感情の考察、日常の幸福

読んだからとて奇跡は起きないけれど、自分の心に素直になれたり、日常の細やかな幸せに気がつくことができたりするような、そんなブログを目指しています。

[エッセイ]不運のなかの幸福

スピリチュアル好きな母の周りにいる"自称能力者"は、8割がた胡散臭いペテン師であるが、たまに本当に不思議な力を持っていると感じる人がいる。

 

Mさんもその1人で、その力を使って占いのようなことをしている。

 

私も4年前にMさんに見てもらったことがあって、やはり当たっていると思ったのだが、先日久しぶりにMさんと会話をした。

その中で、Mさんからこう言われた。

「去年はご主人も運が悪かったけど、あなたも運が悪かったわねえ」

 

そういえば、私は去年、たしかに運が悪かった。

 

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去年、第三子の次女を出産した頃、私はひどく疲れていた。

 

それはそうだ、コロナ禍のために遠方にいる母を頼ることができない中での出産だったし、産後すぐ家族全員が順番に風邪を引いた。

生まれたばかりの次女の育児ももちろん大変だし、おまけに長男は次女に嫉妬して赤ちゃん返りをし、私が風邪で苦しんでいるのに毎晩夜泣きをした。

 

とにかく、疲れていた。身体に力が入らなかった。

 

夫は私のために在宅勤務をしてくれたものの、それがかえって私の気持ちを苛つかせていた。

 

在宅勤務というのは私が想定していたよりも、育児を優先できないものだったのだ。

オンライン会議の時に次女に泣かれると、夫の仕事を邪魔してはいけないというストレスでかえって気を遣った。

こんなことなら会社に行ってくれていた方が、次女が多少泣いても気を遣わずに済むから良かったかもしれない。

 

次女が泣いても、パソコンと睨めっこばかりしている夫を見るたびに、イライラが積み重なった。

 

ここで、私は素直に

「かえって気を遣うからやっぱり会社に行ってて♡」だとか、

「赤ちゃん抱っこしながら仕事してくれると助かるな♡」

だとか、言うべきだったのだろう。

 

しかし、出産を経験した女性は少なからず同意してくれると思うが、産後すぐは特に「全部自分でやらなくては」という変な信号が脳に送られる時期である。

私の脳内もその信号が鳴り響いていて、「全部自分でやらなくては、でもこんなに大変なんだから貴方もちょっとは察して手伝ってよ!」という、察することが不得手な男性からはかなり理不尽に思われる心境に陥っていたのである。

 

疲れとストレスが限界に来て、産後1ヶ月過ぎた頃のある日の夕方、私は嫌味っぽく言ってしまった。

「…もう、在宅勤務しなくていいよ」

 

夫は「何で?」と聞く。

私は何も答えなかった。

 

心の中には、意地悪くほくそ笑む女王がいた。

『さあ、これで焦るでしょ?

ちゃんと猛省して、どうすればいいかを自分で考えて、私の機嫌をとってちょうだい!』

 

と同時に、私の理性はこうも訴えていた。

『…本当は、どうしてほしいかを私から言わなくちゃ夫はわかってくれないし、根本的な解決にならないわよね。どう伝えれば、夫に私が望んでることを伝えられるだろう?』

 

【家で仕事されると、かえって気を遣っちゃうんだよね〜!だから会社で仕事してくれる方がある程度手抜きできるし気が楽なんだー!】

 

そう明るく言えばいいのは頭では分かっている。だが、心が追いつかない。明るく軽やかに言えるほどの余裕が無い。

そして、ここまで疲れさせられたことに腹が立ってる私の心の中の女王様はこう言う。

 

『いやいや、そんな、優しく言う必要なんてないわよ。もう既に、私はこんなに頑張ってるんだから!夫にちょっとは自分で考えさせなきゃ!』

 

私は混乱した頭のまま、とりあえず子供と風呂に入りながら考えをまとめることにした。

 

 

だが、風呂上がりに私が目にしたのは、倒れた夫の姿だった。

 

 

 

私は知らなかったが、夫は既にその時、仕事で過大なストレスを抱えていたのだ。

異動した先輩の業務が増えたことに加えて、新しく来た先輩はどうも馬が合わない。おまけにその状況が、過去のパワハラを思い起こさせて毎日苦しんでいた。

 

そこに私の意地悪な一言が来て、さらに私の突き放したような言い方で昔の職場のパワハラを思い出し、一時的に失神してしまったのだ。

 

幸いすぐに意識は戻ったが、私は泣きながら何度も何度も夫に謝った。

 

 

私は恐ろしくなった。

 

ほんの少し、疲れとイライラを吐き出しただけで、私は"加害者"となってしまったのだ。

 

同時に、自分の身体の丈夫さが憎くなった。

 

もし、私の方が先に倒れていたら、私はか弱いお姫様として、或いは哀れな被害者として、心配され、保護され、謝罪される側になれたことだろう。

 

だが私は、強かった。

 

夫に先に倒れられてしまうと、私は自分が屈強な兵士にならなければいけないような気がした。

 

私だってこんなに疲れて、頑張っているのに。

 

この時は素直に、「在宅勤務だとかえって気を使うから、子供が泣いたら抱っこしながら仕事をしてもらうか、それができないなら会社に行ってもらうほうが気が楽だ」と伝え、夫もそれを理解してくれた。

 

 

しかし、そこから私は、夫に本音を言うのが怖くなってしまった。

いつも頭の中にあのショッキングな出来事が再現される。そのたびに自分はどうしようもない疲れと、悲しみと、やり場のない怒りが沸いた。

 

出産という大仕事をしたうえで、イヤイヤ期と感受性の強い子供たちの育児も頑張ってる私が、どうしてまだ頑張らなければならないのだろう?

 

だがそれを吐き出して夫にまた倒れられては困る。だから私は、夫の言うことにできる限りYESと答えるようになった。

 

 

しかし、事態はこれで治らなかった。

そこから2ヶ月して、夫は仕事のストレスから鬱になりかけ、会社を休むことになったのだ。

 

 

頭の中が真っ白になった。

 

 

腹立たしいことに、休職になる少し前に、私は大きな懸賞に当たっていた。

賞品はなんと、"夫の大好きな有名人に会ってプレゼントをもらう権利"だ。

しかも本来ならば当選者の私しか会う権利はなかったが、主催者側のご厚意で家族全員が会わせてもらえることになって、夫と私は夢のようなひとときを過ごしたはずだった。

 

貴方がもし、一番大好きな有名人に出会えるチャンスがあったとして、それがあなたのパートナーがプレゼントしてくれたものだったら、どう思うだろう?

きっとすごく感謝して、パートナーをますます好きになって、元気も湧いてくるのではないだろうか。

私はそういう結果を期待していた。

 

だが、その夢のような時間から2週間も経たないうちに、夫は鬱状態になってしまった。

 

物凄く、裏切られたような気がした。

 

人の心というのはそんなに簡単なものではない。

楽しいことがたくさんあっても悲しい時は悲しいし、どれだけ恵まれている人でも辛い時は辛い。だから夫がそうなってしまったことは、仕方のないことだ。

頭ではそうわかっていても、心が追いつかなかった。

 

さらに4歳と2歳と3ヶ月の子供3人を抱えて、親元から遠く離れた土地で暮らしていたし、どちらの親も仕事があるため来てもらうこともできない。

 

私は何のスキルもない専業主婦なのに、夫がこのまま仕事に復帰できなかったらどうなるんだろうと考えると怖くて仕方なかったし、

私が子供3人に加えて夫のケアまでしなければならないと考えるだけで、ひどく疲れる心持ちがして苦しくなった。

 

 

夫はとりあえず、一週間会社を休むことになった。

運悪く、その時メンタルクリニックの予約はいっぱいで、精神科医に診てもらうのは一週間先になった。

 

その間、少しでも夫に元気を出してもらおうと、私はよく夫の背中や脚をマッサージした。

正直、愛情ではなく、打算で行っていた。

 

夫が消えてしまわないか、怖くて仕方なかった。

どうすれば夫が早く元気になってくれるか、そればかり考えていた。

 

あの時は冒頭で紹介したMさんに縋りたい気にすらなったが、こういう時にスピリチュアルに頼るのは自分の依存心を増幅させるだけで、かえって良くないことになりそうな気がして、それはやめておくことにした。

 

孤独と恐怖に耐えきれず、母に相談してみると「意識が変われば現実がシフトするよ❣️」という、何の役にも経たない薄っぺらでスピリチュアルなメッセージが返ってきて、余計に絶望感に見舞われた。

 

現実はただ、夫が仕事を少しの間休んでいるだけでしかないのに、私の頭の中には既に家族5人が貧しく暮らしている未来が描かれていた。

 

生きるのが怖くて仕方なかった。

不安になるたび死にたくなった。

だが死にたいと思うたびに、何故か私の頭には、ある小包のことが思い浮かんできたのだ。

 

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その小包は、夫が休職する1ヶ月ほど前に、高校時代の友人から届いたものだった。

 

実家で取れた柚子が大量にあるとのことで、誰かもらってくれない?という話に、私が飛びついたのだ。

 

着払いで送って欲しいと伝えたにも関わらず、友人は元払いで大量の柚子を送ってくれた。

そればかりか、産後すぐは料理が辛いだろうと、ささやかな出産祝いを兼ねて美味しいレトルト食品まで入っていた。

そしてそこには、私を気遣う温かいメッセージの書かれたカードまで入っていたのだ。

 

その温かい贈り物の数々を見た瞬間、柚子の爽やかな香りとともに、友人と過ごした高校時代から今までの記憶が蘇った。

 

高校の校舎や、みんなで放課後によく行ったカラオケ店、待ち合わせでよく使った繁華街のモニュメント。

そうした光景が次々と頭の中に浮かんでいった。

 

懐かしさと、今こうして離れた中で苦労しながらも、さらにコロナ禍もあったうえで、お互い生きている奇跡。そして贈り物への感謝の気持ち。

そうしたいろんな感情がごちゃ混ぜになって、何とも言えぬ温かい感覚に包まれた。

 

こんなに素晴らしい友人を持てたことは、何て幸せなことなのだろうと思った。

 

若い時は、高価な物や周りから羨ましがられる物を持つことが豊かさだと思っていたけれど、

このような温かい人間関係を築けることこそが、人生においてはずっと価値があり、豊かさをもたらすものなのだと、心から思った。

 

私は辛くなるたびに、何度も何度も小包のことを思い出した。

そして自分には支えになってくれる友人がいることを思った。

そう思うたびに、心の底の深いところから力が湧いてくる感覚がした。

そして、「とにかく生きよう」と思えたのだ。

 

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こうして生きのびた私だったが、現実はそれですぐうまくいくほど簡単な物ではない。夫はまだ会社を休んだままだ。

 

だが、絶望と恐怖を徹底的に味わううちに、私はネガティブな感情でいることにだんだんと飽きてきた。

 

私は自分のことを、何の根拠もないが"ハッピーエンドなミュージカルの主人公"だと思っているふしがある。

しかし、そんな主人公に似合わない心情でいることに、悲劇のヒロインのような気持ちでいることに、だんだんと居心地の悪さと違和感を覚え始めたのだ。

 

例えるならば、筋肉質でカッコいい服が似合う人がピンクのフリフリの衣装を着せられていたり、華奢で可愛い人がタンクトップに短パンを着させられているような、そんな感覚だ。

 

落ち込もうとすると、心の奥の方から声がした。

「ねえ、こんな気持ちでいつまでもいるなんて、ハッピーエンドの主人公に似合わなくなーい!?」

何故かオネエ口調だった。

 

そう考えると、何だか急に馬鹿馬鹿しくなってきた。

 

 

平常心に戻った私は、理性的に物事を考えるようになった。

とにかく、夫が職場に戻りやすくなる方法を考えるしかない。

 

夫の話を聞いて、ストレスの原因は主に先輩にあるようだから、先輩と距離を置けないか職場に相談することを提案した。

「どれだけ休んでも良いけど、そこをクリアしとかないと復帰しづらくなるし、復帰してもまた同じことで休んでしまうと思う」

そう説得すると、夫はそれを受け入れ、勇気を出して上司にメールで相談してくれた。

 

幸い、夫の上司は理解のある人だったので、先輩との距離について配慮してくれるという連絡が来た。

 

この時すでに会社を一週間休んでいた夫だが、予約していたメンタルクリニックへ行ってから、会社に復帰する日を医者と決めることになった。

 

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一方その頃、恐怖や不安といった感情からはある程度解放されたものの、私はとあることで夫にモヤモヤを感じはじめていた。

 

それは、帰省の日程のことだ。

 

夫が倒れたトラウマから、夫の言葉にできるだけYESと答えてきた私だったが、帰省の日程を決める時もYESを言っていた。

 

夫が、兄弟とも都合がつきやすいように、年末年始の後半に義実家へと帰省したいと言った時も、本当は前半にして欲しかったけどYESを。

飛行機が安いからと、いつもなら3泊4日している帰省を5泊6日にしてほしいと言われた時も、本当は早く帰ってゆっくりしたかったけどYESを。

 

しかし、義兄弟の帰省が私たちの日程とあまり被らなくなることが発覚し、私の我慢が水の泡になったことで、とうとう限界が来た。

 

『何で私ばっかり我慢する日程なのよ!?

確かに、あなたのご両親は立派な方だし好きだけど、それでも嫁としては気を遣うのよ!!!

貴方だって私の実家に5泊したくないでしょ!!??』

 

そう叫びたかったのだが、夫がまた倒れられたくない私は、こうした不満は限りなく冷静に、理性的に、解決策を明示した上で、夫に伝えなくてはならなかった。

 

そこで、帰省の期間を早めるか、もしくは帰りの飛行機を前の日程にできないかを、落ち着いた口調で尋ねてみたのだ。

 

私としてこれだけ譲歩し我慢したのだから(しかも不満も優しく伝えたのだから)できるだけ夫にはにこやかに対応してほしかった。

 

ところが、夫の反応は私が想定していたよりも冷たいものだった。

「嫌だ」と言いはしなかったものの、明らかに嫌そうな表情をされたことに、私はひどく傷ついた。

夫は不機嫌そうな態度のまま、予約していたメンタルクリニックへと向かった。

 

私は寝室に篭り、泣いた。

 

もうすぐクリスマスなのに、こんな険悪な状態でクリスマスを迎えるのかと思うと、やはり自分はもっと我慢すべきだったのかと後悔した。

 

今思えば、夫の対応は当たり前のことだ。

その時はクリスマスの3日ほど前で、飛行機の空席を探すのは大変だったし、日程を変える場合にはキャンセル料も払わなければいけない。

私にYESと答えられたから大丈夫と思ったろうに、後から不満を述べられることは夫にとって寝耳に水だったことだろう。にこやかに応対できるはずがない。

 

でも私は、ここまで自分が譲歩してきたのだから、それは相手にも伝わっているはずだという間違った幻想を抱いていた。

 

その後、夫はすぐ家に帰ってきたが、医者からは大事をとって2ヶ月間休職するように言われたらしい。

 

 

もうすぐこの我慢の生活も終わると思っていた私は、更に絶望的な気持ちになった。

 

 

産後すぐから3人の育児や家事をほぼ全て私がして、私は一体どこまで頑張ればいいのだろう。もう相当頑張っているのだけど!

しかも休職して一週間、夫は家事の手伝いをあまりしてくれなかった。

これから更に、2ヶ月ものあいだ夫の昼食作りまで家事が増えると思うと、ますます追い詰められたような気持ちになった。

 

私はたまらず、SNSに愚痴を吐いた。

こんなに頑張っているのに、何故こんな仕打ちをされなければいけないのだろうと辛くなった。

 

 

相変わらず寝室に篭っている私を、夫は心配してくれているだろうか。

 

心の中でニヤリと嗤う自分がいる。私はこの状態を知っている。これは"わざと空気を悪くすることで相手に罪悪感を植え付け、自分が優位に立とうとする意地悪な状態"だ。

 

そんなことをしてる自分が心底馬鹿馬鹿しくなった。

30年以上生きてきたからわかる。こんな方法で相手をコントロールしても、真の意味で幸せを感じることはできないのだ。

 

 

この時、ある友人が、SNSでの私の様子を気にかけてLINEを送ってくれた。

この友人も高校時代からの仲だが、柚子を送ってくれた子とは別の友人だ。

 

この友人、共感力が高く、愚痴を聞くのがべらぼうに上手い。

私は自分の置かれている状況を説明し、どす黒い愚痴をどろどろと吐いた。

友人は私の話にただただ共感してくれた。

 

毒を吐いて少し楽になった私は、このまま寝室に籠城よりも気分転換したくなり、近所のスターバックスへと向かうことにした。

 

「スタバ行くわ」と友人に伝えると、何と友人はスターバックスのeチケットを贈ってくれた。

 

その時の気持ちを、一生忘れることはないだろう。

 

友人にとってはささやかな気持ちに過ぎなかったかもしれないが、私はその思いがけないギフトが、言葉で言い表せないほど嬉しかったのだ。

愚痴を聞いてもらうだけで有難いのに、友人は私を励まそうと、こんなギフトまで贈ってくれた。

その友人の優しさが、心の深いところまで沁み入るようだった。

語彙力がないためうまく表せないが、本当に本当に本当に感動したのだった。

 

スタバで温かいチャイを飲みながら、LINEで友人に話を聞いてもらううちに、ネガティブな感情が消化されていった私は、だいぶ毒気が抜けてきた。

共感の力はすごい。自分の心にモヤモヤとかかっていた霧がみるみる晴れていくようだった。

そして晴れやかな気持ちになった私は、いよいよ夫と向き合わねばならないという気持ちになった。

 

なんとなく、自分の方に問題があることはわかっていた。

 

 

私は、YESを言いすぎたのだ。

 

 

『夫を気遣って譲歩する』と言えば聞こえは良いが、実際のところ、私はただ逃げていただけだった。

自分の本心を伝えることを。素直になることを。

夫に嫌われたり、傷つけたりすることが、怖かったからだ。

 

 

8年間の結婚生活で私が学んだ"夫婦が上手くいくコツ"は、『寝て忘れるほどの嫌なことは言うな、寝て忘れないほど嫌なことは話し合え』だ。

 

相手の言動にイライラしたり怒りが湧いた時、それが寝て忘れそうな…つまり自分のケア次第で発散されそうなものの場合は、言わずにいた方がうまくいく。

しかし、寝ても覚めてもそのことに腹が立ったり、モヤモヤを引きずるようなことの場合は、きちんと話し合わなければならない。

そこで我慢するのは美徳でも何でもない。ただ嫌な宿題から逃げる子供と同じだ。

 

 

家に帰ってからだったか、その翌日だったか、時系列があやふやなのだが、とにかく私は勇気を出して夫に伝えた。

 

これまで産後のしんどい身体の中頑張ってきたこと、

夫のために懸賞を当てたのに、あまり感謝されなかったように感じて悲しかったこと、

帰省の件はかなり譲歩していたつもりだったのに、夫の反応に傷ついたこと、

家事をもう少し手伝ってくれると期待していたこと、

数ヶ月前、自分の弱さを吐き出して倒れられたことがあまりにショックだったこと…

 

すると夫も私に、正直に話してくれた。

 

夏からずっと仕事が大変だったこと、

休職した最初は味覚がわからなくなるほど症状が悪くなっていたこと、

私が帰省のことを言った時はメンタルクリニックに行く前でピリピリしていて物凄くタイミングが悪かったこと、

帰省の件は、飛行機の空き状況と価格の面で提案しただけで、私も納得してYESと言ったのだと思ったこと、

あまり家事を手伝えなかった原因は、鬱の症状で身体が思うように動かなかった状態にあったこと…

 

夫は私が思っていた以上に、辛い思いをしていたのだ。

 

私は心の奥底にあった、一番の願いを伝えた。

 

「本当は、あなたともっと仲良くなりたい」

 

夫は私の願いを叶えてくれた。私達は久しぶりに手を握り、ベッドの上で寄り添うように並んで座った。

 

本当はもっと早く、こうしたかったのだとようやく気がついた。

 

 

2人でしんみりしていると、そこに4歳(当時)の娘がやってきた。

もうすぐクリスマスだ。娘はトナカイの帽子をかぶって、『赤鼻のトナカイ』を歌いながら、陽気に踊りながら歩いてきた。

 

その様子があまりに可愛らしく滑稽で、夫と私は思わず、泣き笑いのような変な顔になった。

翌々日のクリスマスが、楽しみになった。

 

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こうして私と夫は、また穏やかな生活を過ごせるようになった。

 

私は夫と、お互いが気持ちよく過ごせるように、取り決めを作ることにした。

帰省に関しては、今度からは3泊4日以上はしないことを約束した。

また夫の体調も、会社を一週間休んでだいぶ回復してきたので、昼食作りと洗濯は夫に任せることにした。

 

夫が会社を休むと聞いた当初は不安で絶望的な気持ちになった私だったが、夫に素直な気持ちを伝えてスッキリした後は、こう考えられるようになった。

 

『夫が休職中の今だからこそ、見れる景色を見よう』と。

 

恥ずかしい話だが、私の頭の中には、私自身が書いた小説の登場人物のセリフが響いていた。

小説『天使さまと呼ばないで』 第49話|小咲もも

 

私、幸福って、レールの先に存在する世界じゃなくて、レールに乗っている間に見える景色を楽しむこと、それ自体を幸福と呼ぶんじゃないかなって、最近そう思うようになったんです。

 

自分の進んでいるレールでは、見えると思ってたものが見えないかもしれない。本当は海が見たかったのに、自分の乗っているレールだと山しか見えないかもしれない。

 

でも、自分が今見ている景色は、自分にしか見ることのない、特別なものなんです。

 

夫が休養をとってるからこそ、見える景色があるー

 

そういうふうに思うと、『夫が休んでいるからこそ、夫に任せられる部分は任せて、少し育児や家事の手を抜こう』『夫が休んでるからこそ、2人で育児ができることを楽しもう』そんなふうに考えられるようになった。

 

 

思えば、私は夫と付き合う前、結婚どころか彼氏もいなくて焦っていた時に、同じようなことがあった。

 

当時友人が束縛の強い彼氏に悩んでるのを見て、

『彼氏がいても悩むことがあるなら、彼氏のいる・いないは幸福とは関係ないんだ。

じゃあ、彼氏がいない今の状態で楽しめることをしよう』と思ったのだ。

 

すると、彼氏がいない状態にネガティブな気持ちになることは無くなった。

不思議なことにそのすぐ後に、夫と付き合うことになったのだけども、もし夫と付き合えてなくても、それはそれで自分の状態を楽しめていただろう。

 

 

こうして、夫の休職のことを、ネガティブに思うことはなくなった。

 

その後、夫は思ったより早く回復し、1ヶ月もすると暇過ぎて仕事がしたいという状態にまでなった。

お医者様からも、もっと早く復帰をしていいという許可が出たので、予定より1ヶ月早く復職することができたのだ。

 

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この一連の出来事が起きてから、我が家では一つ変わったことがあった。

それは、夫が時々料理をするようになったことだ。

 

私の誕生日と結婚記念日には、近所の美味しいお肉屋さんの一番良い肉を買ってきてくれて、ステーキとスープを作ってくれた。

 

 

時々ふと、思うことがある。

 

去年のあの苦しい時期、私は"不幸"だったのだろうか?

 

もし夫が休職していなければ、私はきっと不安・恐怖・悲しみといったネガティブな感情を味わうことはなかっただろう。

 

だが、夫と本当に打ち解け、分かり合えたと感じたあの温かい瞬間も味わえなかったことだろう。

そして夫は今も、料理を作ってなかったことだろう。

 

そして何よりも、友人のあたたかさ、縁の大切さを知ることは無かっただろう。

 

30年以上生きてきて、あの時ほど友人の存在をありがたいと思ったことはない。

厳しい寒さの中でこそ、あたたかさの有り難みがわかるように、

苦しい状態だからこそ、友人の大切さが身に沁みたし、優しさこそが人を強く励ますのだと心から思った。

 

 

ところで、今年の夏、幼馴染が夫婦でコロナに感染した。

ご主人は体調不良だからと何もせず、家事と2人の子供の育児の負担はほぼ全てその幼馴染に回ってきたという。

ストレスがピークの時にたまたま私はその幼馴染に連絡をとったのだが、

去年の自分の状況と重なり、私は徹底的に幼馴染に共感し、愚痴を聞いた。

あの時に友人がそうしてくれたように。

そうして、お見舞いとして美味しいと評判のアイスクリームの詰め合わせを贈った。

「これであなたが少しでも元気になってくれたら嬉しい。あなたの健康と幸福が一番のお返しになるから、お返しは何もいらないからね」

というメッセージを添えて。

 

幼馴染はとても喜んでくれ、救われたと言ってくれた。

 

もし私が去年、あの苦しみを味合わず、友人のありがたみを感じることもなかったら、

幼馴染の話を聞いても、多分愚痴は聞いただろうが、アイスクリームを贈ることはなかったかもしれない。

 

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私の小さい頃、両親はいつも喧嘩していた。

夫婦喧嘩が始まると家の中の空気はいつも重く、ピリピリとしていて、毎日が辛かった。

一度だけ、両親が仲良く昔のフォトアルバムを見ながら談笑してるところを見て、すごく嬉しかったことを覚えている。

 

私はいつも思っていた。

『両親が仲良くしてくれていたら、どれだけ幸せなことだろう』と。

 

去年は喧嘩をしてしまったが、私たち夫婦は仲が良い方だと思う。ちなみに結婚生活8年間で、喧嘩をしたのは2度だけだ。

私は夫のことが大好きだし、夫もまた私のことを深く愛してくれていると感じている。

私はあの頃憧れていた、幸せな家庭を築けていると思っている。

 

だから、子供たちもさぞ幸せに過ごしているのだろうと思っていた。

 

だが、私が子供達や夫と過ごしていて心が温かくなった時に「幸せだなぁ」と呟くと

5歳の娘は「私は、幸せってよくわかんない」と言う。

 

娘にとっては、両親の仲が良いことは『当たり前のこと』なので、別に幸せを感じるものではないらしい。

 

 

昔、人生を助けてくれた恩人に、言われたことを思い出す。

 

「お金がないのなら、お金のありがたみがわかることに感謝なさい」

 

私はその時、いつも自分のことを不幸だと思っていた。

周りと比べて自分に何が無いかばかりを数えて、自分がこんなに不幸なのはお金がないからだといつも思っていた。

 

恩人の言葉を聞いた時、最初は綺麗事だと思った。

 

お金が無いよりあるほうが良いに決まってるではないか。何で感謝をしなくてはならないのかと思った。そんなのは貧乏人が、負け惜しみで使う言葉だと思った。

 

 

あの言葉を言われてから10年以上経つが、娘を見ていると、『無い状態を知るからこそ、有ることのありがたみがわかる』というのは、真実なのだと感じられる。

 

そういえば脳科学の本で読んだことだが、悲しみを感じることは、優しさを伸ばすことに繋がっていると、科学的にも証明されているらしい。

 

 

だからといって、わざと夫と不仲になるつもりは毛頭無いのだが、

これからの人生で子供達が何か苦しい局面に陥った時、それを一面的に不幸と捉えず、

娘の人生に豊かさをもたらす出来事でもあるのだと、

厳しい冬の寒さを味わうからこそ、春の暖かさを心から喜べるようになるのだと、

そんなふうに信じながら、見守っていきたいと思う。

 

 

 

私はこれまで、『運が悪い』と言われるのが怖かった。

運が悪いより、運が良いことの方が幸せだと思っていた。

だが、去年の"運が悪かった"私は、決して"不幸"では無かったと感じている。

 

 

人の温かさに触れられて、私は本当に幸福だった。