくれていたからまだ恵まれている方だと思う。世の中には、本当に好きになれないような、というか嫌いにしかなれない親のいる人もいる。

私の友人にもいる。母親の再婚相手に暴力を振るわれたから母親ともども縁を切った子や、お金をせびる父親と縁を切った子、母子家庭なのに母親が駆け落ちして出て行った子もいる。

彼女たちが親と縁を切る選択をしたことは、私は間違いじゃなかったと思っている。

 

私が「血が繋がった親を侮辱することは、自分を侮辱することだ」と言ったことで、もし嫌な気持ちになったのならごめんなさい。

でも、もしあなたが嫌いな親に、良いところが1つでもあるなら、その部分は嫌いになる必要はないと私は思います。

私は、父に対して愛情と、憎みたい気持ちの両方がある時は本当に苦しかったです。

それは、「一人の人間には、一つの感情しか持ってはいけない」と考えていたからでした。

でも、一人の人間はいろんな要素の集合体で、好きな部分も嫌いな部分もあって良いと思えるようになってから、だいぶ楽になりました。

「あの人の、この部分は好きだけど、この部分は好きじゃない」という気持ちがあっていいのです。

だからもし、あなたが親に対して1つでも好きな部分、良いと思える部分があるなら、それは否定しなくていいと思います。

そして嫌いな部分も、嫌いなままでいいのです。

もし、そんな良い部分や、好きになれる部分が全くない親なら、嫌いなままでいいです。縁を切るのも当然です。

でも、親を嫌うことにもし、辛い気持ちになるなら、自分が繋がってる先祖の誰かに思いを馳せてみてください。別に特定の誰かで無くてよいのです。

あなたが血を受け継いだ人全てが嫌な人や、悪人では無かったはずです。あなたはかつていた、心優しい誰かの血を受け継いでると考えてみてください。

そうすると、少し心が温かくなりませんか(もしならなかったらごめんなさいね、私の言葉は無視していいです!)

自分の血を否定することは、辛いことです。それは自分自身の否定につながるからです。

だから、もし親御さんに好きなところが1つでもあるなら、その部分を好きになることは自分を肯定することにも繋がると思います。

好きなところが一つもないような酷い親御さんなら、無理して好きになる必要はないから、自分には優しいご先祖様の血が流れていると考えて欲しいのです。

そうすることが、自分自身の存在の肯定につながると思っています。

 

 

離婚したくないのに離婚を突きつけられた人へ

もし、あなたが「全く身に覚えがないのに…」「自分は相手を愛しているのに…」と思うなら、自分の内心が相手に伝わってる前提にいないか、を考えてみてください。

もし、「冗談だけど、好きだからわかってくれるだろう」「きついこと言ってるけど、好きだから許されるだろう」と考えて言ったことややったことがあるなら、それが原因かもしれません。

これからの言動は、全く内心が伝わらない前提でやってみてください。

自分の内心にある愛情は、伝えるのがこそばゆいし恥ずかしいものですが、それを素直に表現することこそが勇気だと私は思います。

 

あと、自分の感情を善悪のバロメーターと捉えていないか?を考えてみてください。

ネットで叩かれるような人、自分がされることには敏感なのに他人に対しては横暴な人というのは総じてこの考え方をしています。昔の私もそうでした。

自分が悲しい気持ちな時は自分が被害者だし、自分が怒っている時は自分が正しい!そう思っていました。だってこの強く湧き出る感情が証拠だ!そう考えていました。

でも違うんです。自分の感情は、社会的に見た善悪とまるで関係がないのです。

自分が加害者であっても悲しい感情をもつことはあるし、自分が間違ってても怒りを感じる時はあります。

感情はあくまで、自分が何にトラウマを持ってるかや、自分にどんな思考のこだわりがあるかや、自分の状態をわかりやすく伝えてくれる便利なバロメータではあるんですが、それが適用されるのはあくまで自分自身だけで、他人や社会には関係ないんです。

自分の感情を善悪の指標にしてしまうと、たとえば相手のちょっとした言葉に腹が立って暴力を振るうことも、「強い怒りを感じたからやったことで仕方ない、自分は正しい」と肯定されることになります。

だからこの考え方は本当に怖いです。

私自身ずっとこの考え方をやってしまってたのですが、それが間違いだったと気づいた時、客観的に見たら自分が悲劇のヒロインでもなんでもないただの性格の悪い人間だったと気づいた時、めちゃくちゃ恥ずかしくなったし落ち込みました。

 

もちろん相手に原因があるのに離婚されるパターンもあると思います。その場合は私の話は参考になさらなくて良いと思います。

 

 

子供を連れ去っている人へ

あなたが連れ去る理由は、恐怖でしょうか?それとも、元嫁や元夫と交渉するのが面倒臭いからでしょうか?

恐怖の場合、それは過去のトラウマ(親から厳しく叱責されたり、両親が不仲だったり)に起因する恐怖でしょうか?

それとも、何をしでかすかわからない相手への恐怖でしょうか?

 

DVをしてきたなど、何をしでかすかわからない相手への恐怖であれば、連れ去るのは仕方ないと私は思います。

 

でも、私の父が最初私を連れ去ろうとしたように、もし過去のトラウマが原因であれば、そのトラウマに向き合うこと…心療内科などに行ってみるのも手かもしれません。

過去のトラウマが薄くなって、恐怖がなくなると、相手と話し合う勇気が出るかもしれません。

 

もし、相手ときちんと話し合うのが面倒臭いという理由で連れ去るのであれば、それはやめた方がいいと私は思います。

面倒臭いことから逃げたら、それはさらに面倒臭いことになって未来の自分にのしかかります。

 

 

 

最後に

私が両親の離婚や連れ去りで最も辛かったことは、母の悪口を聞かされたことともう一つ、父のことも母のことも信じられなかったことです。

 

離婚してからの父が語る母の姿は、父の尊厳を傷つける嘘をついてまで私を無理矢理奪った残酷な女性でした。

私は狼狽しました。私の目の前にいる母は、人から騙されることは多くても、人のものを奪ったり、自分のために嘘をついたり、騙したりするような女性では無かったからです。

でも父は、自分がどれだけ母から傷つけられたかをいつも寂しそうに語るのです。

私の頭は常に混乱していました。

大好きな母が、裏でそんな恐ろしいことをしていたらどうしようと、怖くて仕方ありませんでした。

 

大きくなって、色んな経験をしたり人々と接したり両親を観察するうちにわかったのは、私の目から見る母の姿は私にとって真実だし、父の目から見える母の姿もまた父にとっては真実だったということです。

 

父が語る母の姿は、影絵のようなものだった気がします。

父の心は、家族を失う恐怖の闇で覆われていて、その中で母の姿を照らし出すと、まるで大きな怪物のように映ってしまった気がするのです。

 

私の伯母は、以前こんなことを言っていました。

人間の姿というのは平面ではなくて、奥行きがある立体なの、だからその人に見えないいろんな部分があるのよ、と。

私は父や母の幼少期の話を聞いてようやく、2人の間にいろいろな誤解が生まれてしまったことを理解しました。

 

一番身近な存在が信じられないというのは、子供にとっては暗闇の中1人で崖の上を歩けと言われるようなものです。

それは辛く、寂しく、怖いことです。

 

大きくなってから、父も母も私を騙そうとしたのではなく、ただ未熟で必死だったのだなとわかった時は、ホッとしました。

そして過去の辛いことを、許せるようになりました。

 

私は自分のように、辛い思いをする子供が少しでも減って欲しいと思います。

 

今この話を読んでるあなたが、何か問題に悩んでいるのなら、それが少しでも良い方向に運ぶことを祈っています。

 

とても長くてまとまりのない話を、読んでくださってありがとうございました。

 

 

追記(2024 1/7 23:19)

そういえば、私が離婚で辛かったのは、

「親が揉めるのは自分のせいだ」

「自分が一人っ子だからお母さんとお父さんは取り合いになって喧嘩になるんだ」

と思ってるのもあったなあと思い出した。

 

実際、父からも、高校か大学かぐらいのときに、「お前のせいで離婚した」と言われたことがある。(でもこの時の父は精神的に参ってた時期だったから、そんなことを口走ったのだと思う)

母はそのことを全否定していたけどね。

もしかしたら、父と暮らしていた6歳の時にそんな言葉をかけられた可能性もあるのかもしれない。

でも、父から言われてなかったとしても、自分のせいだと思っていたのは変わらなかったかも。

 

昔、塾で働いていた時に、親御さんが不仲の生徒がいて、

その子も「自分のせいで」と思い詰めていて、そんなことないよと伝えたことがあった。

親の仲が悪いと子供は自分に責任があると思ってしまうんだよね。

 

もしかしたらそんな自分を責める気持ちが、離婚の時に私の様子がおかしくなった原因のひとつだったのかもなと思って、書き残すことにしました。