感情の考察、日常の幸福

読んだからとて奇跡は起きないけれど、自分の心に素直になれたり、日常の細やかな幸せに気がつくことができたりするような、そんなブログを目指しています。

[エッセイ]失敗が糧になる時 2

前回の話

[エッセイ]失敗が糧になる時 1 - 感情の考察、日常の幸福

の続きです。

 

就活に逃げ、内定ゼロのまま卒業した私。

 

それでも、「就活に落ちたのは、特別な私に相応しい場所が他にあるから。

私は、きっといつか誰かにこの才能を見出されて、認められる日が来るはず!」と信じていた。

 

しかし、そんな日が来ることはなかった。

 

 

 

☆☆☆

 

 

就職が決まらないまま、大学を卒業した私は、塾と掛け持ちでバイトしていたホテルのレストランで正社員を目指すことにした。

しかし、そこには同じように正社員を目指して働いている子が何人もいて、それが遠い道のりになることは明白だった。

一年ほど働いたものの、結局正社員登用の声はかからなかった。

それでも私は自分に言い聞かせた。

「いつかきっと、特別な私に見合う仕事と出会える。いつか私の才能は認められるはず。」と。

 

 

その後、運良くツテで小さな会社で正社員として働けることになった。

そこで営業の仕事に配属されたが、営業成績は最下位だった。

そのうえ壊滅的に運転の下手な私は、社用車に擦り傷をつけるという事故も起こし、パニックになった私は、あろうことかその事故を隠蔽しようとした。

当然バレて、社内での信用も失った。

私は自分がこんなに卑怯な人間だったことに絶望し、自分の汚い部分を受け入れざるを得なくなった。

営業があまりにできないので、すぐに総務に異動となったが、総務は総務で人間関係があまり良くなく、ほとんどの人が一年も経たずに辞めていくような環境だった。

せっかく手に入った正社員の仕事だったが、今の夫にプロポーズされたことをきっかけに、私もその会社を一年で辞めた。

 

私はこの段階でようやく、自分が特別な人間ではないことに気づき始めていた。少なくとも、100%綺麗な心を持つ人間ではないのだと、受け入れることはできていた。

・・だが、まだ望みを完全には捨てていなかった。

「営業が向いてなかっただけ。人間関係が悪かっただけ。きっと別の仕事でなら、自分の才能を活かしてバリバリ働けるはず!」

そう思っていた。

 

 

私は結婚してから、地元の会社で事務のパートをすることになったが、ここでもやっぱり仕事はうまくいかなかった。

むしろ今までしてきたどの仕事よりも私に向いていなかった。

どれだけ真面目にやっていても、眠くなる。

目の前の数字が頭に入ってこない。

頭の中が急にシャットダウンした感覚になり、仕事中に意識を失うことが何度もあった。

はたから見たら、「居眠りばかりの不真面目な人」と思われていただろう。実際に、他部署の人からはそんな悪口を言われていたらしい。

睡眠時間を多くしたり、カフェインやタブレットをとってみたりしたけれど、それでもうまくいかなかった。

薄々、自分に向いてない仕事なのは気づいていたが、だからといってすぐ辞めるのは逃げのように感じられたし、慣れたらできるようになるかもしらないという少しの望みを持って働いていたが、

どれだけ時間が経っても一向に改善する気配は見られなかった。

むしろ、帰り道は毎日できない自分を責めてばかりいたし、周りの人にどう思われているかばかり気になっていたので、段々と鬱っぽくなってしまった。

幸か不幸か、所属する課の人間関係は良く、上司も先輩も優しかった。

だから余計に辞めることには気が引けたが、とうとう仕事中に白昼夢を見るようになってしまい、このままでは自分の頭がおかしくなってしまう気がして、1年半ほどで辞めた。

 

 

こうして飲食も、営業も、事務でも『才能を発揮できなかった』私。

このあたりでかなり、自分がかつて思っていたほど優秀な人間ではないことを受け入れつつあったが、最後にもう一つ、やってみたい仕事があった。

それは販売職である。

当時の私は美しいものやおしゃれが好きだったので、そうしたものを販売する仕事にも憧れていたのだ。

ただ憧れているからこそ、現実を知ったら幻滅しそうな気もしていて、なかなか働いてみる勇気が持てなかったのだが、一度きりの人生だし、せっかくだからこの際やってみようと思った。

それに、今までやったことのない憧れの職種でなら、今度こそ私の秘めたる力が発揮されるかもしれない!そう思った。 

そして私は、とある服飾関係の販売のアルバイトを始めた。

 

結果はどうであったか。

「普通」であった。

すごく売れるわけではないが、売れないわけでもない。

ただ、事務や営業の仕事と比べればはるかにマシであったし、仕事自体は楽しかった。

また、私が務めていたお店の社長と社員はスピリチュアルや神社が好きで、当時スピリチュアル寄りだった私は、やっと自分の居場所が見つけられた気がして、最初は嬉しかった。

しかし、働くにつれて、そうした人たちが精神論や綺麗事を多用する割に、実務や行動が伴っていないところが目につくようになっていった。

縁起は気にする割に、きちんとしたマーケティングをしていない。

感謝について語るのはいいが、お店のためにと社割を使わずに商品を買ってくれている社員にぞんざいな扱いをする。

気を「氣」と書くようなことにはこだわるのに、給与明細に記載する従業員の名前を間違える。

それまで私は「引き寄せ」やスピ的なものに幻想を抱いていて、『スピリチュアルなものを信じる人=良い人』という思い込みがあったが、この仕事を始めてからその幻想は打ち砕かれた。

綺麗事を言うより、まずは行動をすること。

見えないものより、まずは身近にいる人を大切にすることが大事」だと気づけたのは、この職場での経験があったからである。

その会社は事業計画もスピリチュアル的なものに頼っているところがあって(不思議な能力があるとかいうアドバイザー役の直感で物件を選んでいたりした)、そのせいか経営状態は悪く、私がいた店舗も働いてから一年も経たないうちに撤退を余儀なくされた。

ちょうどその頃私も長女を妊娠したこともあり、そのタイミングで退職した。

 

 

こうして、私は現在に至るまで、専業主婦だ。

そして、最後の販売の仕事を辞めてようやく、「自分って普通の人間だったんだな」と、思えるようになった。

もし、私が就活で万が一、志望していた企業に受かっていたら、きっと私はすごーく嫌な人間になっていたと思う。

そして、プライドが高すぎて、今の夫とも結婚していなかっただろう。

だから、就活がうまくいかなかったことも、働く先々で失敗し、叱られ、恥をかいたことも、今現在の幸せに繋がっていると思えるし、良い経験になったと思っている。

 

ただ、ひとつだけ後悔していることがあった。

それは、就活から逃げたことだ。

しかも、逃げたことを認めたくなくて、かっこつけた言い訳をして、逃げたことだ。

 

失敗した自分、間違っていた自分のことは、

「あの時の自分は、あれで精一杯だったな」と思えるし、愛しさすら覚える。

だが、自分に言い訳をして、逃げていた自分は、ダサくて、ひたすらかっこ悪いだけなのだ。

そして、思い出すたびに苦々しい感覚がして、胸が痛くなるのだ。

 

もしかしたら、就活を逃げずに頑張っていたとしても、同じように内定がゼロで終わったのかもしれない。

そして、同じようにレストランでバイトし、同じように色々な仕事を渡り歩き、今の夫と結婚していたのかもしれない。

でも、少なくとも、就活のことを思い出すたびに感じるこの胸の痛みは味合わずに済んだだろう。

 

そんな私の元に、初夏ごろ、とある青年からメッセージがきたのである。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

実は私には、年の離れた腹違いの弟がいる。

弟とはいっても、父が再婚した女性との間に生まれた子であるし、しかもその女性とも父はすぐ離婚したので、赤ちゃんの時に一度見たことがあるぐらいで、そこからは一切関わりがなかった。

 

しかし、数年前にひょんなことで交流が始まり、今では家族で年に一、二度ほど会う機会がある。

弟は、優しく賢く人当たりがよく、立派な青年に育っていた。

 

ただひとつ気がかりなことがあった。

昨年、こんなことを言っていたのだ。

「自分と同じように、深く物事を考えられる人が周りにいなくて、孤独を感じる」と。

何となくだが、弟は周りにいる人間が馬鹿に見えていたようだった。

 

その感覚は非常に身に覚えがあった。

私も若い頃は、周りの『素直な』子たちが馬鹿に思えて、見下していたからだ。

流行り物を追いかける人間、人気のあるものを好きという人間は、浅はかで馬鹿な人間に見えていた。

しかし、それは本当は周りが馬鹿だからではなく、自分が自分の素直な感受性を否定していたから起きていた現象だったのだ。

なぜ素直な感受性を否定するようになったかといえば、私の場合は幼少期の両親の離婚騒動にあった。

辛い環境で生きることを強制されると、多くの人は「悲しい」という感情を封じ込めることで、自分の心を保とうとする。それが自我を保つ唯一の手段だからだ。

しかし、そうして「悲しい」という感情を封じ込めると、自分の素直な感受性まで否定することになる。

そうして感受性を否定して生きていると、素直に物事を感じられる『普通の人』の感覚が理解できなくなるのだ。

その原因は、先に述べた通り感受性の否定にあるのだが、そのことに気づかないと、

「私が普通の人と違うからなのだ」

「私は特別なのだ」と、思うようになる。

少なくとも、私はそうだった。

 

聞くところによると、弟も子供時代は大変な思いをしていた。彼は母親の再婚相手の、義理の父親との折り合いが悪かったのだ。

弟に昨年会った時、感受性を素直に認めることを伝えたいとも思ったのだが、なかなかそんな話をする機会もなく、一年が過ぎていた。

 

そして久々に連絡を取った初夏、彼がこんなメッセージをくれたのだ。

「就活がうまくいってなくて、最近すごく落ち込んでます」

 

私は自分の就活のことを思い出した。

必死になって弟にメッセージを送った。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

うまくいかない・・ということは、恐らく弟は志望していた大手企業に落ちて、やる気が出ない状態なのだろうと私は推察した。

 

まず私は、大手企業にいったからとて幸せや安泰になるわけではないことを伝えた。

実際、私の周りの人で、大手企業や華やかな業界に行ったのに、失望して辞めたという人は何人もいた。

 

また、志望する企業に落ちたとしても、それで自分の価値がなくなるわけではないとも伝えた。

正社員時代に私も面接する側になったことがあったが、どれだけ能力が高そうで人当たりが良くても、社風に合わないと判断した時には断ったことがあった。

採用したとしても、続かなければ意味がないからである。

 

そして、とにかく『素』『等身大』の自分になるように伝えた。

それは自分が就活時代、どうしてもできなかったことだ。

 

素の自分になることを、以前の私はよくわかっていなかったし、うまく説明できなかったのだが、

友人のエピソードで素敵な話を知ったので、紹介した。

それは、こんな話である。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

私の友人で、ADHDの女性がいる。

彼女は障害者手帳も持っているのだが、諸事情で以前の仕事を辞めたので、新しく障害者枠で仕事を探すことにした。

障害者枠での採用は、オフィスワークの場合は身体障害の人が受かることがほとんどで、彼女のような発達障害(手帳の上では精神障害となるらしい)の人が受かることは物凄く珍しいらしい。

なので、ただでさえ狭き門なのだが、彼女にはもうひとつ、就活を難しくしている問題があった。

それは、遅刻癖である。

彼女はどうしても、遅刻する癖を治すことができなかった。それはADHDの症状で起こるもので、どれだけ治そうとしても治らなかったのだ。

私が彼女を素晴らしいと思った点は、彼女はどの面接でも、短所を説明する時に、

「遅刻する癖があります」と正直に伝えたということだ。

そして、どの企業の面接でもそのことを伝えた途端

「はぁ?」という顔をされたらしい。

「親御さんに協力してもらったら?」と言われることもあったが、彼女はそれができない環境にあった。

そして、必ず落とされた。

だが、彼女はそのことを伝えるのを辞めなかった。

自分の特性を理解してもらえる職場でなければ、受かったところでうまくいかないことをわかっていたからだ。

 

しかし、たったひとつの企業だけが、

「ああそうですか」と、何事もないかのように受け入れてくれたのだ。

そして、彼女はその会社に受かった。

 

入社前の健診の時にやっぱり遅刻したそうなのだが、それも、特に咎められることはなかったらしい。

 

このエピソードは、就活で『素』になることがどんなものかを教えてくれると思う。

 

それは、自分の短所も長所も同じように認めるということである。

短所があるからといって、けなしたり、恥ずかしがったり、隠したりすることなく、それを自分の特性として認めることである。

第一、短所をうまく隠したところで、それは偽りの自分なのだから、そんな自分を買われても意味がないではないか。

もし友人が遅刻癖を隠して時間に厳しい企業に受かっても、友人も企業も嫌な思いをするだけだっただろう。

 

そして私自身、面接する側に立ってわかったが、やはり自分を取り繕うとする人はわかってしまうし、良い印象を持てなかったのだ。

 

勿論、遅刻癖をアピールすることが良いとか、短所を前面に押し出すことが良いというわけでもない。

(遅刻癖も、改善する方法があるならした方が良いとは思う)

ただ。自分の短所も長所と同じように、自分を構成する大切な一部なのだから、無理に隠そうとしなくていい・・ということなのだ。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

こうした話を伝えたら、弟から返信が来た。

どうやら弟も、かつての私と同じように、自分に言い訳をして逃げているところだったらしい。

 

私は自分がいかにダメな就活時代を過ごしたかと、自分の人生に満足はしているが、就活に逃げたことだけは未だに悔いているという話を伝えて、どうか同じ後悔をしないよう、逃げないことを勧めた。

 

そして、二つの実践的な方法を伝えた。

これは私が社会人になってだいぶ経ってから、「就活の時こうすればよかった」と思った方法である。

 

 

①一日5分(そのかわり毎日)就活にまつわることをする。

 

何か自分が達成せねばならないことがあるのに体が動かない時というのは、たいがい「目標値が高すぎる時」である。

これはテニスの初心者が、いきなり錦織圭と戦うことを想定して、「勝てるわけないや」と思って最初から諦めてしまうようなものだ。

就活もこれと同じで、やる気が出ないということは、それだけ自分の中で就活に対するハードルが上がってしまっているのだ。

 

ではどうすればいいかだが、毎日最低限の目標を決める。それはどれだけ低くてもいい。ただ、必ず毎日達成できるレベルのものにする。

つまり、1日1時間みたいな、考えるだけで「うわぁ・・」としんどくなるようなレベルには設定しない。私のオススメは5分である。

そして一日の最低限の目標を達成したら、それで良いと認める。

「どうせ5分だし・・」「もっとやらなきゃ意味ないし・・」というような自分を責めることは絶対に言わない。

 

先ほどはテニスで例えたが、あなたがどれだけテニスが下手でも、毎日の練習をすれば、いずれ少しずつ上達する。

どれだけ頑張っても錦織圭に勝てるほど強くはなれないかもしれない。だが、始めた頃の自分と比べれば見違えるほどうまくなるだろう。

 

一日5分という目標をクリアすると、元気なときはもっとやりたくなる。そんな時はもっとやってもいい。

しかし、しんどい時には5分だけする自分を許すこと。「昨日はもっとできたのに」なんて自分を責めてはいけない。

 

そもそも、「やらなければと思っているけど、動くのが億劫でやりたくない」という時は、心の奥では「やりたい」と思っているのだ。

自分の心は、きちんと「やる」ことを願っている。

ただ、その前に色々とごちゃごちゃしたもの・・「エントリーシート書かなくちゃ」とか「企業研究しなくちゃ」とか「受からなかったらまた自分で自分を責めるんだろうな」とか、そうしたものが見えてしまうから、足がすくんでいるだけなのだ。

そういう時、実は休むことはあまり良くないのだ。休んでしまうと、自分の心の奥にある「やりたい」という気持ちを無視することになる。

心は無視されると、傷つく。

そうして休んで自分を大事にしているつもりが、心を無視して自己否定になっているケースはよくある。

 

この方法の利点は、目標達成できることだけではない。等身大の自分に戻れることだ。

そもそも、「一日一時間やらなければ」「もっとたくさんやらなければ」というような意識が強い時ほど、人は等身大の自分を否定している。

すごい自分になろうとして、もがいているのだ。

一日の目標は低くてもいい、ただ立てた目標は必ず守ること。

そうして自分との約束を守っていくと、そんな自分が好きになってくるし、誇らしく思えるようになる。

平凡な自分でも、一日にできることは少なくても、その努力を積み重ねれば結果が出るのだと実感できる日が来るのだ。

 

 

②自分の心のマイナスな呟きを肯定する

 

就活でも何でも、うまくいかないとき、

「もう嫌だな」「怖いな」と心の中でつぶやいてしまう時がある。

そんなとき、「嫌だなって思っちゃダメだ!頑張らなきゃ!」と自分に声をかけるのは逆効果だ。

私たちはどうしても、『嫌だ』とか『怖い』とかを認めてしまうと、それはすぐさま怠惰になることやサボることを肯定してしまうような気がして、否定してしまう。

しかし、そんなことはないのだ。

「嫌だな〜でも、やるか」と、『嫌だ』という気持ちを認めたうえで行動することはできる。

むしろ、『嫌だ』という気持ちを認めないと、心は傷つく。

何度も言うが、心は感じていることをコントロールできないし、コントロールしようとするとかえってうまくいかないのだ。

 

弟は少年時代、継父からとあるスポーツを強制されて、嫌だったと話したことがあった。

私は、彼がその時の記憶を引きずっていて、『嫌だ』という気持ちを無意識に否定しているのかもしれないとも思っていた。

私にも覚えがあるが、子供の時の親からの

「そんなことで泣くな」とか

「この程度のことで嫌だって言うな」という声は、大人になってからは、自分が自分自身にかける声になるのだ。

 

だから私は弟に、「嫌だな」「辛いな」という声が頭に聞こえても、それを否定することはない、それを認めたうえで行動するように伝えた。

 

 

このブログを読んでわかる通り、私は話の長い人間だ。

弟にも、かなり長い文面でこうしたメッセージを送ってしまった。

「話の長いババアだな」なんて思われてしまったかな、と思ったが

心優しい弟は「まずは今日から一日20分、エントリーシートを書くという目標を立てます!」と、素直な返事をくれた。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

そして、一ヶ月が経った。

私は弟のことを少し気がかりに思っていたが、うまくいけば連絡が来るはずと、信じることにした。

 

正直、弟が内定を取るかどうかは、あまり気にしていなかった。

このコロナ渦の中の就活は、ただでさえ大変だろうし、世界情勢も不安定なので、内定を取れたところで会社がどうなるかわからない。

それに、内定を取ることよりも、目の前の課題に実直に取り組むこと・・それがどんなに大変そうでも、今日できることをきちんとするという習慣さえ身につけてくれれば、そのことのほうが就活よりずっと価値のあることだと思った。

受かったところで、会社が合わなくて鬱になる人もいるし、会社が倒産することだってある。

しかしここで、「自分にできることをコツコツ努力する」という習慣が身についていれば、それは自分の糧になるし、たとえ就活がうまくいかなくとも、その努力はいつか実を結ぶだろう。

だから、私が弟に望んでいたことは、内定を取ることよりもむしろ「逃げないこと」にあった。

 

そう改めて思った矢先に、連絡が来たのだ。

内定を取れたという連絡が!!!!

 

しかも話を聞くと、弟が受かったのは、規模は大きくないけれども、離職率が低く、安定性もあり、福利厚生も充実している会社だった。

社員さんも皆感じが良く、面接の時もとてもリラックスして話すことができたらしい。

さらにさらに、私が弟を見て「こんな業種が合いそうだな」と思っていた業種だったのだ!

ちょうど私からのメッセージが来た時ぐらいに応募して、そのままトントン拍子に決まったそうだ。

 

弟から「メンタル面で助けになったのは、姉さんのおかげです」というメッセージをもらって、本当に、本当に、本当に嬉しかった。

もちろん、実際には弟の頑張りがあったからこその結果なのだけれど、

今まで自分の中でモヤモヤとした苦い思い出だったあのかっこ悪い過去が

弟が無事内定を取れたことで、初めて「糧」となった、そんな気がした。

 

私のメッセージが、実際にどれだけ役立ったかわからないけれど、もし少しでも役に立ったのなら、本当に良かったと思うし、

私の失敗を糧にしてくれた弟に心から感謝している。