感情の考察、日常の幸福

読んだからとて奇跡は起きないけれど、自分の心に素直になれたり、日常の細やかな幸せに気がつくことができたりするような、そんなブログを目指しています。

[理論]感情と思考の見分け方

前回の記事で、感情と思考との違いについて話したのですが、

では、今自分の中に浮かぶ気持ちや意思が、感情なのか思考なのかは、どうやって見分ければ良いのでしょう?

 

まずは順に、その特徴を見ていきましょう

 

★感情

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感情は、心から自然と湧き上がるものです。

自分でどんな感情を持つかは、コントロールできません。

コントロールしようとすると、心が否定されたように感じ、辛くなってしまいます。

その代わりに、一時的なものなので、抱いた後は自然と小さくなって(或いは消えて)いきます。

また、言葉で表すときは、形容詞(悲しい、辛い、などの「〜い」で終わる言葉)で表すことが多いです。

ちなみに、形容詞ではありませんが、「好き」「嫌い」も感情です。

 

 

★思考

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思考は、頭の中で創り出されるものです。

すなわち、新しい知識や経験、他人の意見などで変わる可能性があり、自分でコントロールできるものです。

しかし、感情と違って、自然と消えることはありません。

また、「幸せだ」「最高だ」のように、形容動詞(「〜な」で終わる言葉)や名詞で表すことが多いです。

 

 

 

これは、大まかな説明なので、もちろん例外もあると思いますが、まずは自分の思いが「形容詞」で表せるか、「形容動詞/名詞」で表せるか、というのは一つの指標になるかと思います。

 

 

そして、私達が生きづらさを感じる理由の一つに、この感情と思考の違いをうまく理解していないことがあるのですが、たとえばこんな例があります。

 

 

テストで以前より良い点を取って、「嬉しい」と感じた子がいるとします。

しかしそこで、親が「この程度で満足してはダメよ」と言うとします。

これはもちろん、親としては「これで妥協せず、高い目標を持って頑張って欲しい」という気持ちがあるからです。悪気なんてありません。

しかし、子供はそのメッセージを「嬉しい、と感じること自体がダメなのだ」と受け取ってしまうことがあるのです。

テストで良い点を取って「嬉しい」ことは、形容詞で表していることからもわかるように感情ですから、自分でコントロールすることができません。

親に言われたからといって、子供はその感情を操作できないのです。

もちろんここで、子供が「自分は天才だ」と思ったとしたら、「天才だ」というのは名詞で表している通り思考ですから、変えることができますし、慢心しているのなら釘をさすことも必要かもしれません。

 

しかし、親がその違いを理解せずに、感情を否定する言葉をかける限り、親は子供に対して間違えたメッセージを送り続けることとなります。

すると、子供は自分の感情を否定するようになり、どんどん生きづらさを感じるようになってしまうのです。

 

 

 

 

上の例で言うと、親がすべきことは、子供の感情を否定しないことです。

子供が嬉しいと感じているなら「嬉しいね」と同調することで、子供の感情を尊重してあげることが、大切なのです。

そのうえで、もっと努力するべきと思うのなら

「次はここのミスを無くそう!」という声をかけても良いでしょう。

 

 

 

そして、これは自分自身に対しても同じです。

嬉しいときにはまず、「嬉しい」と認めること。

悲しいときにはきちんと「悲しいね」と認めること。

 

 

思慮深く、優しい人であるほど

嬉しいあまりに、慢心することが怖くて、嬉しいという感情を否定したり、

悲しいあまりに、自暴自棄になってしまうことが怖くて、悲しいという感情を否定したりしてしまいます。

しかし、自分の感情を殺すことは、自分の心を殺すことと同じことです。

どれだけそれが、前向きな気持ちからであっても、感情を否定してはいけないし、操作することもできないのです。

また、無理に感情をねじ伏せようとすればするほど、心は苦しくなり、自分自身が傷つけられたような気がしてしまいます。

 

 

 

あなたが抱いてるのが感情であるなら、それを否定することはない、ということを覚えていてくださいね。

 

 

さて、今回「感情は操作できないから認めることが大切」と語ったのですが、

では、感情を認めるとは一体どういうことでしょう?

次回はそれについて、お話しします。