感情の考察、日常の幸福

読んだからとて奇跡は起きないけれど、自分の心に素直になれたり、日常の細やかな幸せに気がつくことができたりするような、そんなブログを目指しています。

子供の連れ去り問題で思うこと色々(追記あり)

最近、共同親権とか子供の連れ去りとかが世間を賑わせてるけど、この話題は私も書きたいな〜と前々から思ってた。

なぜなら私自身が約30年前の連れ去られた子供本人だからだ。

思いつくままに文章を書いていくので、すごく長くなるし、まとまりも無いし、読みづらいかもしれないけど、許してほしい。

 

 

両親の離婚と連れ去りの経緯

 

私の両親は約30年前に離婚した。

離婚の原因は、色々ある。

母親と父親の言い分が違うところがあるから、どちらかが嘘をついてる可能性もあるけど、30年以上両親を観察して、自分なりに「この部分は誇張だな」とか「これはこっちの言い分が正しいな」とか「これが原因で誤解が起きたな」というのは大体なんとなくわかるようになったので、私の推測を元に書く。

推測ベースだし、個人的な話なので、興味なければ読み飛ばしてもらってかまわない。

 

  • 元々父はモラハラ気質で、母を蔑ろにする言動が多かった

例えば新婚の時の引っ越しの挨拶で「家政婦です」と母のことを紹介したり、元恋人を家に勝手に招待したりしたというエピソードがある。

からしたら、自分を家政婦扱いされたり、過去の恋人を家に招き入れたりしたことは、自分を軽視されてると感じる出来事で、父への不信感をつのらせていった。

だが父には恐らく、悪意はなかったと思われる。

多分父は照れ隠しで「家政婦」と言ったと思うし、元恋人には純粋に今の幸せを見せつけたかったんだろうなと思う。

これ、モラハラする男性が陥りやすい思考だと思うんだけど、彼らは「自分の内心は相手に伝わってるはず」と信じている節がある(と私は考えてる)。それが彼らが理解できない行動になる原因なのだ。

内心は伝わるはずだから、どれだけ相手に失礼なことをしても、相手のことを好きだと思ってたら許されると思っているのだ。

実際私にも「化粧しなかったら全然顔違うなw」と馬鹿にしてきたりする。

だが、陰では父は私のことをいつも気にかけて、伯母に対しても「あの子は傷つきやすいから、気が強い姉ちゃんはキツイ言葉かけんといてや」と言っていたことを、私は後で伯母に聞かされて知った。

何故その配慮を自分自身にはできなかったのは謎だが、小学生男子が好きな子をいじめる心理と一緒なのだと思う。

父はもっと素直に自分の愛情や優しさを表現していたら、変に誤解をされることなくずっと生きやすかっただろうに…と思うことがある。

 

こういうタイプの男性と付き合うのなら、めちゃくちゃ自信があってイヤなことをイヤとはっきり言える気が強い女性の方が良いだろう。(しかしこの手の男性はそう言う女性になんとなく劣等感と拒否感を持ち、自己肯定感の弱い女性を狙うケースが多いのであまり意味がないかもしれない)

或いは、伯母のような彼の内心を伝えてくれる存在が近くにいれば良かったかもしれない。(伯母は海外にいたので、滅多に会えないのが残念だった)

残念なことに、母は自己肯定感が低く、その場で言い返したり、自分が許せることと許せないことの線引きをきちんと伝えられないタイプだった。伯母にも苦手意識があり、仲良く無かった。それも不幸だった。

 

  • ある時父は、母に浮気してることを浮気相手の写真と共に自慢し、「この人と一緒になるから別れよう」と言ったので母が了承したら父の情緒が不安定になった

最初聞いた時はアホとちゃうか、と思った。多分試し行動だったんだろうな…と思う。

さっきも言った通り、母は自己肯定感が低く、父の言うことでイヤなことであってもYESを言い続けてしまった。我慢し続けてしまった。

最初の方で、きちんと線引きすれば良かった、これは母に責任のあることだと思う。

男性は、本当に嫌な時は嫌だと言うはずと考えるものらしい。だから男性とコミュニケーションを取る時、嫌なことに最初からNOと言うことはとても大事なんだけど、母はYESを言い続けてしまったのだ…

 

からしたら、何をしても許してくれていたはずの母が想定外の返答をしたことで、裏切られたって気持ちにすごくなったと思う。多分、父的には、「やだ〜!別れないで〜(>_<)」ってすがってほしかったんだと思う。

そして、なぜ父の情緒が不安定になったのかと言うと、父には実の両親に見捨てられた(父が小さい頃、両親は離婚して、実母は出て行き、実父は育児せずにどこかへ行ったので、父や伯母は祖父母や曽祖父母に育てられた)ってトラウマがあったから。

 

この試し行動をしたのも、そのトラウマのせいだったと思う。どれだけ不快なことをしても、自分を見捨てないでくれるか確かめたいって期待があったと思う。

母はよく父のことを「私のことを妻じゃなくて母親として見てたと思う」って言ってたんだけど、私もそう思う。

 

ところで、浮気するなら別れたらええやん!って思う人もいるかもしれないけど、こういう人って浮気は許されるけど妻から切り出される離婚は裏切りって思うみたいなんだよね。

さっきも、モラハラ気質の人は自分の内心は相手に伝わってるはずという思い込みがあると解説したけど、彼らにとって浮気とは、内心で妻を好きと思っていればその愛は伝わるから許されるもので、離婚を宣告されるのは、自分の内心を無視した裏切りになるわけだ。

私の友人で、モラハラ浮気性の男性と離婚した子がいるんだけど、その子も「そんなに恋愛したいなら離婚すればええやん!」と思って離婚しようとしたら、元夫はどうにかして離婚を回避しようとしたらしい。その元夫も、実親から捨てられたトラウマがある人だった。

親から見捨てられたという意識がある人にとって、配偶者って特別に自分の血縁を感じられる異性だから、そういう人にとって離婚は、自分が永遠の孤独に堕とされるものすごい恐怖の出来事なんだろなと思う。

だから父の情緒が不安定になった。

離婚する!とやっぱり離婚しない!を繰り返すようになってたらしい。母はそれに振り回されるのが疲れて、ますます離婚に前向きになっていった。

 

じゃあ、母がこの浮気を許し、離婚しないでとすがれば良かったのか?だけど、これは明確に違うと言える。

多分、当時の父の心にはどれだけ母に甘やかされても埋められない空洞があって、その空洞を埋める正しい方法は内観して自分のトラウマに向き合うことだったはずだけど、父は母に酷い仕打ちをすることでそれが埋められると勘違いしてた気がする。

だから結婚生活を続けていたら、更に母を傷つけることを言い出したんじゃないかな。

 

ちなみに最初にYESを言いすぎた母も、結婚生活の最後の方は、父に対して手紙を書いたり、色々と自分の気持ちを伝える努力をしていたらしい。

けど、その時にはもう手遅れだったようだ。

 

そういえば、母も友人も離婚について同じこと言ってたのが印象的だった。

わたしの愛でいつか彼が変わると思って結婚した、でも、わたしの力では変わらないとわかったから離婚を決めた」と。

 

浮気自慢、流石に嘘やろーと思う人もいるかもしれないけど、私はこれは本当にあったと睨んでる。

彼は何なら私の目の前でも、今の彼女に貢いでもらった自慢をしてたことがある。普通するか?実の娘の前で。

ただ、今ふと思ったが、浮気自体が事実だったのかはわからない。浮気自慢は事実でも、その浮気自体が狂言だった可能性もある。

母の気を引きたくて、してないのに浮気したと言ったのかもしれない。

その場合だと、母が離婚を承諾したことで父はより裏切られたと思っただろう。

 

そういえば、父は幼稚園の時の私によく「〇〇さんの奥さんの方が美人でええわ、あの人と結婚したいわ〜」と言っていた。私の目の前でも母のことを蔑ろにしていたのだ。多分これも照れ隠しだったんだろうけど、私は本気にして父は母のことなど好きではないと思っていた。こんな冗談を4-5歳の実の娘に対してやるのはおかしいと思うし、母にも私にもめちゃくちゃ失礼なことだ。

 

タイミングが悪かった。私達は被災した。父は母と私を母の実家に置いて、私たちの家に一人で残った。

からしたら、この不安な状況の中、家族で支え合いたかったのに、父が一人で行動したことでかなり冷めたらしい。

私が好意的に解釈すると、父は妻子を安全な場所に避難させて、自分が苦労をかぶるつもりだったのかもしれない。

ただ、父にはこの時代の話が地雷なので、父の真意は推測するしかないが…

この一件で母は更に父に冷めてしまった。

 

  • 後に引けなくなった父、私を連れ去る

離婚が決まってから、最初に私を連れ去ったのは父の方である。これは両者の話が食い違っているので、私の推測となるが、確かに私の記憶でも父と二人で暮らしていた時期がある。

親権を母が持つことが決まり、母が新居など探すためにひとまず私を連れていったん祖父母の家に住み始めた頃、父は遊園地に連れて行くと言って私を連れ出した。ところが時間が経っても帰ってこない。

父は私のことを可愛がっていたから、離婚がいよいよ現実のものとなって私が惜しくなったのかもしれないし、こうして強硬手段を取ることで母がすがって元に戻れると思ったのかもしれない。

「娘は僕が見るから、お前も早く家に帰って来い」という電話があったらしい。

母はパニックになった。

 

  • 私の情緒が不安定になる

父に連れ去られ、父と二人で暮らしはじめたら、私の様子がおかしくなった。それを近所に住む、母のママ友が気づいてくれた。

この時母は、一刻も早く私を取り返すべく、新居を探したり色々なことをしていたらしい。だから私を取り返すまでに一週間ほどかかってしまった。

 

私はこの時の記憶がほとんどない。思い出そうとすると、涙が出たり身体が震えたりする。

ただアルバムを見ると、この時期を境目に写真の表情が明らかに暗く変わっていることがわかる。

 

私のわずかな記憶では、父に「母方の祖父の家に行くとゴキブリを食わされるぞ」と言われたこと、「お前の母親はオウム真理教(当時世間を震撼させていた)をやっている」と言われたことは確かである。

 

私の変化に気づいたママ友は、母にすぐ連絡してくれた。「一刻も早く父親と離さないと、あの子は大変なことになる」と伝えてくれた。

母はこの時から鬼になった。

 

  • 母からの連れ去り、父に隠れて生活

父が何か大変なことを私にしてると思った母は、1週間でボロアパートを借りて、父のいない間に家財道具を全て持ち去り、私を連れて逃げた。

この時のことは私も覚えている。ずっと会えなかった母が、マンションの前で小学校帰りの私を見るなり駆けてきて、抱きしめながら、「ももちゃん、お母さんと一緒に暮らす?」と聞いてきたのだ。

私は母が大好きだったから嬉しくて、すぐに「うん!」と答えた。

この時母は、嫌だと言われたらどうしようかと思っていたらしいが…私が母を選んだことがとても嬉しかったららしい。

 

最初離婚が決まった時に母は、月に一度ぐらいは父に私を会わせるつもりだったらしい。娘にとっては大切な父親だからと。

しかし、父と暮らす私の様子が明らかにおかしくなったことで、父とはもう会わせない方がいいと判断した。

父に見つからないよう、珍しかった名前を隠し私は偽名で生活した。だから小学校の時のアルバムには私の顔で、今の私と全然違う名前が載っている。ちなみに名前は高校入学とともに戻した。

 

母は父から逃げて最初の1ヶ月、父に見つかると殺されるかもしれないという恐怖で眠れなかったという。父は母が私を連れて逃げたことに気づいて、母の実家に怒鳴り込みにきたらしい、この時祖父の首を絞めて警察を呼んだと聞かされたが、父はそんなこと無かったと言う。これはどちらが正しいかわからないが、本当にあったとしてもおかしくないし、父がそんな反応をしたとしても仕方ないのかなと私は思う。

 

私にも、母の恐怖は伝わっていた。

父と普通に連絡を取る今でも私は、誰かに自分の生活が見つかることに異様に恐怖を感じる。私のことなんてそこまで興味ある人いるはずないのに、いつかどこかの誰かに見つかって何か大変なことになるのではといううっすらとした恐怖を常に抱えている。

そのおかげでTwitterに無闇に自分の情報を出さないで済んでいるので、ある意味自衛になっているかもしれないが。

 

父と暮らしてからすっかり様子がおかしくなった私を見て、母は多分、性的虐待を疑った。

私が小学一年生という幼さだったのも、そう疑う要因になったと思う。性的な知識もないし、自分に起きたことをうまく説明する能力もない年齢だ。

 

私は父と暮らしてから、それまではお転婆だったのに、人が変わったようにずっとぼんやりとするようになったし、いつも飛び跳ねるようになった。母が「飛び跳ねるのを辞めなさい」と言うと、「でもこうやってジャンプしてないと、頭がおかしくなりそうになる」と泣きそうな顔で言ったらしい。

私もジャンプしていたことはなんとなく覚えている。多分、そうやって身体を動かして気をまぎらわさないと、心が耐えられなかったのだと思う。

それから、テレビで少しでも暴力的なシーンが出てくると、泣き叫んで怖がるようになった。

今でも覚えているのが、何かのドラマで、主婦が腹立つ出来事を思い出して食材をキッチンに投げ散らかすシーンがあって、それがすごく怖くて何ヵ月も怯えていたことだ

 

ここからの父と母のやり取りは弁護士を挟んだものになるが、母は裁判所に、私が父に性的ないたずらをされたと証言し、父に会わせないことを要求した。

母は嘘の証言をしたのだ。いや、その時の母にとってはきっと嘘ではなかった。母は私を守るため、最大限の誇張をしたのだ。

父にとっては相当にショッキングな出来事だっただろう。愛する娘を奪われ、おまけに自分の尊厳まで破壊されたのだから。

母がやったことは、一般的に見れば、間違いだっただろう。父を傷つける、良くないことだったと思う。

だが子供を持つ私は、母を責めることがどうしてもできない。

私の夫は素晴らしい男性なので、正直まったく想像できない話だが…もし夫と娘が二人きりで1週間生活した結果、娘の情緒が明らかにおかしくなったら、私も同じことをするかもしれない。

私は子供が狂わされることよりも、自分が鬼になることを選ぶ。

 

 

  • どうして私の情緒がおかしくなったのか

父が私にしたことは、性的虐待では無かったが、精神的虐待ではあったと思う。

離婚のショックに加えて、毎晩のように母のとんでもない悪口を聞かされたことが、私は辛かったのだと思う。そのせいで、私は母のママ友から見てわかるぐらいおかしくなってしまったのだと思う。

また私が感受性が強かったから、ショックが大きかったのかもしれない。

だが、父は私にしたことを、虐待とは気付いてないと思う

なぜなら父は、小さい頃に同じように自分の育ての親から、出て行った母親への悪口を聞かされていたらしいからだ。

父は自分がされたことを、繰り返していただけなのだ。なんなら、自分が聞かされていた悪口よりずっとマシだから大丈夫と考えていた気がする。

 

海外に住む伯母が言っていた。小さい頃、家ではいつも育ての親から、母親の悪口を毎晩のように聞かされた後、「お前はもし母親が乞食になってたら助けるか?」と尋ねられていたと。

伯母や父は「見捨てる」と言わなければならなかった。そうやって忠誠を誓わされていたと。

つまり父も、精神的虐待の被害者なのだ。

父も、父の育ての親たちも、自分が虐待をしてるという意識はなかったはずだ。父は育ての親たちから、とても甘やかされていたと聞くし、私も父からはとても甘やかされていた。

彼らは、子供を愛しているし、衣食住に不自由なく、むしろおもちゃやお菓子だって積極的に買い与えてるのだから、実の親の悪口を言っても、それが虐待になるわけないと思っていただろう。

実親の悪口を聞かせることが、どれだけ子供の尊厳を傷つけ、辛い思いをさせるかを、彼らはわかっていなかったのだろう。

 

私が成人した後の話だが、父がある時、「僕はお母さんの悪口なんて言ったことがないよ。自分が母親の悪口を言われて辛かったから、そんなことするわけないじゃないか」と、伯母(当時一時帰国していた)と一緒に言っていて、ギョッとしたことがある。

父は私に、母がオウム真理教に入信して人々を虐待してるとか、祖父にゴキブリを食わせられると言ったことを、全く覚えてないらしいのだ。

いや、覚えていたとしても、多分父は、自分が言われてきたことよりもずっとマシだから良いと考えたか、明らかな冗談だから許されると考えていたのだろう。

だが当時6歳の私に、それが冗談だとわかるだろうか?私は本気にしたし、心の底から恐怖を感じた。

 

一連の出来事の中で、私はこのことが一番辛かった。

自分が受けた精神的虐待を、父が無かったことにして、伯母も信じてくれなかった(父はいつも伯母の前では、自分が悪かったと言って母のことを責めなかったから、私が父から母の悪口を聞いたことを信じてくれなかった)こと、父は当時私の様子がおかしくなっていたことに気づいてないこと、伯母も海外にいたから私がおかしくなったことを知らないこと、その結果父と伯母の中では、母が自分のために嘘をついた人扱いになっていること、助けてくれた近所のママ友も、父の中では"母に悪口を吹き込んで夫婦仲を引き裂いた極悪人"の扱いになってることが、何よりも悔しくて、今でもすごく辛い。

 

多分この離婚問題の頃は、父自身もショックが大きくて父の情緒もメチャクチャになってたと思う。だから父は、私の情緒がおかしくなってることにも気づけなかったし、自分がしてることがおかしいことにも気づかなかった気もしている。

 

こうして父と母の離婚は泥沼化してしまった。

 

  • 父との再会

しかし、父は私のことを諦めなかった。

彼は私との面会する権利を求めて、高等裁判所まで行ったのだ。

母の嘘はそこで暴かれ、母は裁判長に叱られたらしい。

父はこうして私と面会する権利を勝ち取った。

離婚してから3年の月日が経っていた。私は確か小学4年生だった。

 

再会してから、父はいつも「お母さんに、お前の一番可愛い時期を奪われた」と言っていた。

私はそれがすごく嫌だった。今の自分には価値がないと言われてる気がした。

父はおそらく、自分が被害者側であることをアピールすべく言ったのだろうが、その一言でどれだけ私を傷つけていたか、わかっていなかっただろう。

 

 

 

さて、一連の問題で、悪いのは誰だろう?

私は、誰も悪いとは思えない。

父も母も未熟なところがあって、時代も悪かった。今ならネットで情報を集めたり、ボイスレコーダーやビデオで証拠を撮るのも楽だっただろう。海外に住む伯母に相談もできただろう。

ひとつ言えることは、二人とも自分のトラウマに苦しみ、私のことを思った結果やったことで、ただそのやり方を間違えてしまったということだ。

 

母自身、小さい頃は両親(私にとっての祖父母)が喧嘩ばかりしていて、辛かったそうだ。

母はいつも『喧嘩している姿を子供に見せるぐらいなら、離婚した方がマシ』と思っていたらしい。

 

父は全く逆の考えだった。

父は赤ちゃんの時に実母(私にとっての祖母)が離婚して出ていったが、死ぬ間際に再会している。父はその時学生だった。

死ぬ直前、祖母は「ねえさん」と言って亡くなったそうだ。

私の祖母はドイツ人で、戦争中に実親がドイツに帰り、長崎の日本人の養父母に育てられた。

だから祖母にとっての「ねえさん」というのは、血のつながらない、養子先の娘のことである。

父はこのことが大変ショックだったらしい。

死ぬ間際に、血の繋がっている子供ではなく、子供時代に一緒に暮らした血のつながらない姉を呼んだことが。

このことで、父は、『一緒に過ごさないと家族ではない』と思うようになったらしい。だから父は、離婚して私と離れることを恐れたのだ。

幼少期のトラウマに加えて、この出来事も、離婚する時に父の情緒がおかしくなった要因だった。

 

お互いがお互いの信念のもとに、それぞれ最善と思う行動をし、それが噛み合わなかった結果、離婚問題は泥沼化してしまったのだ。

 

ただもし、私が父とあのままずっと一緒に暮らしていたら、私は毎晩母の悪口を聞かされて頭がおかしくなっていたか、物質的にひたすら甘やかされてダメ人間になっていたと思う。

父は私のことを可愛がって甘やかしてはくれたが、きちんと育児していたかというと微妙だ。とはいえ、それが当時の平均的な父親の姿とも思う。

私が結婚して父を家に招待した時、父は私と夫が協力して育児をしてるのを見て、感銘を受けたそうだ。

「自分もあんなふうに育児に協力していたら、もっと違っていたかな」と、伯母に言っていたらしい。

 

父と暮らしてから様子がおかしくなってしまった私だが、母と暮らして数年経つと、情緒も安定して、何もない時に飛び跳ねることはなくなった。辛い出来事も忘れていった。だから私は、母と暮らして良かったと思っている。

ワガママで育てづらい私を辛抱強く育ててくれた母は、すごいと思う。

 

 

私は母に育てられたので、どうしても母寄りの意見になってしまっていると思う。

しかし父のことを知る他の人と話してもやはり、父に色々と問題があったのは事実だと感じている。

父は母と離婚してからも2回結婚に失敗しているので、家庭に人一倍憧れがありつつも家庭に向いてないタイプだったのかなと思っている。

 

もちろん母にも多分、問題はあっただろう。

父が母に対して我慢したり、嫌な気持ちになったこともあったと思う。

 

父は昔、母に自分の祖母を陰で「クソババア」と言われて傷ついたことがあったという。

母は多分、そのことを覚えていない。

父はいつも育ての親の一人である祖母を大事にしていたから、母は事あるごとに自分より祖母を優先されたことに傷ついて、そんな暴言が出たんだと思う。

母は昔から姉と比べられて育ったせいで、自分が他人より軽視されてると感じることにとても敏感な性格だ。

だからこれは事実だと思う。

父は母にそんなトラウマがあって、そんな暴言が出たことを知らない。

母も父が、そのことにとても傷ついていたことを知らない。

 

それから以前、結婚した時に母が騙されてお金を失ったことがあるという話も父はしていた。

これも事実かなと私は思っている。

今の母も、スピリチュアルが好きでしょっちゅう胡散臭いものに騙されているから。

そんな母の騙されやすい性格に、父も嫌な思いをしたり、我慢したりしたことが沢山あったと思う。

 

父も母もある時には被害者になり、加害者になっている。

 

私は子供の時、テレビドラマや映画で口論になるシーンがあると、いつも母に

「これ、どっちが悪者なん?」と聞いていた。

母はいつも「どっちも悪いな」と言っていた。

私にはその意味がわからなかった。その時は、喧嘩は正義と悪がやるものだと思っていた。

大人になって、両親の離婚では、父も母もお互いに被害者であり、加害者であったのだなと理解できるようになった。

 

 

共同親権について

以上が私の生まれ育った経緯であるが、では母の連れ去りを仕方ないと感じる私が共同親権に反対かというと、そうではない。

今の私は正直、どちらがいいかわからない。

ただ、ぶっちゃけると、共同親権に声高に反対する人たちが、私はあまり信頼できないなと思っている。

 

誰が言ってるかではなく、何を言ってるかで判断した方が良いと言われるかもしれないけれど、

これまでの行動に信頼できない人たちが声高に主張してることは、何かの思惑を持って言っている気がしてしまう。

 

以前、怒りの感情をもって行動したり、自分の意見と反対の人を「敵」と見做して行動すると、大抵良くない結果になるから、私は怒りを感じている時はあまり行動をしないようにしてる…って話をしたことがあるんだけど、

共同親権に反対してる人って、怒りを原動力に声を上げてる気がしていて、また反対派を「敵」と認識して声を上げてる印象を受けるから、それが良くない結果に繋がる気がしてる。

逆に、やたらと共同親権を推す人でも、その人が怒りを原動力に単独親権派を敵とみなして行動しているなら、気をつけた方がいいと思う。

どちらを導入するにしても、怒りをもとに方針を決定するのが一番良くないと思っている。

 

単独親権だろうが、共同親権だろうが、一番大切なことは、元夫や元妻の悪口を子供に聞かせないことだと私は考えている。

親の悪口を聞かせることは、虐待だ。

たとえそれが冗談であっても。些細なことであっても。

親は、どれだけ悪い部分があっても、その子供の血が繋がっている存在だ。

親の悪口を言うことは、子供本人を侮辱することと同じなのだ。

 

私の母は、その点はちゃんとしていた。

私は母が父のことを恐れていることも、嫌っていることもなんとなく感じ取ってはいたが、それでも母は父の悪口は言わなかった。

かわりに「お父さんは、とても賢い人だったよ」と言っていた。

離婚の経緯を知ったのも、私が成人してからだ。

 

私が父のもとにいておかしくなったのは、離婚のショックもあったろうけど、父に母のことを悪く言われていたのが一番大きいと思う。

大学の時にも、父から母のことを悪く言われたことがあって、過去の記憶が一切無い状態でもとても苦しかった。

身が引き裂かれるような感覚になった。

だから、子供の前で父親や母親の悪口を言うことは、子供の心を引き裂くような行為だと私は思っている。

愛する子供の身を引き裂くことなど、恐ろしくてできないだろう。

それと同じで、心を引き裂くようなことはしてはいけない。

別に無理して褒める必要も無いと思う。相手の悪い部分しか見えないなら、何も言わず黙ってる方がずっと良い。

 

 

離婚はどうすれば泥沼化しなかったか

私の父と母を狂わせたのは、感情であったと思う。

父は幼少期に母親を侮辱された悲しみや、家族を失う恐怖に。

母は私の様子がおかしくなった恐怖と怒りに。

 

もし、彼らが自分の感情に向き合って消化し、冷静な視点を得ていたら、もっと違った未来もあったかもしれない。

とは言っても過去は変えられないわけで、そう考えると切なくなるけれど、幸い今は私は父とも母とも関係が良好で、

私が夫と仲良く暮らしていることを、二人ともとても喜んでいることは本当に有難いなと思う。

 

 

連れ去りは、できればしない方が良い

我が家の場合は、連れ去っても仕方ない事情があったと思うが、私は基本的には連れ去りはしない方が良いと思う。勿論DVなどの、危害がある場合は別だ。

何故なら、連れ去りで一番大変な思いをするのは子供だからだ。

 

連れ去るなら、もう2度と相手を頼らない覚悟でやるべきだ。全ての縁を断ち切り、何ももらわない覚悟がない限りやるべきではない。

養育費は払ってもらうけど連れ去ります…というのは、恩義だけ受け取って子供と引き離すことは、問題を泥沼化させて倍以上大変なことにしてから子供に背負わせることになる。

 

養育費は子供の権利だから貰って当たり前でしょう?連れ去っても貰うのが当然だ!そう考える人もいるだろう。

それもまた正しい考え方かもしれないし、私も子供の時はそう考えていた。

だがこの考え方は、幸せを感じづらいのだ。だから私はお勧めしない。

 

母は離婚してから全ての生活レベルを最低に落としたらしい。私達はナメクジがしょっちゅう出るボロい文化住宅で貧しい暮らしをした。

その頃の母と私は生きていくのに必死で、貰えるものは貰っておけ、貰って当然の権利だ!の精神で父から養育費もきっちり払ってもらっていたが、

この考え方をすると、どれだけ有難い環境にいても、感謝ができなくなる。

感謝ができないと満足感が湧かないので、いつまでも満たされない感じがする。そしてもっともっと欲しくなる。

だが当然だと考えているから、それでも満たされることはない。

妖怪の世界に餓鬼というのがいるが、まさしく餓鬼の状態になってしまうのだ。

 

私は貰えるもんは貰っておけ!当然の権利だ!と考えていた昔よりも、貰えることに感謝を心がける今の方が物欲が無いし、いつも満たされている感覚がある。

不思議なことに、そうして満たされていると逆に物をもらったり、欲しいものがちょうど手に入ることも多い。

 

親が養育費を払うのは当たり前のことかもしれないが、それでも払ってもらうことに敬意と感謝は必要だと思う。

それは親のためではなく、子供が幸せな人生を形成するのに必要なことなのだ。

親が、当たり前でしょと思いながら受け取る姿を見ると、子供も当たり前と思いながら受け取るようになる。それは子供を餓鬼の道に堕とす行為なのだ。

連れ去りながら、感謝や敬意を持って養育費を受け取ることが可能だろうか?私は、それはかなり難しいことだと思う。

だから、縁を全て断ち切る覚悟がない限りは、連れ去りはしない方が良いと思う。

 

 

私は、父に養育費を払ってもらったし、面会のたびにたくさんのおもちゃや洋服を買ってもらっていた。学生時代には年金も払ってもらった。金銭的には本当に助けてもらった。

その恩義があったから、自分が結婚するときに、結婚式に父を呼ぶことに決めた。

だが、このことで母や父と大きく揉めた。

それがきっかけでPTSDを発症し、体が震えたり泣き叫んでしまったりした時期がある。

父と母の板挟みになりながら結婚式のことを決めるのは本当に大変だった。

縁を切るほうがずっと楽だったと思う。

なぜ縁を切らなかったかと言えば、これも話がまた長くなってしまうのだが、

私には尊敬する恩人がいて、その人が父親から酷い仕打ちを受けてもなお父を見捨てない人だったから、その恩人を見習って縁を切らなかった。

もし、私が父から何も金銭的な援助を受け取ることがなく、父のことを完全に嫌いだったなら、縁を切れたかもしれない。

でも、父の優しさや愛情、恩義があったから、やっぱりそれはできなかったし、しなくて良かったと思う。

今、孫の写真を見てとても喜ぶ父を見ると、「僕が築きたかった幸せな家庭を、ももちゃんが築いてくれて良かった」と言ってくれる父を見ると、この選択をして本当に良かったと感じる。

 

 

家族は大事

基本的に、相手に相当な問題が無い限りは、私は家族は大切にした方が良いと思うし、DVなどの深刻な問題がないならば、はなから離婚を視野にいれない方が良いと思う。

というか、離婚せずに仲良く暮らす努力をまずはして、どうしても無理な場合は離婚したら良いと思う。

離婚したとしても、例えば暴力を振るうとか、お金をせびるとかでなければ、面会もした方が良いと思う。

 

何故なら、両親は子供にとっての人間関係の手本だからだ。

子供は親を見て人間関係を学ぶ。

 

私の後輩で、恋愛がうまくいかない女性がいる。

その女性に彼氏のことで相談された時、私が「彼氏に自分の気持ちをこんな言い方で伝えたら良かったんじゃ無いかな」とアドバイスしたら、後輩は涙を流し始めた。

「私今まで、彼氏にそんな優しい言い方をしたことが無かったです」と言うのだ。

彼女の育った家族はみな仲が悪く、いつもギスギスしていたそうだ。

彼女はそんな中で、家庭を明るくしようといつも道化のように振る舞い、無理していた。

外でもそれは変わらなかった。かわりに、付き合った人に対しては甘えた。自分の汚い部分も全て見せようとした。

だから彼氏には口調もキツくなり、事情や立場を考えずに依存してしまうようになり、恋愛がうまくいかなくなったという。

 

彼女の家の場合は両親が離婚していないが、子供がどれほど親のコミュニケーションの影響を受けるかが良くわかるだろう。

 

私も、小さい頃はいつも両親が揉めていたし、両親が離婚してからは母と二人暮らしで多様なコミュニケーションをする機会がなかったから、若い頃は人間関係でかなり苦労した。

 

 

また、今の世の中はよく多様性が叫ばれるが、さまざまな意見や考え方を持つ人を尊重するのが多様性を認めることならば、

夫婦で意見が合わない時、すぐに離婚するのが多様性ではなく、お互いの意見をどう尊重してすりあわせていくかが、真の多様性を認める行為だと思う。

 

多様性を叫ぶ人ほど、新しい家族の形と言ってすぐに離婚することを薦めるように見えるが、それは多様性ではない。ただ自分と違う存在を排除しているだけだ。

 

価値観や考え方が違う人を認め合うことが多様性ならば、まずは一番近しい人とそれができるようになるべきで、それができるのなら離婚は必要がなくなるのではと思う。また、離婚したとしても良好な関係でコミュニケーションが取れるはずだ。

 

こうして両親がお互いの意見を尊重したり、擦り合わせたりしていく姿を見せることで、子供は自分と違う意見の人間と対立した時にどうするかや、喧嘩した時にどう仲直りするかを学ぶことができるのだ。

 

だから、夫と意見が合わないから、とか、言わないと家事を手伝ってくれないから、という簡単な理由なら、離婚するよりもまずは仲良くなる方法を探れば良いと思う。

 

意見が合わないなら、子供達に、どうすれば意見をすり合わせられるかの手本になれる。

言わないとわかってくれない人なら、子供達に、「言って伝える」ことの大切を学ばせられる。

 

私の場合は、家族を通じて人間関係の築き方というのをあまり学べなかったから、20代の時はメンヘラ性悪モンスターになってしまったんだけど、

それであまりに痛い目に合いつづけるから、これじゃいかん!と色々な本を読んで勉強して、それでコミュニケーションのとり方をかなり矯正した。

夫婦関係、男女関係に関して一番勉強になったのはジョン・グレイ氏の本だ。

この作者、今は胡散臭いセミナーやってるみたいで残念だが、この本に書いてあることは本当に参考になるし、私は何十回と読み返した。

夫婦関係でうまく行ってない人は、この本を参考にコミュニケーションしてみて、それでもうまくいかないなら離婚…としても遅くないと思う。(勿論、DVのような直接命に関わる問題がある相手ならすぐ逃げてほしい!)

 

もちろん世の中には、こちらがどれだけ変わる努力をしても変わらない人がいるのは事実だから、相手がそんな人ならば、離婚する方が良いと思う。

 

 

親が嫌いな人へ

私の話を読んで、もし不快に思った人がいたなら申し訳ない。

私の場合は、両親が私を愛してくれていたからまだ恵まれている方だと思う。世の中には、本当に好きになれないような、というか嫌いにしかなれない親のいる人もいる。

私の友人にもいる。母親の再婚相手に暴力を振るわれたから母親ともども縁を切った子や、お金をせびる父親と縁を切った子、母子家庭なのに母親が駆け落ちして出て行った子もいる。

彼女たちが親と縁を切る選択をしたことは、私は間違いじゃなかったと思っている。

 

私が「血が繋がった親を侮辱することは、自分を侮辱することだ」と言ったことで、もし嫌な気持ちになったのならごめんなさい。

でも、もしあなたが嫌いな親に、良いところが1つでもあるなら、その部分は嫌いになる必要はないと私は思います。

私は、父に対して愛情と、憎みたい気持ちの両方がある時は本当に苦しかったです。

それは、「一人の人間には、一つの感情しか持ってはいけない」と考えていたからでした。

でも、一人の人間はいろんな要素の集合体で、好きな部分も嫌いな部分もあって良いと思えるようになってから、だいぶ楽になりました。

「あの人の、この部分は好きだけど、この部分は好きじゃない」という気持ちがあっていいのです。

だからもし、あなたが親に対して1つでも好きな部分、良いと思える部分があるなら、それは否定しなくていいと思います。

そして嫌いな部分も、嫌いなままでいいのです。

もし、そんな良い部分や、好きになれる部分が全くない親なら、嫌いなままでいいです。縁を切るのも当然です。

でも、親を嫌うことにもし、辛い気持ちになるなら、自分が繋がってる先祖の誰かに思いを馳せてみてください。別に特定の誰かで無くてよいのです。

あなたが血を受け継いだ人全てが嫌な人や、悪人では無かったはずです。あなたはかつていた、心優しい誰かの血を受け継いでると考えてみてください。

そうすると、少し心が温かくなりませんか(もしならなかったらごめんなさいね、私の言葉は無視していいです!)

自分の血を否定することは、辛いことです。それは自分自身の否定につながるからです。

だから、もし親御さんに好きなところが1つでもあるなら、その部分を好きになることは自分を肯定することにも繋がると思います。

好きなところが一つもないような酷い親御さんなら、無理して好きになる必要はないから、自分には優しいご先祖様の血が流れていると考えて欲しいのです。

そうすることが、自分自身の存在の肯定につながると思っています。

 

 

離婚したくないのに離婚を突きつけられた人へ

もし、あなたが「全く身に覚えがないのに…」「自分は相手を愛しているのに…」と思うなら、自分の内心が相手に伝わってる前提にいないか、を考えてみてください。

もし、「冗談だけど、好きだからわかってくれるだろう」「きついこと言ってるけど、好きだから許されるだろう」と考えて言ったことややったことがあるなら、それが原因かもしれません。

これからの言動は、全く内心が伝わらない前提でやってみてください。

自分の内心にある愛情は、伝えるのがこそばゆいし恥ずかしいものですが、それを素直に表現することこそが勇気だと私は思います。

 

あと、自分の感情を善悪のバロメーターと捉えていないか?を考えてみてください。

ネットで叩かれるような人、自分がされることには敏感なのに他人に対しては横暴な人というのは総じてこの考え方をしています。昔の私もそうでした。

自分が悲しい気持ちな時は自分が被害者だし、自分が怒っている時は自分が正しい!そう思っていました。だってこの強く湧き出る感情が証拠だ!そう考えていました。

でも違うんです。自分の感情は、社会的に見た善悪とまるで関係がないのです。

自分が加害者であっても悲しい感情をもつことはあるし、自分が間違ってても怒りを感じる時はあります。

感情はあくまで、自分が何にトラウマを持ってるかや、自分にどんな思考のこだわりがあるかや、自分の状態をわかりやすく伝えてくれる便利なバロメータではあるんですが、それが適用されるのはあくまで自分自身だけで、他人や社会には関係ないんです。

自分の感情を善悪の指標にしてしまうと、たとえば相手のちょっとした言葉に腹が立って暴力を振るうことも、「強い怒りを感じたからやったことで仕方ない、自分は正しい」と肯定されることになります。

だからこの考え方は本当に怖いです。

私自身ずっとこの考え方をやってしまってたのですが、それが間違いだったと気づいた時、客観的に見たら自分が悲劇のヒロインでもなんでもないただの性格の悪い人間だったと気づいた時、めちゃくちゃ恥ずかしくなったし落ち込みました。

 

もちろん相手に原因があるのに離婚されるパターンもあると思います。その場合は私の話は参考になさらなくて良いと思います。

 

 

子供を連れ去っている人へ

あなたが連れ去る理由は、恐怖でしょうか?それとも、元嫁や元夫と交渉するのが面倒臭いからでしょうか?

恐怖の場合、それは過去のトラウマ(親から厳しく叱責されたり、両親が不仲だったり)に起因する恐怖でしょうか?

それとも、何をしでかすかわからない相手への恐怖でしょうか?

 

DVをしてきたなど、何をしでかすかわからない相手への恐怖であれば、連れ去るのは仕方ないと私は思います。

 

でも、私の父が最初私を連れ去ろうとしたように、もし過去のトラウマが原因であれば、そのトラウマに向き合うこと…心療内科などに行ってみるのも手かもしれません。

過去のトラウマが薄くなって、恐怖がなくなると、相手と話し合う勇気が出るかもしれません。

 

もし、相手ときちんと話し合うのが面倒臭いという理由で連れ去るのであれば、それはやめた方がいいと私は思います。

面倒臭いことから逃げたら、それはさらに面倒臭いことになって未来の自分にのしかかります。

 

 

 

最後に

私が両親の離婚や連れ去りで最も辛かったことは、母の悪口を聞かされたことともう一つ、父のことも母のことも信じられなかったことです。

 

離婚してからの父が語る母の姿は、父の尊厳を傷つける嘘をついてまで私を無理矢理奪った残酷な女性でした。

私は狼狽しました。私の目の前にいる母は、人から騙されることは多くても、人のものを奪ったり、自分のために嘘をついたり、騙したりするような女性では無かったからです。

でも父は、自分がどれだけ母から傷つけられたかをいつも寂しそうに語るのです。

私の頭は常に混乱していました。

大好きな母が、裏でそんな恐ろしいことをしていたらどうしようと、怖くて仕方ありませんでした。

 

大きくなって、色んな経験をしたり人々と接したり両親を観察するうちにわかったのは、私の目から見る母の姿は私にとって真実だし、父の目から見える母の姿もまた父にとっては真実だったということです。

 

父が語る母の姿は、影絵のようなものだった気がします。

父の心は、家族を失う恐怖の闇で覆われていて、その中で母の姿を照らし出すと、まるで大きな怪物のように映ってしまった気がするのです。

 

私の伯母は、以前こんなことを言っていました。

人間の姿というのは平面ではなくて、奥行きがある立体なの、だからその人に見えないいろんな部分があるのよ、と。

私は父や母の幼少期の話を聞いてようやく、2人の間にいろいろな誤解が生まれてしまったことを理解しました。

 

一番身近な存在が信じられないというのは、子供にとっては暗闇の中1人で崖の上を歩けと言われるようなものです。

それは辛く、寂しく、怖いことです。

 

大きくなってから、父も母も私を騙そうとしたのではなく、ただ未熟で必死だったのだなとわかった時は、ホッとしました。

そして過去の辛いことを、許せるようになりました。

 

私は自分のように、辛い思いをする子供が少しでも減って欲しいと思います。

 

今この話を読んでるあなたが、何か問題に悩んでいるのなら、それが少しでも良い方向に運ぶことを祈っています。

 

とても長くてまとまりのない話を、読んでくださってありがとうございました。

 

 

追記(2024 1/7 23:19)

そういえば、私が離婚で辛かったのは、

「親が揉めるのは自分のせいだ」

「自分が一人っ子だからお母さんとお父さんは取り合いになって喧嘩になるんだ」

と思ってるのもあったなあと思い出した。

 

実際、父からも、高校か大学かぐらいのときに、「お前のせいで離婚した」と言われたことがある。(でもこの時の父は精神的に参ってた時期だったから、そんなことを口走ったのだと思う)

母はそのことを全否定していたけどね。

もしかしたら、父と暮らしていた6歳の時にそんな言葉をかけられた可能性もあるのかもしれない。

でも、父から言われてなかったとしても、自分のせいだと思っていたのは変わらなかったかも。

 

昔、塾で働いていた時に、親御さんが不仲の生徒がいて、

その子も「自分のせいで」と思い詰めていて、そんなことないよと伝えたことがあった。

親の仲が悪いと子供は自分に責任があると思ってしまうんだよね。

 

もしかしたらそんな自分を責める気持ちが、離婚の時に私の様子がおかしくなった原因のひとつだったのかもなと思って、書き残すことにしました。

 

ありがとうを言えない時

なんとなく、他の人の参考にもなるかなと思って書く。

 

先日娘が浮かない顔をしていた。

何があったか聞くと、幼稚園での出来事が原因だった。

 

娘の幼稚園では、当番制度があり、お当番さんは諸々のお手伝いをする。

たとえば机を拭いたり、消毒液をスプレーしたりする仕事があるらしい。

その当番さんに毎回、「お当番さんありがとうございます」とみんなでお礼を言う時間があるらしいのだが

ある日娘はどうしても、「ありがとうございます」を言いたくない気分だったらしい。

そこで、ありがとうを言わずにコッソリ「ばかですね」と言ってしまったそうだ。

 

誰にもバレなかったけど、思い出すと胸がチクリとすると娘は言った。

「私って本当に最低だ…」と、自責の念で苦しいらしかった。

 

 

娘の話を聞いて、中学時代の自分を思い出した。

ある日、私はなんだか無性にイライラしていた。今思うと、多分やることの多さに心が疲れていたのだと思う。

その時、イライラしてる自分自身を戒めるためなのか…頭の中で恩人の声がよぎったのだ。

「感謝しなさい。そうしたら幸せが寄ってくるからね」

しかし、感謝しなきゃと思うと余計に腹が立って仕方なくなった。

そこで思わず「何が感謝だよ!ボケ!」みたいな、汚い言葉を口走ってしまったのだ。(ああ恥ずかしい)

すると、どうだろう。

その瞬間、私の唇には大きな口内炎ができたのだ。

私は何かしらの、見えない存在が自分に怒っているんだな…と恐ろしくなったのだった。

 

(余談だが、私の義兄嫁さんは、実家で口が悪くなると必ず口内炎ができるらしく、「たぶん亡くなったおじいちゃんが叱ってんだろうな、って思ってるの」と言っていて、全く育った環境が違うのに同じことを経験した人がいるのが面白かった)

 

まあ見えない存在を信じるかは個人の自由なのだが、

ありがとうを言いたくない時…言うべきなのに、お礼を言うどころかむしろ悪口を言いたくなるような時というのは、大抵心がマイナスの状態になっている時だ。

ではどう言う時にマイナスな状態になるかというと

 

○眠い時

○空腹の時

○心が傷ついた時

○疲れている時

○焦っている時

○イライラしている時

○体調が悪い時

○湿度や温度が不快な時

 

等である。

 

 

ちょうど娘の話を聞いた時、私たちはキッチンにいて、わかりやすいので目の前にあったコップに水を入れながら私は娘に伝えた。

 

「あなたの心がこのコップだとすると、コップが満杯になって溢れた時、ありがとうを言うことができる。人は心のコップから溢れた分だけ、ありがとうを言うことができるんだよ。

 

でもこのコップに水がほとんどないと、あなたはありがとうを言うことができない。

 

あなたはその時おそらく、何らかの要因によって…疲れてたか、イライラしてたかはわからないんだけど…心のコップの水が少なくて、ありがとうを言う余裕が無かったのだと思う。

 

そういう時は、自分のコップを満たさなければならないから、言えなくても当然だよ。

満たせばちゃんと、言えるようになるからね。

だからそんな時は、まず自分を満たすようにしなさい。

たとえば好きな遊びをしたり、美味しいものを食べたり、ママを抱きしめたりするとコップの水は増えると思う。

 

でも、『ばかですね』というのはお手伝いを頑張ってくれたお友達を傷つける言葉だし、もし聞かれてしまうとあなたが悪い子に見えてしまって損だから、言わない方が良いと思う。

 

今度そういう時があったら、口パクで言ってるふりをするのはどうかな?そしたら誰も傷つけないし、バレないでしょ?

 

そして、あなたがもし本当に悪い子なら、その時のことを思い出して胸が痛くならないはず。

優しい心があるから、思い出して後悔してるんだよ。

だからあなたは悪い子ではないよ。その仕組みを知らなかっただけ」

 

 

だいたいこのような趣旨のことを話した。

娘はホッとした表情になった。

 

もし読んでる方が、感謝したくてもできない時に、この話が参考になるかな?と思って書いた。

 

 

娘にはこの時伝えなかったが、「ありがとう」を言うことにはもうひとつ、次のステップがある。

 

それは、自分の魂と言葉とを切り離すということだ。

書いてる意味がよくわからないかもしれない…私もこの感覚をどう表現したら上手く伝わるかわからないのだが…

今の私は自分がネガティブな状態でも、お礼を言うことはあまり苦ではない。

何故なら自分の心の状態と、言葉を伝えることとは分けて考えているからだ。

「本音」と「建前」を分けている、とも言えるかもしれない。

 

昔は、感謝できてないのにありがとうを伝えることは、不誠実なことだと思っていた。

しかし、私にかつて"自分を大切にすること"を教えてくれた人がいたのだが

彼はよくこう言っていた。

「自分を変えなくていい、変わったフリだけしなさい」と。

その時はよく意味がわからなかったのだが、今ではわかる。

自分の内面で感じることや考えることと、周りに見せる自分を一致させなくてもいい、と言う意味だ。

 

「ありがとう」と思ってなくても、「ありがとう」と言う。

「嫌いだ」と思っても、それを言わない。

ここで大切なことは、ありがとうと思えない自分を責めたり、嫌いだと思う自分を否定したりしないことなのだ。

 

ありがとうと心の中では思えない時、そんな自分をダメだと責めるのではなく

(ありがとうとは思えないな、疲れてるからそう感じても仕方ないよね…でも、感謝は伝えたほうがいいから、お礼は伝えよう)

と声をかけてみる。

このように、自分のネガティブな部分は受け止めた上で、「でもこれを表に出すと相手を不快にさせるから、出さないでおこう」とす配慮すること、それが"変わったフリをする"ということなのだ。

 

 

昔はそんなことをすると、嘘をつくようで相手に失礼な気がしていた。

しかし今では、これは自分の醜い面を見せずに、お互い気持ちよく過ごすためのコミュニケーション術なのだと考えている。

 

もちろん、不快なことや嫌なことをされた場合は、お礼を言うのではなく、それはハッキリと伝えたほうがいいと思う。

ただ、明らかに相手がしてくれたことが自分にとってプラスになることなら、このように自分の魂の状態と言葉とを分けて考え、お礼を伝えるのがいいということだ。

 

 

最初はこれに抵抗がある人がいるかもしれない。

抵抗があるならきっと、いつも心を清くありたいという優しい人なのだろうと思う。

そんな人は多分、自分の心の声をまず自分自身で聞くという作業をすると良いだろう。

例えば「疲れたな」「めんどくさいな」「イライラするな」といったネガティブな声が聞こえてきた時、

まずは自分自身に「そんなふうに感じることもあるよね」「頑張ってる証拠だね」と声をかけるのだ。

そうやってネガティブな声を自分自身で受け止められるようになると、段々と他者に向けてそれを吐き出そうと思わなくなる。

何故なら、自分自身でネガティブを受け止められることが信じられ、安心できるようになるからだ。

もちろん辛い時はそうできない時もあるし、友人に愚痴を吐き出したくなることもあるだろう。

そんな時は、自分では受け止めきれないストレスを抱えているいうことなので、信頼できる人に頼ってみるといいと思う。

 

 

 

また、小さい子供で、ありがとうを言うのを嫌がる子がいる。私もそうだった。

ありがとうという言葉を出すことは、くすぐったい。自分の弱い部分を出すような感じがする。

それはすごく、怖いことだ。感覚としては、目の前にある崖から飛び込めと言われてるようなものなのだ。

以前どこかでも書いた話なのだが、そんな時にオススメなのは、まずは子供に「あ」だけ言ってもらうという方法だ。

「りがとう」は大人が続けて言う。

そこから段々とステップアップしていく。

「あり」→「ありが」→「ありがと」→「ありがとう」と、子供が担当する文字を増やしていくのだ。大人はその残りを言う。

 

あるいは、せーので一緒に言うのも手だ。

この方法は「ごめんなさい」「それちょうだい」などにも応用できる。

 

 

お礼や頼み事を言わない子は、みんな性格が悪くて言えないわけでは無い。

自分の中の弱い部分を出すことが、怖かったり、勇気が出なかったりして、困っているケースも多いのだ。

 

私の娘は2歳の時はありがとうもごめんなさいも「イヤ!」と言ってできなかったが、この方法をとってから1年も経つとお礼や謝罪や頼み事も言えることが多くなった。多くなった、と表現したのは、自分が傷ついている時は、6歳の今でも言えない時があるからだ。そんな時は私も一緒に、お礼や謝罪を言うことにしている。

「あなたが言いたく無い気分なのはわかる。でも世の中の人は、あなたがお礼や謝罪をしないと、怖くてできないのではなく、ワガママでやらないように見えてしまって、損なんだよ」とも伝えている。

 

先ほども書いたが、私は小さい頃、お礼や謝罪や頼み事をするのが苦手だった。

そんな私を母はいつも、「もう〜」と困った顔で見ていて、私はそんな自分自身が嫌だった。

私は、自分の怖い気持ちを理解して、一緒に一歩踏み出してくれる存在が欲しかった。

 

子供達にとって、そんな存在でいれたらいいなと思う。

動くと変わる(こともある)

その日、私は激怒していた。

 

 

来年、幼稚園の制服が変わるのだ。しかも、ブラウスやスカートだけではない。上着も、リュックも、帽子も、全てが変わるらしいのだ。

変わった理由は、それまでの制服が原材料高騰のため値上がりするからで、新しい制服はもっと廉価なものになるとのことだった。

それは良い。少しでも安い制服に変わるなら新しく入園する方達は嬉しいことだろう。

問題は、旧式の制服のお下がりは不可で、来年以降入園する児童はみんな新しい制服を買わねばならないと通達されたことだった。

 

 

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我が家には、4人の子供がいて、下2人は来年以降の入園となる予定だった。

しかも上から女、男、女、男という順番で生まれ、全員2歳差である。

つまり、幼稚園の決定によれば、我が家は既に持っている旧式の制服男女2種類に加えて、新式の制服一式も男女2種類買わなければいけないことになるのである。

 

こんなバカな話があるか!

 

 

…くだらないと思われるかもしれないが、私ははらわたが煮えくりかえる思いをしていた。

私は生まれも育ちも大阪の生粋の大阪人、ケチに生まれケチに育てられケチなことに誇りを持つ人種である。

必要なものにお金を払うのならいい。しかし、高い金を出して払った制服はまだまだ使えるし、せっかく上の子が卒園した直後に下の子に使える歳の差なのに、なぜ新しく買わねばならんのだ。

 

おまけに、長女は、最初制服を買った時よりも想定を超えてでかくなったので、昨年はさらに大きなサイズのものを買い足していた。

それもこれも、下の子におさがりできるからいいという気持ちで買い足したのだ!その目論見がパァになって、私は過去の自分の首を絞めたい気分になった。

 

 

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そもそも、制服が変わるという知らせは夏頃に聞いていた。

だが、その頃の私はまだ楽観視していた。

(制服だけならまぁ…きっとスカートやズボンが変わるのかな?ブラウスやリュックとかは変わらないでしょ)

(お下がりなら、旧式の制服も使って良いでしょ)

そう思っていたのだ。

実際、ママ友の通わせてる幼稚園は、制服が切り替わった後でも旧式の制服は使ってもオッケーで、

「時々それいつの時代の?レベルの昔の制服着てくる子もいるわよ〜!」と言っていたからだ。

 

ところが秋になり、幼稚園の先生に聞いてみると、制服はスカートどころかブラウスやリュックまで変わるし、切り替わった後に入園した児童は旧式制服は一切着てはいけないという。

ちなみに制服の切り替えは幼稚園が開園して以来一度も行われたことがなく、これが数十年で初めての変更だとのことだった。

申し訳なさそうにそう話す先生に、私はとても「わかりました」とは言えなかった。

 

「…納得できないです。でもこれは園長先生が決めることですよね。私、園長先生に話してみます」

 

そう伝えて、私は帰途についた。

 

私の魂には、熱い炎がついていた。

なんとか自分が動かねばならない、と思ったのだ。

 

 

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…熱い炎がついた、とは言ったものの、最初の私は自分が動くことに100%の気持ちでいたわけではない。

頭の中ではこう自分を説得する気弱な声もあった。

 

「まあ、夫が急に転勤することだってあるし、そうなったら幼稚園の制服はどのみち買い替えるものよ?」

「知り合いのTさんは、車を買った後に海外転勤になっちゃったわよ?」

「幼馴染のYちゃんのご両親なんか、家を買った1週間後に海外転勤になって30年以上経ったのよ?」

「それよりずっとマシじゃない!幼稚園の制服代なんて、そんな小さなお金にケチケチしちゃ恥ずかしいわよ!」

 

しかしそうやって自分を何度説得しても、どうしても納得できないのだ。

自分の事情で買い換えるのは仕方ない。

でも数十年間、制服の切り替わりがなかった時には皆お下がりができたのに、切り替わり時期に在籍していたというだけでそれができないのはあまりに理不尽に思った。

それも、ただでさえ兄弟育児でお金がかかるし、物価もどんどん上がっている中である。

 

とにかく、園長先生と話さなければならない。

 

…そう思ったが、電話するのは憚られた。

 

私は、怒るとかなり口が悪い。

しかもこの時はかなり頭に血が昇っていたため、電話だと汚い関西弁で罵ってしまいそうだった。

「テメー何考えてんねんボケ!なんでテメェの勝手でこっちが金払わなあかんのじゃコラ!」

ぐらい言ってしまいそうだった。これでは我が家の品格が疑われてしまう。

 

それから、一番の問題は、自分が抱いているのが怒りの感情だということだった。

 

30年以上生きてきて経験として理解したことなのだが、怒ってる時に動くとあまり良いことがない。

たいてい良くない結果になるし、もし怒り口調でまくしたてて脅すように自分の言うことを聞かせられたとしても、その時は良く見えても後で必ず嫌な結果になるのだ。

私の母風にスピリチュアルっぽく言えば、"出してる波動が悪い"のであろう。

 

この感情の状態で動くと、絶対に、間違いなく、悪い結果になる気がした。

深呼吸して心を落ち着かせようとしたが、私の頭は相当にほてっていて、すぐには冷めなかった。

 

そこで私はとある秘密兵器を出すことにした。

 

アイスである。

 

 

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冷凍庫には、普段から精神安定剤と称してアイスを備蓄してあった。

このアイスは、育児でどうしようもなく腹が立った時、子供達が寝た後にそっと食べるために備えているものだ。

しばらく使っていなかったそれを使う時がきた。

 

夜、子供達が寝静まった後、私は備蓄の中でも一番高級なハーゲンダッツを取り出し、食べた。

甘味と冷たさが、身体中に染み渡る。

今日は幼稚園へのお迎えもあって疲れてたし、そんな中で制服の話を聞いて、私が思っているより心と身体はヘトヘトだったんだな…と気がついた。

1個じゃこの疲れた悲しみは癒えそうになかったので、もう1個食べた。

少しだけ、心が軽くなった気がした。

 

 

アイスを食べながら、園長先生にどう話そう…そう考えた時、良いアイディアが浮かんだ。

手紙だ、手紙を書くのだ!

 

電話だったら感情的になってしまうかもしれないし、要点がぼやけるかもしれない。

でも手紙なら、怒りの感情は込めづらいし、論理的に伝えることができる!

しかし、その日はもう遅かったし、まだ自分の怒りの感情は落ち着いていなかった。

それに夜というのは、文章を書くとキツくなりやすいとどこかで聞いたことがある。

私は次の日に手紙を書くことに決め、寝ることにした。

 

 

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翌日。

さあ手紙を書こうと思ったが、まだイライラしている気がした。

こんな時にすぐ文章を書くのは良くない。

 

こういう時は…掃除だ!

 

というのも、私は掃除の時に文章が浮かびやすい。

今までも、掃除の時にふと浮かんだ言葉をTwitterに書いたら不思議と反響があったり、良い喩えが思いついたりした。

以前書いた小説も、掃除の時にいつも描きたいシーンや文章が思い浮かんだものだ。

それに、手紙の前で思いついた言葉を書くよりも、掃除をしながら推敲した文章を書く方が、ずっと伝わりやすいものが書ける気がした。

さらに、掃除をするとそれだけで気持ちがスッキリするから、それだけでイライラを一層鎮ませることもできる。

私は雑巾がけをしながら、どんな風に園長先生に伝えようかと考え始めた。

 

考え始めて、ひとつ大切なことに気がついた。

それは、私がいったい何を求めているか自分自身もわかっていない、ということである。

もっと言うと、怒りの感情に邪魔されて、自分が何を求めているかがハッキリ見えてこない感覚があったのだ。

この点をクリアーにしなくては、相手の心を打つような文章は書けない気がした。

というのも、怒りの感情で支配されている時は、感情を消化することと、相手に何かを求めることを履き違えやすいのだ。

 

相手に何を求めるかを決めないまま、ただ怒りをぶつける人はよくいる。

インターネットで、芸能人の不倫を叩く人や、いわゆる萌え絵を叩く人はこのタイプが多いように思う。

そういう人の何が問題かというと、ゴールが見えない点だ。

自分の不快な感情が続いている限り、相手を変えようとするし、ゴールがどこかを自分自身で理解していないので、相手が何をやっても叩き続け、結果相手を必要以上に追い込んでしまうことになる。

そうなっては泥試合となってしまうので、まず私は、自分が何を求めているか…つまり最終的なゴールはどこなのかを考えることにした。

 

だから私は、自分の心を洞察することにした。

すると、自分の心の中で、怒りの感情が煙のように立ち込めているせいで、自分が求めているゴールが見えづらくなっていると思った。

じゃあ、私に必要なことは、この怒りの感情の発生源を見てみることだ。

怒りが湧く時は、根底に大抵悲しみが潜んでいる。

(なぜなら、悲しみを味合わせまいと、自分の心を守るために湧く感情が"怒り"だからだ)

つまり、自分が何を悲しいと思っているかがわかれば、自分の求めるゴールも見えてくるだろう、と私は考えた。

 

だから私は、「何故、私は怒っているの?」ではなく、

「私は一体、何が悲しかったんだろう?」と、自分の心に尋ねてみることにした。

 

私の心はこう答えた。

「まだ使える制服があるのに、たくさんお金がかかるのが悲しい」

 

じゃあどうすれば、その悲しみを癒せるか…を考える。

制服を変えるな、というのは違う。新しい制服の方が安いのなら、新入生の親御さんはそちらの方がいいだろう。

私が求めるのは、家に旧式の制服があるなら、旧式でも通園可能にしてもらうことだ。

つまり、私の一番のゴールは、「きょうだい児のいる家庭では、旧式の制服でも通園可能」にしてもらうことだと設定した。

 

続いて、この一番のゴールが却下された場合、どういう妥協点があるかを考えた。

まずは自分のゴールのデメリットを考える。

すると、「写真撮影の時などにクラスの統一感が出てこない」という問題があるのでは、と思った。

もし、統一感がないからダメだと言われたら、「写真撮影で映らない帽子やリュックだけでも旧式を認めてもらう」というのを、次のゴールと設定した。

 

それでもダメと言われたら…私はその場合も考えた。

私の怒りの根底にあるのは、いらんお金を使わなければいけないという悲しみともうひとつ、どれだけお金がかかるのかわからないという不安だ。

この不安をなくすにはどうしたらいいかを考えた。

不安は、知りたいことがぼんやりしているから起きる。

つまり「新しい制服の値段がいくらで、旧式よりどのぐらい安くなるかを知ること」で、この不安は軽減されるだろうと思った。

 

自分の目的がハッキリしたことで、私の心は随分スッキリした。

先ほども書いた通り、

①きょうだい児の旧式制服を認めてもらう

②リュックや小物のみ、旧式を認めてもらう

③新しい制服の値段を教えてもらう

この三段階で私のゴールを設定し、後は園長先生に交渉するのだ!

 

そんなわけで、私は早速手紙を書くことにした。

 

 

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手紙を書く時に最も気をつけたのは、怒りの感情を込めないことだった。

こういうのは、気をつけていても文章に出る。

ではどうすればいいかというと、自分の悲しみに焦点を当てて、文章を書くのだ。

私が伝えたいことは、制服が変わる怒りではなく、新しい制服のために余分にお金がかかる悲しみだ。

だから、その悲しみをまず伝えようと考えた。

 

手紙を書いていて改めて気づいたのだが、怒りの感情で伝えようとすると、自分が正義で相手が敵のような言い方をしてしまう。

たとえば、「こんなに無駄なお金をかけさせるなんて、一体どういうつもりなんですか!」というような口調だ。

これが、良くないのだと思う。

この世の中、どんな人も頑張っているのに、その人のできる限りのことをしているのに、はなから敵扱いをされて良い気持ちになる人なんていないし、ましてや協力したくなる人なんて皆無だろう。

また、そんな言い方をする人とは歩み寄りもしたくならない。

 

でも、悲しみを主体に伝えると、相手を敵ではなく、味方として見られるようになる。

「私はこんな理由で困っていて、こんなふうに助けて欲しいのです」というふうに言える。

そうすれば、相手は自分の敵ではなく仲間になってくれやすいのだ。

 

 

私は手紙に以下の点を書いた。

○まだ使える制服が着れなくなるのは勿体無いと思うこと

○他の幼稚園では、制服が切り替わっても旧式のものは着用可としている園もあること

○きょうだい児のみ、お下がりを認めて欲しいこと

○物価高の現在、そのような措置をしてくれるとすごく助かること

 

 

第二第三のゴールである、「せめてリュックや小物だけでもおさがり可能にして欲しい」だとか「新しい制服の値段を教えて欲しい」というのは、書かないでおいた。

これは、第一のゴールが達成できない場合に提案すべきことだと思ったからだ。

 

 

 

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さて、結果がどうなったかといえば…

無事、私の意見が認められ、きょうだい児の場合は旧式の制服も着用可能となった!

 

電話で知らせを受けた時、本当に嬉しくてありがたくて、「ありがとうございます!本当に助かります!」と心からお礼を言えた。

 

これがもし、喧嘩腰に怒りをぶつけて認めさせる形になったら、たぶん、ありがとうを言えなかったんじゃないかと思う。

「そのぐらい認めて当然でしょ!」というさもしい気持ちになっていた気がする。

そうするときっと、相手方にも不快な思いをさせてしまっただろうし、怒りの状態で会話しなくてよかったと思う。

 

 

計算してみると、制服やリュックを全て買い換えるとおそらく1人3万円前後かかる。

この出費がなくなったことは本当にありがたい。

もちろん、旧式の制服で通わせて、もしかしたら、下の子達が「他の子と制服が違うのが嫌」と言い出す可能性もあるかもしれないが、

そうなった時は、子供のためと納得して買い換えることができるだろう。

 

 

 

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そういえば、つい最近、「外国で、舐めた態度で席の横取りをしてきた現地の人に、日本語でキレたらうまく席を取り返せた」という話をTwitterで見た。

なるほど、怒りの感情は、こちらを舐めてかかる人間に対しては有効なエネルギーで、全てが悪いものではないのかもな…と思わされた。

 

私も若かりし頃、露出狂にあった時には「テメェふざけんなコラァァァァ」なんてドス黒い声で叫んだら露出狂が逃げてったこともあったっけ…(でもこれは、襲うタイプの変質者じゃなくてたまたまラッキーだったのもあるけれど)

 

じゃあ、ぶつけたらうまくいきづらい怒りと、ぶつけることで効果の出る怒りの違いは何だろう…と考えてみた。

 

結果、自分なりに出た答えなのだが、

ゴールがどこにあるかハッキリしているかと、

相手に悪意があるのかというのが大きな指標になると思う。

 

ぶつけると悪い結果になる怒りの感情は、ゴールが見えていない。

何かのため、ではなく、自分が抱いている怒りを発散させるためにぶつけるものだ。

 

だが、たとえば奪われた席を取り戻す、露出狂を撃退する、みたいなゴールがハッキリしてることで、相手に悪意がある場合には、怒りというのは自分を守る大きなエネルギーになりうるのかもしれない。

 

今の私はそんなふうに考えている。

 

 

とにもかくにも、動いてよかった。

生きていたら多少の理不尽はあって仕方のないことかもしれないけれど、

どうしても納得できないことには、こうやって動きかけることも大事なんだなと改めて気付かされた出来事だった。

「怒り」の言語化

5歳の娘は繊細で、たまに予想もしてこない事で怒ることがある。

そういう時、私は彼女が何に対して腹が立ったのかを言語化するように試みるのだが、

この方法が他の方にも参考になるかな?と思ったので書いてみる。

 

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先日も娘がまた、予想外なことでキレてきたのだが、それはこんなきっかけだった。

 

Eテレで放送していたパディントンのアニメ(パディントンが手品をするというエピソードだった)を見た後のことだった。

娘が私にカードを持ってきて「ここにカードが2枚あります!」と言ってきたのだ。

ここで私は、(あ、アニメに感化されて手品をするんだな)と気づき、

「わかった!パディントンみたいに手品をするんでしょう?」と言ったところ、娘がキレた。

パディントンみたいだなんて!」と。

 

 

 

さあ、あなたは何が原因かわかるだろうか?

 

私は最初、全くわからなかった。

 

 

例えば、ジャイアンのようなあまり良いイメージのないキャラクターに喩えられたら嫌なのはわかる。

しかしパディントンは可愛らしいキャラクターだし、娘はパディントンのアニメが嫌いなわけではない。

 

 

○まずは言語化の大切さを伝える

 

こんな時、つまり子供が何に怒ってるか理解不明で、その理由や原因を究明したい時、私はまず、こう伝える。

 

「あなたが何に怒ったのかわからないので、説明して欲しい。そして理解したい。そうしないとまた同じことであなたを怒らせてしまうかもしれないから」と。

 

最初は理由を聞いても、「わかんない」と言われることも多い。子供は言語化にただでさえ慣れてないからだ。それに怒りで機嫌が悪くなっているので、深く突っ込まれることを面倒くさがることもある。

 

そういう場合は、こう伝える。

「理由がわからないと、同じようなことでまたあなたを嫌な気持ちにさせる可能性がある。

それを受け入れてくれるなら、理由は伝えなくてもいい。

その場合、次に同じようなことで怒らせても、怒りを感じるのは仕方ないが、それをこちらにぶつけないで欲しい。

つまり、『そんなこと言うな!』と強い口調で言うのではなく、

『嫌な気持ちになるから、その言い方はやめて』と落ち着いた口調で伝えてほしい」

と。

 

理由を知りたいのは叱るためではなく、次に同じ過ちを繰り返さないためと伝えるのだ。

ここでのポイントは、怒りを込めずに冷静に伝えることだ。

 

また、子供が自分で理由を言語化して伝えてくれたとして、その理由が腹立たしいものであっても、怒ってはいけない。

理由には良い・悪いの判断をせず、フラットに受け止めることを心がける。

 

また、こう伝えるのも良いかもしれない。

 

「人は、理解できないことで怒られると、相手のことを怖くなってしまう。そしてコミュニケーションを取りたくなくなってしまう。

あなたが理解できないことで怒りをぶつけてきたら、周りの人はあなたとあまり会話しないでおこうと思ったり、距離をおこうと思うことになる。

そうするとあなたは独りぼっちになってしまうかもしれない。

だから、理由を言葉にして伝えることは大事なんだよ」

と。

 

それでも相手が言語化を嫌がったら、それは相手の意思を尊重する。

ただし前述の通り、理由や原因がわからない限りは次に同じことが起きる可能性も高まるので、そのデメリットは必ず受け入れてもらわなければならない。

 

 

言語化が難しいならクイズ形式で

 

子供が言語化に了承してくれたら、次のステップだ。

しかし、「なんで怒ったの?教えて?」と聞かれても、子供が最初からうまく言語化してくれることはあまりない。

何故なら子供自身、それを表現する方法をまだわかっていないからだ。

 

ここで私のおすすめの方法は、選択肢が少なくとも2個以上あるクイズ形式で聞くことだ。

 

今回のケースだと、私はこのように聞いた。

 

「じゃあ、ママが思いつく原因をいくつか挙げてみるね。

1.パディントンの真似をしてるつもりなんて無かったのに、真似をしてると決めつけられた気がして嫌だった。

2.パディントンの真似をしてるつもりだったけど、そのことを見透かされたように言われたのが嫌だった。

この2つに、あなたの気持ちに近いものはある?」

 

 

選択肢が2個以上あったほうがいいのは、親が自分の答えを押し付けないようにするためと、子供が自分の気持ちとの違いを見つけやすくするためだ。

 

たとえば今回の例だと、

「もしかして、パディントンの真似をしてるつもりじゃなかったのに真似したって決めつけられたのが嫌だった?」

とだけ尋ねてしまうと、それが真実のように子供に思い込ませてしまうかもしれないし、なんだか詰められてる雰囲気になってしまって「違う」とは言いづらくなる。

 

しかし何個かの選択肢があると、自分の感覚との違いが説明しやすくなるし、クイズ形式なので詰められる感じがせず、楽しい雰囲気で話すことができる。

 

今回の場合、娘は「どちらも違う」と答えた。

さあ、どうすれば答えに辿り着けるのだろうか?

 

 

○他のケースを出してみて、どう感じるかを比べる

 

私が捻り出した答えがどちらも違うと言われたので、いったいどうすれば不快感が言語化できるだろうと悩んでしまったが、

こんな時にオススメの方法は、他のケースだとどう感じるか比べてみることだ。

 

例えば今回の場合なら、「パディントン」を他の言葉に変えるとどう感じるかを比べてみる。

 

私は娘に、他のキャラクターに改変したセリフを言ってみるからどう感じるか教えて欲しいと伝えた。

 

  • 仮面ライダーギーツ(娘が好きでは無いキャラ)みたいに、変身してるね」

→NG

 

→NG

 

私は最初、「好きなキャラかそうじゃないか」によって不快感が違うのかと思ったが、そうではないようだ。

ここで娘自身も違いに気がつき、言語化してくれた。

 

「キャラクターに喩えられること自体が嫌かも」

と。

 

しかし私が以前、「アリエルみたいにかわいいね!」と言った時には娘は怒らなかった。

 

そこで「前にアリエルみたいにかわいいって言ったら怒らなかったよね?あれはどうして」と尋ねてみた。

 

すると娘はこう答えた。

「褒め言葉のために好きなキャラを出されるのは嬉しいけど、それ以外は嫌だ」と。

そこでその感覚が本当かを確認してみることにした。

 

「キュアプレシャス(娘が好きでは無いキャラ)みたいにかわいいね」
→NG

 

「キュアフィナーレ(娘の推し)みたいに綺麗だね」
→OK

 

やはり、好きなキャラを褒め言葉のたとえとして使うことには不快感を抱かない、という結果になった。

 

 

こうしてわかった結果は、

娘はどんなキャラクターであっても、動作をキャラクターに喩えられること自体が嫌だ

ということと、

娘にキャラクターをたとえるならば

  1. 好きなキャラクターで
  2. 褒める時の形容として

なら嬉しいということがわかった。

 

ここまで言語化すると、私の『理不尽に娘にキレられた』という気持ちはすっかり消えた。理由がわかったからだ。

娘の方も、スッキリした顔になっていた。自分がどう言う時に不快感を抱くかを理解できたからである。また客観的に理解したことで怒りもおさまり、冷静になっていた。

 

ちなみに、何故動作をキャラクターに喩えられたら嫌かは、よくわからない、らしい。

これも突き詰めれば言語化できるかもしれないが、とりあえず何をしたら不快かというパターンはわかったし、『同じことを繰り返して娘を不快にさせない』という目的は達成できるので、それについては「なんとなく」のままにしておくことにした。

 

 

言語化のために大切なこと

 

子供の怒りを言語化するために、しておくのがオススメなことは二つある。

 

  1. 親自身も言語化の癖をつけること
  2. 言葉のインプットをすること

 

1の親自身も言語化の癖をつけることは、子供の心を言語化する時の練習にもなるのはもちろんだが、

子供を叱る時に理由をわかりやすく説明できるようになるという点でもオススメだ。

 

「あなたがこう言ったのがダメなの!」とただ叱るのではなく、

「あなたの言葉は、他の人にはこんなふうに受け取られて傷つけるものだから叱ったんだよ」と伝えられるようになるのだ。

 

怒っても当たり前とか、仕方ないと思うことほどやってみるといい。

たとえば、子供が約束を破ったとか、忙しい朝に「着替えて」と言ったのに全く着替えをしてなかったとか、おもちゃを投げつけたとか。

 

また、怒りを感じる時には、根底に悲しみがあったり、「〜べき」という考えがあることが多いので、自分にはどんな悲しみがあるかや、「〜べき」があるかという視点で探ってみるといいと思う。

 

悲しみという点で深掘りしてみると

「何故私は怒ってるのだろう?」→子供が約束を破ったからだ→私は約束を破られて悲しい、と思ってるんだな→なぜ約束は破られると悲しいんだろう?→そうしないと自分が蔑ろにされてる感じがするからだな

 

「〜べき」という点で深掘りしてみると

「何故私は怒ってるのだろう?」→私は『約束を守るべき』と考えているからだな→何故約束は守るべきなんだろう?→約束を守らないと、人から信用されないし、仕事をクビになったり、お金や家を借りれなくなったりするかもしれないからだな

 

といった答えが出てくる。

 

こうやって深掘りすると、子供に叱る時も、「約束を守らないとダメ!」ではなく

「あなたが約束を守ってくれないと、約束を破られた人はあなたにぞんざいに扱われたような気がして、悲しくなるんだよ。そしてあなたをもう二度とあなたを信用したくなくなるんだよ」

とか、

「約束を守らないと、人から信用されなくなって、やりたい仕事ができなくなったり、お金を借りれなかったり、家に住めなくなったりするかもしれないから、約束は守らないといけないんだよ」

と説明できるようになる。

こうして説明した方が、子供も納得してくれやすくなる。

 

 

そしてもう一つ大事なことは、怒りを言語化にした時に、どんな理由であっても自分を責めないことだ。

例えば前述の場合だと、「私って約束を守るべき!って思ってるんだ…厳しすぎるかな」だとか、「私はぞんざいに扱われたように感じてるんだ…でもそんなのただの被害妄想だし良くないよね」だとか、そういった感想を付け加えないことだ。

逆に、「私は素敵!」「私は正しい!」みたいな褒め言葉もかける必要はない。

自分の観察リポートだと思えばいい。

「私は〇〇と考えたから(感じたから)怒っているんだな、以上!」で終わらせるのだ。

 

なぜ感想をつけてはいけないのか。

それは、自分の考えをフラットに捉えるためだ。

 

自分に対してフラットな見方ができるようになると、子供の言葉もフラットに聞けるようになる。

子供に理由を尋ねた時に、その理由がどんなにくだらなく、馬鹿げたものであったとしても、「ダメでしょ!」と子供を否定する言葉をかけなくなるのだ。

あなたは「怒らないから正直に言ってみて」と親に言われて正直に言ったところ、怒られて理不尽に感じたことはあるだろうか?あれはされると、二度と正直に言う気をなくしてしまうものだ。

フラットに物事を捉えられるようになると、「怒らないから正直に言ってみて」も言葉通りにできるようになる。

 

 

2の言葉をインプットすること、についてだが、ここでオススメな方法は絵本を読むことだ。

私自身は娘にとにかくたくさんの絵本を読み聞かせてきたのだけど…たくさんの本を読むよりも一つの本を何回も読む方が良いという説もあるらしい。

 

なので絵本なんてあまり持って無いし…とか、図書館に借りに行く時間もないし…という人は、子供のお気に入りの本を何回も読んであげると良いと思う。

 

また、子供が泣いた時や怒った時、その理由が明白な時はそれを言語化するのも良いと思う。

「食べたいお菓子が売り切れで、悲しかったね」とか

「見たいテレビが見れなかったことに、怒ってるのね」というふうに。

 

 

怒りの言語化については、こちらの記事も参考になるかもしれないので、もし興味があれば読んでみて欲しい。

 

[理論]負の感情の扱い方《イライラ・モヤモヤ編》 - 感情の考察、日常の幸福

 

 

ちなみに、娘にはこれまでいろんな理不尽(に見える)な理由でキレられてきたのだが笑、

その一部をここで紹介しようと思う。

 

2歳〜

○可愛いと言われたから

○フォークを使えたことを「すごい」と言って拍手したから

 

3歳〜
○「疲れてるなら座る?」と聞かれたから

○「おやつは何買うか決めた?」と聞いてきたから

 

5歳〜
○人形を使ってお笑いごっこをしてる時、「オッパッピー!」と言った時にママが「小島よしおやん!」と突っ込み入れたから

 

さて、この怒りの理由は何で、どうやったら解決するかあなたは想像できるだろうか?

私が娘と一緒に言語化し、考えた解決策はこうだった。

 

2歳〜

○可愛いと言われたから

理由:可愛いではなく美人と言われたかった。

解決策:容姿を褒める時は「美人」と形容する。

 

○フォークを使えたことを「すごい」と言って拍手したから

理由:褒められるためにしたことではなかった。大袈裟に褒められると馬鹿にされたように感じた。

解決策:何かができた時には、感情をこめずに「〇〇できたんだね」とだけ言う

 

3歳〜
○「疲れてるなら座る?」と聞かれたから

理由:「座れ!」と押し付けられてるように感じた

解決策:「座る?歩く?」というふうにいくつかの選択肢を出す

 

○「おやつは何買うか決めた?」と聞いてきたから

理由:考え中だったのに口を挟まれて思考を邪魔されたように感じた

解決策:考え中のときは「いま考え中」と伝えておく

 

5歳〜
○人形を使ってお笑いごっこをしてる時、「オッパッピー!」と言った時にママが「小島よしおやん!」とツッコミ入れたから

理由:お人形遊びをしてる時に外からツッコミが入ると急に現実に引き戻される感じがして恥ずかしくなった

解決策:人形遊びをしてる時にツッコミは入れずに黙って見る

 

 

こう理由を明らかにすると、娘は決して理不尽に怒ったわけではないことがわかると思う。

 

 

こうやって娘の不快感に配慮することを「甘い」とか「ワガママに育ちそう」と思う方もいるかもしれないが、私はそうは思っていない。

 

なぜなら、繊細さというのは否定すると、かえってイライラして余計に些細な物事に腹が立ってしまうというのを、自分の経験から知っているからだ。

 

繊細さは否定するのではなく、「こう感じてるんだね」と受け入れることで、強くなるのだ。

 

実際に、かわいいと言われるのが嫌いだった娘は、今ではかわいいと言われても平気になったし、以前ほど些細なことで怒りをぶつけることが無くなった。

もし私が、「褒めてもらってるんだから喜びなさい!」と叱っていたら、不快感を無理に抑圧することになり、今でもかわいいと言われることが嫌に感じていたのではないかと思う。

 

ただ、子供に合わせると言っても、『不快だからといって怒りはぶつけてはいけない』ということを教えることは必要だとも考えている。

 

私はいつも、「怒りは感じてもOK、でもそれを周りにぶつけることはマナー違反だよ」

「怒りをぶつけると、相手もあなたに怒りをぶつけ返したくなるから、怒りを込めずに伝えることが大事なんだよ」と伝えている。

 

 

 

この話が、何か参考になると嬉しい。

 

 

スピリチュアルな能力について思うこと

Twitterで書こうと思ったけど長くなりそうだからやっぱりこっちで。

 

私は以前、スピリチュアル詐欺に関して批判してたんだけど、スピリチュアルな存在自体は割と信じてる方だ。(宗教は否定しないけどやってない)

 

でも、最近気づいたことがある。
それは、スピリチュアルな能力というのは、味覚など他の感覚のように、衰えたり弱くなったりするのではないか?ということだ。

 

私の伯母は勘が鋭く、言ってないことを当てることがよくある。

つい最近起きたことを「もしかしてこんなことあった?」とぴたりと当ててきたこともあったので、どこかで見てたのかとか告げ口されたのか(でも、それが伯母のいる欧米某国に滞在してる時に起きたことだったから、それはほぼありえなかった)と最初は気持ち悪く思うほどだった。

ちなみに伯母は伯父(外国人)と出会った最初の頃に「この人と結婚する」とわかったそうだ(ちなみに伯母は伯父に興味はなく、伯父からの熱烈なアプローチで付き合ったという)

ダイアナ元妃が亡くなる一週間前に予知夢も見たそうだ。

 

伯母自身もその能力は自覚していて、周りから気持ち悪がられるので家族にしか話していないと言っていた。

ちなみに父も同じような能力はあるらしいが伯母ほどではない。


しかし伯母は、自分の弟(私の父)が母に対してモラハラをしたことや、離婚のゴタゴタの時にした私への精神的な虐待のことは、決して信じてくれなかった。


父はバツ3で、その経歴を見れば普通の人なら父側に問題があるとわかるはずなんだけど、それでも父の言い分を疑わなかった。

父は気の強い姉にはいつも弱かったから、そんなことするわけないと思ったのだと思う。


賢くて勘が鋭くて何でも知ってる伯母が、

ただ私の言い分は信じてくれなかったことは、とても辛いことだった。

 

 

だが、最近思うのは、その勘というか霊能力は、何か思い込みやコンプレックスに邪魔されたりすると、鈍くなるのではないか?ということだ。

 

 

母の友人にも、第六感が鋭く、名前や顔を見ただけでパーソナリティや過去に起きたこと、近々起こることを当てる女性がいる。

その人は昔、自分を利用しようとする人が近づいてきても気付けず、騙されてしまったことがあった。

その人は、巧みに彼女のコンプレックスを満たすような賞賛(あなたは素晴らしいとか、他の人とは違うとか)ばかり言う人だったらしい。

彼女には薄々、「その人はおかしい、信じてはダメ」という声が聞こえていたらしいけど、「でもこんなに良くしてくれるから優しい人のはず…」という意識が邪魔をし、自分に聴こえてくる声を信じることができなかったという。

幸い、彼女は本当に痛い目にあって、その人が仲良くしては駄目な人なのだと気づくことができたそうだ。

 

彼女ほどの能力があっても、コンプレックスを満たしてくれそうな人がいると簡単に騙されてしまうのだ。

 

 

私は以前、スピリチュアル教祖になる主婦の小説を書いたけど

小説『天使さまと呼ばないで』|小咲もも|note

その小説を読んでくださった方から、スピリチュアル依存から抜け出せたという報告をしていただいたことがあった。

スピリチュアル元信者さんからの報告 - 感情の考察、日常の幸福

 

その方もやっぱり、最初は信じた相手には何かしら不思議な力があるように感じたと仰っていた。

 

私は、霊能力とは特別な能力ではなく、みんなに備わっている力と思った方が、かえって騙されなくなるのではないかと思ったのだけど、

さらにこの『何らかの要因で、強まったり弱まったりすることもある』ということも、知っておいた方が良いのではないかと思ったのだ。

 

ちなみに私もたまに予知夢を見たり、虫の知らせが当たることはあるのだけど、その能力が出てきたのは18歳ごろからだったと思う。

20歳前後が今のところピークで、最近は落ち着いている。

 

 

何らかの要因で強まったり弱まったりする…というのは、五感を思い浮かべればわかりやすいと思う。

味覚や嗅覚は、いろんな料理を味わったり匂いを嗅いだりすると鋭くなるけども、どれだけ優れたシェフでも風邪をひくとわからなくなることがある。

聴覚も、楽器を練習したりいろんな音楽を聴くことで音を聴き取れるようになるけど、加齢と共に衰えることもある。

それに、病気や加齢がなくても、耳がいい人でも何かに集中していれば周りの声が聞こえなくなったり、

目がいい人でも『これはここに置いたはずだ』という思い込みがあると、近くにある物を見落とすことだってある。

 

それと同じなのではないだろうか。

 

 

でも、霊能力というとあまり馴染みがないものだから、持ってると聞くだけで、それが未来永劫続くとか、全てのものがわかるという思い込みを持ってしまう。

 

スピリチュアル詐欺にあった人に、「そんなものに騙されるなんて〜」と馬鹿にする人もいるけど、

私はあまり、そうした態度はとらない方が良いのではないかと思う。

その人にとっては、多分それが本当と思わせるだけの出来事があったのは事実なのだろうし、

そうした態度を取ると、自分が何かしら不思議な体験をした時に、極端に脆弱になってしまう気がする。

 

 

私も、これまで何度も不思議な経験をしてきた。

今まで書いたこととかぶるけど、悩んでる時にその悩みをピタリと当ててくるような人に何人も会ったり、叶えたいと強く願った夢が不思議と叶ったり、「こうしたい」と無性に思ったことをすると後でそれが役に立ったり、友人に何となく言った方が良いと思った話を伝えるとそれが友人のまさに悩んでいたことだったりした。

こうした経験をすると、やっぱりそうした見えない力を信じざるを得なくなるのだ。

 

 

見えない力は、ある。

でも多分誰にでも多かれ少なかれあるもの。

そしてそれはいつまでもあるものではなく、何らかの要因で高まったり低まったりもするもの。

また、コンプレックスや思い込みでわからなくなることもあるもの。

だから霊能力が高そうな人と出会っても、その人が何でもわかるとか、いつまでもすごい人とか思わない方が良いんじゃないかな。

 

 

霊能力は高まったりする…と聞くと、高くなる方法を知りたくなる人もいるかもしれないけど笑、

私個人の経験では、「予知してやるぞー!」と意気込むとかえって全然当たらないので、高めようと思う時点で高まらないようなものと捉えた方が良いかなと思う。

味覚や嗅覚や聴覚も、意識しすぎるとかえってトンチンカンな結果になることがあるし。

 

 

そんなわけで、最近思うことをつらつらと書いてみました。口調に統一感がなくてすみません。

何か参考になったなら幸いです。

ステップ・バイ・ステップ

「ありがとう」を言うのが苦手な子供だった。

 

 

母から「ホラ、ありがとうと言いなさい」と言われても、なかなか勇気が出なかった。

ありがとうを言うことは、自分の心の一番脆い部分を曝け出すことのような気がした。

そんな私を母は"困った子"とでも言うように「もう〜」と呆れたように笑ったり、怒ったりしていた。

思えば母は、親切をしてくれた相手への申し訳なさと、"自分は躾をきちんとしてるのだが、子供がワガママなせいでそれを証明できず困っている"というアピールのために、そんなふうに振る舞ったのだと思う。

 

だが、そんなふうに"困った子"扱いをされると、ますます言うのが嫌になった。

それどころか、母の言うことに従うと負けてしまうような気がして、私はそっぽを向いた。

 

本当は、たぶん、恥ずかしかったのだ。

そして、怖かったのだ。

 

 

周りの子はみんな、自分と違って素直なことは肌で感じていた。

私もあんなふうに振る舞えば、きっと母は喜び、大人から好かれる子供になるのだろうなと思っていた。

でも、出来なかった。

なぜ自分は、子供らしく素直に言うことを聞けないのかわからなかった。

そんな自分はやっぱり、ワガママで困った子供なのだと自覚していた。

こんな自分で母に申し訳ないとすら思っていた。

 

 

そんな私も大人になるにつれ、社会の荒波に揉まれてきちんとありがとうを言えるようになったが(言わないと角が立つからね!)

私の娘もやっぱり、ありがとうを言いたがらない子供だった。

 

言葉の発達が早く、2歳前には「おおきなかぶ」のストーリーを自分でほぼ説明できるほどの語彙力はあった。

だから言う能力がなかったわけではない。

 

行きつけのパン屋で店員さんとちょっとした会話できるようになっても、娘は店員さんに「ありがとう」を言えなかった。

「ありがとうは?」と私が促すと、首を振ったり「やだ!」と言ったりした。

 

母のように「もう〜」と言いたくなるのを堪え、私は過去の自分に思いを馳せた。

 

 

言いたくないのではなく、怖くて言えないのだ。

 

最初は、私が「ありがとう」を言う姿を見せてまずは覚えてもらうことにした。

「ママが言うから、それをよく見ておいてね」と伝えたのだ。

そうすると自然と言えるようになるかと期待したが、私の予想に反して、娘はそこからしばらく経ってもありがとうを言おうとしなかった。

そこで次に私は、「『あ』だけ言うのはどう?」と提案することにした。

娘は「あ」と言う。

私は続けて「りがとうございます」と言った。

 

それがやがて「あり」になり、「ありが」になり、時には私が「ありが」と言い娘が「とう」と言ったりもした。

時々、それすら拒否することもあったが、そんな時は「じゃあママが代わりに言うから、それを見ていてね」だとか「ママが代わりに言ったら、頭をペコってしようね」だとか提案した。

こうして二人でありがとうを伝えた後、ありがとうを言うことは自分に返ってくるということも教えた。

「人はありがとうを言われると、もっとあなたに優しくしたくなるんだよ。

ありがとうを言うのはタダでできるから、言った方が得なんだよ」と。

 

 

そんなふうに徐々に「ありがとう」を言うのに慣れて、ありがとうのメリットも理解したおかげで、5歳の娘は今、ありがとうを言うのが本当に上手な、"素直な子"になった。

 

 

 

…私が憧れていた"素直な子"は、多分心の中に潜んでいた本当の、優しい心を持つ自分の姿だった。

でもどうしたら、その姿を見せられるか私は知らなかった。

だからどこかの誰かが、何かしらの魔法のような形でその姿を見つけてくれることを祈っていた。

世界のどこかにいる"運命の人"が、私の心の中の本当の美しさを見出してくれると信じていた。

"美女と野獣"のように。

そしてあの物語のように、真実の愛さえあれば、それが可能だと思っていた。

でも現実は、そうではなかった。

粗暴な振る舞いをすれば、他人からもただ粗暴な野獣に見えるだけ。

愛の力で自分の本当の姿を見せられることなどない。

それを可能にするのは、自分の努力と、ほんの少しの勇気だ。

相手に伝わりやすい形で優しさを表現すると言う努力と、自分の心の弱い部分を素直に見せるという勇気。

ただ、私はその努力のしかたと勇気の出し方がわからなかったのだ。

 

 

⭐︎⭐︎⭐︎

 

 

人を育てる上で大切なことは色々とあるが、その一つは、相手に「ステップ」を作ることなのではないかと思う。

そしてそのステップが大きすぎるなら、さらに細かく分割したステップを作ることだ。

「ありがとう」を言うために、「あ」や「あり」というステップを作ったように。

 

だが、頭でそれがわかっていてもできない時もある。

そんな時は大抵、『できて当然と思うことができない時』だ。

 

 

5歳になった娘はもう、幼稚園でも毎日着替えをしているので、簡単な洋服なら自分で着ることができるはずだが、風呂上がりに「自分でパジャマを着て」と言うと嫌がることがあった。

パジャマなんて、幼稚園の制服よりもずっと単純な作りなのに。

こっちは下に子供が二人もいて、風呂の時には安全確認しなければいけないし大変なのに、とイライラして「自分でできるでしょう」と最初は言っていた。

確かに能力的にはできるのだが、それでも何かしらの理由があって、娘は自分ではしたくないようだった。

 

こんな時に大人の正しさを押し付けても、あまりうまくいかない。

 

分解し、ステップを作るのだ。

 

「じゃあ、上の服は着せてあげるから、下のパンツとズボンは自分で履いてくれる?」と提案してみると、娘はそれを受け入れてくれた。

少し手間にはなるが、それでも全て着せるよりもずっと楽なので、私もありがたかった。

 

 

大人からすると、"「ありがとう」を言うこと"も、"パジャマを着ること"も、一つのステップに見える。

 

だが実際は、「ありがとう」は「あ」と「り」と「が」と「と」と「う」を言うステップに分けられるし、

パジャマも肌着、下着、トップス、ズボンというステップの集合体なのだ。

 

子供の背が届かない場所に踏み台(ステップ)を置くように、子供ができないことに直面したら、その"できないこと"を分割し、踏み台を置くことが、大事なのかと思う。

 

 

 

子育てで学んだことは、コミュニケーションにおいて大事なことは、相手と自分の"落としどころ"を見つける、ということだった。

 

ところが親子間になると、大人の正しさを押し付けてしまいがちだ。

 

確かに、大人のやり方は社会的には好ましく思われることが多い。

だが、子供には子供の正しさや論理がある。

それは恥ずかしさによるものだったり、寂しさによるものだったりするので、大人はつい「そんなことで」と言ってしまう。

 

特に繊細な子供ほど、恥ずかしさや不安といったネガティブな感情がある時には、こちらに怒りをぶつけながら「やだ!」とか「いや!」と言う。

それは大人には、「やりたくない!」「面倒臭い!」というメッセージに見える。

こうして子供は"ワガママな子"や"困った子"扱いをされていく。

 

もちろん時には、本当にやりたくないものもあるかもしれないが、話を聞いてみると「やり方がわからない」だったり「疲れていてやる気が出ない」だったり、「自分にはできる気がしない」というSOSであることも多い。

 

そんな時にかける言葉は「このぐらいできるはずでしょ」ではなく、「じゃあ、この部分はできる?」「どこまでならできそう?」でありたいと思う。

まだ、完璧ではないけれど。

 

 

この考え方は、大人にも同じように当てはまる。

 

やる気が出ない時、憂鬱な時、しんどい時、「できない自分」を責めてしまいがちだけども、何ならできるかを分割して考えてみる。

そして、できそうなことに着手する。

着手してみると、意外と元気が出てきて他のこともできることは多い。

もし他のことができなくても、一部分をできた自分にオッケーを出す。

すると元気が出た時に、また他の一部分に着手できるようになる。

 

 

こうしてひとつひとつできることをしていくことこそが、日々の幸福に繋がる気がしている。

今年はそんなふうに過ごせたらいいな、と思っている。

「やめて」と伝えること

幼稚園年中の娘には、クラスに嫌いな子がいるらしい。

仮にその子をAちゃんとするが、Aちゃんは自分が使いたいおもちゃを娘が使っていると「使い過ぎだよ」と奪っていったり(使っている数は決して多くないのに)、

娘が良かれと思って「〇〇したら?」と助言したことを「そんなこと言ったら、先生に言いつけるよ」と謎に脅したりするそうで

大人の私でも、面倒くさそうだから関わりたくないな、と思うような子だった。

(勿論、娘からの一方的な報告なので見方に偏りはあるだろうけども)

 

私は「その子とは多分相性が良くないから、できるだけ関わりを持たないようにしなさい」と伝えていたのだが、なかなかそうもいかないようなので、私から幼稚園の先生に対応してもらえないか言った方がいいのかな…とも思ったのだが、

その前にただ一つ。「まずは『やめて』を言いなさい」と伝えた。

だが、娘は難しいという。いつも対応をどうしようか迷ううちに、物を取られてしまうらしいのだ。

 

そこで私はシミュレーションをすることにした。

私がA子ちゃんになりきり、おもちゃを取るふりをする。

そこで娘は「やめて」を即座に言うのだ。

 

何度か練習すると、段々と咄嗟に言えるようになったので「この調子で幼稚園でもやってみなさい」「もしそれでやめてくれなければ、ママが幼稚園の先生に伝えておくから」と言っておいた。

 

そして、翌日。

娘は嬉しそうに帰ってきた。

「やめて、と言えたよ」と言う。

だが、A子ちゃんの反応は期待通りとはいかなかった。

「だって私使いたいもん」と言って、やめてくれなかったのである。

私はまず、娘を褒めた。「やめて」を言えたあなたはすごい、と。

そして、今回のケースでは「やめて」を伝えてもやめなかったA子ちゃんに非があると言った。

 

さて、こうなると私の出番である。

「よっしゃ、ママが幼稚園に電話したろ!」

念のため、娘に確認をする。

A子ちゃんには今日のことを謝ってもらいたいのか、それとも謝ってもらえなくてもいいからこれから同じことを繰り返してほしくないのか。

娘は後者だと言った。

 

私は幼稚園に電話し、娘がA子ちゃんを嫌いなこと、トラブルがあったことを伝えた。

そして『娘は今日のことは謝ってもらう必要はないと言ってるのですが、これから似たようなことがあった時に対応してもらえると嬉しいです。また、先生もお忙しくて気づかないこともあるかと思いますので、娘が自分から先生に報告できるようにこちらからも伝えておきます』と言った。

 

娘にも、「先生はたくさんの子供を見てるからあなたがA子ちゃんに嫌なことをされても気づかないこともある。だから『やめて』を言ってやめてもらえなかった時は、あなたが先生に報告に行きなさい。それがあなたの責務である」と伝えた。

 

翌日、娘はまた嬉しそうに帰ってきた。

「またおもちゃをとられたんだけど、先生に伝えたら謝ってもらえた!」と言う。

 

私は娘を褒めた。

やめてを伝えたこと、そして先生にきちんと報告ができたことを。

 

 

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「やめて」をちゃんと言えることは素晴らしいことである。

実のところ、私も「やめて」を言うのが苦手だ。

言ったら相手を傷つけるのではないかとか、嫌われるのではないかとかいろいろ考えてしまって、我慢してしまいがちである。

 

だが、これは一種の逃げである。

相手に悪いからと言い訳して、自分のやるべきことから逃げているのだ。

自分が傷つくことから逃げているのだ。

(もちろん、犯罪で怖くて声が出ないといったケースはここから除外される)

 

人によって、何が不快かは違う。

それは伝えなければわからない。

娘にも話した通り、これは"やられた側の責務"なのだ。

 

子供がちゃんと「やめて」を言えるように育つために、大人にできることがふたつある。

ひとつは、子供が「やめて」と言うことを、すぐにやめることである。

 

私の両親は、それができなかった。

父親は、わたしが「はなして!」といっても手を放さず、ニヤニヤしながら手を掴んだ。

母親は、私がからかわれたことに怒ると、『ごめんごめん』とやめてはくれるものの、『ジョークやから』と言い訳するので、私は余計に怒り狂った。

 

父親のやり方は、私の感覚を鈍らせるものだった。

(私がやめてと言ってることを、父は笑うのだから、これは楽しいことなのかもしれない)と思うようになった…気がする。ただ、かなり小さい時の記憶なので、この辺の感覚は正直なところ、あやふやだ。

母親の「ジョークだから」という言い訳が、私は嫌いだった。

嘘をつくとダメと言われるのに、どうしてジョークと言えば許されるのだろうと、理不尽さを感じていた。

今思えば私は"明らかに嘘とわかること"に怒っていたのだろうが、子供の私にはその判断がうまくできなかった。

自分は本当に傷ついて怒っているのに、たぶん子供だからそれが母には可愛く見えたのだろうが、真摯に謝ってもらえないことが辛かった。

(だから私は娘がどんな些細なことに怒った時でも、必ず真摯に謝るようにしている)

 

親がこのような態度でい続けると、子供は次第に、自分の「やめて」には効力がないのだと誤った認識をしていく。

そして次第に、「やめて」を言えなくなる。

或いはやめてと思う自分がおかしいのではないかと感じるようになる。

 

だから、やめてと言った時には必ずやめなければならない。

もしやめられない理由があるなら、それはいったん止まってから伝えるのだ。

 

さて、「やめて」と言われてもやめなかった私の父親や、真摯に謝ってくれなかった母親は、悪い人間だったのだろうか?

悪い人間だから、相手の嫌がることをやめられないのだろうか?

私の見解は違う。

 

「やめて」といってもやめてくれない人間は、多くの場合、自分の感じることを相手も同じように感じ取っているはずという誤った幻想を抱いてるのだと思う。(もちろん、自分を利するためにわざと辞めないような極悪人も世の中にはいるだろうが)

だから、やめない。

やめてと口では言っていても、心の中では喜んでいるはずだ。だって自分の心は楽しいのだから。という思い込みがあるのだと思う。

自分と相手が違う人間で異なった感じ方をするという認識が薄いのだ。

 

じゃあやっぱり悪い人間じゃないか、と思われる人もいるかもしれないが、こういうタイプの感じ方をする人には、良い部分もある。

それは相手の悲しみを自分のことのように感じられたり、自分が喜ぶことを相手にもしてあげたいと思えるところである。

相手と自分が繋がってると信じているからこそ、相手の悲しみや喜びを自分のことのように感じるのだ。

 

私の父親もそうだった。

自分が楽しくて相手が嫌がることに対しての感度は低かったが、思いやりが強い部分もあって、私の悲しみを自分のように悲しんでくれたり、私が喜ぶだろうといろいろなギフトをくれたりする。

 

私の思い込みかもしれないが、日本人はこの手の感じ方をする人が多いのではないかと思う。

 

欧米に住む私の伯母は

「日本の諸悪の根源は、精神論」と言った。

では逆に、良いところはどこかと尋ねると、「思いやりのあるところ」と答えた。

例えば、伯母はいろいろな国をこれまで訪れたらしいが、空港のキャリーケースが流れるベルトコンベアで、キャリーケースの持ち手が客の持ちやすい向きに全て並べられているのは日本だけだったという。

「こんな細やかなところまで気遣いができるのは、日本だけよ」と伯母は言った。

 

私にはこの、精神論と思いやりの強さというものが、どこかで繋がっているように思えてならないのだ。

 

あらゆるものにアニミズムを感じ、それを大事にするからこそ、相手を思いやれる。

だが逆に、精神性を重視しすぎるあまり、あらゆる物事を精神だけで解決できると思い込んでしまう。

 

また、相手と自分が同じように感じていると思うからこそ、思いやりを持てるが、

相手と自分が違う人間であるということを忘れるからこそ、論理的に説明しようとせず、ただ頑張ればなんとかなると思い込んでしまう。

 

むかし、森信三先生の『修身教授録』を読んだ時に、

『性格における短所は、行きすぎた長所である』

という主旨の文が書いてあり、感銘した覚えがある。

 

「やめて」を言えない日本は悪い国だ…そう言うのは簡単だけども、

そうして日本の悪癖を"矯正"していったら、私は日本は思いやりも面白みもない国になってしまうのではないかと思う。

 

「やめて」を言いにくいのは、相手と自分がどこか繋がっているような感じ方をしているから。

もちろん繋がっている部分もあるけれど、違う部分もある。

だから、相手が「やめて」を言ったらやめなければいけないし、逆に自分がやめてほしいことは、ちゃんと「やめて」と言って良いんだよ。

でもこの感じ方をしているおかげで、相手を思いやることもできるから、決して卑下することはないんだよ。

そんな気持ちでいけばいいのではないかと、思っている。

 

かなり話が逸れてしまったが、話を日本から子供に戻す。

 

子供がちゃんと「やめて」を言えるように育つために、大人にできることのもうひとつは、

子供自身にも、相手が「やめて」と言ったことはすぐやめるようにさせることだ。

 

実のところ私の娘はこれが苦手だ。

家族以外の人に「やめて」と言うのも苦手だが、相手から(とりわけ、家族のような近しい存在から)「やめて」と言われたことをやめるのも苦手なのだ。

私は毎度「やめてと言ったことはすぐやめなさい。やめたくない理由があるなら、一旦止まってから伝えなさい」と口を酸っぱくして伝えているが、中々この癖は治りそうにない。

 

やめてと言ったことをすぐやめない時というのは、大抵(良かれと思って)だったり、(自分は平気と思ったから)だったりする。

 

また、特に良かれと思ったことに対して「やめて」と言われることに、非常に傷つく。

娘は「やめて」と言われると、自分が無価値なように感じるそうだ。

「そうじゃないんだよ、あなたと相手とは感じ方が違うんだから、或いはあなたはそれがダメだと知らなかっただけなのだから、そういうときは『ごめんね』って言ってすぐやめればいいんだよ、それで終わりだよ」と何度も伝えているが、これはなかなか言葉だけでは納得できない感覚のようだ。

 

娘の気持ちもよくわかる。私もそうだった。

私も娘も感受性が豊かで、人の喜ぶ顔を見るのが好きだ。

心のどこかで、相手の喜びを自分のことのように感じるからだろう。

だからこそ、「やめて」と言われることに衝撃を受ける。

自分が楽しいと感じることを、相手が不快だと感じることが信じられないし、傷つくのだ。

 

私や娘のようなタイプは、やめてと言ったことをすぐやめる他に、もう一つ、気をつけなくてはならないことがある。

それは、"相手の反応が自分の期待通りではなくても、怒らないこと"である。

もっと言うと、相手の反応に期待しないことである。

 

そのためにも、『自分と相手とは、感じ方が違う部分があるということ』はよく覚えておかなければならない。

これは、相手にいらないお節介を焼かないためにも、そして期待通りの反応が来なかった時に恨みに思わないためにも、必要なことなのだ。

 

相手に期待通りの反応を求めてしまうのも、自分が相手と同じ感じ方をしていると思うからこそなのだ。

 

 

☆☆☆

 

 

私と相手は違う人間だ。

だから、あなたが不快と思うことは「やめて」と言って良いし、あなたもまた、相手が「やめて」と言うことはやめよう。

相手を不快にさせたからといって、自分をけなすことはない。

あなたは相手と感じ方が違うということを、知らなかっただけなのだから。

ただ謝った後に、同じことを繰り返さなければいいだけだ。

 

私と相手は違う人間だ。

だが、全てが違うわけではない。

心のどこかで繋がっている部分もあって、そんな部分が私たちに思いやりという素晴らしい美徳をもたらしてくれる。

あなたが相手のことを自分と同じように感じるのであれば、それはあなたの心に深い思いやりが存在する証拠なのだ。

ただそれが行きすぎて"要らぬお節介"とならないように、相手には期待しないようにしよう。

つまり、相手に何かしてあげる時は、期待通りの反応が返ってこなくても許せる範囲のことをしよう。

それは相手を切り捨てることではなく、相手の存在を、個性を、尊重するということなのだ。