感情の考察、日常の幸福

読んだからとて奇跡は起きないけれど、自分の心に素直になれたり、日常の細やかな幸せに気がつくことができたりするような、そんなブログを目指しています。

[理論]負の感情の扱い方《怒り編》

さて、前回の理論のお話からかなり日が経ってしまいましたが、今回は「怒り」についての考察をしてみます。

 

 

私は「怒り」というものは、

「心が満たされない時、その悲しみから身を守るために生まれる感情」

であると思っています。

激しい怒りを感じる時ほど、そこには強い悲しみが潜んでいます。

その悲しみを思い出したくなかったり、或いは悲しみを味わうことが怖かったりする時、人は「怒る」ことで、その悲しみから自分の心を守ろうとするのです。

 

 

怒りのことについて考えると、いつも思い出す出来事があります。

私は子どもの頃、知人のところで生まれた犬を譲ってもらい、飼っていたのですが、

譲ってもらう前に、一度様子を見に行ったことがありました。

その時に母犬が、生まれてまだ間もない仔犬を守るため、ゲージに近づく人間には片っ端から、ものすごい勢いで吠えていたのです。

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私は、怒りとは、あの母犬のような存在ではないかな、と思うのです。

 

つまり、か弱い仔犬が自分の心の繊細な部分、悲しみを感じる部分だとすると、その仔犬を守るために吠えてくる母犬が、『怒り』の正体ではないか、と思うのです。

 

 

怒りの一番厄介なところは、「本当は自分の心は何かが不足している状態なのに、そうと気づけないところ

にあります。

むしろ、不足しているというよりも、爆発して本来の心の大きさに収まらないほど肥大している状態のような気さえするのです。

 

 

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通常の心の状態がこうだとすると

           

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怒りの時の心の状態は、このような形に感じます

 

だから、肥大した分を相手にぶつけたくなるのです。

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しかし、実際には心は「不足」しているのです。

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だから、ぶつけたとしても、心が元の状態に戻ることは、あまりありません。

むしろ、不足したままなので、根本的な解決はなされないままなのです。

 

 

怒りというのは炎に例えるとわかりやすいかもしれません。

 

炎を見たとき、どこからどこまでが「炎」なのか、答えることができるでしょうか?

恐らく、できませんよね。

炎を見たとき「ここからここまでが炎で、ここからここまでは炎じゃない」という明確な分類なんてできません。なぜなら炎というのは、モヤモヤと形が常に変化していて、実体のない、掴めないものだからです。

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怒りもこれと同じで、怒っている時、まるで心の中は容量以上のものが何か溢れているような気がするのですが、

本当は、それは炎と同じで、実体として存在しているわけではないのです。

 

 

さて、怒りを炎で喩えましたが、たとえばあなたの前に、3センチ前後ぐらいの炎が燃えているとします。

 

私が「この炎をちょうど1センチの大きさにしてください」と言ったとして、特殊な器具など無しに、その大きさにすることはできるでしょうか。

 

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多分、できないんじゃないかと思います。

だって、実体はないのですから。

 

もし、炎を小さくするために、紙を近づけたとしたら、どうなるでしょうか?

火は小さくなるどころか、紙に燃え移り、ますます大きくなるでしょう。

 

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目の前にある炎は、燃料が尽きない限り、燃え続けます。

 

怒りもこれと同じで、誰かにぶつけると、自分の心が収まるどころか、ぶつけた相手にまで怒りの炎が燃え移ります。

 

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そうすると、相手はさらに激しい炎を燃やし、こちらに向かってくるかもしれません。

或いは、あなたに向かってこなかったとしても、相手はその炎にやられて燃えかすになってしまうかもしれません。

 

怒りを以ってして相手に打ち勝ち、滅ぼした時、最初はスカッとしたり、嬉しいと思うこともあるかもしれませんが、それであなたの心が満たされることはありません。

何故なら、あなたの心を埋められるのは「愛」でしかないからです。

怒りを放って、愛が返ってくることは、相手がよほどできた人間か、無条件にあなたを愛してくれるような存在ではない限り、ほぼありません。

 

 

そして、例えその相手をコテンパンにしたとしても、同じ状況になれば、また怒りが湧きます。

その怒りをまた人にぶつけることで解消しようとすると、今度は別の人を「燃やす」ことになってしまいます。

 

そうして、燃やしても燃やしても自分の怒りが収まらないことに気づいた時、初めて焼け野原になっている周りの景色が視界に入ってくるのです。

 

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その時初めて、自分の大切なものまで失ってしまったことに気づくのです。

 

 

 

ですから、怒りを感じた時、根本的な解決のために大切なことは、誰かに怒りをそのままぶつけることではなく「自分は何が悲しいのか」「自分に何が不足しているのか?」という視点に立って、考えることなのです。

 

先ほども述べた通り、怒りを感じている時、本当は「何かが不足」しているのです。

誰かにぶつけることでその不足分が埋まることは、あまりありません。

 

そして、その不足しているものは、ほとんどの場合、「愛情」です。

(もしかすると、その不足しているものは睡眠だったり栄養だったりするかもしれませんが、

それも言い換えれば「自分を健康な状態にケアする愛情が足りない」と言えるでしょう)

 

 

ですから、相手からの優しい言葉や、温かいハグや、或いは自分自身をねぎらうことで、その不足は簡単に埋まることも多いのです。

でも、相手に対して、怒りを向けることで、そういった優しい言葉やハグが返ってくることは、(相手があなたのことを余程理解していない限り)あまりありません。

むしろ、相手も同じようにこちらに怒りを向けてきます。

すると、あなたが本来必要としていた「愛情」を得ることは一層難しくなります。

 

 

 

ですから、「怒り」を感じた時はまず自分にこう尋ねてみてください。

「私は何が悲しいんだろう?」

「私は何が不足しているんだろう?」

そして、激しい怒りの時は、幼い頃に同じようなことで傷ついている可能性が高いので

「過去に似たようなことで、傷ついた経験はあったかな?」と、思い出してみてください。

 

この、一度立ち止まって考えたり思い出したりする作業には、もう一つ利点があります。

それは、冷静になれることです。

 

怒りは、爆発したての時の方が大きなパワーを持っていることが多いので、怒りを感じた瞬間にそれを表に出してしまうと、言い過ぎてしまったりやり過ぎてしまったりする危険性が高いのです。

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しかし、時間の経過とともに、怒りのパワーは減って冷静になっていきます。

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ですから、「言い過ぎてしまった」「やり過ぎてしまった」ということを防げるのです。

(逆に、相手のことをできるだけコテンパンにして勝ちたいのなら、怒りを感じた瞬間にぶつけた方がいいとも言えますが、それは長い目で見て、本当に良い結果になることはあまり無いので、オススメはしません)

 

 

そうして、不足しているものがわかったのなら、それを埋めるためにはどうすればいいのか、を考えます。

 

例えば、ただ何となくイライラするというレベルであれば「睡眠不足」だったり「栄養不足」かもしれません。その場合は、早めに寝たり、不足している栄養のある食べ物を摂取したりします。

 

パートナーの言動にイラっとしたのであれば、あなたに必要なのはパートナーからの優しい言葉や愛情表現かもしれません。そんな時は素直に、パートナーにお願いしてみましょう。

「あなたが抱きしめてくれたら、きっと元気になれるの」

「今落ち込んでいて、あなたからの優しい言葉があると元気になれて嬉しいな」と。

 

パートナーが手の施しようの無いぐらい冷たい人間であったならば別ですが、あなたに少しでも愛情を感じているなら、あなたが正直に気持ちを表せば、きっと応えてくれるはずです。(逆に、そんなお願いを無下にするような相手ならば、あなたの大切な人生を共にする価値があるのかを考えてみるのもいいかもしれません)

 

もし、そんなお願いのできるパートナーがいなくても、がっかりすることはありません。

そんな時は、自分で自分に愛情を伝えましょう。

お金に余裕があれば、何か食べたいものを買うとか、好きな香りの入浴剤を用意するなどしても良いですし、そういったものが用意できなくても、「いつも頑張ってくれてありがとう、大好きだよ」という優しい言葉を自分にかけるだけで十分です。

 

 

 

さて、この「怒りが湧いた時に、自分に何が不足しているか考える」ということを実践すると、ひとつデメリットがあります。

それは、

「まず自分の心に原因があるかどうかを探るため、相手が100%おかしい場合や単に相性の問題であっても、すぐに気づけない時がある」

という点です。

実は私自身、このデメリットを完全に解決しているわけではなくて、修行中です(^_^;)

 

モヤモヤ、イライラする出来事が起きた時、たとえそれが相手の悪意からくるものであっても

「もしかしたら自分に原因があるのかな?」と考えてしまうので、すぐに相手に言い返すことができないんです。

また、相性が悪いだけであっても、自分に何か原因が無いか悩んでしまうことがあります。

 

そう聞くと、なんだか損な考え方と思われるかもしれないのですが、ひとつ付け加えておきたいことがあります。

それは世の中ってそんなに冷たいイヤな人ばかりじゃない、ということです。

 

私はこの、「モヤモヤした時に自分に何か原因がないかを探ってみる」ということをずーっと繰り返してわかったのですが、

かつて私がモヤモヤを「他人のせい」にばかりしていた時は、世の中の大半の人が意地悪で冷酷で、私は不運で可哀想な人間に見えてたんです。

 

でも、モヤモヤやイライラが起きるたびに「自分に不足してるもの」や「消化されなかった悲しみ」に気づき、不足しているものを補ったり、「悲しかったんだな」と受け止めていくことで、モヤモヤやイライラすることがどんどん少なくなっていきました。

そうすると、物事の良い面に気づけるようになり、とっても生きやすくなったのです。

 

また、ちょっとスピリチュアル的な話になりますが、物事の良い面に気づけるようになると、「悪意ある人々」に出会うこと自体、少なくなっていきました。

例えばルール違反をしたり、乱暴な言動をする人を見かけることが減っていったのです。

また、稀にそんな人を見かけても、腹が立つというよりも「何かストレスを抱えているのかな」と冷静な立場で見られるようになりました。

 

 

私の感覚では、モヤモヤを感じる出来事が多かった頃は「8割は自分に原因があった」気がしています。逆に言えば、残り2割は相手に原因があったり、もしくは単に相性の問題だったりしました。

 

 

私の場合、この「自分に何か不足しているか探る」ことをした最初の頃は、「自分に10割原因がある」と無意識に思ってしまったので、前述のようなデメリットが起きやすかったような気もしています(^_^;)

 

 

ですので、イライラした時に自分の中にどうしても思い当たるような原因が無かったり、他の人に相談してみて「それは相手に問題があるよ」と言ってもらえたりしたのなら

「もしかしたらあの人は、問題の原因がある2割の人なのかもな」と捉えてみると良いかもしれません。

 

そして、その「2割の人」のカテゴリに入る人々があまりにも多いなら、自分にも何か原因があるか改めて探ってみても良いと思いますし、

成長するにつれて「あの人だけが悪いと思っていたけど、自分にもこんな悪い点があったな」と気づくことがあるかもしれません。

 

 

さて、「2割の、相手に問題があるパターン」に遭遇した場合どうすればいいのか、ですが

私なりの対処法や、知人から教えてもらった参考になる方法などを後々、紹介していきたいと思います。

(ただ、人によって何が効果的なのかは違うと思うので、あくまで参考にとどめておいてください)

 

 

 

さて今回は「怒りの根底には悲しみが潜む」というテーマで書きましたが、そう言われてもあまりピンとこない方がいるかもしれないので、次回はそれについて、具体例を挙げて紹介します。