なんとなく、他の人の参考にもなるかなと思って書く。
先日娘が浮かない顔をしていた。
何があったか聞くと、幼稚園での出来事が原因だった。
娘の幼稚園では、当番制度があり、お当番さんは諸々のお手伝いをする。
たとえば机を拭いたり、消毒液をスプレーしたりする仕事があるらしい。
その当番さんに毎回、「お当番さんありがとうございます」とみんなでお礼を言う時間があるらしいのだが
ある日娘はどうしても、「ありがとうございます」を言いたくない気分だったらしい。
そこで、ありがとうを言わずにコッソリ「ばかですね」と言ってしまったそうだ。
誰にもバレなかったけど、思い出すと胸がチクリとすると娘は言った。
「私って本当に最低だ…」と、自責の念で苦しいらしかった。
娘の話を聞いて、中学時代の自分を思い出した。
ある日、私はなんだか無性にイライラしていた。今思うと、多分やることの多さに心が疲れていたのだと思う。
その時、イライラしてる自分自身を戒めるためなのか…頭の中で恩人の声がよぎったのだ。
「感謝しなさい。そうしたら幸せが寄ってくるからね」
しかし、感謝しなきゃと思うと余計に腹が立って仕方なくなった。
そこで思わず「何が感謝だよ!ボケ!」みたいな、汚い言葉を口走ってしまったのだ。(ああ恥ずかしい)
すると、どうだろう。
その瞬間、私の唇には大きな口内炎ができたのだ。
私は何かしらの、見えない存在が自分に怒っているんだな…と恐ろしくなったのだった。
(余談だが、私の義兄嫁さんは、実家で口が悪くなると必ず口内炎ができるらしく、「たぶん亡くなったおじいちゃんが叱ってんだろうな、って思ってるの」と言っていて、全く育った環境が違うのに同じことを経験した人がいるのが面白かった)
まあ見えない存在を信じるかは個人の自由なのだが、
ありがとうを言いたくない時…言うべきなのに、お礼を言うどころかむしろ悪口を言いたくなるような時というのは、大抵心がマイナスの状態になっている時だ。
ではどう言う時にマイナスな状態になるかというと
○眠い時
○空腹の時
○心が傷ついた時
○疲れている時
○焦っている時
○イライラしている時
○体調が悪い時
○湿度や温度が不快な時
等である。
ちょうど娘の話を聞いた時、私たちはキッチンにいて、わかりやすいので目の前にあったコップに水を入れながら私は娘に伝えた。
「あなたの心がこのコップだとすると、コップが満杯になって溢れた時、ありがとうを言うことができる。人は心のコップから溢れた分だけ、ありがとうを言うことができるんだよ。
でもこのコップに水がほとんどないと、あなたはありがとうを言うことができない。
あなたはその時おそらく、何らかの要因によって…疲れてたか、イライラしてたかはわからないんだけど…心のコップの水が少なくて、ありがとうを言う余裕が無かったのだと思う。
そういう時は、自分のコップを満たさなければならないから、言えなくても当然だよ。
満たせばちゃんと、言えるようになるからね。
だからそんな時は、まず自分を満たすようにしなさい。
たとえば好きな遊びをしたり、美味しいものを食べたり、ママを抱きしめたりするとコップの水は増えると思う。
でも、『ばかですね』というのはお手伝いを頑張ってくれたお友達を傷つける言葉だし、もし聞かれてしまうとあなたが悪い子に見えてしまって損だから、言わない方が良いと思う。
今度そういう時があったら、口パクで言ってるふりをするのはどうかな?そしたら誰も傷つけないし、バレないでしょ?
そして、あなたがもし本当に悪い子なら、その時のことを思い出して胸が痛くならないはず。
優しい心があるから、思い出して後悔してるんだよ。
だからあなたは悪い子ではないよ。その仕組みを知らなかっただけ」
だいたいこのような趣旨のことを話した。
娘はホッとした表情になった。
もし読んでる方が、感謝したくてもできない時に、この話が参考になるかな?と思って書いた。
娘にはこの時伝えなかったが、「ありがとう」を言うことにはもうひとつ、次のステップがある。
それは、自分の魂と言葉とを切り離すということだ。
書いてる意味がよくわからないかもしれない…私もこの感覚をどう表現したら上手く伝わるかわからないのだが…
今の私は自分がネガティブな状態でも、お礼を言うことはあまり苦ではない。
何故なら自分の心の状態と、言葉を伝えることとは分けて考えているからだ。
「本音」と「建前」を分けている、とも言えるかもしれない。
昔は、感謝できてないのにありがとうを伝えることは、不誠実なことだと思っていた。
しかし、私にかつて"自分を大切にすること"を教えてくれた人がいたのだが
彼はよくこう言っていた。
「自分を変えなくていい、変わったフリだけしなさい」と。
その時はよく意味がわからなかったのだが、今ではわかる。
自分の内面で感じることや考えることと、周りに見せる自分を一致させなくてもいい、と言う意味だ。
「ありがとう」と思ってなくても、「ありがとう」と言う。
「嫌いだ」と思っても、それを言わない。
ここで大切なことは、ありがとうと思えない自分を責めたり、嫌いだと思う自分を否定したりしないことなのだ。
ありがとうと心の中では思えない時、そんな自分をダメだと責めるのではなく
(ありがとうとは思えないな、疲れてるからそう感じても仕方ないよね…でも、感謝は伝えたほうがいいから、お礼は伝えよう)
と声をかけてみる。
このように、自分のネガティブな部分は受け止めた上で、「でもこれを表に出すと相手を不快にさせるから、出さないでおこう」とす配慮すること、それが"変わったフリをする"ということなのだ。
昔はそんなことをすると、嘘をつくようで相手に失礼な気がしていた。
しかし今では、これは自分の醜い面を見せずに、お互い気持ちよく過ごすためのコミュニケーション術なのだと考えている。
もちろん、不快なことや嫌なことをされた場合は、お礼を言うのではなく、それはハッキリと伝えたほうがいいと思う。
ただ、明らかに相手がしてくれたことが自分にとってプラスになることなら、このように自分の魂の状態と言葉とを分けて考え、お礼を伝えるのがいいということだ。
最初はこれに抵抗がある人がいるかもしれない。
抵抗があるならきっと、いつも心を清くありたいという優しい人なのだろうと思う。
そんな人は多分、自分の心の声をまず自分自身で聞くという作業をすると良いだろう。
例えば「疲れたな」「めんどくさいな」「イライラするな」といったネガティブな声が聞こえてきた時、
まずは自分自身に「そんなふうに感じることもあるよね」「頑張ってる証拠だね」と声をかけるのだ。
そうやってネガティブな声を自分自身で受け止められるようになると、段々と他者に向けてそれを吐き出そうと思わなくなる。
何故なら、自分自身でネガティブを受け止められることが信じられ、安心できるようになるからだ。
もちろん辛い時はそうできない時もあるし、友人に愚痴を吐き出したくなることもあるだろう。
そんな時は、自分では受け止めきれないストレスを抱えているいうことなので、信頼できる人に頼ってみるといいと思う。
また、小さい子供で、ありがとうを言うのを嫌がる子がいる。私もそうだった。
ありがとうという言葉を出すことは、くすぐったい。自分の弱い部分を出すような感じがする。
それはすごく、怖いことだ。感覚としては、目の前にある崖から飛び込めと言われてるようなものなのだ。
以前どこかでも書いた話なのだが、そんな時にオススメなのは、まずは子供に「あ」だけ言ってもらうという方法だ。
「りがとう」は大人が続けて言う。
そこから段々とステップアップしていく。
「あり」→「ありが」→「ありがと」→「ありがとう」と、子供が担当する文字を増やしていくのだ。大人はその残りを言う。
あるいは、せーので一緒に言うのも手だ。
この方法は「ごめんなさい」「それちょうだい」などにも応用できる。
お礼や頼み事を言わない子は、みんな性格が悪くて言えないわけでは無い。
自分の中の弱い部分を出すことが、怖かったり、勇気が出なかったりして、困っているケースも多いのだ。
私の娘は2歳の時はありがとうもごめんなさいも「イヤ!」と言ってできなかったが、この方法をとってから1年も経つとお礼や謝罪や頼み事も言えることが多くなった。多くなった、と表現したのは、自分が傷ついている時は、6歳の今でも言えない時があるからだ。そんな時は私も一緒に、お礼や謝罪を言うことにしている。
「あなたが言いたく無い気分なのはわかる。でも世の中の人は、あなたがお礼や謝罪をしないと、怖くてできないのではなく、ワガママでやらないように見えてしまって、損なんだよ」とも伝えている。
先ほども書いたが、私は小さい頃、お礼や謝罪や頼み事をするのが苦手だった。
そんな私を母はいつも、「もう〜」と困った顔で見ていて、私はそんな自分自身が嫌だった。
私は、自分の怖い気持ちを理解して、一緒に一歩踏み出してくれる存在が欲しかった。
子供達にとって、そんな存在でいれたらいいなと思う。