感情の考察、日常の幸福

読んだからとて奇跡は起きないけれど、自分の心に素直になれたり、日常の細やかな幸せに気がつくことができたりするような、そんなブログを目指しています。

感受性が強い子を育てて 2

前回感受性が強い子を育てて 1 - 感情の考察、日常の幸福に引き続き、感受性が強い娘を育てるにあたって、どうして感受性の強い子が『ワガママ』に見えてしまうかの話や、自分なりの子供との付き合い方について語る。

 

 

☆「できない」を「やだ!」と言う

これは感受性の強さ関係が無いかもしれないのだけど、Twitterでも書いたことがある話。

娘がたくさんのおもちゃを出して遊んだ後、私が「片付けなさい」と言うと、「全部?」と聞かれたことがあった。

全部自分が出したものだから当たり前じゃない、と思いながら私が「全部!」と答えると、みるみるうちに泣きそうな顔になって「嫌だ!」と娘は答えた。

私はなんてワガママな子だと思い、腹が立ったのだけど、その泣きそうな顔にどこか見覚えがあって、記憶を辿ってみた。

するとそれは、私がたくさんの仕事に押し潰されそうな時の表情と一緒だということに気がついたのだ。

もっというと、たくさんの仕事を抱えていて、頭の中はそれを片付けることで既にストレスを感じていて、余計に疲れてしまっている時の表情だった。

 

その瞬間、私はなぜ娘が「嫌だ!」と言ったのか合点がいった。

やりたくなかったからではない、できないと思ったからなのだ。

 

私も若い時は、たくさんの仕事を抱えている時、その仕事をやらなければと考えるだけで疲れて、そうするともっと体が動かなくなって、でもそんな体が動かない自分なんてダメだ!と自分を責めて、するともっと体が動きたくなってどうにもなくなる・・ということを何度も経験した。

大人になった今は、そんな時どうすればいいかわかる。

それは、『とにかく深く考えずに、できることをひとつずつやっていく。そしてひとつでもできたのなら、自分を褒める』ということだ。

 

この時の娘はきっと、散らばったたくさんのおもちゃを見て、まずそれを全て片付けることを想像したのだろう。そして考えるだけで疲れてしまったのだ。

娘の「嫌だ!」という叫びを私は「こんなことしたくない!」と言ってるのだと思ったが実際は違った。彼女が本当に言いたかったことは

「こんなにたくさん、どうすればいいかわからない!助けて!」の意味だったのだ。

 

そのことに気がついて、私は「何個なら片付けられる?」と質問を変えてみた。その時は「5個」と答えたのだが、内心私はもっとたくさん片付けてほしいと思ったのだが、彼女の今できることを尊重しようと5個で了承した。

翌日、同じような状況になったのだが、彼女はその時「6個片付ける」と言ってくれた。

(ちなみに、「何個片付けられる?」と聞くより「ママとどっちが多く片付けられるか勝負しよう」と聞いた方がたくさん片付けてくれることが後日わかった)

 

子供と接していつも思うのだが、子供はこちらを困らせようとか、悪い子になろうという意思を持っていることはほとんどない。

ただ、うまくできる自信がなかったり、どうすればいいかわからなかったり、それをうまく伝えられないだけなのだ。

 

子供が「嫌だ!」と言った時、つい叱りたくなってしまうが、どうしてできないのかや、どのぐらいならできるのかを尋ねて、できる方法を考えたり、今できる範囲でやってもらうこと(そしてそれを認めること)というのは大事だと思う。

子供が成長して新たなことを挑戦する時、きっとその経験を生かして、どうすればできるかを考えてみたり、自分にできる範囲のことから始めてみたり、してくれるのではないだろうか。

 

 

 

☆失敗ではなく、「実験した」 

感受性の強い子は、完璧主義になりやすいらしい。

失敗の痛みを他人より多く感じてしまうからかもしれない。

 

私も30年以上生きてきてようやく、失敗を受け入れられるようになった。

娘はまだ失敗するのが怖いようだ。これは私がどうこうするというよりも、娘自身がいろいろ経験していく中で慣れていくしか無いのかもしれない。

 

ただ最近、私が気をつけていることは、失敗したことを「実験した」だとか「〜とわかったね」と言い換えることだ。

 

たとえば、食べたことのないお菓子を買う時。

娘があまり好きではなさそうなお菓子を食べてみると言う時がある。

私は内心、「これ残すんじゃないだろうか」と思いながらそれを見る。

食べてみてやっぱり、娘は「これ好きじゃない」と言うことがある。

そんな時に私は、「そうだったの、じゃあ残していいよ。食べてみないとわかんないもんね」と声をかける。すると娘はホッとした顔をする。

 

以前は「もー、だから言ったでしょ」みたいな声がけをしてしまっていた。大いに反省している。

食べたことがないものを食べて、合わないことがあるなんて当然ではないか。

私も買ってみた洋服が似合わなかったり、後でもっと気にいるものを発見して後悔したことなど何度もある。

 

これは私自身が、食べ物を粗末にすることを厳しく禁止されていたので、食べ物を残すことに抵抗があり、どうしてもそう言いたくなっていたのだが、

10年前に伯母のある欧米に行ったとき、衝撃的な体験をしたことを思い出した。

私がどの料理も無理して完食することを、伯母は辞めるように言ったのだ。

当時の私は太っていたからというのもあるが、伯母は「無理して食べて太るなんて不健康じゃない」と言った。

当時の私はいつも、皿に残っている料理を見ると頭の中で「食べなさい!」という声がしていた。今思えばあれは母の声だった。

とにかく食べ物を残すことにすごく罪悪感があって、それは今も完全には消えていないのだが、

子供の食べ物に関しては、子供はまだ自分が食べられる量を自分で把握する能力が未熟なので、残しても仕方がないと思うようにしている。

もちろんできるだけ残さないに越したことはないのだけど、あまりに量が残っている時は自分が食べるようにしている。

 

話が逸れてしまったが、子供が何か失敗したとき、それを「これで〇〇ということがわかったね」「これで〜という実験になったね」と言い換えてみることはオススメだ。

そしてこれは自分自身が何か失敗した時にも、とてもオススメの言い方なのだ。

私は料理や裁縫でヘマをした時は「〜という実験結果が得られた」と頭の中で言うことにしている。そうすると、次に進むのがちょっと楽になるのだ。

 

ちなみに、子供に早く寝て欲しい時、「早く寝なさい」だと子供は反発するのだが

「早く寝たら明日の朝どんなふうに変わるか実験してみよう」と言うとやる気になってくれる。

翌朝「昨日早く寝たから、今日はいつもより気持ちいいよね」と言い、子供が賛同したとすれば、早寝を"しなければいけないから"ではなく、"気持ちいいから"というポジティブな理由でしたくなることだろう。

ただもし、「いつもと変わんない」なんて子供が言ったとしても、その結果は尊重してほしい。

 

 

 

想像の世界は現実と同じ

小さな子供にとって、想像の世界は現実と同じもののようである。

だからあなたも、子供の想像に対して現実と同じように敬意を払ってみてほしい。

 

こんなことがあった。

娘がおままごとをしている時、お皿を落として泣いてしまった。

「せっかく作った料理なのに」と。

お皿の横には使った食材のおもちゃが散らばっている。

そんなの、お皿に乗せ直せばいいだけじゃないか、何でそんなことで泣くのよ、と私は思った。

「またお皿に乗せたらいいじゃない」と言うと、娘は「作り直す!」と言う。

そろそろ寝てほしいというのに、こんなことで機嫌を悪くして更に作り直しで寝る時間まで遅くなるなんて、まっぴらごめんだと私はイライラした。

 

だが、よく観察すると、娘の目にはそれが本物のように映っているようなのだ。

 

私から見たら、プラスチックでできてるから全然形が歪んでなどいない食材の形をしたおもちゃが、

娘の目にはぐちゃぐちゃに変形した食事に見えていて、さらにお皿の周りは溢れた汁でべちゃべちゃに汚れているように見えていたのだ。

 

こんな時、私は大人の論理は押し付けず、娘の世界を尊重する。

娘に見えてるのと同じように、「本当だ!こぼれちゃったね、ここはママが拭いておくね」と言い、ハンカチでその場を拭く。そうしてイライラしつつも、作り直すことを了承する。

(だが人間ができてないので、「早くしてね」と小言を言ってしまう時がある)

 

こうすると、大人の論理を無理に押し付けるより、結果的にスムーズに進むことが多い。

何より、「この程度のことで機嫌悪くしないでよ!」と思うことが少なくなる。

 

 

☆「やりたい!」は一番強いエネルギー

子供を育ててわかったことなのだが、「やりたい!」という気持ちほど人間を突き動かす衝動は無い。

なので私は「やりたい!」と娘がなっている時は、できるだけそれを尊重する。

禁止するのは生命の危険があることと、他人に迷惑をかけることだけだ。

 

昔はこのことにずいぶん悩んだ。

藤井聡太くんの母親は、聡太くんが集中してる時は決して邪魔しなかったという。

この話を聞いて、私は同じように子供の集中は邪魔しないようにしようと思ってはいたのだ。

 

だが実際には、寝る時間をとっくに過ぎているのに絵を描き続けて、なかなかそれが終わらず、眠さでイライラしはじめ、うまく絵が描けないことに苛立ち始めて癇癪を始めて、しかもそんな時に限って消しゴムをうまくかけられなくて紙にシワが寄ってしまい、娘は「なんとかして!!」とどうにもならないことでこちらに怒りをぶつけてくる。「今日はもう眠さでうまく描けないみたいだから明日にしよう」などと声をかけると「眠くない!」と言い張り、頑なに辞めようとしない。

そうしたことが何度もあった(今もたまにある)

 

そんなことがあると、私は娘に「好きなだけやっていいよ」と声をかけるのがいいのか、「もう辞めて寝なさい!」と徹底的に強制するのがいいのか、どちらがいいのかわからなくなる。

 

しかし、やりたい!のエネルギーは強力なので、これを辞めさせようとすると、物凄く鬼のような言い方をしないといけないし、それで無理だと最終的に行き着くところは暴力だろう。

 

今のところ私の中の最適解は、「やりたいことはできるだけ優先」したうえで、「絶対に譲れない線引き」を明確にすることだ。

この線引きは、できるだけ"やりたいこと"を始める前にする。

 

たとえば、寝る前に絵を描くときには、小さめの紙にするだとか、

お風呂で歌を歌いたいとき(娘は風呂の中でいつまでも歌ってなかなか体を洗おうとしない。「早く終わらせて」などと言われて邪魔されようものなら激怒する)には、何曲歌うか予め決めておく、などだ。

 

最初は時間で決めていた。「あと5分」のように。

しかし4歳の娘にはまだ時間の感覚がしっかりとは無いため、この方法はあまりうまくいかなかった。

しかも約束した時間を守らないと私は余計にイライラしてしまうので、時間で区切ることはあまりしないようにしている(もう少し大きくなったら有効だと思う)

 

また、事前にこの取り決めをしておいた方が良いのは、やってる最中に決めようとすると口を挟まれることに怒るからである(でもこれは、大人だって同じだろう)

 

最近は「寝る前や、出かける日の朝に何かしたいことがあったら、『〜してもいい?』と尋ねてくれる?そうしたら、どのぐらいできるかを予め考えられるから」と伝えるようにしていて、娘はそれを守ってくれるので、だいぶ楽になった。

 

また、この取り決めを守ってくれたときには「守ってくれてありがとう」とお礼を言うことも、次にまた守ってもらうために大切なことだ。

 

 

 

☆かけられた言葉がセルフイメージになりやすい

これも感受性の強さは関係ない話かもしれないが、

あなたが子供に「ダメな子」という扱いをすると、子供も自分をダメな子、と思ってしまうかもしれない。

 

この話はまた、Twitterでもしたことがある話なのだが、

私の娘は朝が弱いうえに、小さな事で機嫌を悪くしたり、急いでるときに限っていらんことをしたりするので、幼稚園に出る時はいつも時間との戦いである。

 

以前の私はギリギリの時間になるとつい

「もー!だから早くしてって言ったでしょう」だとか「あのときこんなことするから・・」と、今書いていて自分でも嫌になるぐらい、嫌味な母親になっていた。

だが、ある時こう思った。

(いや、でも、ちゃんと間に合ってるよね?)と。

そのことに気がついてから、娘がいらないことをしてギリギリになってしまったとしても、最終的に間に合った場合は

「おかげで間に合った!ありがとう」と伝えるようにしたのだ。

 

すると、娘は以前よりも積極的に協力するようになってくれた。

そうすると具体的に褒めるところが増える。

「あの時すぐに靴を履いてくれたから間に合ったよ」「ご飯をすぐ食べてくれたから助かったよ」というふうに。

すると娘はますます協力的になってくれた。

 

そもそも子供は、「早くして」という抽象的な指示が一体何を指しているのかをわかっていない。(だから私は『早くして』という言葉を使わないようにしている・・と言えたらかっこいいのだが、残念ながら私は未熟な人間なので、今でもつい急いでいると『早くして!』と言ってしまう。反省である)

だからこうして、具体的な行動を誉めることは有効なようだ。

 

これは仕事でも同じことだと思う。というか自分で書いていて思うのだが、ここに書いてあることは大人相手であっても有効な方法もあるんじゃ無いかと思う。

 

 

 

☆事前説明は必須

感受性が強い子は、悔しさや"期待はずれ"の残念感も人一倍感じやすい。

だからこそ、事前説明は必須だ。

 

たとえばくじを引く時なら、「これは当たりが出るのがとても珍しいものだから、当たりが出なくてがっかりしたからといって、こちらに怒りをぶつけないでね」だとか、

勝負事をする時なら「負けて悔しいと感じるのはオッケーだけど、怒りをこちらにぶつけないようにしてね」だとかだ。

 

事前説明をせずにしてももちろん良いのだが、そうするとうまくいかなかった時の怒りをこちらに全てぶつけてくる。

そうするとこっちだって人間なので辛いし、イライラするし、「そんなこと言うならもう二度としないで!」と言いたくなる(そしてまた、しなくてもいい喧嘩になる)

 

事前説明を心がけると、たまに説明を忘れてしまって子供の機嫌が悪くなったときには

「ああ、ママが予め言ってなかったから、そりゃあ残念に思っても仕方がないよね」と子供の気持ちに寄り添いやすくもなる。

 

うまくいかないことに怒りをぶつけてくるタイプの子には、特にお勧めの方法だ。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

ざーっと色々書いてきたが、参考になるものはあっただろうか。もしあったなら嬉しい。

 

こう色々と書くと、感受性の強い子は何で面倒くさいんだ、と思う方もいるかもしれないし、まあ実際に面倒くさいことは多い。 

だが、感受性の強いことによるメリットもたくさんある。

人への共感がしやすいから優しさもあるし、強く願ったことは叶いやすい(科学的に証明できないから、あくまで私の意見でしかないのだが)また感じ取るものが多い分、芸術にそれを開花させたり、予知的な力もあったりする。

 

また、予知能力とはちょっと違うのだが、『感情のざらつき』にも敏感だ。

ざらつき、というのは私の感覚なのだが、私は自分が悪い方向に行ってる時、なんだか心がざらざらした感覚になることがある。

それは道義的におかしいことをしたときや、ささやかなもので言えば裁縫をして失敗している時にも、このざらつきを感じる。

ざらつきを感じた時、私は自分がしてきたことを見返してみる。すると大抵、間違った方向に自分が進んでいることや、裁縫だと何かミスをしでかしていることに気づくのだ。

忘れ物をしてるときにも、このざらつきを感じることがあって、そういう時は人より早く忘れ物に気がつけたりもする。

 

そんなわけで、感受性が強いことによるメリットももちろんあることを知っておいてほしい。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

子供を育ててイライラする時というのは、大抵子供が自分の思う通りに行かず、子供が我を通そうとする時だ。

そんな時、大人は大人の理屈を振りかざし、それに従わない子供を悪に見立ててしまう。

私もそんな感覚に陥る時がかつてはよくあったのだが、そんな時は必ずこう思うようにしている。

『私が子供に言うことを聞いてくれない、と思うのと同じように、子供は私のことを「言うことを聞いてくれない」と思っているし、

私がワガママに見えているのだな』と。

子供には子供の理屈があるのだ。それは大人と違うかもしれないが、そこには優劣はない。

大人に従うべき、と思う根底には『大人の理屈の方が優れている』という考えがあり、それは大人の驕りでしかない。

 

ただ、大人の方が経験が多く視野も広がっている分、子供よりも物事を長い目で見られることもまた事実である。

だから、「大人が正しいから従わせる」のでは無く、「子供よりもたくさん見えている部分を伝えている」というふうに考える。

 

その見えている部分を伝えた上で、子供が大人のやり方と違う道を選んだのならば、尊重することが大事なんじゃないかなと思う(命の危険がない限りは)。たとえ失敗したとしても、それもまた大切な経験だ。

 

こうは書いたけど、もちろんこれが正解とは限らない。

大人は一切口を挟まず、全て子供の意思を尊重してたくさん失敗させるっていうのも、できたらいいんだろうな・・とは思う(だが、失敗するたびに怒りをぶつけられることに、今の私のキャパシティでは耐えられる気がしない)

 

だから読んでみて、これは違うな、とか、やってみてうまくいかないな、と思うことがあれば

「小咲のやり方は自分には合わないという実験結果が得られた」と思っていただきたい。

私も藤井聡太くんのお母さんみたいにはなれなかったので(^_^;)

 

これらの話が、読んでくれている方に何かヒントになればとても嬉しいなあと思う。