感情の考察、日常の幸福

読んだからとて奇跡は起きないけれど、自分の心に素直になれたり、日常の細やかな幸せに気がつくことができたりするような、そんなブログを目指しています。

子供の連れ去り問題で思うこと色々(追記あり)

最近、共同親権とか子供の連れ去りとかが世間を賑わせてるけど、この話題は私も書きたいな〜と前々から思ってた。

なぜなら私自身が約30年前の連れ去られた子供本人だからだ。

思いつくままに文章を書いていくので、すごく長くなるし、まとまりも無いし、読みづらいかもしれないけど、許してほしい。

 

 

両親の離婚と連れ去りの経緯

 

私の両親は約30年前に離婚した。

離婚の原因は、色々ある。

母親と父親の言い分が違うところがあるから、どちらかが嘘をついてる可能性もあるけど、30年以上両親を観察して、自分なりに「この部分は誇張だな」とか「これはこっちの言い分が正しいな」とか「これが原因で誤解が起きたな」というのは大体なんとなくわかるようになったので、私の推測を元に書く。

推測ベースだし、個人的な話なので、興味なければ読み飛ばしてもらってかまわない。

 

  • 元々父はモラハラ気質で、母を蔑ろにする言動が多かった

例えば新婚の時の引っ越しの挨拶で「家政婦です」と母のことを紹介したり、元恋人を家に勝手に招待したりしたというエピソードがある。

からしたら、自分を家政婦扱いされたり、過去の恋人を家に招き入れたりしたことは、自分を軽視されてると感じる出来事で、父への不信感をつのらせていった。

だが父には恐らく、悪意はなかったと思われる。

多分父は照れ隠しで「家政婦」と言ったと思うし、元恋人には純粋に今の幸せを見せつけたかったんだろうなと思う。

これ、モラハラする男性が陥りやすい思考だと思うんだけど、彼らは「自分の内心は相手に伝わってるはず」と信じている節がある(と私は考えてる)。それが彼らが理解できない行動になる原因なのだ。

内心は伝わるはずだから、どれだけ相手に失礼なことをしても、相手のことを好きだと思ってたら許されると思っているのだ。

実際私にも「化粧しなかったら全然顔違うなw」と馬鹿にしてきたりする。

だが、陰では父は私のことをいつも気にかけて、伯母に対しても「あの子は傷つきやすいから、気が強い姉ちゃんはキツイ言葉かけんといてや」と言っていたことを、私は後で伯母に聞かされて知った。

何故その配慮を自分自身にはできなかったのは謎だが、小学生男子が好きな子をいじめる心理と一緒なのだと思う。

父はもっと素直に自分の愛情や優しさを表現していたら、変に誤解をされることなくずっと生きやすかっただろうに…と思うことがある。

 

こういうタイプの男性と付き合うのなら、めちゃくちゃ自信があってイヤなことをイヤとはっきり言える気が強い女性の方が良いだろう。(しかしこの手の男性はそう言う女性になんとなく劣等感と拒否感を持ち、自己肯定感の弱い女性を狙うケースが多いのであまり意味がないかもしれない)

或いは、伯母のような彼の内心を伝えてくれる存在が近くにいれば良かったかもしれない。(伯母は海外にいたので、滅多に会えないのが残念だった)

残念なことに、母は自己肯定感が低く、その場で言い返したり、自分が許せることと許せないことの線引きをきちんと伝えられないタイプだった。伯母にも苦手意識があり、仲良く無かった。それも不幸だった。

 

  • ある時父は、母に浮気してることを浮気相手の写真と共に自慢し、「この人と一緒になるから別れよう」と言ったので母が了承したら父の情緒が不安定になった

最初聞いた時はアホとちゃうか、と思った。多分試し行動だったんだろうな…と思う。

さっきも言った通り、母は自己肯定感が低く、父の言うことでイヤなことであってもYESを言い続けてしまった。我慢し続けてしまった。

最初の方で、きちんと線引きすれば良かった、これは母に責任のあることだと思う。

男性は、本当に嫌な時は嫌だと言うはずと考えるものらしい。だから男性とコミュニケーションを取る時、嫌なことに最初からNOと言うことはとても大事なんだけど、母はYESを言い続けてしまったのだ…

 

からしたら、何をしても許してくれていたはずの母が想定外の返答をしたことで、裏切られたって気持ちにすごくなったと思う。多分、父的には、「やだ〜!別れないで〜(>_<)」ってすがってほしかったんだと思う。

そして、なぜ父の情緒が不安定になったのかと言うと、父には実の両親に見捨てられた(父が小さい頃、両親は離婚して、実母は出て行き、実父は育児せずにどこかへ行ったので、父や伯母は祖父母や曽祖父母に育てられた)ってトラウマがあったから。

 

この試し行動をしたのも、そのトラウマのせいだったと思う。どれだけ不快なことをしても、自分を見捨てないでくれるか確かめたいって期待があったと思う。

母はよく父のことを「私のことを妻じゃなくて母親として見てたと思う」って言ってたんだけど、私もそう思う。

 

ところで、浮気するなら別れたらええやん!って思う人もいるかもしれないけど、こういう人って浮気は許されるけど妻から切り出される離婚は裏切りって思うみたいなんだよね。

さっきも、モラハラ気質の人は自分の内心は相手に伝わってるはずという思い込みがあると解説したけど、彼らにとって浮気とは、内心で妻を好きと思っていればその愛は伝わるから許されるもので、離婚を宣告されるのは、自分の内心を無視した裏切りになるわけだ。

私の友人で、モラハラ浮気性の男性と離婚した子がいるんだけど、その子も「そんなに恋愛したいなら離婚すればええやん!」と思って離婚しようとしたら、元夫はどうにかして離婚を回避しようとしたらしい。その元夫も、実親から捨てられたトラウマがある人だった。

親から見捨てられたという意識がある人にとって、配偶者って特別に自分の血縁を感じられる異性だから、そういう人にとって離婚は、自分が永遠の孤独に堕とされるものすごい恐怖の出来事なんだろなと思う。

だから父の情緒が不安定になった。

離婚する!とやっぱり離婚しない!を繰り返すようになってたらしい。母はそれに振り回されるのが疲れて、ますます離婚に前向きになっていった。

 

じゃあ、母がこの浮気を許し、離婚しないでとすがれば良かったのか?だけど、これは明確に違うと言える。

多分、当時の父の心にはどれだけ母に甘やかされても埋められない空洞があって、その空洞を埋める正しい方法は内観して自分のトラウマに向き合うことだったはずだけど、父は母に酷い仕打ちをすることでそれが埋められると勘違いしてた気がする。

だから結婚生活を続けていたら、更に母を傷つけることを言い出したんじゃないかな。

 

ちなみに最初にYESを言いすぎた母も、結婚生活の最後の方は、父に対して手紙を書いたり、色々と自分の気持ちを伝える努力をしていたらしい。

けど、その時にはもう手遅れだったようだ。

 

そういえば、母も友人も離婚について同じこと言ってたのが印象的だった。

わたしの愛でいつか彼が変わると思って結婚した、でも、わたしの力では変わらないとわかったから離婚を決めた」と。

 

浮気自慢、流石に嘘やろーと思う人もいるかもしれないけど、私はこれは本当にあったと睨んでる。

彼は何なら私の目の前でも、今の彼女に貢いでもらった自慢をしてたことがある。普通するか?実の娘の前で。

ただ、今ふと思ったが、浮気自体が事実だったのかはわからない。浮気自慢は事実でも、その浮気自体が狂言だった可能性もある。

母の気を引きたくて、してないのに浮気したと言ったのかもしれない。

その場合だと、母が離婚を承諾したことで父はより裏切られたと思っただろう。

 

そういえば、父は幼稚園の時の私によく「〇〇さんの奥さんの方が美人でええわ、あの人と結婚したいわ〜」と言っていた。私の目の前でも母のことを蔑ろにしていたのだ。多分これも照れ隠しだったんだろうけど、私は本気にして父は母のことなど好きではないと思っていた。こんな冗談を4-5歳の実の娘に対してやるのはおかしいと思うし、母にも私にもめちゃくちゃ失礼なことだ。

 

タイミングが悪かった。私達は被災した。父は母と私を母の実家に置いて、私たちの家に一人で残った。

からしたら、この不安な状況の中、家族で支え合いたかったのに、父が一人で行動したことでかなり冷めたらしい。

私が好意的に解釈すると、父は妻子を安全な場所に避難させて、自分が苦労をかぶるつもりだったのかもしれない。

ただ、父にはこの時代の話が地雷なので、父の真意は推測するしかないが…

この一件で母は更に父に冷めてしまった。

 

  • 後に引けなくなった父、私を連れ去る

離婚が決まってから、最初に私を連れ去ったのは父の方である。これは両者の話が食い違っているので、私の推測となるが、確かに私の記憶でも父と二人で暮らしていた時期がある。

親権を母が持つことが決まり、母が新居など探すためにひとまず私を連れていったん祖父母の家に住み始めた頃、父は遊園地に連れて行くと言って私を連れ出した。ところが時間が経っても帰ってこない。

父は私のことを可愛がっていたから、離婚がいよいよ現実のものとなって私が惜しくなったのかもしれないし、こうして強硬手段を取ることで母がすがって元に戻れると思ったのかもしれない。

「娘は僕が見るから、お前も早く家に帰って来い」という電話があったらしい。

母はパニックになった。

 

  • 私の情緒が不安定になる

父に連れ去られ、父と二人で暮らしはじめたら、私の様子がおかしくなった。それを近所に住む、母のママ友が気づいてくれた。

この時母は、一刻も早く私を取り返すべく、新居を探したり色々なことをしていたらしい。だから私を取り返すまでに一週間ほどかかってしまった。

 

私はこの時の記憶がほとんどない。思い出そうとすると、涙が出たり身体が震えたりする。

ただアルバムを見ると、この時期を境目に写真の表情が明らかに暗く変わっていることがわかる。

 

私のわずかな記憶では、父に「母方の祖父の家に行くとゴキブリを食わされるぞ」と言われたこと、「お前の母親はオウム真理教(当時世間を震撼させていた)をやっている」と言われたことは確かである。

 

私の変化に気づいたママ友は、母にすぐ連絡してくれた。「一刻も早く父親と離さないと、あの子は大変なことになる」と伝えてくれた。

母はこの時から鬼になった。

 

  • 母からの連れ去り、父に隠れて生活

父が何か大変なことを私にしてると思った母は、1週間でボロアパートを借りて、父のいない間に家財道具を全て持ち去り、私を連れて逃げた。

この時のことは私も覚えている。ずっと会えなかった母が、マンションの前で小学校帰りの私を見るなり駆けてきて、抱きしめながら、「ももちゃん、お母さんと一緒に暮らす?」と聞いてきたのだ。

私は母が大好きだったから嬉しくて、すぐに「うん!」と答えた。

この時母は、嫌だと言われたらどうしようかと思っていたらしいが…私が母を選んだことがとても嬉しかったららしい。

 

最初離婚が決まった時に母は、月に一度ぐらいは父に私を会わせるつもりだったらしい。娘にとっては大切な父親だからと。

しかし、父と暮らす私の様子が明らかにおかしくなったことで、父とはもう会わせない方がいいと判断した。

父に見つからないよう、珍しかった名前を隠し私は偽名で生活した。だから小学校の時のアルバムには私の顔で、今の私と全然違う名前が載っている。ちなみに名前は高校入学とともに戻した。

 

母は父から逃げて最初の1ヶ月、父に見つかると殺されるかもしれないという恐怖で眠れなかったという。父は母が私を連れて逃げたことに気づいて、母の実家に怒鳴り込みにきたらしい、この時祖父の首を絞めて警察を呼んだと聞かされたが、父はそんなこと無かったと言う。これはどちらが正しいかわからないが、本当にあったとしてもおかしくないし、父がそんな反応をしたとしても仕方ないのかなと私は思う。

 

私にも、母の恐怖は伝わっていた。

父と普通に連絡を取る今でも私は、誰かに自分の生活が見つかることに異様に恐怖を感じる。私のことなんてそこまで興味ある人いるはずないのに、いつかどこかの誰かに見つかって何か大変なことになるのではといううっすらとした恐怖を常に抱えている。

そのおかげでTwitterに無闇に自分の情報を出さないで済んでいるので、ある意味自衛になっているかもしれないが。

 

父と暮らしてからすっかり様子がおかしくなった私を見て、母は多分、性的虐待を疑った。

私が小学一年生という幼さだったのも、そう疑う要因になったと思う。性的な知識もないし、自分に起きたことをうまく説明する能力もない年齢だ。

 

私は父と暮らしてから、それまではお転婆だったのに、人が変わったようにずっとぼんやりとするようになったし、いつも飛び跳ねるようになった。母が「飛び跳ねるのを辞めなさい」と言うと、「でもこうやってジャンプしてないと、頭がおかしくなりそうになる」と泣きそうな顔で言ったらしい。

私もジャンプしていたことはなんとなく覚えている。多分、そうやって身体を動かして気をまぎらわさないと、心が耐えられなかったのだと思う。

それから、テレビで少しでも暴力的なシーンが出てくると、泣き叫んで怖がるようになった。

今でも覚えているのが、何かのドラマで、主婦が腹立つ出来事を思い出して食材をキッチンに投げ散らかすシーンがあって、それがすごく怖くて何ヵ月も怯えていたことだ

 

ここからの父と母のやり取りは弁護士を挟んだものになるが、母は裁判所に、私が父に性的ないたずらをされたと証言し、父に会わせないことを要求した。

母は嘘の証言をしたのだ。いや、その時の母にとってはきっと嘘ではなかった。母は私を守るため、最大限の誇張をしたのだ。

父にとっては相当にショッキングな出来事だっただろう。愛する娘を奪われ、おまけに自分の尊厳まで破壊されたのだから。

母がやったことは、一般的に見れば、間違いだっただろう。父を傷つける、良くないことだったと思う。

だが子供を持つ私は、母を責めることがどうしてもできない。

私の夫は素晴らしい男性なので、正直まったく想像できない話だが…もし夫と娘が二人きりで1週間生活した結果、娘の情緒が明らかにおかしくなったら、私も同じことをするかもしれない。

私は子供が狂わされることよりも、自分が鬼になることを選ぶ。

 

 

  • どうして私の情緒がおかしくなったのか

父が私にしたことは、性的虐待では無かったが、精神的虐待ではあったと思う。

離婚のショックに加えて、毎晩のように母のとんでもない悪口を聞かされたことが、私は辛かったのだと思う。そのせいで、私は母のママ友から見てわかるぐらいおかしくなってしまったのだと思う。

また私が感受性が強かったから、ショックが大きかったのかもしれない。

だが、父は私にしたことを、虐待とは気付いてないと思う

なぜなら父は、小さい頃に同じように自分の育ての親から、出て行った母親への悪口を聞かされていたらしいからだ。

父は自分がされたことを、繰り返していただけなのだ。なんなら、自分が聞かされていた悪口よりずっとマシだから大丈夫と考えていた気がする。

 

海外に住む伯母が言っていた。小さい頃、家ではいつも育ての親から、母親の悪口を毎晩のように聞かされた後、「お前はもし母親が乞食になってたら助けるか?」と尋ねられていたと。

伯母や父は「見捨てる」と言わなければならなかった。そうやって忠誠を誓わされていたと。

つまり父も、精神的虐待の被害者なのだ。

父も、父の育ての親たちも、自分が虐待をしてるという意識はなかったはずだ。父は育ての親たちから、とても甘やかされていたと聞くし、私も父からはとても甘やかされていた。

彼らは、子供を愛しているし、衣食住に不自由なく、むしろおもちゃやお菓子だって積極的に買い与えてるのだから、実の親の悪口を言っても、それが虐待になるわけないと思っていただろう。

実親の悪口を聞かせることが、どれだけ子供の尊厳を傷つけ、辛い思いをさせるかを、彼らはわかっていなかったのだろう。

 

私が成人した後の話だが、父がある時、「僕はお母さんの悪口なんて言ったことがないよ。自分が母親の悪口を言われて辛かったから、そんなことするわけないじゃないか」と、伯母(当時一時帰国していた)と一緒に言っていて、ギョッとしたことがある。

父は私に、母がオウム真理教に入信して人々を虐待してるとか、祖父にゴキブリを食わせられると言ったことを、全く覚えてないらしいのだ。

いや、覚えていたとしても、多分父は、自分が言われてきたことよりもずっとマシだから良いと考えたか、明らかな冗談だから許されると考えていたのだろう。

だが当時6歳の私に、それが冗談だとわかるだろうか?私は本気にしたし、心の底から恐怖を感じた。

 

一連の出来事の中で、私はこのことが一番辛かった。

自分が受けた精神的虐待を、父が無かったことにして、伯母も信じてくれなかった(父はいつも伯母の前では、自分が悪かったと言って母のことを責めなかったから、私が父から母の悪口を聞いたことを信じてくれなかった)こと、父は当時私の様子がおかしくなっていたことに気づいてないこと、伯母も海外にいたから私がおかしくなったことを知らないこと、その結果父と伯母の中では、母が自分のために嘘をついた人扱いになっていること、助けてくれた近所のママ友も、父の中では"母に悪口を吹き込んで夫婦仲を引き裂いた極悪人"の扱いになってることが、何よりも悔しくて、今でもすごく辛い。

 

多分この離婚問題の頃は、父自身もショックが大きくて父の情緒もメチャクチャになってたと思う。だから父は、私の情緒がおかしくなってることにも気づけなかったし、自分がしてることがおかしいことにも気づかなかった気もしている。

 

こうして父と母の離婚は泥沼化してしまった。

 

  • 父との再会

しかし、父は私のことを諦めなかった。

彼は私との面会する権利を求めて、高等裁判所まで行ったのだ。

母の嘘はそこで暴かれ、母は裁判長に叱られたらしい。

父はこうして私と面会する権利を勝ち取った。

離婚してから3年の月日が経っていた。私は確か小学4年生だった。

 

再会してから、父はいつも「お母さんに、お前の一番可愛い時期を奪われた」と言っていた。

私はそれがすごく嫌だった。今の自分には価値がないと言われてる気がした。

父はおそらく、自分が被害者側であることをアピールすべく言ったのだろうが、その一言でどれだけ私を傷つけていたか、わかっていなかっただろう。

 

 

 

さて、一連の問題で、悪いのは誰だろう?

私は、誰も悪いとは思えない。

父も母も未熟なところがあって、時代も悪かった。今ならネットで情報を集めたり、ボイスレコーダーやビデオで証拠を撮るのも楽だっただろう。海外に住む伯母に相談もできただろう。

ひとつ言えることは、二人とも自分のトラウマに苦しみ、私のことを思った結果やったことで、ただそのやり方を間違えてしまったということだ。

 

母自身、小さい頃は両親(私にとっての祖父母)が喧嘩ばかりしていて、辛かったそうだ。

母はいつも『喧嘩している姿を子供に見せるぐらいなら、離婚した方がマシ』と思っていたらしい。

 

父は全く逆の考えだった。

父は赤ちゃんの時に実母(私にとっての祖母)が離婚して出ていったが、死ぬ間際に再会している。父はその時学生だった。

死ぬ直前、祖母は「ねえさん」と言って亡くなったそうだ。

私の祖母はドイツ人で、戦争中に実親がドイツに帰り、長崎の日本人の養父母に育てられた。

だから祖母にとっての「ねえさん」というのは、血のつながらない、養子先の娘のことである。

父はこのことが大変ショックだったらしい。

死ぬ間際に、血の繋がっている子供ではなく、子供時代に一緒に暮らした血のつながらない姉を呼んだことが。

このことで、父は、『一緒に過ごさないと家族ではない』と思うようになったらしい。だから父は、離婚して私と離れることを恐れたのだ。

幼少期のトラウマに加えて、この出来事も、離婚する時に父の情緒がおかしくなった要因だった。

 

お互いがお互いの信念のもとに、それぞれ最善と思う行動をし、それが噛み合わなかった結果、離婚問題は泥沼化してしまったのだ。

 

ただもし、私が父とあのままずっと一緒に暮らしていたら、私は毎晩母の悪口を聞かされて頭がおかしくなっていたか、物質的にひたすら甘やかされてダメ人間になっていたと思う。

父は私のことを可愛がって甘やかしてはくれたが、きちんと育児していたかというと微妙だ。とはいえ、それが当時の平均的な父親の姿とも思う。

私が結婚して父を家に招待した時、父は私と夫が協力して育児をしてるのを見て、感銘を受けたそうだ。

「自分もあんなふうに育児に協力していたら、もっと違っていたかな」と、伯母に言っていたらしい。

 

父と暮らしてから様子がおかしくなってしまった私だが、母と暮らして数年経つと、情緒も安定して、何もない時に飛び跳ねることはなくなった。辛い出来事も忘れていった。だから私は、母と暮らして良かったと思っている。

ワガママで育てづらい私を辛抱強く育ててくれた母は、すごいと思う。

 

 

私は母に育てられたので、どうしても母寄りの意見になってしまっていると思う。

しかし父のことを知る他の人と話してもやはり、父に色々と問題があったのは事実だと感じている。

父は母と離婚してからも2回結婚に失敗しているので、家庭に人一倍憧れがありつつも家庭に向いてないタイプだったのかなと思っている。

 

もちろん母にも多分、問題はあっただろう。

父が母に対して我慢したり、嫌な気持ちになったこともあったと思う。

 

父は昔、母に自分の祖母を陰で「クソババア」と言われて傷ついたことがあったという。

母は多分、そのことを覚えていない。

父はいつも育ての親の一人である祖母を大事にしていたから、母は事あるごとに自分より祖母を優先されたことに傷ついて、そんな暴言が出たんだと思う。

母は昔から姉と比べられて育ったせいで、自分が他人より軽視されてると感じることにとても敏感な性格だ。

だからこれは事実だと思う。

父は母にそんなトラウマがあって、そんな暴言が出たことを知らない。

母も父が、そのことにとても傷ついていたことを知らない。

 

それから以前、結婚した時に母が騙されてお金を失ったことがあるという話も父はしていた。

これも事実かなと私は思っている。

今の母も、スピリチュアルが好きでしょっちゅう胡散臭いものに騙されているから。

そんな母の騙されやすい性格に、父も嫌な思いをしたり、我慢したりしたことが沢山あったと思う。

 

父も母もある時には被害者になり、加害者になっている。

 

私は子供の時、テレビドラマや映画で口論になるシーンがあると、いつも母に

「これ、どっちが悪者なん?」と聞いていた。

母はいつも「どっちも悪いな」と言っていた。

私にはその意味がわからなかった。その時は、喧嘩は正義と悪がやるものだと思っていた。

大人になって、両親の離婚では、父も母もお互いに被害者であり、加害者であったのだなと理解できるようになった。

 

 

共同親権について

以上が私の生まれ育った経緯であるが、では母の連れ去りを仕方ないと感じる私が共同親権に反対かというと、そうではない。

今の私は正直、どちらがいいかわからない。

ただ、ぶっちゃけると、共同親権に声高に反対する人たちが、私はあまり信頼できないなと思っている。

 

誰が言ってるかではなく、何を言ってるかで判断した方が良いと言われるかもしれないけれど、

これまでの行動に信頼できない人たちが声高に主張してることは、何かの思惑を持って言っている気がしてしまう。

 

以前、怒りの感情をもって行動したり、自分の意見と反対の人を「敵」と見做して行動すると、大抵良くない結果になるから、私は怒りを感じている時はあまり行動をしないようにしてる…って話をしたことがあるんだけど、

共同親権に反対してる人って、怒りを原動力に声を上げてる気がしていて、また反対派を「敵」と認識して声を上げてる印象を受けるから、それが良くない結果に繋がる気がしてる。

逆に、やたらと共同親権を推す人でも、その人が怒りを原動力に単独親権派を敵とみなして行動しているなら、気をつけた方がいいと思う。

どちらを導入するにしても、怒りをもとに方針を決定するのが一番良くないと思っている。

 

単独親権だろうが、共同親権だろうが、一番大切なことは、元夫や元妻の悪口を子供に聞かせないことだと私は考えている。

親の悪口を聞かせることは、虐待だ。

たとえそれが冗談であっても。些細なことであっても。

親は、どれだけ悪い部分があっても、その子供の血が繋がっている存在だ。

親の悪口を言うことは、子供本人を侮辱することと同じなのだ。

 

私の母は、その点はちゃんとしていた。

私は母が父のことを恐れていることも、嫌っていることもなんとなく感じ取ってはいたが、それでも母は父の悪口は言わなかった。

かわりに「お父さんは、とても賢い人だったよ」と言っていた。

離婚の経緯を知ったのも、私が成人してからだ。

 

私が父のもとにいておかしくなったのは、離婚のショックもあったろうけど、父に母のことを悪く言われていたのが一番大きいと思う。

大学の時にも、父から母のことを悪く言われたことがあって、過去の記憶が一切無い状態でもとても苦しかった。

身が引き裂かれるような感覚になった。

だから、子供の前で父親や母親の悪口を言うことは、子供の心を引き裂くような行為だと私は思っている。

愛する子供の身を引き裂くことなど、恐ろしくてできないだろう。

それと同じで、心を引き裂くようなことはしてはいけない。

別に無理して褒める必要も無いと思う。相手の悪い部分しか見えないなら、何も言わず黙ってる方がずっと良い。

 

 

離婚はどうすれば泥沼化しなかったか

私の父と母を狂わせたのは、感情であったと思う。

父は幼少期に母親を侮辱された悲しみや、家族を失う恐怖に。

母は私の様子がおかしくなった恐怖と怒りに。

 

もし、彼らが自分の感情に向き合って消化し、冷静な視点を得ていたら、もっと違った未来もあったかもしれない。

とは言っても過去は変えられないわけで、そう考えると切なくなるけれど、幸い今は私は父とも母とも関係が良好で、

私が夫と仲良く暮らしていることを、二人ともとても喜んでいることは本当に有難いなと思う。

 

 

連れ去りは、できればしない方が良い

我が家の場合は、連れ去っても仕方ない事情があったと思うが、私は基本的には連れ去りはしない方が良いと思う。勿論DVなどの、危害がある場合は別だ。

何故なら、連れ去りで一番大変な思いをするのは子供だからだ。

 

連れ去るなら、もう2度と相手を頼らない覚悟でやるべきだ。全ての縁を断ち切り、何ももらわない覚悟がない限りやるべきではない。

養育費は払ってもらうけど連れ去ります…というのは、恩義だけ受け取って子供と引き離すことは、問題を泥沼化させて倍以上大変なことにしてから子供に背負わせることになる。

 

養育費は子供の権利だから貰って当たり前でしょう?連れ去っても貰うのが当然だ!そう考える人もいるだろう。

それもまた正しい考え方かもしれないし、私も子供の時はそう考えていた。

だがこの考え方は、幸せを感じづらいのだ。だから私はお勧めしない。

 

母は離婚してから全ての生活レベルを最低に落としたらしい。私達はナメクジがしょっちゅう出るボロい文化住宅で貧しい暮らしをした。

その頃の母と私は生きていくのに必死で、貰えるものは貰っておけ、貰って当然の権利だ!の精神で父から養育費もきっちり払ってもらっていたが、

この考え方をすると、どれだけ有難い環境にいても、感謝ができなくなる。

感謝ができないと満足感が湧かないので、いつまでも満たされない感じがする。そしてもっともっと欲しくなる。

だが当然だと考えているから、それでも満たされることはない。

妖怪の世界に餓鬼というのがいるが、まさしく餓鬼の状態になってしまうのだ。

 

私は貰えるもんは貰っておけ!当然の権利だ!と考えていた昔よりも、貰えることに感謝を心がける今の方が物欲が無いし、いつも満たされている感覚がある。

不思議なことに、そうして満たされていると逆に物をもらったり、欲しいものがちょうど手に入ることも多い。

 

親が養育費を払うのは当たり前のことかもしれないが、それでも払ってもらうことに敬意と感謝は必要だと思う。

それは親のためではなく、子供が幸せな人生を形成するのに必要なことなのだ。

親が、当たり前でしょと思いながら受け取る姿を見ると、子供も当たり前と思いながら受け取るようになる。それは子供を餓鬼の道に堕とす行為なのだ。

連れ去りながら、感謝や敬意を持って養育費を受け取ることが可能だろうか?私は、それはかなり難しいことだと思う。

だから、縁を全て断ち切る覚悟がない限りは、連れ去りはしない方が良いと思う。

 

 

私は、父に養育費を払ってもらったし、面会のたびにたくさんのおもちゃや洋服を買ってもらっていた。学生時代には年金も払ってもらった。金銭的には本当に助けてもらった。

その恩義があったから、自分が結婚するときに、結婚式に父を呼ぶことに決めた。

だが、このことで母や父と大きく揉めた。

それがきっかけでPTSDを発症し、体が震えたり泣き叫んでしまったりした時期がある。

父と母の板挟みになりながら結婚式のことを決めるのは本当に大変だった。

縁を切るほうがずっと楽だったと思う。

なぜ縁を切らなかったかと言えば、これも話がまた長くなってしまうのだが、

私には尊敬する恩人がいて、その人が父親から酷い仕打ちを受けてもなお父を見捨てない人だったから、その恩人を見習って縁を切らなかった。

もし、私が父から何も金銭的な援助を受け取ることがなく、父のことを完全に嫌いだったなら、縁を切れたかもしれない。

でも、父の優しさや愛情、恩義があったから、やっぱりそれはできなかったし、しなくて良かったと思う。

今、孫の写真を見てとても喜ぶ父を見ると、「僕が築きたかった幸せな家庭を、ももちゃんが築いてくれて良かった」と言ってくれる父を見ると、この選択をして本当に良かったと感じる。

 

 

家族は大事

基本的に、相手に相当な問題が無い限りは、私は家族は大切にした方が良いと思うし、DVなどの深刻な問題がないならば、はなから離婚を視野にいれない方が良いと思う。

というか、離婚せずに仲良く暮らす努力をまずはして、どうしても無理な場合は離婚したら良いと思う。

離婚したとしても、例えば暴力を振るうとか、お金をせびるとかでなければ、面会もした方が良いと思う。

 

何故なら、両親は子供にとっての人間関係の手本だからだ。

子供は親を見て人間関係を学ぶ。

 

私の後輩で、恋愛がうまくいかない女性がいる。

その女性に彼氏のことで相談された時、私が「彼氏に自分の気持ちをこんな言い方で伝えたら良かったんじゃ無いかな」とアドバイスしたら、後輩は涙を流し始めた。

「私今まで、彼氏にそんな優しい言い方をしたことが無かったです」と言うのだ。

彼女の育った家族はみな仲が悪く、いつもギスギスしていたそうだ。

彼女はそんな中で、家庭を明るくしようといつも道化のように振る舞い、無理していた。

外でもそれは変わらなかった。かわりに、付き合った人に対しては甘えた。自分の汚い部分も全て見せようとした。

だから彼氏には口調もキツくなり、事情や立場を考えずに依存してしまうようになり、恋愛がうまくいかなくなったという。

 

彼女の家の場合は両親が離婚していないが、子供がどれほど親のコミュニケーションの影響を受けるかが良くわかるだろう。

 

私も、小さい頃はいつも両親が揉めていたし、両親が離婚してからは母と二人暮らしで多様なコミュニケーションをする機会がなかったから、若い頃は人間関係でかなり苦労した。

 

 

また、今の世の中はよく多様性が叫ばれるが、さまざまな意見や考え方を持つ人を尊重するのが多様性を認めることならば、

夫婦で意見が合わない時、すぐに離婚するのが多様性ではなく、お互いの意見をどう尊重してすりあわせていくかが、真の多様性を認める行為だと思う。

 

多様性を叫ぶ人ほど、新しい家族の形と言ってすぐに離婚することを薦めるように見えるが、それは多様性ではない。ただ自分と違う存在を排除しているだけだ。

 

価値観や考え方が違う人を認め合うことが多様性ならば、まずは一番近しい人とそれができるようになるべきで、それができるのなら離婚は必要がなくなるのではと思う。また、離婚したとしても良好な関係でコミュニケーションが取れるはずだ。

 

こうして両親がお互いの意見を尊重したり、擦り合わせたりしていく姿を見せることで、子供は自分と違う意見の人間と対立した時にどうするかや、喧嘩した時にどう仲直りするかを学ぶことができるのだ。

 

だから、夫と意見が合わないから、とか、言わないと家事を手伝ってくれないから、という簡単な理由なら、離婚するよりもまずは仲良くなる方法を探れば良いと思う。

 

意見が合わないなら、子供達に、どうすれば意見をすり合わせられるかの手本になれる。

言わないとわかってくれない人なら、子供達に、「言って伝える」ことの大切を学ばせられる。

 

私の場合は、家族を通じて人間関係の築き方というのをあまり学べなかったから、20代の時はメンヘラ性悪モンスターになってしまったんだけど、

それであまりに痛い目に合いつづけるから、これじゃいかん!と色々な本を読んで勉強して、それでコミュニケーションのとり方をかなり矯正した。

夫婦関係、男女関係に関して一番勉強になったのはジョン・グレイ氏の本だ。

この作者、今は胡散臭いセミナーやってるみたいで残念だが、この本に書いてあることは本当に参考になるし、私は何十回と読み返した。

夫婦関係でうまく行ってない人は、この本を参考にコミュニケーションしてみて、それでもうまくいかないなら離婚…としても遅くないと思う。(勿論、DVのような直接命に関わる問題がある相手ならすぐ逃げてほしい!)

 

もちろん世の中には、こちらがどれだけ変わる努力をしても変わらない人がいるのは事実だから、相手がそんな人ならば、離婚する方が良いと思う。

 

 

親が嫌いな人へ

私の話を読んで、もし不快に思った人がいたなら申し訳ない。

私の場合は、両親が私を愛してくれていたからまだ恵まれている方だと思う。世の中には、本当に好きになれないような、というか嫌いにしかなれない親のいる人もいる。

私の友人にもいる。母親の再婚相手に暴力を振るわれたから母親ともども縁を切った子や、お金をせびる父親と縁を切った子、母子家庭なのに母親が駆け落ちして出て行った子もいる。

彼女たちが親と縁を切る選択をしたことは、私は間違いじゃなかったと思っている。

 

私が「血が繋がった親を侮辱することは、自分を侮辱することだ」と言ったことで、もし嫌な気持ちになったのならごめんなさい。

でも、もしあなたが嫌いな親に、良いところが1つでもあるなら、その部分は嫌いになる必要はないと私は思います。

私は、父に対して愛情と、憎みたい気持ちの両方がある時は本当に苦しかったです。

それは、「一人の人間には、一つの感情しか持ってはいけない」と考えていたからでした。

でも、一人の人間はいろんな要素の集合体で、好きな部分も嫌いな部分もあって良いと思えるようになってから、だいぶ楽になりました。

「あの人の、この部分は好きだけど、この部分は好きじゃない」という気持ちがあっていいのです。

だからもし、あなたが親に対して1つでも好きな部分、良いと思える部分があるなら、それは否定しなくていいと思います。

そして嫌いな部分も、嫌いなままでいいのです。

もし、そんな良い部分や、好きになれる部分が全くない親なら、嫌いなままでいいです。縁を切るのも当然です。

でも、親を嫌うことにもし、辛い気持ちになるなら、自分が繋がってる先祖の誰かに思いを馳せてみてください。別に特定の誰かで無くてよいのです。

あなたが血を受け継いだ人全てが嫌な人や、悪人では無かったはずです。あなたはかつていた、心優しい誰かの血を受け継いでると考えてみてください。

そうすると、少し心が温かくなりませんか(もしならなかったらごめんなさいね、私の言葉は無視していいです!)

自分の血を否定することは、辛いことです。それは自分自身の否定につながるからです。

だから、もし親御さんに好きなところが1つでもあるなら、その部分を好きになることは自分を肯定することにも繋がると思います。

好きなところが一つもないような酷い親御さんなら、無理して好きになる必要はないから、自分には優しいご先祖様の血が流れていると考えて欲しいのです。

そうすることが、自分自身の存在の肯定につながると思っています。

 

 

離婚したくないのに離婚を突きつけられた人へ

もし、あなたが「全く身に覚えがないのに…」「自分は相手を愛しているのに…」と思うなら、自分の内心が相手に伝わってる前提にいないか、を考えてみてください。

もし、「冗談だけど、好きだからわかってくれるだろう」「きついこと言ってるけど、好きだから許されるだろう」と考えて言ったことややったことがあるなら、それが原因かもしれません。

これからの言動は、全く内心が伝わらない前提でやってみてください。

自分の内心にある愛情は、伝えるのがこそばゆいし恥ずかしいものですが、それを素直に表現することこそが勇気だと私は思います。

 

あと、自分の感情を善悪のバロメーターと捉えていないか?を考えてみてください。

ネットで叩かれるような人、自分がされることには敏感なのに他人に対しては横暴な人というのは総じてこの考え方をしています。昔の私もそうでした。

自分が悲しい気持ちな時は自分が被害者だし、自分が怒っている時は自分が正しい!そう思っていました。だってこの強く湧き出る感情が証拠だ!そう考えていました。

でも違うんです。自分の感情は、社会的に見た善悪とまるで関係がないのです。

自分が加害者であっても悲しい感情をもつことはあるし、自分が間違ってても怒りを感じる時はあります。

感情はあくまで、自分が何にトラウマを持ってるかや、自分にどんな思考のこだわりがあるかや、自分の状態をわかりやすく伝えてくれる便利なバロメータではあるんですが、それが適用されるのはあくまで自分自身だけで、他人や社会には関係ないんです。

自分の感情を善悪の指標にしてしまうと、たとえば相手のちょっとした言葉に腹が立って暴力を振るうことも、「強い怒りを感じたからやったことで仕方ない、自分は正しい」と肯定されることになります。

だからこの考え方は本当に怖いです。

私自身ずっとこの考え方をやってしまってたのですが、それが間違いだったと気づいた時、客観的に見たら自分が悲劇のヒロインでもなんでもないただの性格の悪い人間だったと気づいた時、めちゃくちゃ恥ずかしくなったし落ち込みました。

 

もちろん相手に原因があるのに離婚されるパターンもあると思います。その場合は私の話は参考になさらなくて良いと思います。

 

 

子供を連れ去っている人へ

あなたが連れ去る理由は、恐怖でしょうか?それとも、元嫁や元夫と交渉するのが面倒臭いからでしょうか?

恐怖の場合、それは過去のトラウマ(親から厳しく叱責されたり、両親が不仲だったり)に起因する恐怖でしょうか?

それとも、何をしでかすかわからない相手への恐怖でしょうか?

 

DVをしてきたなど、何をしでかすかわからない相手への恐怖であれば、連れ去るのは仕方ないと私は思います。

 

でも、私の父が最初私を連れ去ろうとしたように、もし過去のトラウマが原因であれば、そのトラウマに向き合うこと…心療内科などに行ってみるのも手かもしれません。

過去のトラウマが薄くなって、恐怖がなくなると、相手と話し合う勇気が出るかもしれません。

 

もし、相手ときちんと話し合うのが面倒臭いという理由で連れ去るのであれば、それはやめた方がいいと私は思います。

面倒臭いことから逃げたら、それはさらに面倒臭いことになって未来の自分にのしかかります。

 

 

 

最後に

私が両親の離婚や連れ去りで最も辛かったことは、母の悪口を聞かされたことともう一つ、父のことも母のことも信じられなかったことです。

 

離婚してからの父が語る母の姿は、父の尊厳を傷つける嘘をついてまで私を無理矢理奪った残酷な女性でした。

私は狼狽しました。私の目の前にいる母は、人から騙されることは多くても、人のものを奪ったり、自分のために嘘をついたり、騙したりするような女性では無かったからです。

でも父は、自分がどれだけ母から傷つけられたかをいつも寂しそうに語るのです。

私の頭は常に混乱していました。

大好きな母が、裏でそんな恐ろしいことをしていたらどうしようと、怖くて仕方ありませんでした。

 

大きくなって、色んな経験をしたり人々と接したり両親を観察するうちにわかったのは、私の目から見る母の姿は私にとって真実だし、父の目から見える母の姿もまた父にとっては真実だったということです。

 

父が語る母の姿は、影絵のようなものだった気がします。

父の心は、家族を失う恐怖の闇で覆われていて、その中で母の姿を照らし出すと、まるで大きな怪物のように映ってしまった気がするのです。

 

私の伯母は、以前こんなことを言っていました。

人間の姿というのは平面ではなくて、奥行きがある立体なの、だからその人に見えないいろんな部分があるのよ、と。

私は父や母の幼少期の話を聞いてようやく、2人の間にいろいろな誤解が生まれてしまったことを理解しました。

 

一番身近な存在が信じられないというのは、子供にとっては暗闇の中1人で崖の上を歩けと言われるようなものです。

それは辛く、寂しく、怖いことです。

 

大きくなってから、父も母も私を騙そうとしたのではなく、ただ未熟で必死だったのだなとわかった時は、ホッとしました。

そして過去の辛いことを、許せるようになりました。

 

私は自分のように、辛い思いをする子供が少しでも減って欲しいと思います。

 

今この話を読んでるあなたが、何か問題に悩んでいるのなら、それが少しでも良い方向に運ぶことを祈っています。

 

とても長くてまとまりのない話を、読んでくださってありがとうございました。

 

 

追記(2024 1/7 23:19)

そういえば、私が離婚で辛かったのは、

「親が揉めるのは自分のせいだ」

「自分が一人っ子だからお母さんとお父さんは取り合いになって喧嘩になるんだ」

と思ってるのもあったなあと思い出した。

 

実際、父からも、高校か大学かぐらいのときに、「お前のせいで離婚した」と言われたことがある。(でもこの時の父は精神的に参ってた時期だったから、そんなことを口走ったのだと思う)

母はそのことを全否定していたけどね。

もしかしたら、父と暮らしていた6歳の時にそんな言葉をかけられた可能性もあるのかもしれない。

でも、父から言われてなかったとしても、自分のせいだと思っていたのは変わらなかったかも。

 

昔、塾で働いていた時に、親御さんが不仲の生徒がいて、

その子も「自分のせいで」と思い詰めていて、そんなことないよと伝えたことがあった。

親の仲が悪いと子供は自分に責任があると思ってしまうんだよね。

 

もしかしたらそんな自分を責める気持ちが、離婚の時に私の様子がおかしくなった原因のひとつだったのかもなと思って、書き残すことにしました。