感情の考察、日常の幸福

読んだからとて奇跡は起きないけれど、自分の心に素直になれたり、日常の細やかな幸せに気がつくことができたりするような、そんなブログを目指しています。

[理論]負の感情の扱い方《妬み編》

今回取り上げる感情は「妬み」です。

 

妬み、とは

自分にないものを持っていそうな相手を見た時に、湧く感情ですね。

 

私も、美しい人やお金持ちな人を見ると、つい「いいなあ〜」と思ってしまうことがあります。

 

それが、「いいなあ〜」で止まってくれていたらいいのですが、

「恵まれているんだから、不幸な目にあうべき」

「幸福そうだから、悪口を言ってやりたい」

と、相手の不幸を願ってしまったり、相手に攻撃したくなってしまったりするのは、やはりよくありませんね。

人を傷つけるだけではなく、自分の品位と評判まで落としてしまいます。

 

 

さて、「妬み」というのは、言い換えると、「羨ましい」「憧れている」ということです。

なので実は、自分が望んでいるものを知らせてくれている感情とも言えるのです。

 

 

だから、妬みを感じた時は

「私は〇〇を欲しいと思っているんだな」

「私は〇〇な部分に憧れているんだな」

と、まずは認識してみて下さい。

 

 

ただ、ここで一つ、注意して欲しいことがあります。

それは、表面的なものに囚われて、自分が本当に求めているものを見失ってしまうことです。

 

 

例えば、専業主婦の私は、外国に行ってバリバリ働く友人の様子を見ると、「良いなあ〜」と羨ましくなることがあります。

でも、家にいることが好きな私は、恐らく友人のようにバリバリ働いても、すごく疲れてストレスが増えることでしょう。

よくよく考えてみると、私が本当に求めていることは、「外国でバリバリ働くこと」ではなくて、

「外国の景色を見ること」だったりします。

それがわかると、「いつか外国に旅行に行こうっと♪」という風に考えることができます。

 

 

また、学生の頃の私は、当時流行っていたアイドルに

「たいしたことないじゃん!!」と、自分の顔面レベルを忘れた嫉妬丸出しのイターい発言をしていたのですが笑、

あの時の自分は、「綺麗でチヤホヤされている女性」が、羨ましかったんだなあと思います。

じゃあなぜ、綺麗な女性が羨ましかったかと考えると、

多分「愛されてそうだから」だったなあと思います。

じゃあなぜ、愛されてそうなのが羨ましかったかといえば、「自分が愛されている自信がなかったから」でした。

さらに何故、自分に「愛されている自信がなかった」かといえば、「自分が自分のことを愛していなかったから」なんです。

 

学生の時と比べて、今の私は歳をとっておばさんになり、おそらく性的な魅力は減りましたが、

あの時と違って芸能人を妬むことはなくなりました。

何故なら、自分で自分を愛せるようになったし、また大好きな夫と楽しく暮らすことができているからです。

 

 

 

ですから、「〇〇が欲しい」と思った時、その根底に、もっと別なものを求めているのではないか少し立ち止まって考えてみてください。

 

 

「美しくなりたい」の根底に、「愛されたい」という意識は無いか、

「有名になりたい」の根底に、「誰かに認められたい」という意識は無いか、

「お金持ちになりたい」の根底に、「すごいと思われたい」という意識は無いか・・ということです。

 

特にこの、「愛されたい」「認められたい」という意識は、かなりの割合で妬みの根底に存在していることが多いのです。

 

もし、そうした「愛されたい」「誰かに認められたい」「すごいと思われたい」という気持ちが存在することに気づいたのなら、

まずは自分で自分にそれを与えてみてください。

 

 

「いつもありがとう」と自分自身に声をかけて、好きな飲み物を用意したり、

「今日はこんなに頑張った!」と自分を認めたり、

「こんなに美味しい料理を作れるなんて、私すごい!」などと自分を褒めてみたりしましょう。

 

 

そうした生活を続けるうちに、もしかすると、「欲しい」と思っていたものに興味がすっかりなくなるかもしれません。

 

逆に言えば、どれだけ自分よりお金持ちな人でも、恵まれていそうな人でも、その人が自分自身のことを認めたり、愛することができていなければ、

その人はもしかすると自分よりも不幸な気持ちを抱えて苦しんでいるかもしれません。

 

 

 

また、もし自分の「〇〇を持っていていいな」という気持ちの根底に、

「愛されたい」「認められたい」という気持ちが思い当たらなくて、

純粋に「これが欲しい!」「こうなりたい!」と望んでいるのなら、

の自分に少し取り入れてみましょう。

 

 

例えば、「あの人、もういい歳なのに派手な格好をしてみっともない」と思った時、その根底に「私も華やかな服を着たいな」という気持ちがあるのなら、

自分も華やかなスカートを買って履いてみたり、

 

「あの人、英語ができるアピールしてイタい」と思った時、その根底に「英語が上手なのが羨ましいな」という気持ちがあるのなら、自分も英語を勉強してみたりするのです。

 

そうして実際にやってみると、意外なことがわかるかもしれません。

自分が思ったより華やかな色も似合うことだとか、

英語の勉強が思ったより楽しいことだとかがわかるかもしれません。

 

或いは、「いつものシンプルな服装の方が良いよ」と友人に指摘されたり、英語が自分には全然向いていないことに気付いたりするかもしれませんが・・それも経験してみなければわからなかったことです。

 

取り入れたことが自分に向いているとわかったのなら、その「妬み」の感情のおかげで、人生に新しい彩りが加わったことになります。

もし向いていなかったとしても、これからは

「羨ましく思っていたけど、自分には向いてなかったし、私には私なりの生き方があるからいいや」と思えて、妬みの感情は湧いてこなくなるでしょう。

 

 

 

さて、「憧れている部分を少し取り入れてみよう」と言いましたが、もしそれが

「大きな家が欲しい」「結婚したい」のような、自分だけではすぐに叶えられないような夢の場合、どうすればいいのでしょう。

その時におすすめなのは、その望みを頭の片隅にいつも置いておく、ということです。

 

 

どういうことかといえば、

「いつか〇〇が手に入ると嬉しいな」

「いつか〇〇になれると嬉しいな」という気持ちを認識した時に、

「どうせ無理」だとか「こんなこと思っちゃダメ」と、否定しないのです。

そして、「いつか叶うと良いな」と思いながら、その望みを頭の片隅に置いておくイメージをしてみて下さい。

 

 

どのぐらい時がかかるかわかりませんが、心から発した願いで、自分に必要なものは、いつか叶うと私は思ってます。

(見えない世界の話なので、もちろん証明はできないのですが)

 

 

かつて、私はとある老紳士Dさんと不思議なご縁で仲良くなり、人生で大切な色々なことを教わった時期がありました。

 

Dさんは、大学卒業後にタクシーの運転手をしたり飲食店で働いたりといろんな苦労をされた後、とある企業の社長まで上り詰めた方だったのですが、

「叶えたい望みがあるのなら、いつもそれを頭の片隅に置いておけ」というのは、彼が教えてくれた言葉でした。

 

私も、「まさか叶うわけないか」と思いながらも望んだことが不思議と叶った経験は何度もしたことがあります。

人の願いや望みというのは、私たちが思っている以上に、無限の可能性を秘めているのです。

 

だから、それを否定しないでください。

 

 

 

心が純粋な人ほど、自分が「妬み」の感情を抱いてると気づくと、罪悪感を抱いてしまうかもしれませんが、

逆に言えば、「妬み」があるおかげで、自分の望みを明らかにすることができると私は考えています。

 

 

もし、自分の望みに気づかなければ、それを叶えるチャンスも少なくなってしまいます。

 

例えば、「今日は外食したいな」と思いながら街を歩くと、今まで気づかなかったレストランが目に入ったり

「今年の秋は革のジャケットが欲しいな」と思いながら買い物していると、革のジャケットばかり目に入ったりした経験はありませんか?

 

「自分はコレが欲しいと思っている」と認識すれば、

その望みを叶える手段やチャンスに気づきやすくなります。

 

そう思うと、妬んでいた相手にむしろ感謝までできそうな気がしませんか。

(もちろん、無理に感謝する必要はありませんよ)

 

 

なので、妬みが出た時には

「私は〇〇が欲しいと思ってるんだな」

「私は〇〇なところに憧れているんだな」

とまずは意識してみて下さい。

自分の望みを素直に表現するだけで、心がずっと楽になると思いますよ。

 

 

ちなみに、夢を叶いやすくする方法(巷で言う「引き寄せ」の話)については、また別の記事でも言及しようと思っています。

 

 

そんなわけで、「妬み」の感情が出た時の、自分なりの対処法を今回は書きました。

参考になれば幸いです。