叶えたい夢があるなら、頭の片隅にいつもそれを置いておきなさい。いつかそれは叶うから。
これは私が若い頃出会った、自己肯定感について色々と教えてくださったDさんの言葉です。
あなたには、何か夢があるでしょうか。
それは、難しい夢でしょうか。
それでも、その夢をいつか叶えたいなら、あなたには是非、自分自身の一番の味方でいて欲しいのです。
自分自身の味方でいるというのは、闇雲に自分を過剰評価することではありません。
それは、まるで花びらが開くように頭の中に浮かんだ、想像すると胸がじんわりと温かくなる願いを、それがどれだけ馬鹿げていたものであっても、否定しないということです。
否定しないということは、
「バカね私、こんなのありえないのに」だとか
「こんなの叶うわけないじゃない」とかいう冷たい言葉をかけず、
「私にはこんな夢があるのね」
「私にとって必要なことなら、いつかきっと叶うわね」
という、あなたの願いのありのままを認めるということであります。
冒頭の言葉を教えてくださったDさんは、若い頃にいろいろと苦労された結果、とある企業の社長にまで上りつめた方でした。
Dさんも人生でこのことを実感されていたからこそ、私に教えてくれたのでしょう。
途方もない夢が頭に浮かんだ時、私はいつもこの言葉を思い出すのです。
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実は、Dさんにこの言葉を教えていただく前から、私はすでに「信じれば叶う」ということを信じていました。
というより、体感として理解していました。
そもそもDさんと出会えたのも、「映画『サブリナ』のように、人生の大切なことを教えてくれる老紳士と出会いたい」という夢を描いたすぐ後だったのです。
それでも、この言葉が私の心にずっと残っているのは、これが願いを叶えるために必要なことの本質をついたものだからでしょう。
叶えたい夢がある時には、その夢を頭の中心にでかでかと置いて固執するのではなく、そっと片隅に置きながら、いつも通りの日常を積み重ねる。
中でも、"片隅に"ということが大事なのだと思うのです。
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夢を信じる上でひとつ、大切なことがあります。
それは、夢が叶ったからといって幸福になるとは限らないと知ることです。
私たちは夢が思い浮かんだ時、その夢があまりに素敵なものだと、夢さえ叶えば幸福になれると思い込んでしまいます。
しかし夢と幸福とはまた別物です。
彼氏ができる夢が叶ったとして、その彼氏があなたをちっとも大切にしてくれないのであれば、付き合うことが幸福とは限りません。
美容師になる夢が叶ったとしても、美容師の仕事があなたの性質に向いてなければ、幸福と呼べない日々が続くでしょう。
大きな家に買う夢が叶ったとしても、その家の隣に住む人が迷惑な人だったら、買わない方が良かったと思うかもしれません。
憧れの芸能人に会う夢が叶ったとして、その芸能人が物凄く意地の悪い性格であれば、会わない方が好きなままでいられて良かったと思うかもしれません。
夢=幸福ではないということは是非、心に留めておいてください。
なぜなら、夢を幸福そのものだと思い込めば思い込むほど、叶っていない今の状況が不幸のように思えてしまうからです。
そうするとあなたは、目の前にじゅうぶんあったはずのたくさんの幸福のかけらを、手のひらから取りこぼしてしまうことになるのです。
また、私はいつも夢が浮かんだ時には、「自分にとって何か必要なことなら叶うだろうな」と思うことにしています。
そうすると、焦ることなんてないのだと思えて、少し心がホッとします。
あとは日常に心を戻して、自分にできる限りのことをします。
ここで覚えておいて欲しいことは、『必要なこと』であって、『幸せになる』ということではないと言うことです。
たとえば私は、『こんな見た目の人と付き合いたい』と願った理想通りの人と付き合えたことがありましたが、その恋愛がうまくいくことはありませんでした。
夢さえ叶えば幸せになれる、幸せになる夢なら叶うと信じていた私は、理想通りの人と巡り会えたのにどうして幸せを感じられないのかといつも不思議に思っていました。
しかし、そこで気づいたのは、私が本当に求めていたのは、私が幸せを感じるために最も必要としていたことは、『私を大切にしてくれること』であって、
見た目などは、自分の幸せとは何の関係もない、瑣末なことだったということです。
夢が叶ったはずの過去の恋愛は幸せなものではありませんでしたが、そのおかげで、私は自分が心の奥底で本当は何を求めていたかに気づくことができました。
それから私は、私のことを本当に大切にしてくれる夫と交際し、結婚しましたが、
あの時の経験がなければ、夫と付き合っても、それこそ見た目だとか瑣末なことばかりに気を取られて、彼の良さは見えず、結婚することも無かったかもしれません。
もしあなたが、夢が叶ったはずなのに幸福を感じられないならば、
自分にとって本当に大切なものは何か、考えてみるチャンスです。
そしてまた新たな夢が浮かんだならば、その夢を否定せずに頭の片隅に置いてみてください。
夢がなかなか叶わないと、自分が不幸に思えてくるものですが、先ほど申しました通り、
夢が叶う=幸せが確約されるわけではないし、
自分にとって何か必要なことであればいつか叶うんだなと、頭の片隅に置きながら日々を過ごしていると、その夢に固執しなくなります。
そうなった時にふっと不思議と叶ったり、或いは叶わなかったからこそ出会えた幸せに気づいたりするはずです。
ちなみに、夢は「叶えなきゃ!」と意気込んでいる時ほど叶いづらい性質があるので(あなたも、LINEやメールなどで、返信が来て欲しい!と願ってる時ほど返信が来ず、諦めて他のことをした時にいつの間にか返信が来ていたような経験がありませんか?)
そんな意味でも、夢に固執しないようにすることはおすすめなのです。
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マルチ商法や偽スピリチュアルの世界でも『夢を叶える』ことについてはよく語られますね。
私がそうしたものにわりかし批判的な立場をとっていることは、このブログを読んでくださってる方も既にご存知のことかもしれません。
しかし私は、彼らの謳う「たとえ周りにバカにされても、夢を信じよう」ということ自体を否定する気持ちはまったくありません。この言葉は、幸福に生きる上で大切な真理だと思います。
ただ彼らの唱える「夢を信じよう」という言葉にどうしても違和感があるのもまた事実です。
彼らのやり方には、Dさんの教えてくださった言葉や自分の経験則から信じている法則と違う点があります。
それは、夢だけを見て、現実を見ていないことです。
どういうことかと言いますと、Dさんの教えてくれた「夢を信じる」という言葉においての夢というのは、たとえるならばドライブでの目的地のようなものです。
あなたは車に乗る時(車に乗れない方は自転車でも)遊園地に行きたいだとか、近くのショッピングモールに行きたいだとか、そうした目的地をまずは意識しますね。
その後、実際に現在地から目的地までのルートを頭の中で考えたり、或いはナビで確認して、交通ルールを守りつつ進むことでしょう。
もし、ナビが無く土地勘もない状態で目的地に辿り着きたい場合は、人に尋ねたり色んな道を試行錯誤で進みながら探すことでしょう。
また目的地が「どこか美味しいレストランに行きたい」という漠然としたものであれば、周りを見渡して良いレストランがないか探しつつ、道を進んでいくことでしょう。
では、マルチ商法や、偽スピリチュアルの唱える『夢を信じる』という言葉になぜ違和感を抱いてしまうかと言えば、
この"目の前の道をどう行くか"という視点が抜けているからではないか、と思うのです。
目的地さえ頭に浮かんでいれば、体を動かさなくとも魔法のようにいつのまにか目的地の前についているだとか、
目的地の方角まで、交通ルールを無視して真っ直ぐつっきれば到着するだとか、
行きたいお店を探して自分の足で行くのではなくて、周りの人間から集めたお金でその店を家の目の前に作るだとか、
そうした現実を無視した、荒唐無稽なやり方が、彼らの謳う『夢を叶える』ことなのではないかなと、そう思うのです。
もちろん人生には不思議なことに、思いもよらない方法で夢が叶うことはあり得ます。
素敵なレストランに行きたいと思った翌日に、家の前にいきなり理想通りのレストランがオープンすることだってあり得るでしょう。
ただ、そうなると夢が叶う確率はとても低くなってしまいます。
また、目的地が変わることだってあり得ます。
美味しいお蕎麦屋さんに行きたいと思っていたら、ふと見つけたパスタ屋さんの方がどうにも気になって、そちらに変えてみるとそれが大当たりで、行き先を変えて良かったと思うこともあるでしょう。
でもそれは実際に、道を進んでみなければ分かり得なかったことなのです。
何も動かずに夢だけを考えて叶うのならば、それは確かに魅力的ですが、こうした未知と出逢いを逃してしまうと思えば、少し損な気がしませんか。
先程、夢を目的地にたとえましたが、
もし、あなたの夢が途方もない物で、どんな風にすれば叶うか今はよくわからなかったとしても、
あなたのその夢を否定することはありません。
その夢を頭の片隅に置きながら、今あなたにできる限りのことをすればいいのです。
そうすれば、いつかそのチャンスが巡ってきたとき、たとえの中で言えば目的地に近づいた時、
あなたはすぐにそれを見つけ、到達することができるでしょう。
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実はこのブログの話、数ヶ月前からずっと頭に浮かんではいたのですが、なかなかまとまった時間が取れず書けずにいました。
そうしているうちに、私自身が、また不思議と夢が叶う経験をしました。
夫の大好きな有名人に会う夢がまた叶ったのです。
また、と言うのはこれで結婚して7年間で3度目だからです。
何度も書いた話ですが、結婚して2年の間に夫が大好きなミュージシャンに会う楽屋招待券と、夫が大好きなスポーツ選手に会える権利に当選しています。
もうこのようなレベルの幸運はそうそう起きはしないかなあと思っていたのですが、
昨年はコロナ禍での出産で、夫にも色々と大変な思いをさせたので、何か特別なプレゼントを贈りたいなと願っていました。
しかし、私は専業主婦だからお金も無いし、育児で時間も無いし、そもそも夫は物欲があまり無い人です。
なので何か物をあげるよりも、また前のように好きな有名人と会える方がずっと喜んでもらえるだろうな・・・と思っていて、
でももうそんな機会なんてそうそう無いかな、とあまり期待はしてなかったのですが
たまたま夫の好きな有名人と会える企画を知り、応募してみると当選したのです。
さらに、もともとその企画は、応募者の私だけがその有名人に会えるようなものだったのですが、先方のご厚意で、夫を含む家族全員にも対面させてもらうことができました。
夫の好きな有名人に夫が会えた、と書くとまるで私というより夫の幸運のように見えるかもしれませんが、
私は夫の『好きなものにひたむきになれるところ』を尊敬していて、可愛いなあとも思っていて、だからそんな夫が好きな人に会えることは自分のことのように嬉しく感じます。
また夫と交際している時から、私は『この人にとっての幸福の女神になりたいな』と思っていたので、その夢がまた叶ったように感じられて、そういう意味でも今回の出来事はとても嬉しいものでありました。
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もちろん、私が言っていることは、何の科学的根拠もないことですし、身元バレが怖い私は何の証拠も載せることもできないので、信じられない方もいるかもしれません。
それに私は、『このブログを読めば夢が叶います』と言えるような超能力も持っていません。
ただ、私が伝えたいことは、『自分自身の一番の味方であって欲しい』ということです。
あなたの心に、途方もない夢、馬鹿みたいな夢、叶いそうもない夢がふっと浮かんだ時、
「こんなこと叶うわけない」と自分のことを卑下したり、馬鹿にしそうになったりしても、少し堪えて
「私にはこんな夢があるんだね」「自分にとって必要なことなら、きっと叶うね」と優しく声をかけてみてください。
「絶対叶う!」と意気込まなくてもいいから、ただ自分で自分の可能性を全否定することだけを、止めてみてください。
そうすると、少し心が軽くなります。
自分が自分を受け止められたことに、心がホッとします。
ただ、もしその夢が、誰かを不幸を願うような夢なら、ちょっと立ち止まってください。
どんな夢も持つのは自由・・ですが、人を不幸にさせる夢は、あなた自身をも不幸にさせてしまうかもしれません。
そんな夢が浮かんでくるなら、あなたは疲れていたり、深い悲しみが癒えてなかったりしているので、
「ああ、私は疲れてるんだな」「それだけ、悲しかったんだな」と優しく声をかけて、
そうして何か温かい飲み物を飲んだり、甘い物を食べたり、何か自分に優しいことをしてみてください。
そしてあなた自身を幸福にしてくれそうな夢を、思い描いてみてください。
今回のブログのタイトルの『ともしび』とは、あなたの夢のことです。
頭の片隅に置いておいたあなたの夢は、きっと暗がりを照らす灯火のように、そっとあなたの心を照らし続けてくれることでしょう。
そしてその灯火が、あなたの夢を現実のものにする道筋を照らしてくれたり、或いは思いがけない出会いや、新しい夢へと案内してくれるかもしれません。
さあ、今日から新しい年が始まります。
このブログを読んでくださった方の心に、明るく優しい光が灯りますように。
そうしてその灯火が、あなたにとっての幸福を照らし出してくれますように。