感情の考察、日常の幸福

読んだからとて奇跡は起きないけれど、自分の心に素直になれたり、日常の細やかな幸せに気がつくことができたりするような、そんなブログを目指しています。

[エッセイ]卒乳と悲しみ

今回は初めて、このブログでエッセイ的なものを書こうと思う。

 

この春で誕生日を迎えた娘は、ようやく卒乳をした。3歳だった。

そう、一般的な卒乳時期と比べると、私の娘は大分遅い卒業だった。

これには事情がある。

実は、私自身の乳離れがものすごく遅かったのだ。

 

私は母のおっぱいが好きだった。

3歳を過ぎても、幼稚園を卒業しても、好きだった。

私のおっぱいへの執着は凄まじく、赤ちゃんの時は、乳の出が悪くて困っている母の友人のおっぱいを私に吸わせてみると、出るようになったという逸話(?)さえあったらしい。

 

幼稚園ぐらいになると、さすがに母乳は飲まなくなった(というより出なくなった)が、小学校高学年ぐらいまでは、隙あれば母の乳を触っていた。

 

感受性が強く、些細なことで傷つきやすかった私にとって、母の胸元はあたたかい安全地帯であった。

夜中に目が覚めて、なぜか胸が不安と孤独でいっぱいになった時も、母の胸元の匂いを嗅ぐと安心した。

 

母は断乳しようと色々努力したらしい。しかし、からしを塗った乳をむせながらも必死に飲む私を見て断念し、また相談したお医者様にも「気が済むまで飲ませれば良い」と言われたこともあって、その後は好きなようにさせてくれた。

だから私が完全に乳離れできたのは、小学校高学年くらいだったように思う。

 

 

さて、私の娘は、顔は私の夫と瓜二つだが、中身は私にそっくりで、感受性が強いタイプだった。

そして、私と同じようにおっぱいが大好きに育ってしまった。

当初、自然と卒乳するのを待つつもりだったが、1歳を過ぎても、2歳を過ぎても、一向にその気配は現れなかった。

 

自分の乳離れが物凄く遅かったことを思うと、私は娘に断乳させる気にはどうしてもなれなかった。

娘より大きくなってもまだ母のおっぱいを吸っていた私に、娘の断乳をして良い権利は到底無いように思えたし、娘がおっぱいを好きな気持ちは痛いほどよくわかった。

 

娘が2歳間近の頃、下の子を妊娠していることがわかった。それでも私は断乳をする気になれなかった。

 

下の子ができたせいで、大好きなおっぱいを奪われたと思ってしまったら、娘は下の子を嫌いになるかもしれない。おっぱいを飲む下の子を見て、嫉妬したり悲しんだりするかもしれない。

そう思うと、どうしても娘を止めることができなかったのだ。

産婦人科医に尋ねると、お腹が張らない限りは別に良いとの答えをもらったので、私は妊娠中も頻度は抑えつつも娘の授乳を許した。

 

一度、おもちゃをねだられた時に「おっぱい卒業するならいいよ」と答えたことがある。

娘は元気よく「うん!」と答えた。

しかし、その時は「卒業」の意味をよくわかっていなかったようで、家に帰ってしばらくするとおっぱいを欲しがった。

「あの時おもちゃを買ったからダメでしょ」と伝えると、ものすごい勢いで泣き喚いた。

私の心にはとんでもない罪悪感が産まれた。

私は負けた。

 

正直なところ、娘におっぱいをあげ続けるのは、便利で楽なことだった。

夜中に目を覚ました時、おっぱいさえあげれば娘は泣きやんだ。おかげで私は夜泣きの苦労とは無縁だった。

寝起きで機嫌が悪い時も、おっぱいを飲んだ後はご機嫌だった。だから私は娘の強い感受性に振り回されずに済んでいた。

そう、私自身も、おっぱいの力に甘えていたのだ。

 

さすがに臨月になると、授乳時にお腹が張るようになったので、断乳することにした。

しかし完全な断乳はやっぱり心苦しかったし、下の子が飲むのを見ると辛いだろうと思うとできる気がしなかったので、娘には「下の子が生まれるまでは我慢してね。下の子が産まれたら一緒に飲んでいいよ」と伝えた。

すると娘も理解してくれた。

 

こうして1ヶ月間は断乳できたので、あわよくばこのまま卒乳できるかと期待したのだった。

しかし、私は甘かった。

 

下の子を出産した日。

深夜に破水したのだが、予定日より少し早かったこともあり、本来娘を見てくれるはずだった母はまだこちらに来ていなかった。

そのため病院には夫と娘と私で向かうことになり、立ち会い出産が嫌だった私は、陣痛から分娩までの間、夫と娘を病院の待合室で待たせることとなった。

娘も興奮状態だったのか、目が冴えてしまったらしく、私の出産が終わるまでずっと起きていたらしい。

病院に到着してから出産までの6時間を私と離れて過ごした娘は、出産が終わった私の顔を見た途端、我慢していた感情が色々こみ上げてきたらしく、泣き出してしまった。

そうして泣きながら、「おっぱい」と言った。

それまで不安と恐怖に耐えていたであろう娘の涙を見て、私の胸は張り裂けそうになった。

 

私は断乳を諦めた。

 

こうして、私は幾度となく、貴重な卒乳の機会を逃してしまったわけだが、ここはポジティブに捉えることにした。

 

どうせ片側のおっぱいを飲むともう片側も出てくる仕組みになっているし、下の子と一緒に飲ませればいっか。

乳腺炎にもならずに済むだろうしいいじゃん、と。

 

 

 

しかし、現実は甘くなかった。

まず、下の子は娘ほどおっぱいが好きではなかった。

 

娘はどれだけ泣いても授乳すれば一発で機嫌が直ったし、おっぱいだけに集中していたし、飲み終わった後もずーっと口から離さなかったが、下の子はそんなことはない。

必要な分を飲んだらすぐにやめるし、授乳中も他に気になる物があればそちらに意識を向ける。

 

そして、そんな下の子よりもずーっとおっぱいを離さない上に飲む回数も多い娘を見ると、なんだかイライラしてしまう自分がいた。

 

私が家事で忙しい時も、娘は自分がおっぱいを欲しい時にはおかまいなしに「おっぱい」と言う。

「今はダメだよ」と伝えると泣き叫ぶ。

機嫌が悪くなるとすぐ「気分転換におっぱい」と言う。

 

私は授乳の度に手が止められるストレスに加えて、二人分の栄養が奪われる肉体的なストレスと、「下の子のおっぱいが盗られる」という本能的なストレスも感じていた。

そうして、本能的なものとはいえ、愛する娘にそんな感情を抱いてしまう自分自身も嫌だった。

 

仕方なく「おっぱいを飲むのは下の子が飲んでいる間だけだよ」ということにしたが、

最初はそれを守れていた娘も、時間が経つと段々と甘えが出てきて、欲しい時にすぐ「おっぱい」と言ってしまう。

そして、「今はダメ」と伝えると、やっぱり泣く。

 

 

 

もう限界だった。

 

 

 

3歳の誕生日を迎えるにあたって、私は自分自身の精神衛生のため、やはり断乳することを決心した。

娘にも「誕生日になったら卒業だよ」と伝えた。

娘は元気よく「うん」と答えた。

わかっている、前の断乳の時もそうだった。

実際に辞める前なら、いくらでも安請け合いできるのだ。

 

そして、卒乳の日。

予想通り、娘は泣いた。

 

私は思い出した。

感情は、受け止めることが大切だということを。

 

 

娘が「おっぱい」と泣く度に、私は「おっぱい欲しいね」と言った。

そうして、まるで自分に言い聞かせるかのように、こう呟いていた。

 

「ママもね、おっぱいをあげられたらどんなに良いか、どんなに楽か、って思うの。けど、娘ちゃんと約束したからね。

ママは、娘ちゃんにちゃんと約束を守ってくれる子になって欲しい。

約束を守れない子は、周りの人に信じてもらえなくなったり、嫌われちゃったりしちゃう。

そうなったら、娘ちゃんは悲しいでしょう?

ママは、娘ちゃんにきちんと約束の守れる子になって欲しい。

だから、ママも我慢するね。」

 

 

 

こうして呟いているうちに、ふと、自分の中にとある思い込みがあることに気がついた。

 

私は、娘が「悲しむ」ことを、「ダメなこと」だと思っていた。

娘を悲しませては「可哀想」だと思っていた。

だから娘が泣くのは耐えられなかったし、罪悪感に苛まれた。

 

 

しかし、本当にそうだろうか?

娘がおっぱいを卒業することは、本当に「可哀想」なことだろうか。

私は自分の漫画の中で、「悲しい」ことと「可哀想」なことは違う、他人に対して「可哀想」という言葉をかけてはいけない、ということを度々書いてきたし、娘には絶対に「可哀想」という言葉を使わないようにしてきた。

しかし、そんな私が卒乳に対してはどこか「可哀想」というレッテルを貼っていてしまったのだ。

 

こうして、「可哀想な子」にさせたくないあまりに、卒乳の約束をきちんと守らせず、自力で乳離れできない子に乳離れさせてあげないことは、果たして本当に「娘のため」になるのだろうか?

どちらの方が、本当の意味で、「可哀想な子」だろう?

 

「悲しみ」を抱くことは、「可哀想」なこととは同義ではないはずなのに、

私は卒乳の悲しみとなると、なぜだかそれが「可哀想」なことであると思い込んでいたのだ。

 

 

 

こうして娘が「おっぱい」と言う度に、私は娘の悲しみに寄り添うようにし、自分もあげたいと思っていること、でもあげられなくて残念なこと、これも娘に必要な経験であることを伝え続けた。

 

2日ほどそれを続けたら、そこからは嘘のようにけろっとしていた。

そう、あれだけおっぱいが好きだった娘は、私が思っていたよりずっと早く卒乳の悲しみを消化し、文字通り「卒業」できたのである。

 

なんとも不思議な感覚だった。

 

私は娘のこの卒乳の経験を通して、自分が未だに無意識に「悲しみ」を「不幸」「可哀想」と捉えていることに気付かされたのだった。

 

もちろん、暴言や暴力などで、わざと彼女の気持ちを傷つけ「悲しませる」ようなことはしてはいけない。

それは不必要であり、長い目で見て彼女にとってプラスになる経験ではないからだ。

 

しかし、乳離れというのはいつか彼女が経験しなければいけないことであり、また「3歳になったらおっぱいを卒業する」という約束を守ることも、彼女が生きる上で必要なことである。

その途中経過に、たしかに「悲しい」という感情は避けては通れないが、だからといってそれを「不幸」と判断してしまうのは、とても視野の狭い見方だったと気付かされたのだった。

 

もちろん、卒乳には人それぞれのペースがあるので、3歳を過ぎても母親が飲ませたかったら飲ませてもいいと思うし、もっと早い段階で卒乳するのも良いと思う。

私の場合は、どうしてももう卒業しないとストレスが溜まって娘に対しても余裕を持って接することができないと判断したので、3歳で卒乳することにしただけなので、年齢のことは「人によりけり」だと思ってもらえるとありがたい。

 

 

今の娘は、あの時の執着が嘘のように、おっぱいには見向きもしないし、下の子が飲んでいても気にしていない。

 

しかしもし、私が彼女の悲しみを受け止めず、「そんなんで泣いちゃダメ!」とか、「お姉ちゃんだから我慢しなさい!」といった言い方で辞めさせようとしていたら、たぶん彼女はもっとおっぱいに執着していたか、下の子に対して嫉妬心を燃やしていたかもしれないな、とも思う。

 

最近の娘は、お気に入りのぬいぐるみに向かって、「私もう3歳になったんだよ!だからおっぱい卒業したんだよ!」と語りかける時があるが、その時の表情はどこか誇らしげである。