感情の考察、日常の幸福

読んだからとて奇跡は起きないけれど、自分の心に素直になれたり、日常の細やかな幸せに気がつくことができたりするような、そんなブログを目指しています。

スピリチュアルな能力について思うこと

Twitterで書こうと思ったけど長くなりそうだからやっぱりこっちで。

 

私は以前、スピリチュアル詐欺に関して批判してたんだけど、スピリチュアルな存在自体は割と信じてる方だ。(宗教は否定しないけどやってない)

 

でも、最近気づいたことがある。
それは、スピリチュアルな能力というのは、味覚など他の感覚のように、衰えたり弱くなったりするのではないか?ということだ。

 

私の伯母は勘が鋭く、言ってないことを当てることがよくある。

つい最近起きたことを「もしかしてこんなことあった?」とぴたりと当ててきたこともあったので、どこかで見てたのかとか告げ口されたのか(でも、それが伯母のいる欧米某国に滞在してる時に起きたことだったから、それはほぼありえなかった)と最初は気持ち悪く思うほどだった。

ちなみに伯母は伯父(外国人)と出会った最初の頃に「この人と結婚する」とわかったそうだ(ちなみに伯母は伯父に興味はなく、伯父からの熱烈なアプローチで付き合ったという)

ダイアナ元妃が亡くなる一週間前に予知夢も見たそうだ。

 

伯母自身もその能力は自覚していて、周りから気持ち悪がられるので家族にしか話していないと言っていた。

ちなみに父も同じような能力はあるらしいが伯母ほどではない。


しかし伯母は、自分の弟(私の父)が母に対してモラハラをしたことや、離婚のゴタゴタの時にした私への精神的な虐待のことは、決して信じてくれなかった。


父はバツ3で、その経歴を見れば普通の人なら父側に問題があるとわかるはずなんだけど、それでも父の言い分を疑わなかった。

父は気の強い姉にはいつも弱かったから、そんなことするわけないと思ったのだと思う。


賢くて勘が鋭くて何でも知ってる伯母が、

ただ私の言い分は信じてくれなかったことは、とても辛いことだった。

 

 

だが、最近思うのは、その勘というか霊能力は、何か思い込みやコンプレックスに邪魔されたりすると、鈍くなるのではないか?ということだ。

 

 

母の友人にも、第六感が鋭く、名前や顔を見ただけでパーソナリティや過去に起きたこと、近々起こることを当てる女性がいる。

その人は昔、自分を利用しようとする人が近づいてきても気付けず、騙されてしまったことがあった。

その人は、巧みに彼女のコンプレックスを満たすような賞賛(あなたは素晴らしいとか、他の人とは違うとか)ばかり言う人だったらしい。

彼女には薄々、「その人はおかしい、信じてはダメ」という声が聞こえていたらしいけど、「でもこんなに良くしてくれるから優しい人のはず…」という意識が邪魔をし、自分に聴こえてくる声を信じることができなかったという。

幸い、彼女は本当に痛い目にあって、その人が仲良くしては駄目な人なのだと気づくことができたそうだ。

 

彼女ほどの能力があっても、コンプレックスを満たしてくれそうな人がいると簡単に騙されてしまうのだ。

 

 

私は以前、スピリチュアル教祖になる主婦の小説を書いたけど

小説『天使さまと呼ばないで』|小咲もも|note

その小説を読んでくださった方から、スピリチュアル依存から抜け出せたという報告をしていただいたことがあった。

スピリチュアル元信者さんからの報告 - 感情の考察、日常の幸福

 

その方もやっぱり、最初は信じた相手には何かしら不思議な力があるように感じたと仰っていた。

 

私は、霊能力とは特別な能力ではなく、みんなに備わっている力と思った方が、かえって騙されなくなるのではないかと思ったのだけど、

さらにこの『何らかの要因で、強まったり弱まったりすることもある』ということも、知っておいた方が良いのではないかと思ったのだ。

 

ちなみに私もたまに予知夢を見たり、虫の知らせが当たることはあるのだけど、その能力が出てきたのは18歳ごろからだったと思う。

20歳前後が今のところピークで、最近は落ち着いている。

 

 

何らかの要因で強まったり弱まったりする…というのは、五感を思い浮かべればわかりやすいと思う。

味覚や嗅覚は、いろんな料理を味わったり匂いを嗅いだりすると鋭くなるけども、どれだけ優れたシェフでも風邪をひくとわからなくなることがある。

聴覚も、楽器を練習したりいろんな音楽を聴くことで音を聴き取れるようになるけど、加齢と共に衰えることもある。

それに、病気や加齢がなくても、耳がいい人でも何かに集中していれば周りの声が聞こえなくなったり、

目がいい人でも『これはここに置いたはずだ』という思い込みがあると、近くにある物を見落とすことだってある。

 

それと同じなのではないだろうか。

 

 

でも、霊能力というとあまり馴染みがないものだから、持ってると聞くだけで、それが未来永劫続くとか、全てのものがわかるという思い込みを持ってしまう。

 

スピリチュアル詐欺にあった人に、「そんなものに騙されるなんて〜」と馬鹿にする人もいるけど、

私はあまり、そうした態度はとらない方が良いのではないかと思う。

その人にとっては、多分それが本当と思わせるだけの出来事があったのは事実なのだろうし、

そうした態度を取ると、自分が何かしら不思議な体験をした時に、極端に脆弱になってしまう気がする。

 

 

私も、これまで何度も不思議な経験をしてきた。

今まで書いたこととかぶるけど、悩んでる時にその悩みをピタリと当ててくるような人に何人も会ったり、叶えたいと強く願った夢が不思議と叶ったり、「こうしたい」と無性に思ったことをすると後でそれが役に立ったり、友人に何となく言った方が良いと思った話を伝えるとそれが友人のまさに悩んでいたことだったりした。

こうした経験をすると、やっぱりそうした見えない力を信じざるを得なくなるのだ。

 

 

見えない力は、ある。

でも多分誰にでも多かれ少なかれあるもの。

そしてそれはいつまでもあるものではなく、何らかの要因で高まったり低まったりもするもの。

また、コンプレックスや思い込みでわからなくなることもあるもの。

だから霊能力が高そうな人と出会っても、その人が何でもわかるとか、いつまでもすごい人とか思わない方が良いんじゃないかな。

 

 

霊能力は高まったりする…と聞くと、高くなる方法を知りたくなる人もいるかもしれないけど笑、

私個人の経験では、「予知してやるぞー!」と意気込むとかえって全然当たらないので、高めようと思う時点で高まらないようなものと捉えた方が良いかなと思う。

味覚や嗅覚や聴覚も、意識しすぎるとかえってトンチンカンな結果になることがあるし。

 

 

そんなわけで、最近思うことをつらつらと書いてみました。口調に統一感がなくてすみません。

何か参考になったなら幸いです。