感情の考察、日常の幸福

読んだからとて奇跡は起きないけれど、自分の心に素直になれたり、日常の細やかな幸せに気がつくことができたりするような、そんなブログを目指しています。

[エッセイ]悲しむ時間を与える、ということ

私には3歳の娘がいるのだが、子育てをしていると色々と気づかされることがある。

 

娘は幼い頃の私と同じで感受性が強く、些細なことですぐに泣く。

私も未だに些細なことで落ち込むことも多いが、世間の荒波に揉まれて今では神経が図太くなったので、娘を見ていると

「ああ、私も同じようなときに落ち込んだなぁ・・きっと今こう感じてるんだろうなぁ・・」

と思い出されることは多い。

 

例えば、去年映画館でやっていた人気キャラクターに会えるイベントで、係の人に「(そこにいると)危ないよー」と言われたとき。

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娘は泣き出してしまった。

 

係の人としては、子供がぶつかったりしないよう安全のために言っている・・ということは、大人の私から見ればわかるのだが、

娘は恐らく自分の言動を否定されたことで、自分自身をも否定されたように感じているのだ。

少なくとも、幼い頃の私はそうだった。

 

私は母によく「あんたは感受性が強いなぁ」と笑われたものだが、私はそれがあまり好きではなかった。

「そんなバカなことで泣くなんて大袈裟だよ」

「そんなことで傷つくなんておかしいよ」

と言われている気がした。

(実際、大人から見れば大袈裟なことばかりだったのだけど)

 

そんな子供時代のことを覚えているので、娘がどれだけ些細なことで泣いても、できるだけ笑ったりバカにしたりはしないようにしている。

(泣く理由があまりに可愛いものだと笑いたくなる気持ちをぐっと堪えなければならない。ちょっとした試練である。)

 

しかし、ただ感情に同調するだけだと、『相手の意図』が理解できないかもしれないので、その理由を親目線できちんと解説するようにはしている。

また、注意されているのは「娘の存在」ではなくて「娘の行動」であるということは絶対に頭に入れておいて欲しいと思っているので、そこも必ず伝える。

 

先ほどの場合だと、

「娘ちゃんのことをダメと言われた気がして悲しかったのよね。

でもお姉さんは娘ちゃんのことがダメだと言ったわけじゃないのよ。

娘ちゃんがここにいるとぶつかって怪我したら危ないと思ったから、その行動を注意してくれたのよ」

というふうに伝えていた。

 

つまり私は、

娘の「感情」の部分に同調してから

理由や原因を「思考」の部分に説明する

(このときに必ず、「娘自身」ではなく「行動」が問題なのだと伝える)ようにしていた。

 

 

3歳になる前まではこのやり方でうまくいっていた。

しかし、このところとある変化があったのだ。

 

私が娘をフォローしようと語りかけても、聞こうとしない時が出てきたのだ。

また、特にショックが大きい時は、「もう知らない!」と言って寝室に逃げるようにもなってしまった。

 

私が共感しようと「悲しかったのよね」と言っても、叱られた理由を説明しようとしても、「気分転換に絵本でも読む?」と言っても、

娘は「あっちいけ!!!」と拒否する。

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こちらとしては娘を元気付けたく、また物事をネガティブに受け止めて欲しくないからと「善意」でしていることなのに、そんな態度で返されることに最初は面食らった。

正直なところ、そんな娘に腹が立ったりもした。

 

しかし、娘はこう言った。

「いまは悲しい気分だから」

「涙が終わったら、絵本読む」

 

私は自分の考えた「物事の認識ステップ」を思い出した。

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そう、娘はその時、感情のステップにいたのだ。

まだ感情のステップにいるのに、私が無理に「思考」に語りかけようとしたから、拒否したのだ。

 

合点がいったので、しばらく娘をそっとしておくことにした。

 

その間私は、改めて自分のことを振り返ってみた。

娘に共感したり、前向きな言葉を掛けようとしたのは、娘に「悲しい」気分を長く味合わせたくなかったからだ。

やっぱり私は、心のどこかで、「悲しい」と感じることを不幸なことだと思い込んでるのだな、と気付かされた。

 

本当のことを言うと、

私は娘が悲しんでいるのが耐えられなかった。

娘が悲しんでいるのを見るのも怖かった。

娘の悲しみに出口が無いのではないか、娘はずっと辛い思いを抱えるのではないかと、心配していた。

 

娘に話しかけた時、私の心にあったのは、「恐怖」であった。

私は娘のためではなく、この恐怖から逃げるために、娘に語りかけていたのだ。

 

 

そしてそうすることで、私は娘がきちんと「悲しい」と感じる時間を邪魔してしまっていたのだ。

 

 

私はまた、自分の幼い頃を思い出した。

 

私は些細なことでよくへそを曲げる子供だった。

最初に述べた通り、私は繊細で、傷つきやすい心を持っていた。心が傷つくたびに、私はへそを曲げた。

しかし、へそを曲げるのは自分が傷ついているからだという事実に、自分自身がちゃんと気づいてなかったように思う。

ただ、なぜかイライラしたり、モヤモヤする感覚だけはあるので、自分が一体どうしてそうなってるのかうまく説明できなかった。

 

そんな私のことを、周りは

「面倒臭い子」「わがままな子」「ダメな子」

と思っているであろうことは、何となく感じ取っていた。

どうして周りの子みたいに、ニコニコできないんだろうと自分でも思っていたし、こんな自分が嫌だった。

 

 

そんな私に、母は優しく話しかけてくれたが、

そんな母のことが、鬱陶しく感じたものだ。

 

恐らく、母の心の奥には私と同じように、

「悲しみを味あわせてはいけない」

「不機嫌にさせてはいけない」という、恐怖があったように思う。

そのために母は、子供の私から見ても明らかに、私に媚びていた。

 

自分の機嫌が悪いせいで、周りの空気を悪くさせているという罪悪感と、

そのせいで、本当は大好きな母に媚びさせているという罪悪感で、

私の機嫌は治るどころかますます悪くなったものだ。

 

そうして、私は母に暴言やワガママをぶつけた。

そうすれば、自分のイライラは収まると思っていたのだ。

 

しかし、いくら母に暴言を浴びせても、ちっとも機嫌は治らなかった。

それどころか、本当は母に素直に甘えたいのに、ますます仲直りしづらい空気になってしまうことが悲しかった。

 

こんな面倒くさい自分が、嫌で仕方がなかった。

 

 

 

今思うと、私は確実に、何か正当な理由があって機嫌が悪くなっていたのだ。

しかし、それを説明する語彙力も、文章力も、当時の私には無かった。

だからそれをわかってもらえないことが、苦しかった。

 

そして私も母も、

「感情は操作できないし、操作しようとすると、心は傷つく」

ということを、知らなかった。

知らないのに、無理に「機嫌良く」しよう、させようとしていたから、ますます苦しくなっていたのだ。

 

 

そんな子供時代のことを思い出し、私は娘が悲しむ時間をきちんと持てるようにしようと考えた。

そして寝室から離れ、家事などの自分の仕事に集中した。

 

 

少し時間が経つと、娘はまた元気になり、ベッドの上で遊ぶ声が聞こえてきた。

どうやら、感情を消化したらしい。

寝室に行くと、驚くほどニコニコした顔で遊んでいた。

 

私は、娘にどうして悲しい気持ちになったのかを尋ねた。

娘が大きなショックを受ける時というのは、「良かれと思ってしたことや、悪気なくしたことを、拒否されたり叱られたりした時」であることが多い。

 

 

例えば、「パパが喜ぶと思ってお菓子を渡したのに、パパは『お腹いっぱいだから』と言って食べてくれなかった」だとか。

「座っているママに後ろから抱きついたとき、肩よりも首の方が抱きつきやすいと思ったから首に抱きついたのに、『首に抱きつくのはダメ』と叱られてしまった」だとか。

娘なりに考えた結果やったことを否定されてしまうと、娘はひどく傷つくのだ。

 

 

それがどんな理由であっても、私は「そっか、それは悲しかったね」と伝えるようにしている。

 

娘がホッとした顔になる。

こうやって、自分の機嫌がどうして悪くなっているかに気づくことは大切だ。

子供の機嫌が悪くなる時は、子供自身もその理由がわからないことで苦しんでいる場合が多い。

それに、理由がわからないと、次に同じようなことが起きたときのための対策もとれない。

 

そしてどんな理由であっても、心が傷ついたのなら、

『そんなことでクヨクヨするな』『あんたが悪いから仕方ない』と言われるよりも、『それは悲しかったね』と認めてもらえるほうが、ずっと元気になれることを私は知っている。

 

こうして、娘の感情が消化できたことを確信したので、私は娘に「どうして叱ったのか(あるいは拒否されたか)」を説明した。

最初に話した通り、『相手の意図』を伝えることは大切だ。

 

先ほどの例だと、「お腹がいっぱいなのに無理に食べたらお腹が痛くなったり、吐いたりしてしまうから断ったんだよ」

「首に抱きつくと息ができなくなって苦しくなるし危ないから、首には抱きついてはいけないと言ったんだよ」

というふうに説明する。

 

 

感情が落ち着いた娘は、私の言うことをしっかり聞いてくれた。

 

感情というのは本当に、靄(もや)のようなものだと思う。

それに囚われているとき、物事をはっきりと見ることができない。

周りの人は「どうしてそこに突っ立ってるんだ」「早く出ておいで」と言う。

でも、そうして身動きが取れないことに、一番もがき苦しんでいるのは自分自身なのだ。

靄にいる時に無理に逃げ出そうとすると、一層濃い靄の中に迷い込んでしまう。

歩き出すには、靄が晴れる時を待つしかない。

靄が晴れれば、視界が開き、辺りがはっきりと見渡せるようになる。

そうしてその時に、また歩き出せるのだ。

 

悲しみも喜びも、誰にも邪魔する権利はない。

 

これからも、娘が悲しみを感じる時は幾度となくあるだろう。

そんな時、私は靄がいつかきっと晴れることを信じ、待つことしかできないのかもしれない。

 

そうして娘が悲しみを消化して、靄が晴れた時は、いつでも笑顔で手を差し伸べる存在になりたい、と願っている。