この間、家族で遊園地に出かけた。
我が家は夫も私もインドア派で、おまけに車が無いため遠出は滅多にしない。
遠出と言えば、帰省を除くと年に1度か2度、映画や遊園地に行くぐらいだ。
遊園地には、本当は娘の誕生日の春に行きたかったのだけど、コロナでそれどころではなくなってしまったので、本来行くはずだった日程より随分経ってしまった。
その遊園地では娘の好きなキャラクターのイベントが開催されており、娘はそのイベントを存分に楽しみ、キャラクターグッズも購入した。
そして、遊園地の中のメリーゴーランドなどのアトラクションにも存分に楽しみ、お土産に娘の大好きなおもちゃを買って帰路に着いた。
遊園地ではしゃぎ過ぎた娘は、帰りの電車では夫に抱っこされながら眠ってしまった。
夕食には娘のリクエストで回転寿司に行き、お腹いっぱいお寿司を食べた。
さて、このように書くとまるで理想的な家族の休日の過ごし方のように見えるかもしれない。
だが実際にはお世辞にも『理想的』とは呼べないような状況が多々あった。
まず、その日は昼過ぎまで雨が降っていた。
特に午前中は土砂降りで、傘を持つのを面倒臭がる娘の代わりに、傘をさしつつ抱っこをするのは大変だった。
そのうえ私たちは長靴ではなくスニーカーを履いてきていた。遊園地の中の芝生は思ったよりも水分を含んでいて、歩くたびにスニーカーの中まで水が滲み、靴下はぐしょ濡れになり、靴の中は不快感でいっぱいになった。
本当は長靴を履いて来たかったのに、夫が「スニーカーでも大丈夫」というのでスニーカーにしたのだが、夫が天気について愚痴をこぼすたびにそのことを思い出していらいらした。
アトラクションは思ったより料金が高く、フリーパスを買わなかったこともあって、娘が何度も乗りたがることに冷や冷やしたし、節約のため私は夫と交代で撮影係に徹し、アトラクションにはあまり乗らなかった。
帰り際にはまだ遊びたがる娘を説得するのが大変だった。
夕食のために立ち寄った回転寿司はとても混雑していて、私はネットで予約をしなかったことを後悔しながら1時間以上順番を待つはめになった。
だが、私はそれでもやっぱり、幸福な一日を過ごせたと感じるのだ。
それもこれも、過去の記憶が原因であろう。
私は小さい頃、家族で・・厳密には父親と、遊園地に出かけた記憶がほとんどない。
唯一ある遊園地の記憶は、父が私に「怖くないアトラクションに乗ろう」と言ったのに実際には絶叫系のアトラクションに乗せられて騙されたこと。
騙された怒りと、アトラクションが怖かったのとで大声で泣いたら、機嫌を直すためにとおもちゃを買ってもらったことである。
このエピソードだけでも私の父親がどういう人間かなんとなくわかるかもしれない。
よく、大人の中には「子供のことだから大したことない」とか、「大きくなったら忘れるから大丈夫」という身勝手な理論で、タチの悪い冗談や嘘を言ったり、子供が泣いていることを笑ったり、怒っている様子を面白がったりする人がいるが、私の父親はまさしく、そういうタイプの人間であった。
同じような家庭環境にあった人はわかると思うが、こちらがいくら真剣に訴えかけても全て「笑い」で返されることは、けっこう辛い。
それはまるで言葉の通じない国で、家族が命の危機に瀕して必死で助けを求めているのに、無視されるばかりか馬鹿にされているかのような、疎外感と孤独感、もどかしさややるせなさ、そして絶望を感じるものだ。
ちょっと話が脱線してしまった。
私が家族で行った遊園地の記憶で覚えているのはこれだけだが、以前母がこんなことを教えてくれた。
実は、私の父は遊園地には行っただけで満足し、着いて1時間もしないうちに帰っていた。
だから駐車料金がかかったことがなかった・・という話である。
当然私は、もっと遊びたいとギャン泣きし、母は私をあやすのが大変だったらしい。
その話を聞いたのは去年のことだったのだが、私はとても複雑な気持ちになってしまった。
子供の時というのは、時間の感覚がハッキリしないものだから、私は自分がそんなことで泣いていたことをちっとも覚えてなかったが、
小さい頃の自分を心底不憫に思ってしまった。
だから、今回の遊園地は、雨で大変だったけれども、自分の幼い頃の記憶を思い出せば、
家族で過ごせた時間は、本当に大切でかけがえのないものだったと感じるのだ。
確かに雨は面倒だったけれども、そのおかげで遊園地はガラガラだったし、昼過ぎからは雨も止んでたくさん歩きまわれた。
靴の中はビチャビチャで不快になったけども、家族みんなで靴下を脱いで素足でスニーカーを履いたのも、なんだか面白かった。
お寿司屋さんは混んでいたけれども、待ち時間にいろいろ創意工夫して、遊園地でもらったシールを貼ったり、遊園地の写真を見たり、言葉遊びをしたりして、おもちゃに頼らない過ごし方ができたのは新鮮だった。
そして何よりも、雨の中遊園地に連れて行ってくれて、アトラクションやおもちゃの代金を快く払ってくれ、お寿司屋さんの待ち時間にも文句ひとつ言わなかった夫を見て、私はこの人と結婚して本当に良かったと心から思った。
最近心から思うのが、世の中の幸福も不幸も、そこに付随する『感情』は変えられないが、捉え方はいくらでも変えられるということ。
私が子供時代に、『家族との遊園地の楽しい思い出がない』という事実は、それ単体では不幸なものに思えるが、
そのおかげで今、家族で遊園地に行けることを、本当に有難いことだと思えることを考えると、
『家族との遊園地の楽しい思い出がない』ことは、今の自分の楽しさや嬉しさを倍増してくれるスパイスのようなものに思える。
私が小さい頃、両親はいつも喧嘩をしていて、両親が仲良く会話をしていた記憶は一度しかないのだが、
今、家族で仲良く会話したり、一緒にジグソーパズルで遊んだりするたびに、
家中がこんなにあたたかい空気に包まれることに喜びを感じる。
両親が離婚してからは貧しく暮らしていたので、肉入りのカレーを食べたことがなかった・・というよりあまりお肉を食べさせてもらえなかったのだが、
今はチキンカレーを作ったり、唐揚げを作ったりするたびに、その鶏肉は100g30円の安いお肉だけれども・・こんなにお肉を使えるなんて有難いなと思う。
今まで、両親が不仲だったことや、貧乏な子供時代は、私のコンプレックスだったが、
そのおかげで、今の幸せを、何倍も噛み締められていることを思うと、本当にあの頃の記憶は『悲しいこと』ではあったかもしれないけれど、『不幸そのもの』ではないのだと思うのだ。
だが、そう思うと同時に、二つのことに気づかされる。
それは、子供時代が楽しく豊かな思い出ばかりの人が、成長してからあまり良い家族が持てなかったとしたら、
その人にとって楽しい思い出は
「私が小さい頃は良かった。お父さんの方が夫よりももっと良くしてくれた。」
と現在の不遇と比較する材料になりかねないし、そうなるとその思い出は『幸福』というよりも、むしろ不幸感を増幅させるスパイスとなってしまうということ。
もうひとつは、過去の悲しい思い出にとらわれて、『自分は家族に恵まれない、不幸な人間だ』という意識のままで生きていると、今がどれだけ幸せな環境にあっても、
「でも私は不幸な人間だし」「どうせうまくいかないし」という意識に引っ張られて、幸せを感じることができないということだ。
私がもし、この日を
「せっかくの遊園地なのに雨が降ったしお金もかかったし最低!お寿司屋さんでも待たされて最悪!」
という意識で終わらせてしまったなら、間違いなくこの日は『最低最悪な一日』として自分の記憶に刻まれたことだろう。
私がこの日を幸福だと思えたのは、「家族で楽しい時間を過ごせた」ということに意識を向けていたからである。
ただ、難しいのは、「悲しい」とか「嫌だ」という感情を無理に消そうとしてしまうと、かえってしんどくなることである。
遊園地において、雨を憂鬱だと感じることは仕方のないことだし、待ち時間が長いことを嫌だと感じることも、変えられようのない感情である。
それをポジティブシンキングしたいからと無理に
「雨は農作物にとって良いのだから感謝しなくちゃ!」とか、
「お寿司屋さんで待つことで『予約は大切』という気づきを得たから嬉しい!」とか考えて、無理に『有難い、嬉しい、楽しい』に捻じ曲げようとしてしまうと、
「悲しい」「嫌だ」と感じている心を否定された気がしてしんどくなってしまう。
そして、感情を封殺してしまうと、消化することができないのでなおのこと「悲しい」「嫌だ」という感情が残ってしまう。
プラスなことに目を向けることは大切だけれども、感情の真っ只中にいるときはなにも考えなくて良くて、
ただその感情が薄れた時に「でもこういう点は良かったな」と気づけたらそれで十分だし、
別に気づくことができなくたって、それでいいのだと思う。
話は少し戻るのだが・・この日を終えて、私の父について、あらためて思ったことがあった。
おそらく彼の頭の中には、『家族で遊園地に行く=幸せ』という図式があったのではないだろうか。
すなわち、「家族で遊園地に行った」という事実さえあれば、それだけで自動的に幸せになるのだという思い込みがあったのだ。
だから彼には、遊園地でどのように楽しむか、家族とどう過ごすか、という視点がすっぽり抜けてしまっていたのだ。
父は幼少期に両親から離れ、家族に対するコンプレックスが強い人だったので
・・実際には祖父母や親戚から甘やかされたいたのだが、「かわいそうに」という扱いをされてきたため、自分が「可哀想な人間」という意識がついてしまっただけなのだが・・
彼にとっては『家族で遊園地に行く』ということは憧れであり、それだけで幸せや満足感を得られる出来事だと思い込んでいたように思う。
だから彼は知らなかった。
どんな出来事にも、『過程』が必ず付いて回ることを。
その過程には楽しみだけではなく、悲しみや不運も存在するし、時には忍耐も必要だということを。
そして多分・・彼は本来は家族で過ごすよりも、一人で気ままに過ごす方が向いている人間だったのだと思う。
母はいつも言っていた。
「お父さんは、『家族はこうあるべき』という思い込みにいつもとらわれて、そこに苦しんでいた人だった」と。
父のように『これさえ手に入れれば、すぐに幸せになれる』という思い込みにとらわれている人はこの世界にはたくさんいる。
お金持ちになれば幸せになれる、とか。
結婚すれば幸せになれる、とか。
子供がいれば幸せになれる、とか。
お金持ちにはお金持ちなりの苦労があるし、
結婚も子育ても楽しいことばかりでは無い。時には身を削るほどのストレスに直面したり、忍耐を要したりする。
もしかすると「お金なんてない方が良かった」「こんな人と結婚するんじゃなかった」「子供なんて産まなければよかった」と思うことだってあるかもしれない。
何を手に入れたとしても、「楽しい」「嬉しい」「ラッキー」だけで構成された世界に行けることなんて無くて、
時には「悲しみ」や「苦しみ」、「忍耐」も味わいながら、
「それでもこの一日を、この人生を過ごせて良かった」と振り返る時に、人は幸福を感じられるのかもしれない。
さて、娘にはどのようにこの日の記憶が残ったのだろう。
願わくば、楽しいものであってほしい。
だが、どんなものであっても、いつかそれが娘の幸福の糧になるのなら、それでいいと、今の私は思うのだ。