たまには主婦っぽい話?でも書いてみようと思う。
先日、食卓に花を飾ろうと思い、ガーベラを3輪購入したのだが、
なんとそのうち2輪が次の日には茎が折れていた。
しかも、花に近い部分が。
花瓶に飾るにはとても短くなりすぎたので、残念に思ったのだが、
家の食器に浮かべてみたら、なかなか良い感じになった。
こうして美しく見せる飾り方ができると、花の命を無駄にせずに済んだことに嬉しくなる。
私はこういう、『使い道が無いように思えた物の、新たな使い道を見つけた時』に、幸福を感じるのだ。
幸福を感じる時、というのは色々とある。
好きな人と過ごす時、美味しいものを食べた時、部屋を綺麗に片付けた時、新しい洋服を買った時・・
人によっては、好きな人と過ごすよりも美味しいものを食べる方が幸せを感じる人もいるだろうし、
新しい洋服を買ってもあまり幸せを感じない人もいるかもしれない。
ただ、自分がどんな時に気分が良くなるか、を知っておくこと・・
とりわけ、お金をかけずに気分が良くなる方法を知っておくことは、
自分の人生を幸福なものに彩るのに、大切なことだなと思う。
我が家ではたまに豚の角煮を作るときがある。
角煮を作るときは、酒と生姜を入れた湯で豚バラブロック肉を下茹でするのだが、
茹でた後の湯を冷やすと表面に脂(ラード)が固まってくる。その脂をまとめて取り外し、冷凍して保存しておくようにしている。
そして気が向いた時に、ポルボロンというスペインのクッキーのようなお菓子を作るのに使っている。
~スペイン 幸せのポルボロン~| レシピ | NHK「グレーテルのかまど」
ちなみに脂を取り外した後の湯は、中華スープにしたり、ラーメンを作るときのスープを溶くお湯にしたりしている。
このポルボロンの良いところは、高価なバターを使わなくて良いから、安価に作れるところ。
さらに卵も使わないので、卵アレルギーの子供でも食べられる。
クッキー生地よりももろいので細かな型抜きには不向きだが、丸やハート型で型抜きするのも楽しいと思う。
みみっちく思われるかもしれないが、こうした食材で余った部分を他の料理に生かした時も、とても幸せを感じるのだ。
ちなみに、この手の小ワザ?で他にしているのは
〇エビ料理を作るとき、殻をむくことがあると思うが、
その殻を油で炒めてから水を加え、5分ほど煮ると、エビの旨味が出たおいしいスープストックとして利用できる。
具材を入れて中華スープにしたり、フォーを作るときの粉末スープを溶くお湯に利用したりしている。
殻をすぐに使う予定がないときはとりあえず冷凍しておけばいい。
〇剥いた後の生姜の皮は保存しておいて(といっても空き容器に入れておくだけだが、乾燥しているのでけっこう保つ)紅茶やハーブティーを入れる時に茶葉と一緒に入れる。
皮だけでも生姜の風味が出て、ジンジャーティーになる。
私はチャイも好きで良く飲むのだが、チャイを作る小鍋にも、生姜のかわりに入れている。
ちなみにチャイはこのレシピを参考にして作っている↓
鍋でつくる!簡単で本当においしいスパイスチャイの作り方 - 北欧、暮らしの道具店
こうした、ささやかなことに幸せを感じることを、昔はなんだか損に思っていた。
私が少しなことで喜んでいる横で、不平不満を言っている人を見ると、
「こんなことで喜ぶ自分ってバカなのかな・・」とか、
「もっと欲張らないと損なのかな・・」と、思ってしまっていた。
でも、最近こんな自分の性格は、実はとてもおトクなんじゃないかなと思って、好きになってきた。
以前、私の母がこんな話をしていた。
母の親友にAさんという人がマダムがいる。
Aさんはクールで、知的で、お金持ちな女性だ。
母はAさんとレストランに食事に行くことが度々あるのだが、
料理上手で舌が肥えているAさんは、時々料理について
「あまり美味しくないわね」と不満を言うことがあるらしい。
私と同じ貧乏舌な母は、大概のものを「おいしい」と感じられるタイプなので、
「おいしいな〜」と思って食べているときに、Aさんのそんな言葉を聞くと、
「美味しい美味しいと思って食べていた私って一体・・」と、なんだか急に虚しくなって、それまで美味しく食べていた料理の旨味が急激に減るような気がするのだという。
庶民な母と、セレブなAさん、
どちらの生活が羨ましいかといえば、正直言うとAさんなのだが、
どちらがより食事でより幸せを感じられるかという点で言えば、
美味しいものをたくさん知っていてグルメなAさんよりも、
貧乏舌で何でも美味しいと感じる母なのではないかと思う。
私が他に、タダで気分良くなることといえば、家の雑巾掛けだ。
綺麗にさっぱりした家を見ると気持ちがいい。
疲れた時以外は毎日している。
昔の私なら、毎日雑巾掛けするだなんて、考えるだけでもおぞましかっただろう。
掃除は面倒臭くて、つまらなくて、無理やりさせられるものというイメージがあったからだ。
それが、最初は「掃除すると運が良くなるらしい」というヨコシマな理由で始めて、
やってみると「家を綺麗にすることは気持ちがいい」ことに気がつき、
そこからは「気持ちよくなりたいから、掃除したい」と、思うようになった。
そう、私は掃除に対して、学校の時に強制させられるイメージがあったのと、周りの子供たちが面倒くさそうにしているから、なんとなく「面倒くさいもの」と思い込んでいただけで、本当は綺麗になることが好きだったのだ。
ささやかな幸せを見つけるのは、自分の感覚を信頼することでもある。
どんな時に「嬉しい」「楽しい」と感じるのか、どんなものを食べると「美味しい」と感じるのか、どんな娯楽を「面白い」と感じるのか・・
それは人それぞれ違う。
私が今日書いた話も、共感できない人もいるかもしれないけれど、それも当たり前のことなのだ。
たとえ誰かに理解されなくても、自分が幸せに感じるのなら、それで良い。
そうした自分の感覚を大切にして、日々を過ごしていきたいなと思う。