[メッセージ]いつも心にともしびを - 感情の考察、日常の幸福
3年前、こんな記事を書いたけれど
実はこれを書いている時、私にはとある夢があった。
それは、書いている小説
小説『天使さまと呼ばないで』 第1話|小咲もも
が、書籍化し、ドラマ化することだった。
こんな大きな夢、公言するのは恥ずかしくて、このブログでは書いてなかったけれど
私はずっと、この夢を叶えたいと思っていた。
この夢こそが、私の心の中の灯火(ともしび)だった。
私はこの灯火を心に燃やしながら、この時のブログを書いていた。
でも、どうやって叶うというのだろう?
小説は万バズすることもなかったし、ダメ元で応募したnoteの賞も落選した。
そもそも、初めて書籍化を目指すには話が長すぎる。この長さでは出版社に応募もしづらい。サッと読むには時間がかかる量だから持ち込みも難しいし、出版社にツテもない、自費出版することも考えたが、専業主婦の私が出せる金額ではなかった。
だから、私は、この自分の無謀な夢が叶う方法が全くわからなかった。
私は自分にとって都合のいい夢想をした。
「もしかしたら、いつかどこかの出版社の編集さんがこの小説を読んで、声をかけてくれるかも!」と。
さながら、白馬の王子様を夢見るシンデレラのようだった。
そもそも、なぜドラマ化したいと思ったかと言えば
この小説は、相互フォロワーの黒猫ドラネコさんの「子宮の詩が聴こえない」
子宮の詩が聴こえない1-①|黒猫ドラネコ
という小説を読んだときに、「もし私が小説を書くとしたら、騙された信者側じゃなくて、騙す教祖側の話を書きたいな」と思ったことをきっかけに、いろいろなシーンが頭に浮かんで思いついた物語だ。
そこから家を雑巾掛けしたり、スーパーの帰りにママチャリを漕いだりするたびに、小説に出てくるいろんな場面が映像として流れてきた。
それがあまりに面白くて、他の人にも見せたいなあと思ったことから小説として書いたのだ。
だから、自分が自分の力だけで書いた!という感覚はあまりなくて、自分が頭の中で見た映画を文章化したという感じだった。
私がしたことといったら、頭に浮かんだ光景を文章にすることと、その時の登場人物の気持ちを想像すると胸やお腹の中でいろんな感覚(冷たい感じ、とか灰色の壁に囲まれてる感じ、とか)がしたからそれを心情として描写したことと、重要なシーンと他の重要なシーンを整合性をもたせるように繋げる文章を考えたことだけだ。
(話が逸れるが、私は小説を頭で考えて描くものと思っていたから、実際に書いてみたときに、頭で描くのではなく、頭に浮かんだ映像をお腹の中で感覚を確かめて書いたことが新鮮だった!他の小説家さんはどうなのかなあ)
そんなわけで、思い浮かんだ時に頭に流れたあの映像が本当に映像化されるところを見たいというのが、1番の理由だった。で、ドラマ化されるにはそもそも書籍化されないと無理だろう…とのことで、まずは書籍化を目指したのだ。
だが、声をかけてくれる編集さんは、いなかった。
小説を書いてから1年、2年とたち、私は段々と焦るようになった。
焦るけども、何をしていいかわからない。
"白馬に乗った編集者様"を夢見る自分が、何も努力をしてないように思えて、こんな自分だから夢を叶えられないんだ、もっと行動的になるべきかもしれないと、とある出版社二社に連絡をとってみたが、一社からはいい返事はもらえず、もう一社からは返事さえ来なかった。
こうもうまくいかないので、段々と自分が恥ずかしくなっていった。
心の中ではこんな声が聞こえ始めた。
「こんな無謀な夢を描いて、馬鹿みたい」
「恥ずかしいと思わないの?」
「万バズしてない時点で、無理に決まってるでしょ」
「実力がなかったってことよ」と。
しかも、私は小説家になりたいわけではない。ただ過去に書いたたった一つの小説を書籍化して、ドラマ化したいというおかしな夢があるだけだった。だから他にたくさん小説を書いて応募したいとも思えなかった。
私は自分で自分のことを、身の程知らずの夢に固執する間抜けのように感じた。
悲しいことに、それでも私はその望みを捨てきれなかった。あまりに願いすぎて、「たまたま小説を読んだ編集者から連絡が来る」という夢(寝るときに見る方)を2度も見た。夢から覚めた時、あれは夢だったのかと思うと、切なく、哀しくなった。
そのうち私は、その夢を忘れるようになった。
3人だった子供は1人増え、4人の母になった。夫と子供達との生活は楽しかったし、時折夢のことを思い出しては、少し心が切なくなったけど、毎日家事や育児に忙しく過ごしていた。
でも、2023年の秋か、冬ぐらいだろうか。
ママチャリを漕いでスーパーへと向かう間、頭の中でふとあの声が聞こえたのだ。
「 叶えたい夢があるなら、頭の片隅にいつもそれを置いておきなさい。いつかそれは叶うから」
それは、私に夢を叶えることを教えてくれた、あのDさんの言葉だった。
私は自分が過去に書いた、ブログのことを思い出した。
そう、この夢は、私にとっての灯火なのだ。
私は思った。この夢を持ち続けてもいいんだと。
誰に見せるわけでもないから、恥ずかしくないのだと。
この夢は私の心をそっとあたたかく照らしてくれる物なのだから、たとえ叶わなかったとしても、ずっとその火を灯し続けていればいいのだと。
そう思うと、心があたたかくなった。
私は自分の心の片隅に、そっと小さな蝋燭を灯すイメージをした。
小さいけれど、決して火の消えることのない蝋燭。
ドラマ化や書籍化のために何をすればいいかはまだわからなかったけど、私はこう考えるようになった。
「Xでバズった時とかに、地道に宣伝していこう。そうしたら段々と広まって、人気が出るかもしれないし、そのうちもっといい方法が思いつくかもしれない」
そして普通に生活した。そう、育児と家事を普通にこなす生活を。
それから数ヶ月したころのことだった。遠方に住む友人Yちゃんから、今度私の住む県に来るから、会おうという連絡が来た。
会う約束をし、どこに行きたいか尋ねると、神社好きなYちゃんは2つの神社に行きたいと答えた。
一つはとある出世した戦国武将が祀られている神社で、もう一つはその近くにある縁結びで有名な神社だ。
私も神社が好きだから、もちろんと返事をして、その日を迎えた。
出世した戦国武将で有名な神社に行ったとき、私は珍しくお願い事をしたくなった。
出世で有名な武将さんだからということで、そのご利益にあやかりたいと思ったのだ。
普段の私は神社でお願いすることはほとんどない。
いつも子供達が元気に成長してることや幸せに過ごせることの感謝を伝えるか、子供達への接し方に反省したときに「もっといい母親になれるよう頑張ります」と宣言するぐらいだ。
でもこの時は、こんなことをお願いした。
「昔書いた小説をどうしてもドラマ化したいです。そのために自分にできることを頑張っていきますので、お力添えお願いします」と。
その神社ではお守りも買った。美しい鈴の音が鳴るそのお守りをもつと、本当に夢が叶うんじゃないかとちょっとワクワクした。
次に行った神社では、私はYちゃんが今日こうやって遠くからここに来てくれて、一緒に名産品を食べたり神社に行けたりできてありがたいなと思ったので、「Yちゃんにたくさんの幸せが起きますように」とこっそり願った。
その日の夜である。KADOKAWAの編集さんから連絡が来たのは。
ちょうどその時、私がXに書いた中学時代の話がバズっていた。私はそこに小説の宣伝を載せていたのだ。
それを見た編集さんは小説を全て読んでくれ、面白いから漫画にしませんか?と言ってくれたのだ。
その日は興奮しすぎて2時間しか寝られなかった。
あれだけ願って、文字通り夢にまで見たことが現実に起きたのだ。
神社でお願いしたから叶ったのか、たまたまそのタイミングで叶っただけなのかはわからないけど、後日私はその神社に行き、賽銭箱に1万円を入れてお礼を伝えた。
これから自分は、薔薇色に輝く道を歩んでいくような気がした。
しかし、夢というのは、叶った後が本番である。
夢がなかなか叶わないうちはつい、叶ったら自動的に全てうまくいって、面倒くさいことから解放されて、幸せを手に入れられる気がするものだ。
だが実際は、叶った後もまた地道に色んなことを選択し、時には待ち、面倒くさいこともしていかなければならない。
出版社から声がかかると言う夢が叶った後で、私にもいろんな"地道にやらなければいけないこと"があることを知ったのだった。
最初に私が経験したことは、待つことだった。
編集さんが、作画をお願いする漫画家さんを探すとのことで、その連絡を待つのに2週間かかった。
この時の私は、 「リスペクトできる画力のある人に頼みたいな〜」などと、呑気なことを考えていた。
しかし、編集さんが見つけてきた3人の漫画家さんには全員断られた。1人ずつ声をかけていったので、最後の人から返事をもらったときには1ヶ月経っていた。
その間、やることがないとつい連絡が気になってしまうので、キャラクターの資料を作ることにした。
漫画家さんに断られるうち、段々と、自分があまり贅沢できない立場であることを理解していった。
昨今はコミカライズが流行していて漫画家が不足しており、話を受けてもらえるだけでありがたい状況だったのだ。
私は自分がいかに高望みだったかを自覚し、「絵が上手くなくても、作品を愛してくれる人に描いてもらえればいいか」と思うことにした。
3人の漫画家さんに断られてから1週間後、また3人の漫画家さんを編集さんは見つけてきてくれたが、1人目に断られた。諸事情により連絡が来たのは声をかけて10日以上経っていた。
こうして漫画家さん探しが難航する中、私はふとこう思った。
「自分で描けばいいんじゃね?」
どう考えても、この漫画家さん選びはうまくいってない。これは何か、人智を超えた存在が邪魔してるのではないかと思うほどだった。とすれば、やり方が間違ってるのではないか。人に頼ろうとするのではなく、自分でやりなさいと神様が言ってるんじゃないかと思ったのだ。そもそもX(Twitter)のユーザー名だってmangakakuhitoだ。これは開設当初、毎日エッセイ漫画を描くつもりだったから適当につけた名前だったが、作画が別の人ならmangakakanaihitoになるではないか。
いやしかし、素人の私が描くなんて言っても編集さんにはご迷惑かもと、ただ資料としてネームを描き、もし自分が描くことになった時のために漫画の勉強をすることにした。
その間声をかけていた漫画家さんからは、返事すら来なかった。どうやら、連絡が来たことすら気づいてもらえなかったらしい。
次に声をかける予定だった漫画家さんの絵は正直、本当に申し訳ないのだけど、私がリスペクトできるものではなかった。
「リスペクトできない人に、作品を愛してもらえるかわからない中で作画を頼むなら、小説を書いた自分が絵を描く方が、愛があっていいのではないか?」そう思った。
とうとう私は勇気を出して編集さんに、自分が描くのはどうかと提案してみた。
編集さんは賛成してくれたが、編集部の判断が必要ということで、一度原稿を描くことになった。
画材や機材のない私は、夫にiPadとApple Pencilを買うことを相談した。夫は快く了承してくれ、少し高い入籍記念日のお祝いも兼ねてiPadとApple Pencilを購入した(自分のお小遣いからも何割か出した)。漫画家になれるかもわからないのに機材を買うのは博打かと思ったが、私は賭けに出ることにしたのだ。
そこから1ヶ月近く、毎日絵の練習をした。漫画の描き方の本も、パースの勉強の本も、デッサンの本も買った。
苦手な背景は、素材を使えば上手く見せれるとは思ったが、基礎的な画力がないと説得力のある絵にはならないだろうからと、家の周りの建物の写真を撮って模写した。iPadが届く前は紙に描き、届いてからはデジタル作画の練習をした。
デジタル作画の練習も兼ねて、数ページの見本原稿を描いてみて、編集部さんに見せると、まあ編集さんが指導しつつなら良いですよという返事ももらえたので(ちなみにこの返事が来るのにも2週間ぐらいかかった)いよいよ私は漫画家デビューが決まった(はずだった)
とはいえ、すぐに漫画を描くとはならない。なぜなら小説が長すぎて、何話でどのぐらいの原稿を描くかの見当がつかなかったからだ。
漫画家が決まったからとて漫画が無尽蔵に描けるわけではない。私が載せる予定のレタスクラブwebは原稿は8ページまでしか掲載できず、また本として刊行するには何ページまでという制約もあった(そうしないと、予算がおりないそうだ)
編集さんからは「何話ぐらい必要か、まずはプロットを作りましょう」と提案され、その制作とチェック、修正でまた1ヶ月かかった。ちなみにプロット作成中も練習も兼ねて2話分のネームを描いた

↑こんなのを描いていた
こうして、原稿を描く前の最終打ち合わせで修正したプロットに許可をもらった。この時、 この時、最初にコミカライズの話をもらってから5ヶ月が経っていた。
そして、最終打ち合わせの翌日である。
この日私は、予約していた健康診断に行っていた。
健康診断をしたクリニックは、Yちゃんと行ったあの神社からわりと近い場所で、無事漫画を描くことも決まったしお参りもしたかったけど、家に帰って早く子供の面倒を見なきゃと(夫は休みを取ってくれてはいたけど)、お参りは今度しようと思いながら帰りの電車に乗った。
そこに、小説を書いていたnoteというサイトから、お問い合せが来てることに気がついた。
送り主は、稲美杉さんという漫画家の方だった。
問い合わせにはこんな内容が書いてあった。
小説が書かれた時から読んでいてファンです。ずっと漫画にしたいと思ってました。付き合いのある出版社にかけあうので、漫画にさせてくれませんか…と。
私の愛用しているコミックシーモアで検索する。とりあえず最新の作品を読む。
上手い!!!!!!!人物が美しいのはもちろん、背景や無機物も美しい!!!!!!!!!!コマ割りもセンスが良いし、人の動きが自然である!!!!!!!!!
資料として過去の作品の読めるサイトを教えてもらったのでそれも読んでみる。
小説に出てくる「子供ができないことに悩むこと」「ハンドメイド」がテーマの漫画があることに気づき、また興奮する!!!!!
しかも、付き合いのある出版社にかけあうとまで言うほど、作品を愛してくれてるのである!!!!!!!!!!!
まさしく、私がリスペクトできる画力があって、作品を愛してくれて、しかも登場人物の心情まで理解してくれる、理想どころか理想以上の漫画家さんだった。この小説を漫画にするなら、この方以上の適任者はいないのではないかと思うほど、全てがピッタリの漫画家さんだったのだ。
何度も言うが、プロットが完成した翌日にこの連絡が来たのである。
私は夫に相談した。1番の気がかりは、せっかく買ってもらったiPadが使えず申し訳ないことだが、夫はこう言ってくれた。
「お金のことなら気にしなくていい。一番は、良い作品を作ることだと思う」
私は夫と結婚できたことに改めて感謝した。
7歳の娘も言った「私なら、漫画家さんにたのむなあ。だって、自分より漫画のことをよくわかってるもん」。聡い子である。
私も、良い作品にするにはどう考えても、私ではなく稲先生が描くほうが良いだろうと思った。
編集さんに連絡し、稲先生と話してもらって、編集さんも是非一緒にやりたいと思ってくれ(稲先生は、小説に合うよういろんな描き方を提案してくれたらしい…プロフェッショナル…!)
編集部の方からも許可が出て…そこからは、あの漫画家さん探しの日々が信じられないぐらい、とんとん拍子に決まっていった。それにあらかじめ参考資料やネームやプロットも作っていたので、びっくりするほどスムーズに作画をお願いできた。
さて、iPadとApple Pencilを買ったことは、20万近くかかった博打だったが、作画をしないことになった私はこの博打に負けたのだろうか?でも、もしあそこで自分で描くと言わなければ、自分の好きじゃない絵の漫画家さんに我慢しながら頼むことになっただろうし、もしそのあと稲先生からの連絡が来たらめちゃくちゃショックだったろうから、勝ったということにしておく!ちなみにiPadとApple Pencilは原稿チェックに役立っているので買ってよかった。
稲先生が描いたネームを読むと、その技量に圧倒された。
私が「主人公が座りながら喋る絵」を描いても、「主人公が座ってる絵」「主人公が口を開いてる絵」がただ繋がってるだけの絵になるが、
稲先生が同じシーンを描くと「主人公が腰をかけ、今まさに口を動かしながら話してる絵」になるのだ。


(これは私が描いた見本原稿と、稲先生の原稿。いやもう、ほんまに並べるだけで恥ずかしすぎる!!!)
稲先生の原稿を見て、私は「漫画家って、ただ絵を描くだけではなくて、原稿の中の人々に命を吹き込む仕事なんだ…!」と感動した。
稲先生のネームや原稿をチェックするのは、いつも至福の時間だ。自分の小説が、こんなに美しい漫画にしてもらえることが本当に嬉しい。ドラマ化の夢は叶うかわからないけど、もうこれだけで十分と思えるぐらい、私はなんて幸せなんだろうと思いながらいつも読ませていただいている。
こうして今、レタスクラブで小説が元になった漫画、「スピリチュアル教祖になった主婦〜天使さまと呼ばないで〜」が連載されている
ブランドものを買い漁り、自慢する日々。「天使の声が聞こえる」女性の裏の顔【天使さまと呼ばないで】 - レタスクラブ
漫画は閲覧数次第で、長く続くかどうかが決まるので、よければぜひ読んで欲しい!!!そして広めて欲しい!!!!
かなり長くなってしまったが、本当に、あの心の中の灯火を、消してしまわなくて良かったと思う。
私の心の中にはあと三つ、灯火がある。
一つはドラマ化すること、あとの二つはドラマ化にあたって願ってることだけど、恥ずかしいから秘密だ!
漫画がどのぐらい続くかもまだわからない状況だけど、笑われるかもしれないけど、私はこの灯火を、いつも心の中に灯しておこうと思う。Dさんが言ってくれたように。
最後になるけど、灯火は、現実逃避の手段ではなく、現実を大事にしつつ、持っておくことが大切だと思う。
私が小説書籍化やドラマ化の夢に固執して、その夢を無理に叶えるために身の丈に合わないお金を出して自費出版したらうまくいかなかったろうし、育児や家事をおろそかにしていたら、夫や娘は私の背中を押してくれなかったかもしれない。
ちょっと面倒臭い時もあるけど、地道に日々を積み重ねることでこそ、幸福は形作られるし幸運もやってくるのだなと思う。
3年前の元日に「いつも心にともしびを」のブログ記事を書いた時、いつかこの夢が叶ったら、「私の心の中のともしび」というタイトルで、詳細を書きたいと思っていたのだけど、同じ元日にこの記事が書けてよかった。
ちなみに3年前にこの記事を書いてる時は、夫が仕事で鬱になりかけていて夢どころじゃない時だった。(詳細はブログに書いた)[エッセイ]不運のなかの幸福 - 感情の考察、日常の幸福
あの時の自分は生きていくのに不安を抱えつつ、自分を励ます気持ちも兼ねて、あのブログを書いていたなぁ…
さて、あなたには、夢がありますか。
夢があるなら、それが誰かを不幸にする物でなく、考えるとあたたかい気持ちになるものなら、ぜひその夢を、灯火として持っていてください。
あなたの夢が叶いますように。
叶わない間も、あなたの心を優しく明るく照らしてくれますように。
2025年が、あなたが夢に近づく年でありますように。