感情の考察、日常の幸福

読んだからとて奇跡は起きないけれど、自分の心に素直になれたり、日常の細やかな幸せに気がつくことができたりするような、そんなブログを目指しています。

[エッセイ]ドミノピザのアメリカン

夫がたまに飲み会へ行く日は、私は決まってピザを取る。

ピザを取れば料理をサボれるので、

飲み会へ行く夫に対して恨みがましい気持ちになることがない。

「夫が飲み会の時の宅配ピザ」は

私たち夫婦がお互い、快適に過ごすための素晴らしい解決策なのだ。

 

注文するのは大体、ドミノピザ。

我が家から取ることができる宅配ピザのなかでも、一番安くて美味しい。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

私が小さい頃も、たまにドミノピザを食べていた。

 

当時から、持ち帰りならば代金が安くなるシステムがあったので、買う時は必ず持ち帰り。

そして、一番安いアメリカンというピザしか食べたことがなかった。

ピザを受け取った後の帰り道、母はよくこう言ったものだ。

アメリカンが一番、美味しいんだから」

私は本当かな、と疑っていた。

母は、私に高いピザをねだられないように

あるいは我が家が貧乏なことをごまかすために、そんな風に言ってるのかなと思っていた。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

母は、私が5歳の時に離婚してから

生活レベルを最低まで落としたという。

私たちが住んでいたのは、家のいたるところにナメクジが出るボロボロのアパートだった。

 

 

たまの外食で私が何かを注文する時、母はメニューを持つ私の手元をじっと見つめた。

そうして、「一番安いやつにしてね」と冗談めかして言うのだった。

私が一番安いものを選ぶと、母はニッコリ笑ってくれた。

いつしか私が物を選ぶ基準は、欲しいものではなく

「一番安いもの」になっていた。

 

 

私は貧乏が嫌だった。

でも、今思うと、貧しいことが嫌だったのではない。

貧しいからと「何かを欲しいと思う気持ち」まで否定されることが、辛かった。

 

私が「あのおもちゃが良いな」「新しい服が欲しいな」などと言うと、母はいつもすかさず

「ダメ!」と強い口調で言った。

我の強かった私は、怒り狂うことで、母の「買っていいよ」という言葉を引き出そうとした。

稀に、その方法は成功した。

しかし、母が諦めて「いいよ」という時は、もうすっかり私が母に対して『悪い子』になった後でー

つまり母に対して「クソババア」だのひどい暴言を吐いた後で、

私はそんな方法で母に「いいよ」と言わせた酷い自分がすっかり嫌になっていたし、

「あんたがそんなに言うなら仕方ないわね。本当は買いたくないけどね」というニュアンスで言われる「いいよ」は全然嬉しくなかった。

 

今思うと、私は、自分の「欲しい」という気持ちを認めて欲しかっただけなのだ。

別に買ってもらえなくてもいいから、

「欲しいね、素敵だものね」と、言って欲しかったのだ。

世の中に溢れる素敵なものや可愛いもの、美味しいものや美しいものを

「良いな」と思う気持ちを、認めて欲しかっただけなのだ。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

私の母は、ある意味、貧乏を楽しんでいたようにも思う。

 

毎週末、彼女は近所のクリーンセンターに出かけ、素敵な食器や家具などが捨てられていたら、持ち帰っていた。

そのクリーンセンターは廃材で木工もできるスペースがあったので、DIYが好きな母は、ベンチだの棚などを作ったりもしていた。

 

秋にはよく、「松茸ご飯」を私に食べさせてくれていた。

実際にはそれは、エリンギと「松茸のお吸い物の素」を使って作った『ニセ松茸ご飯』であった。

私が二十歳ぐらいの頃に、母は申し訳なさそうにその種明かしをしながら、本物の松茸を買ってきた。

 

こうした母の努力と節約があって、私は私立大学に通わせてもらえた。

そして、大学時代のアルバイト先の塾で、今の夫と出会うことができたのだ。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

大人になって、夫と結婚してからは

子供の頃とは比べ物にならないほど

豊かに暮らせるようになった。

 

夫と結婚してから、初めてピザをとった時、

私は恐る恐る夫に聞いた。

「どのピザでもいい?」

私にとってこれは、「新しいバッグをデパートで買ってもいい?」と同じくらい勇気のいる質問だった。

頭の中には、私が安いものを注文するか見張っていた母の顔が浮かんでいた。

「いいよ」と夫は言った。

私の心はクリスマスが来た時のようにはしゃいだ。

 

さらに勇気を出して、私は尋ねた。

「耳にチーズの入った生地でもいい?」

私にとってこれは、「新しいバッグ、エルメスで買ってもいい?」と同じぐらい贅沢を意味する質問である。

頭の中には、母の「ダメ!」という声が響く。

「いいよ」と、やっぱり夫は答えた。

私の心はもはや、クリスマスとお正月が同時に来た時のような気分だった。

 

ピザのチラシを見ると、ワクワクした。

子供の時に憧れた、期間限定の豪華なピザや、4種類の味が入ったピザや、ミルフィーユタイプのピザや、耳にチーズの入ったピザでも、

どのピザでもいいなんて!

 

そうして、私はそれからいろんなピザを注文した。

期間限定のピザはもちろん、炭火焼ビーフにシーフードスペシャル、炭火焼チキテリにクワトロカマンベールミルフィーユ、クワトロチーズンロールにギガ・ミート・・

もちろん、どれも美味しかった。

しかし、何か物足りない。

 

 

ある時、安価なピザにだけ適用されるクーポンが手に入ったので、

私は懐かしい「アメリカン」を注文してみた。

箱を開けると、小さい頃によく見た、チーズとサラミだけのシンプルなピザが入っていた。

 

食べた瞬間、「この味だ!」と思った。

そう、私にとって、宅配ピザはこの味だ。

そして、一番美味しいのも、この味なのだ。

 

「やっぱりこれが一番美味しいなあ」

と呟いた時、母のあの言葉が頭に浮かんだ。

アメリカンが一番、美味しいんだから」

 

私はずっと、その言葉を貧乏をごまかす方便だと思っていた。

でも、もしかするとあれは、本当だったのかもしれない。

 

それからというもの、ドミノピザで私が注文するのは、決まってアメリカンだ。

ただ、子供の時と違うのは、

『耳にチーズの入った生地』で注文するという、"最上級"の贅沢をしていること。

 

 

ピザを注文する時、いつも私の頭の中にいた、じっと私の手元を見る母の姿は、いつしか消えてしまった。

そのかわりに、「アメリカンが一番、美味しいんだから」と笑顔で言う母の姿だけが、頭に浮かんでいる。