以前、「成功」と「失敗」についての記事を書いたけれど[エッセイ]「成功」と「失敗」 - 感情の考察、日常の幸福
ちょうどこれを書いている時に、タイムリーな出来事があったので、そのことを書こうと思う。
さて、私にとっての、人生で一番の「失敗」と言えば、
紛れもなく『就活』のことである。
私は就活で、内定を一つも取れなかった。
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私が就活をしている時は丁度就職氷河期だった。
だから普通に就活していても、なかなか内定を取れないのは当たり前の時代だったのだけれど、
私の就活の失敗は、その時代のせいだけではなく、盛大な勘違いが大きな原因であった。
それは「素晴らしい自分には、大手の有名企業に行く価値がある」という考えを持って、就活していたことである。
この考え方には間違いが2点ある。
一つは、自分に合う企業というものは規模や知名度で測るものではないということ、
もう一つは、どんな企業に行っても、人の価値は変わるものではないということを、理解していない点にある。
当時私が何故、このような考え方に陥ってしまったかといえば、「自己肯定感」に対する理解の浅さがあった。
21歳ぐらいの時から私は、自分のそれまでの生きづらさの要因が、「自己肯定感の低さ」にあることにちょうど気づき、自己肯定感を高めるために自分を大切にすることに取り組んでいた。
そうして実際に、1年ほどで大きく人生は変わり始めていたのだ。もちろん、良い方向に。
自虐ネタを言わなくなると、「いじられキャラ」として扱われることが無くなった。
自分を大切にすると、何故か周りの人も同じように自分を大切にしてくれるようになった。
無駄遣いが減ってお金が貯まるようになり、色々な人からプレゼントをもらえるようになった。
勘が良くなり、いわゆるセレンディピティというものを感じることが増えた。
何よりも、自分を自分でけなすことがなくなったので、それまで感じてた生き辛さというものが格段に減ったのである。
しかし私は、「自分を大切にすること」の絶大な効果を知るうちに、自己肯定感に対する誤ったイメージを持つようになってしまっていたのだ。
(ちなみにこれは、私が以前批判した教祖様・・子宮系女子や引き寄せの有名人、某心理カウンセラーも同じ間違いを犯している)
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昔の私・・20歳ぐらいまでの私は、自分のことが嫌いだった。
だから自虐ネタばかり言って笑いを取ろうとしていたし、誰かと比較して心の中で自分をいつもけなしていた。
私が自己肯定感の大切さを知ったのは、上原愛加さんのプリンセスレッスンの本を読んでからだった。
(上原さんは賛否両論あるけれど、最初に出た2冊の本には私は本当に救われた。今でもすごく感謝しているし、その2冊はいつ読んでも本当に良い本だなと思う)
そこで、自分がいかに自分をないがしろにしているか、それが無意識にどれだけ自分のことを傷つけていたかに気づき、自分を愛することに取り組むようになったのだ。
そして、上に書いたような、さまざまな素晴らしい効果を得た。
就活が始まった時は、こうして「自分を愛する」ことに取り組み、成果が出始めていたころだった。
だから私は、「自分を愛することを知った私は、もう大丈夫!」と思っていた。
自分を愛しさえすれば、どんな夢でも叶うと信じていたのだ。
ただ、私は「自分を愛すること」だけを重視するうちに、
「自分をすごい人間だと認めて、褒めて褒めて褒めまくって自信を持つこと」が、自分を愛することなのだと、勘違いしていたのだと今ではわかる。
しかし、本当に自分を愛すること、というのは
「自分の良いところも悪いところも同じように認めて、どんな時でも自分の価値を信じること」なのだ。
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就活を始めてすぐの頃、私はワクワクしていた。
自分が誰もが羨むような、大手の有名企業に受かると信じて疑わなかったからだ。
私には自信があった。
それは上に書いた通り、自分が「自分を愛せている」と思っていたからだ。
実際にはそれは、自分を甘やかすことが行き過ぎた結果、頭の中で自己を肥大化させていただけだった。
加えて、私には、「エキセントリックな人生を歩む自分はすごい人間だ」という思い込みからくる謎の自信もあった。
何度も書いてきたことだが、私の両親は幼少期に離婚し、私はそのゴタゴタで、偽名で暮らすというちょっと変わった子供時代を過ごしていた。
また私は、中学時代イジメで辛い目にあった時に、ちょうどその頃に出会った人から「感謝すれば幸せになる」と教わり、感謝を心がけるとイジメがピタリとなくなるという不思議な経験をしていた。
大学ではバイトで目先の金を稼ぐ楽しみと恋愛に溺れ、学業を疎かにしたせいで中退しかけたけれど、
これまた出会った人から、何故か自分の悩みをピタリと当てられたうえに「大学に戻れ」と天啓のように言われるという、また不思議な経験をしていた。
そして、大学に戻ると決めてから始めた塾講師のバイトでは、これまたすごい偶然で・・というのも、当時の教室長が急に病に倒れ、代わりにやってきた上司に、私の幼少期のトラウマを当てられ、「過去の悲しい出来事と向き合うこと」の大切さを教わるという、やっぱり不思議な経験をしていた。
そう、私は困った時や苦しい時、なぜか不思議と助けてくれる人が現れ、私に必要なアドバイスをしてくれるのだ。
漫画でもツッコミが入るような、都合のいいタイミングで、どこからともなく、現れるのだ。
今思うとこれは、私のご先祖様が、私を守ろうと必死に繋いでくれた縁のおかげで、全てはご先祖様や見えない力のお陰でしかないのだが、
当時の私は、最もしてはいけない、愚かな勘違いをしてしまっていた。
それは「自分が選ばれた特別な人間である」という思い上がりである。
また、祖母が外国人の混血であるということや、自分の名付け親が有名人であるということも、
この「特別な人間である」と思うことに拍車をかけていた。
当時の私は、「自分は特別な人間だから、社会で大きなことを成し遂げられる」と信じて疑わなかった。
さて、こうして見かけ上は自信たっぷりな私であったが、潜在的にはやはり自信がなかった。
そもそも私は、一度大学を中退しかけたせいで留年していた。
見た目も取り立てて美しいわけでもなく、サークルや部活を頑張ったこともなく、一応地元ではそこそこと言われる私大に通っていたが、アルバイト先の塾では学歴は私が一番低かった。
そう、私は、少し特殊な環境で育ったり、不思議な縁で何度も助けられたりといった、自分の「環境」は特殊であるという自負があったのだけれども、
その自負の大きさに対して、自分が何かを成し遂げた経験、頑張った経験というものは、「バイト先で教え子の成績が上がった」だとか、「大学に真面目に通い直した」とか、当たり前で平凡なものしかなかったのだ。
別に当たり前だとか、平凡なことが悪いわけではない。
教え子の成績を上げることも、大学にまじめに通うことも、大切なことだ。
だが私は、「特別な私」には、それに見合う「特別な経験」が無ければいけないと思い込んでいた。
何か大きな組織を立ち上げたり、海外留学や何かのコンテストでいい成績を収めたり・・のような。
今思うと、私は別に最初から「特別な私」でいることを放棄すれば良かっただけなのだ。
特別な私という鎧を脱ぎ捨てさえすれば、自分が普通の人間であると認めさえすれば、「平凡で当たり前の経験」は「普通の人間の自分が、自分なりに頑張って成し遂げた経験」となったはずだろう。
だが、若い頃の私には、まだその鎧を脱ぎ捨てる勇気がなかった。
その鎧を脱ぎ捨ててしまうと、私は誰からも見てもらえず、そして誰からも愛されないのではという恐怖があった。
それに、幼少期に自分が理不尽に悲しい目にあった事実を認めたくなかった。
私がこんなに辛い幼少期を過ごしたのに、恵まれた環境に生まれた人たちがニコニコしながらのうのうと暮らしている。
そのギャップに耐えられなかった。
自分の不遇は、何か理由があると思いたかった。
そう思わないと、自分にはこの不遇を乗り越えられた気がしなかったし、恵まれた人達に嫉妬してしまうことが怖かった。
「神様は特別な人間にこそ試練を与える」そう思うことで、自分の不遇を肯定してもらえる気がした。
もちろん本当は、理由がなくても、不遇な目にあうこともあるし、それで悲しみや苦しみを感じるのは当たり前のことだ。
でも私は、それがわかっていなかった。
そして自分のことを「普通の弱い人間」と認めると、悲しみや苦しみを感じていたことを素直に認めてしまうと、自分がこの世界で生きていけなくなるようで怖かった。
人生には色々な苦難があるのに、世の中には自分よりも不幸な人がいるのに、この程度で弱音を吐いてしまってはダメなんじゃないか?・・そういう恐怖があった。
だから、自分が不遇を乗り越えたと思うため、そしてこれからの苦難も乗り越えられると思うための、何か理由が欲しかったのだ。
だから私は、自分が味わった数々の不幸は、神様からのプレゼントで、自分が乗り越えられるからこそ与えられたものだと思い込むことにした。
そう思えば、自分より恵まれた人に対して嫉妬することもなかった。
そして、このプレゼントを得られる自分は、特別な人間なのだと確信した。
しかし、こうして自分を特別な人間と思えば思うほど、それに対して自分が成し得たことが小さすぎるというギャップに、苦しむようになっていった。
私は、自分なりに頑張った証である、「アルバイトで教え子の成績を上げた」という経験も、「大学に戻って真面目に学び直した」という経験も、
心の何処かで「当たり前で、何の価値もないもの」「誰にでもできることで、素晴らしい価値のある私には見合わないもの」と馬鹿にし、見下していた。
☆☆☆
意外と思われるかもしれないが、私は学生時代は「目立つ」「派手」「オーラがある」と言われるタイプだった(この中に「美人」という褒め言葉ないのがお察しである)
だがそれは、私にオーラがあったからではない。
どうすれば目立てるか、派手に見えるかを私が知っていたからである。
学生時代の私は、誰かに自分を見て欲しくてたまらなかった。
誰かに愛されたかった。
何故なら自分が自分のことを愛せていなかったからである。
誰かに愛されたい私は、誰よりも目立とうとした。
目立てば、誰かが私のことに気づいてくれ、愛情をかけてくれるという望みを持っていたのだ。
道端にいる雑草のままでは、誰からも見てもらえない気がしていた。
私は薔薇のようにならなくては、誰も私のことなど気づいてくれないだろう。
だから私は薔薇になるべく派手な化粧をし、目立つ服を着た。
会話では常に「自分の喋る順番はいつか」を考えていた。話題は当然、自分のアピールだ。
自分を見てもらうためならば、笑いを取るためならば、いくらでもバカなふりをして、ピエロになった。
しかし、電柱の陰で咲くスミレの花がふと人々の足を止め、見るものの心を癒してくれたり、
道路脇でひっそりと咲くタンポポを子供が愛でて、綿毛を飛ばすことを心から楽しんでくれるように、
派手であること、目立つことが、人から愛されることに必要なことではない。
ただその人がその人らしく振る舞い、生きる姿にこそ、その人の美しさは宿る。
そうして、たくさんの人が気づかなくとも、どこかでその魅力に気づいてくれる人・・就活の場合は「企業」だが・・は必ず現れる。
私はそのことを、知らなかった。
自己肯定感が低いという問題に気づいてはいたけれど、まだ本質的な「自分への愛」というものを理解していなかった。
自分をけなすこと、自分を否定することは辞めたけれども、
目立つこと、自分を過大評価することは「良いこと」だと信じて疑わなかった。
それは本当は、自分の真の姿を愛することにはならないのに。
本当の、本当の「自分を愛する」ということは、
どんな企業に行こうと、たとえ失敗しようと、それでも「自分には自分の価値がある」と認めることである。
それは就活に失敗したからとて無くなるものでなければ、逆に大きな企業に行ったからとて上がるものでもないのだ。
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上で述べた通り、私服や普段の化粧では「派手で」「目立って」「オーラのある」私であったが
就活の場では、みんなと同じスーツを着て、品のいいメイクをして、面接に挑まなければならない。
いや別に、白いスーツを着て普段の派手な化粧をしても良かったのかもしれないが、
私は「目立ちたい」「見て欲しい」という欲求と同じくらい「悪目立ちしたくない」という欲求も強かった。
「自分の良いところは見て欲しいけれど、悪い風には見られたくない」
「『見た目を派手にして安易に目立とうとしてる軽薄な子』と思われたくない」
そんな意識の強かった私は、周りと違う格好をする勇気も持てなかったのだった。
説明会の時、私はあの、皆同じようスーツを着た黒い塊の中に入ることが怖くて仕方がなかった。
黒い海の中に自分が埋もれてしまう気がした。
そして誰にも気づかれないまま、溺れ死ぬような気さえしていた。
☆☆☆
私の就活は難航した。
等身大の自分を見ず肥大化したセルフイメージを持っていた私にとって、自己分析とは最もやりたくないものであった。
説明会にも、前述の通り「黒い塊」に入るのが怖くて、あまり行かなかった。
私は「カッコ良さそう」「すごそう」という理由だけで超大手企業ばかり受けた。
しかも、最初から選り好みして特定の業種のみに絞っていた。
もちろん、きちんと自己分析したり、説明会に行って比較したりした上で、業種を絞るなら良いのだが
私はそのどれもやらないまま、運試しのように応募していた。
実のところ、私はたくさんの企業に応募することも怖かったのだ。
たくさん応募するということは、それだけたくさん落ちる可能性も増えるということである。
その勇気が、私にはなかった。
しかしそんなふざけた就活しかしていない私は、当然すぐに落とされることとなる。
自己分析もせず、やりたいことも漠然としていて、企業研究もサボっているから自分の応募している企業が他者とどう違うかも説明できない。
至極当然の結果だった。
しかし、自己が肥大しきった私は、お祈りメールを見ても
「これもきっと良い結果に繋がってる♪」
「私に見合うもっと素晴らしい企業が待ってるハズ♪」と、都合よく自分に甘い言葉を言い聞かせ、現実逃避していた。
等身大の自分が・・本当は耳障りの良い言葉で言い訳して逃げているだけの、弱い人間だという事実を直視したくなかった。
しかし、何社も何社も落ちていくうちに・・段々と「もしかしたら一社も受からないんじゃないか?」という恐怖が湧き上がるようになっていた。
それでも、私はその恐怖に蓋をし、相変わらず説明会には行かなかったし、あまり応募もしなかった。
本当は、真面目に取り組むことが怖かったのだ。
もし、真面目に取り組んで落とされてしまったら、かっこ悪いでは無いか。
不真面目にやっていたら、「私は本気を出していなかったから仕方がない」という言い訳ができる。
私は自分を、社会に必要とされていない、無価値な人間だと思いたくなかった。
それに気力も出なかった。
最初の頃こそ、意気揚々と説明会や面接に挑んだ私だったが、当初の予想に反して何社も落とされるうちに
「また落とされるのかなぁ・・怖いなぁ・・」
「行きたくないなぁ・・嫌だなぁ・・」という思いが湧き上がるようになっていった。
そこで私は、また「自分を大事にすること」を都合良く解釈することにした。
つまり、
「説明会行かなきゃな・・でも、行きたくないな・・」と思った時は、
「行きたくないってことは行かないほうがいいってことだから休もう!」
と、『自分を大切にするため』『自分の心の声を聞くことが正解』という言い訳をして、ひたすら休むことを正当化したのである。
でも、休んでも休んでも、一向に気分は良くならなかった。
当然だ、私は本当は理性の部分では「説明会に行きたい」と思っていたのだから。
この時私は実際には、理性的な「説明会に行きたい」という思いと、「でも落とされるのが憂鬱で怖い」という本能的な思いの両方を抱えていたのだ。
こういう時、どうすればいいかだが、まずはどちらの気持ちも認めることが大切である。
「憂鬱だし、怖いよね」と、自分の本能の思いを認め、
「でも、きっと行った方が後でスッキリするよ!」と、理性の部分を認めた声がけを自分にするのである。
もちろん、それでもどうしても辛い時は行かないという選択をすることもあるだろうが、
理性的な「ちゃんとしたい」という気持ちと、本能的な「気ままにしたい」という気持ちの、バランスをとりながら大切にすることが大事なのだ。
(ちなみに、現在の私は「ちゃんとする」か「ゆっくりする」か悩んだ時は、できるだけ先に頭に浮かんだ方を優先するようにしている。
「ちゃんとしなきゃなぁ・・でも休みたい」と頭に浮かんだ時は、ちゃんとすることを優先し、
「休みたいな・・でもちゃんとしなきゃ」と頭に浮かんだ時は、休むことを優先するようにしている)
しかし、当時そんな解決方法を知らなかった私は、かつての「自分を大事にするとうまくいく」という成功体験にすがり、「本能的な自分を甘やかすことだけが、幸せになれる方法だ」と思い込んだ。
そうしてひたすら理性的な自分の声を無視して就活から逃げ続けた。
最初の頃に「私は超大手企業に決まるはず」と思い込んで、会社を選り好みして就活していた私は、使える駒がすぐに無くなっていた。
そのうえ前述の通り、駒がなくなってもなお逃げてばかりいたので、時間も浪費してしまい、いざ気を取り直してどこかに応募しようと就活サイトを開いても、掲示されるのは中小企業ばかりになっていた。
もちろん中小企業が悪いわけではないのだが、「私はすごい企業に行けるはず」と信じている私にとって、
そうした企業に自分から望んで行くことは、プライドが許さなかった。
だからなかなか応募することもできなくなっていた。
そして、中小企業すら採用が減っていく時期になってようやく、
私は「自分がやばい状態にいる」という事実を現実として、受け入れざるを得なくなった。
しかしここでも、やはり私は「自分が特別な人間である」という望みを捨てたくなかった。
私はこう思うことにした。
「面接に落ちてしまったのは、私が悪いからではない。もっと良い企業に出会うための、神様の計らいだ」
この考え方は、必ずしも間違っているわけではない。
ただこの言葉を使って良いのは、自分なりに努力して、できる限りのことをして、それでもダメだった時だけである。
私にとっての「この方が良かったんだ」という言葉は、現実逃避であり、等身大の自分を直視しないための言い訳であり、逃げでしかなかったのだ。
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実は就活中、私が「特別な人間」になろうとしていることを見抜いていた人がいた。
それは、バイト先の塾にいた、私がトラウマを抱えていることに気づいてくれた上司である。
彼はことあるごとに何度も、私にこう語りかけていた。
「小咲さん、『普通』になりなさい」
「世の中の人間なんて、みんな本来は『普通』なんだよ」
「君は単純な人間なのに、それを認めたくなくて、複雑なふりをしている」
私は当時、この上司が言っている意味がわからなかった。
上司には模擬面接の相手をしてもらったことがあったが、その時にまたこう言われた。
「小咲さん、『素』を見せなさい」
ところが、どれだけ私が「素」になったつもりで答えても、一向に上司は認めてくれなかった。
「素になろう」とどれだけ意識しても、自分の悪い部分を意図的に見せようとしてみても、何をしてもダメだった。
疲れ果てた私はこう聞いた。
「何で、素を見せなきゃいけないんですか」
上司はこう答えた。
「素を見せない人は、信頼してもらえないんだよ」
私は何が何だかよくわからなかった。
思えば、もし私が就活に諦めずに挑んでいたら、
何度も面接で失敗したり恥をかいたりするうちに、自分のダメな部分を受け入れることができて、
「素になること」ができていたかもしれない。
しかし、この時の私は、逃げることしかできなかった。
こうして私は、上司が何度も大切なメッセージを伝えてくれたのに、内定ゼロの状態で卒業することになってしまった。
だが私はまだ、自分に言い訳を続けた。
「私が落ちたのは、きっともっと私にふさわしい企業に出会うためなんだ」
「神様は私のために、最善のルートを用意してくれているハズ!」
私はまだ、自分が特別であるという幻想の中で生きていた。
(長くなったので、続きは後日公開します。)